萩原流行の悩み続けた役者人生!うつ病と闘いバイク事故で亡くなる

俳優の萩原流行は高校卒業後、劇団「ザ・スーパーカムパニイ」に入団し、1973年に初舞台。1981年からつかこうへい事務所にて舞台「ひもの話」「蒲田行進曲」などに出演。映画は「人生劇場」「マークスの山」などに出演。以降、テレビへ活動を広げ、1993年のNHK大河ドラマ「炎立つ」、1994年の日本テレビ「家なき子2」などに出演。しかし、2015年4月に東京都杉並区の青梅街道でバイクを運転中に転倒し、62歳で亡くなられています。

萩原流行

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萩原流行は俳優として引退も考えていた

2008年突然の鬱病だったことを告白した萩原流行。症状は思っているより重症だった。その萩原流行が当時、俳優人生について語っている。その中で引退宣言ともとれるようなことも告白していた・・・。

「2008年、若い連中と芝居をする機械があって。その時、彼らに不安を感じたんです。弱いというか、僕らと共通項が見えない。若い子たち全員がこうだと、どうしようと思ったんです。微力ながら、僕の学んできたことを少しでも伝えれたらと」
アツすぎるほど真剣なまなざしで、そう話すのは俳優の萩原流行。
2009年4月に開校の「萩原流行アクターズスタジオ」の学長として、役者を目指す若者の道標になることを決めたという。

萩原流行

役者生活36年が経とうとしていた荻原流行。当然彼にもかけだしの時期はある。
「21歳の時、劇団を中心にあちこちから劇団員が集まって、1年かけて10本連続公演をやろうということになったんです。2本目の舞台で僕はいきなり主演に抜擢された。どうしたらいいのかわからなくて舞台の上で苦しみました。でも、それが当時の新聞に、主演の荻原はいい役者だって記事がのっても、自身ではまったくわからなかった」

その後も役者としてずっと悩み続けた。どうすれば共演していた柄本明、笹野高史、ベンガルのように面白くなれるのかと。
「悩んだ末、今度だめだったら芝居をやめよう。じゃあ、やめるんだったら自分の好きにやろうと吹っ切れたんです。1ヶ月間、お客さんにウケたかどうかもわからないくらい思いきりやった。吉田日出子さんがバギー面白かったよっていってくれて目から涙が落ちて、それから芝居が面白くなった。でも、それはずっとお客さんの前でも、もがき苦しんだ末に気づけたこと。そういう場を若い子たちにも与えてあげればと思ってます。」

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2009年から、萩原流行は鬱病の闘病をしながら役者を続けていた。
「役者にとって鬱は病気じゃなくて付随するものだと思うんです。役者は答えのない自己分析を繰り返して、突き詰めていく。切羽詰って、どうにもならない世界にいってこそ、はじめて違う世界が見えるんじゃないかと思います」

そんな役者・荻原流行を踏み台にして、ひとりでも役者になってくれれば。萩原流行の名を求められたら?
「あげるよ。うん継がせてもいい。でも、あんまりこの名前はいいと思わないんだけど。萩原という名前もいろんな人がいるしね」
役者としての意思をひとりでも多くに継いで貰いたいと考えて学校を開く荻原流行だった。

しかし、2015年4月22日に東京都杉並区高円寺南の青梅街道で、愛車のバイク・ハーレーダビッドソンを運転中に転倒し亡くなった。萩原流行はバイクや車好きで知られていた。

事故は午後6時5分ごろ、前を走るワンボックスカーに接触して転倒。ワンボックスカーを運転していた高井戸署の57歳の警部補。萩原流行のハーレーダビッドソンが右後方を走行していたのを認識しながら、十分に安全確認せずに進路変更し、避けようとした萩原流行のハーレーダビッドソンを転倒させた。そして、萩原流行は、後方から来た60歳の会社役員の男性の運転する乗用車にひかれ亡くなった。62歳だった。

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