フランク永井の晩年は姉と一緒に老人ホームで!松尾和子とデュエットも

歌手のフランク永井さんは1951年頃に歌手にあこがれ上京。アメリカ軍キャンプでのアルバイト生活を経てクラブ歌手へ。作曲家の吉田正さん(1998年に死去)と出会い1957年に「有楽町で逢いましょう」がヒット。1961年に「君恋し」で日本レコード大賞を受賞。1957年から26年連続でNHK紅白歌合戦に出場。2008年10月に76歳で死去されています。

フランク永井

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フランク永井・姉と一緒に5000万円の老人ホームで晩年を

「最初に見た時は本人だって気づかなかったんです。何かバラードのようなスローな曲を口ずさんでいたんで、ここに入所している祖父に、あそこのおじいちゃんご機嫌ねっていうと、あれはフランク永井さんだよって教えてくれたんです。でも、声がうまく出ないみたいで、すぐに歌うのをやめてしまいましたけど・・・」(老人ホーム入居者の家族)
エントランスにはクラシック音楽が流れ、レンガを使った4階建ての建物の外観は高級ホテルのようにも見えた。
ここが、2008年10月27日に肺炎のため亡くなったフランク永井さんの終の住処となった介護付き有料老人ホーム。

入居金だけでも約5000万円、1ヵ月の入居費用は30万近くかかる、かなりの高級施設だった。
「全室に温水シャワー付きトイレ、テレビ、電話、電動ベッドがついています。総床暖房で、檜風呂のほかに車イスのままはいれるバリアフリータイプもあります。また医療理学士と2名の看護師が常駐し、クリニックも併設しています」(施設関係者)

永井さんはここに6歳年上の実姉と一緒に入居していた。
それぞれに部屋を持ちつつも、ふたりで支え合って暮らしていたという。
米軍キャンプのクラブ歌手を経て1956年にデビューした永井さん。
「有楽町で逢いましょう」が大ヒットし、1961年には「君恋し」で日本レコード大賞を受賞。

その後、自ら見出し「まっつん」と呼び可愛がったという歌手の松尾和子さん(1992年に57歳で死去)と1959年に「東京ナイトクラブ」をデュエット。
NHK紅白歌合戦には26年連続出場するなど、大活躍した歌謡歌手だ。
しかし1985年の秋、愛人から子供の養育費を要求されたことを苦にして自ら命を絶とうしてからは、苦痛の連続だった。

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幸いにも一命を取りとめたが、後遺症で歩行不能になり車イスでの生活に。
記憶障害なども残り、全国の病院やリハビリ施設で入退院を繰り返した。
「うちに入院したのは1987年。当時は回復の兆しがあったんです。ゆっくりした足取りでしたが、自力で歩行訓練を施せるまでになりましたし、歌えるようにもなりました。結局約5年半入院していました」(香川県の病院長)

そして、長年連れ添った妻・シズ子と離婚。
「看病疲れから、シズ子さんも1991年に自ら命を絶とうしたんです。彼女も一命を取りとめましたが、その後、後遺症で永井さんの看病が出来なくなり、迷惑をかけれないと離婚したんです。1992年6月のことでしたが、離婚後も永井さんから贈られた結婚指輪をずっと左手薬指にしていました。愛人騒動の際も永井さんをかばうなど、糟糖の妻でしたが・・・」(音楽関係者)

その後、永井さんの姉が仙台から東京に出てきて、一緒に自宅に移り住み、ずっと面倒を見続けてきた。
「そのお姉さんも80歳になってから、もうひとりで介護は無理と、冒頭でお伝えした5000万円の老人ホームに移ったんです」(住宅近所の知人)

永井さんは老人ホームの庭で散歩することもあった。
「ひとりでは食事も出来ない状態のことが多かったようですが、体調がよくて暖かい日は、車イスで庭に出てきました。そしていつものようにスローテンポの歌を口ずさんでいた」(入居者の家族)

だが、2008年の夏に風邪をこじらせ都内の病院に入院。
静かな晩年を送った老人ホームに戻ることもないままに亡くなって人生の幕を静かにおろしたそうです。

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