ジェロは米国人演歌歌手としてブレイク!母に感謝し現在も活躍

演歌歌手のジェロは米ピッツバーグ生まれの米国人。2003年に演歌歌手を目指して日本に。来日当初は英会話学校の教師として和歌山に赴任。その後、コンピューターエンジニアとして大阪に勤務。高校時代はダンスチームで活躍し、米国ピッツバーグ大学の情報科学部を卒業。和歌山県でNHK「のど自慢」に出場し、「夜桜お七」を歌って合格。その後もコンピューターエンジニアの仕事をしながら、各地のカラオケ大会に出場。2007年にレコード会社スタッフの目に留まり、2008年にシングル「海雪」でデビュー。

ジェロ

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演歌で大ブレイクのジェロのお正月は母と日本で過ごす

「お母さんの夢は、子供たちと一緒に自分が育った日本で過ごすことでした。自分が生まれた場所を見せたい気持ちが強かったのでしょう。2009年の正月でそれが叶って本当によかったと思います」
笑顔でそう語ったのはジェロ。2008年のレコード大賞では最優秀新人賞を受賞し紅白歌合戦にも出場。

ジェロ

そんな息子の晴れ舞台を見るためにアメリカから母・晴美さんが日本にかけつけたのは当時23年ぶりだった。
「紅白では絶対にお母さんの方を見ないで歌おうと思いましたね。やっぱり、お母さんの涙には一番弱いし、泣かずに歌いたいと思っていたので・・・」(ジェロ)
実は、大晦日の前日に行われたレコード大賞で、ジェロは突然入った母親のねぎらいの電話に感極まって泣いてしまった。

だが年末年始は忙しかったみたいで、あまり母親と一緒にいてあげれなかったという。
「東京浅草は、仕方なく横浜に住んでいる兄夫婦に任せました。でも家族だけでカラオケに行きましたね。僕は、お兄さんのリクエストで氷雨を歌いました。カラオケにいっても洋楽は歌いません。演歌だけです。」(ジェロ)
お正月は料理も口にできず、あっという間の正月だったが帰る時は息子のことを気にかけていた。

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「空港までは見送れませんでした。お母さんはいつも体に気をつけて、ちゃんとご飯を食べてというんですが、帰る前にもやっぱり体に気をつけて頑張ってと言ってましたね」
そう言い残し、2009年1月3日、晴美さんはアメリカに帰って行った。ジェロはそんな母をこれからも定期的に日本に呼び色々なところに連れて行ってあげたいと語った。

将来は、昔からお母さんに言われていること、お金を貯めなさいを実行して、お母さんを日本に呼んで楽にさせてあげたいです。(一緒に住んであげたい)実は、ジェロには、ひとつの難点があった。
「貯金が苦手なんです(笑)ほしいものがあったらすぐに使ちゃって。それに1LDKの部屋に住んでますが衣装やファンから貰った手紙などで狭くなって・・・もう少し広い部屋に引っ越したい。」と当時話していたという。

2009年1月にはセカンドシングル「えいさ」、同年2月にはオリジナル・アルバム「約束」をリリース。日本の名曲をカバーしたカバー・アルバム「COVERS」シリーズも人気に。その後も毎年一枚ずつシングルをリリースし、2006年には11枚目のシングル「うぬぼれ」をリリース。現在はNHKの歌謡コンサートやNHKラジオ、地方営業など演歌歌手として活躍しています。

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