藤井フミヤは高杢禎彦との確執もチェッカーズ再結成は?母は

ミュージシャンの藤井フミヤは高校卒業後、旧国鉄に就職したが退職し、1983年にバンド「チェッカーズ」のリードボーカルとして「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。1984年に「涙のリクエスト」がヒット。NHK紅白歌合戦には9年連続出場。1992年に解散。1993年からソロ活動を開始し、デビュー曲「TRUE LOVE」がヒット。弟の藤井尚之とのユニット「F‐BLOOD」としても活動しています。

藤井フミヤ

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チェッカーズ再結成に向けて藤井フミヤの動きは

1980年代を代表した人気グループのチェッカーズは、1992年に解散をしました。原因を2003年にメンバーでサイドボーカルの高杢禎彦が自伝(チェッカーズ)で経緯を書きました。これを読んだ藤井フミヤが俺を批判してると激怒をし、それから藤井フミヤと高杢禎彦の確執が生まれました。

クロベエこと、ドラムスの徳永善也が2004年に亡くなった時は、クロベエを送る会をしましたが、本の件で高杢禎彦と鶴久政治は参加させてもらえませんでした。ファンとしては、再結成を望む声も多い中、これまで一度も再結成がされてきませんでした。

チェッカーズを解散してからフミヤがチェッカーズについて語ることはほとんどなかった。
2013年9月21日のツアー初日に、こんなことを話していた。
「俺たちが東京に出てきた時、高杢とかあんな風貌だったから、年齢サバを読んでんじゃないかって言われてたし(笑)」

藤井フミヤ

これにはファンも騒然となった。
「まさか高杢の話をするなんて・・・。高杢って名前が出た途端、みんなすっごく驚いていましたよ」(ライブの客)

確執から数十年の歳月が流れ、フミヤと高杢の間にも雪解けの兆しが?
「もちろんリップサービスだと思いますけど、やっぱりフミヤも年を取って、昔を懐かしむとともに、寂しいんだと思いますよ。もともと、高杢とは誰よりも付き合いが古く仲良しでしたからね」(音楽関係者)

こうなると、期待が高まるのは再結成だが、フミヤはツアー中にこんな思いを明かしている。
「バンドが最近は解散しないね。休止という形を取る。バンドは時が経てばまた戻るんですが、チェッカーズはクロベエが死んじゃったからね・・・」
この意見を聞くと否定的にも思えるが、こんなことも言っている。

「蔵にしまっていたチェッカーズの曲を引っ張り出しました。せっかく蔵から引っ張り出したので、今度は押し入れにでもしまっておこうかと思います」
これは、いつでも歌えるようにという意味で言ったのかも知れない。

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そして、フミヤの気持ちがこんな風に変わってきた理由がある。
地元の福岡・久留米暮らす母の存在だ。
フミヤの父は1995年5月に肝臓がんで亡くなっている。
それ以来、母はずっと一人暮らしをしている。

「実はフミヤさんの母は2012年頃に体調を壊し入院したんです。退院してからは足腰が弱って歩行も少し困難になったみたいです。介護施設のお世話にもなっているようです、もう80歳を超えていますからね。フミヤさんも頻繁に様子を見に帰ってきているようです」(藤井家知人)

フミヤの胸中には、母親が心配し続けてきたことを少しでも楽にしてあげたいという思いもあるようだ。
「お母さんは幼馴染みの高杢さんとの確執が出た時に寂しがっていました。だからフミヤさんも、自分が一番輝いていたチェッカーズ時代の曲を歌ったり、高杢さんの話をして、もう大丈夫だよって元気づけているのでしょうね」(藤井家知人)

母が元気なうちに、藤井フミヤは残った6人のメンバーでステージにあがることはできるのだろうか?
母にもう一度チェッカーズを見せてあげたい気持ちがあるようです。

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