岩本恭生の妻は脳腫瘍の手術失敗で半身麻痺になり死去

ものまねタレントの岩本恭生は1989年10月にフジテレビ系「オールスターものまね王座決定戦」で優勝し芸能界デビュー。1993年に元ザ・タイガースの加橋かつみらと「ザ・タイガースマニア」を結成。岩本は沢田研二のまねで参加しCDもリリースしています。

岩本恭生

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岩本恭生が涙の告白!妻が脳腫瘍に

ものまねタレントとして有名な岩本恭生。2011年9月、主夫生活をしてた。そうせざるを得ない事故が妻の身に起きてしまったという。手術が失敗し、2008年から半身麻痺になってしまったということです。しかも、自力ではご飯も食べれないほどの重傷。

「妻の手術はとても難しいもので、11時間半もかかりました。しかし、終わって帰ってきた妻はまったくの別人になっていました。
体も、顔つきも、性格までも・・・。脳幹にできていた4.5㎝ほどの腫瘍を取り除く手術でしたが、神経の一部が切断されてしまったようです。そのため、体には麻痺が残り、妻は歩けなくなり2011年9月、車椅子での生活です。」 

妻の左手は自分の意思ではうまく動かせません。
嚥下(えんげ)障害で、ご飯を食べるどころか、水を飲むことすらできません。
喉から管を入れて点滴で栄養を摂取しています。
左目もほとんど見えない状態です。
子供はふたりいます。長女と長男です。 

妻の体に異変が生じたのは2007年の夏ごろでした。
それまで病気とは無縁だったんですが、めまいと吐き気におそわれるようになって。
最初は更年期障害なんじゃないの?って笑っていたのですが・・・。
体調はどんどん悪化しました。
どの病院にいって検査しても原因がわかりませんでした。
「ママがよくなるのなら何でもやろうと、霊能力を持つという先生たちにもすがりました。ある占い師さんは今すんでいる家を引っ越しなさいと言われて、慌てて部屋を探しました」
さらに、その人には名前も変えた方がいいと言われ、恭生を恭省にも改名しました。
仕事仲間には芸能生活20年目なので、改名してみたと言ってきました。 

妻が入院するまで、僕はカップラーメンにお湯を注ぐことしか知らない男でした。
食事の支度、掃除、洗濯、ゴミ出し、子供達の服の用意、お弁当作り・・・何でもするようになりました。
ママがよくなるまでと自分を言い聞かせて頑張ってきましたが、まさかこんなにも主夫生活が長くなるとは思っていなかった。

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手術失敗で妻が半身麻痺の車椅子生活

妻の突然の体調不良、そして脳幹にできていた腫瘍を取り除く手術をしたけど、神経を間違って切断してしまい半身麻痺に。主夫と仕事とさらに妻の介護と3重の苦労をすることになった岩本恭生。

妻の体調不良が始まって1年後の2008年6月に脳腫瘍が発見された。
2008年7月には摘出手術をしたが、全部取り除くことはできずに1㎝ほど残っていたという。
術後は、主治医が、あまり詳しく妻の状態を説明してくれなかったんです。
妻を言葉を発することもできなくなっていました。
口を見ると舌が円錐状に固まっていて驚きました。 

さすがに主治医に、「ちょっと、これ見て下さいよ!」と言ったのですが、「ああ、希にこういうケースもあるけど、これもリハビリすれば・・・」とか言うばかり。
その後も、はぐらかすばかりだった。
もじ、自分が芸能界で仕事をしていなかったら「ふざけるな!」って怒鳴りつけてやりたかったです。
その後、知人の紹介で有名な脳外科医に診察してもらいました。
「本当にかわいそうですね。手術の下手な先生が担当したんだね。もう少しうまい人がやっていれば、こんなにひどいことにはならなかったのに」と言われました。
妻はいまでも手術をした医師を恨んでいると思います。
昔はけっして泣き言をいわなかった女性なのに、がーっと感情を爆発させて僕と怒鳴りあいの喧嘩になったりするんです。 

妻の恵美さんが週刊誌のインタビューに答えた。
「まさか、こんな障害が残るとは夢にも思っていませんでした。おいしい食事をとることもできなければ、ひとりで歩くこともできません。言葉をうまくはっすることもできない。左目にしているアイパッチをとってしまうと、目が乾いて痛くなるんです。もう3年以上化粧はしていません」
家族には感謝しているという。
「夫のおかげで本当に助かっています。普通の人だったら、こんなにやってくれないと思いますね。彼や子友達がいてくれなかったら、どうなっていたかわかりません。私の願いは娘と一緒に買い物にいって服を選んであげたりすること。家族でゴルフをしたりとか、もう無理かもしれませんが・・・」
いまは、病院でリハビリをしているようです。
誰もが回復することを願っていた。

岩本恭生

手術を失敗し半身麻痺になった岩本恭生の妻が死去

妻が脳腫瘍の手術の後遺症で半身麻痺になったものまねタレント・岩本恭生。妻は、2007年に脳幹にできていた4.5㎝ほどの腫瘍を取り除く手術をした時に神経を間違って切られてしまい、半身麻痺になりました。それから、岩本恭生が主夫になり、家のことをし、妻の介護もしながら2人の子供を育てました。妻の半身麻痺が治るためにいろいろしましたが、治らず帰らない人になってしまったそうです・・・。

「信じられませんでした・・・。帰ってきたよ、ただいまって言ってるのに、お帰りって言ってくれ!黙って逝っちゃうなんて・・・」
すすり泣きをしながら、妻を失った悲しみを語ってくれた岩本恭生。

2014年2月9日、妻・恵美さんが北海道札幌市の病院で肺炎のため52歳で亡くなった。
岩本は仕事で東京にいたので、最期を看取ることができなかった。
恵美さんの体に異変が生じたのは2007年の夏頃。
当初は更年期障害との診断だったが、その体調はどんどん悪化していった。

岩本と恵美さんの間には、2人の子供がいるが、当時、子供達は8歳長女と6歳長男だったため、岩本が主夫として家庭を切り盛りすることになる。
食事の支度から、掃除、洗濯、お弁当作り、さらに入院中の妻を毎日見舞うなど、超多忙な日々だった。
ママが元気になるまでと信じて主夫として奮闘したが、1年後、恵美さんの脳腫瘍が発見される。
2008年7月に取り除く手術を受けたのだが、術後、後遺症に苦しめられることになる。

左半身に深刻な麻痺が残り、左目は斜視になり、眼球の筋肉も麻痺し、右目だけでものを見ている状態。
さらにうまく話せなくなり、車椅子生活となる。

岩本は恵美さんの苦しみをこう話してくれた。
「嚥下(えんげ)障害でご飯を食べたり、水を飲むことができなくなって、ずっと栄養点滴で過ごしていました。リハビリとして、子供達のために、麻痺した体で一生懸命料理を作っても、一緒に食べることができなかった。食べる飲むが好きだった彼女にとって、とても辛かったと思います」

岩本は2012年頃から、東京から夫婦の故郷である札幌に引っ越し、家族が一丸となって闘病生活を支えたが、恵美さんは帰らぬ人になってしまった。
「病室で会った妻は、これまで、麻痺で引きつっていた顔が真っ直ぐになっていて、とても綺麗な顔に戻っていました。障害を抱えてからはアクセサリーとか、そういうのもつけられなくなったから、棺桶に入れてあげようと思います」
岩本は涙をこぼして語ってくれた。

脳腫瘍は発見が遅れると死にも至る病気です。
手術をしても、後遺症が高確率で出てしまうことでも恐れられていますが、岩本さんの妻は半身麻痺になり、車椅子生活になってしまいました。

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