有吉弘行の年収5億円までの道のり!テレビから干されそうに

お笑いタレントの有吉弘行は、現在レギュラー11本(うち9本がMC)を抱える売れっ子芸人。猿岩石で電波少年でブレイクし、電波少年が終わるとともに、猿岩石も消え、一発屋といわれましたが、有吉だけは見事に復活しました。

有吉弘行

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有吉弘行、視聴者に飽きられまたテレビから干されるかも

毒舌タレントとして再ブレイクした有吉弘行ですが、テレビの露出が多いことが原因で視聴者から飽きられてきたようです。民放ディレクター会議では酷評だったようで、テレビから干されるのも時間の問題のようです。一時のブームだったのでしょうか?

2011年、最もテレビ番組に出演したお笑いタレントで再ブレイクした有吉弘行に賞味期限切れ説が浮上!
同年12月に開かれた民放キー局の制作者担当者が一堂に会するディレクター会議で有吉は酷評されたという。
「猿岩石のブレイクから10年を経ってから再びブレイクしたが、一発屋だ。2回目のブレイクもそろそろ終わりという意味です」(キー局関係者) 

原因は何だったのだろうか?
「テレビに出過ぎてしまったことが命取りになった。要は見飽きたということ。有吉の芸は毒舌のみ。そろそろ視聴者がいらだちを覚え始めるころです。さらに、2011年は東日本大震災で多くの人が亡くなり、原発や年金や増税問題が追い打ちをかけ、日本全体でギスギスしている。そんな時に他人の毒を聞いても余計にすさむだけ」(放送作家) 

売れっ子ディレクターも
「今、有吉を起用しているのは若手スタッフだけ。ベテラン勢は避け始めている」
有吉がこの先生き残るためには、芸を変えていかないと難しいようだ。

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有吉弘行の年収5億円までの道のり

2012年10月、夕刊紙に推定年収5億円と報じられ、本人はあり得ないと否定をしたが、2011年のテレビ番組出演本数ランキングでは堂々の1位。
2012年の上半期でも4位と上位に食い込んでいるため連覇もあり得る。
また、毒舌訳 哲学者の言葉は3万部以上を売り上げるなど人気も凄い。

このことから、「年収5億円は言い過ぎだとしても、億を超える高収入を得てるはずです」(テレビ局関係者)
有吉は、億万長者になってもプラベートではひっそりした生活をしている。

有吉は1994年4月、森脇和成とお笑いコンビ・猿岩石を結成。
1996年に電波少年の企画でヒッチハイクをし、一躍ブレイクした。
藤井フミヤ・尚之兄弟が作詞作曲した白い雲のようにはミリオンを記録し、日本レコード大賞新人賞を受賞した。
著書ではその時の収入を告白している。
「固定給で確か月100万くらい貰ってました。一番多かった月で2000万くらい。貯金は絶頂期で7000万円にまで膨れあがった」

しかし、猿岩石のブームは長くは続かず、彼は天国から地獄へと・・・。
「月収2000万からゼロになるまでは、4年くらいでした。転がるように減っていって、月7~8万っていう一桁が数ヶ月続いたと思ったら、本当にゼロになったんです」

有吉は、ここから貯金を切り崩す生活になる。
「彼は売れなくなってバイトしてると言われるのが嫌でバイトもせず、貯金を切り崩しながら生活をしていたんです。食事は1日1食、予算は1日250円でスーパーの見切り品がご馳走だった。7000万あった貯金が底をついた時は、死ぬことも考えたそうです」(芸能関係者)

当時の彼の唯一の仕事は、毎日4時に事務所に電話して、翌日の仕事の有無を確認することだった。
しかし、かけてもかけても仕事がない状態だった。
そして、有吉は精神的に壊れていく。

「またないのか・・・。ってどんどん追い込まれていきました。午後4時になると体が震えるようになってました。さらに、ダチョウ倶楽部・上島隆平や土田晃之といった先輩に、2万円下さい!などと無心するようになっていった。しまいには、そんな彼らに対して、金がないオレが悪いんじゃない、金くれないお前らが悪い」と逆恨みするほどになった。

2004年3月に猿岩石を解散し、一発屋と称される時期が続いた。
この頃から、男ウケだけを考えるようになり、毒舌芸人へと変貌していく。
そして2007年8月にアメトークに出演した際に、品川祐におしゃべりクソ野郎とあだ名をつけられ反響を呼び、これをきっかけに再ブレイクを果たす。

有吉は一度どん底に落ちたことを経験したことにより、車や家や生活などは昔と変わらないまま質素な生活をしているそうです。
さらに後輩と飯を食べても、自分が誘ってないなら奢らないそうです。
貯金は、1億円ほどあると冗談ぽく言ってたそうです。

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