KEIKOと小室哲哉のくも膜下出血の闘病生活!現在の状態は

歌手のKEIKOは1995年8月に、小室哲哉が主宰するイベント「EUROGROOVE NIGHT」のオーディションに出場したことをきっかけに、globeのヴォーカルとしてデビュー。2002年11月に小室哲哉と結婚。2008年にKEIKO単独でユニバーサルミュージックへ移籍、ソロ名義を「KCO」に変えソロ活動も行っている。2011年10月に「クモ膜下出血」で倒れた。

KEIKO

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母の言葉で出さなかった記入済みの離婚届け

彼女はしゃくりあげるように泣いてました。そして、興奮した声でこういったんです。「彼は、悪いことなんかしていない」と・・・。
2008年11月4日、小室哲哉容疑者が詐欺容疑で逮捕される直前、妻のKEIKOは、ある芸能関係者に電話をかけていた。

その電話の内容を聞いた小室夫婦の知人は、週刊誌の取材に冒頭ように語った。
それは小室が滞在先ホテルのスイートルームから大阪地検に向かう1時間半ほど前のことだったという。
「早朝の、午前6時すぎのことでした。彼女は泣きながら、彼から、事情を聞いていただけに、悔しくて悔しくてしょうがないんです。と言い、何度も騙された・悪いことはしていないと繰り返していました。」(知人)
KEIKOは夫の無実を信じていた。
涙でくぐもった言葉は、ところどころ聞き取りにくかったが、「私しか彼を支えることは出来ない」「すべて決着はつきました」と言って、電話を切ったという。2分間の通話だった。

「決着がついた」というのは、どういう意味だったのか?
「2008年8月、2007年に亡くなった彼女の父親の新盆で大分に帰省した時、小室はスタッフに連絡をして、帰省費用300万円を借りて行きましたが、そのことは彼女も知りません。彼女の実家に借金の催促の電話があったときも、小室は「大丈夫心配しなくてもいいよ」と、話をしていたそうです。」(知人)
2008年10月下旬、大阪地検からの事情聴取の連絡が入ると、小室容疑者もこれ以上隠せなくなり、黙っているわけにいかず、ようやく彼女に事情を話し始めたという。
「小室は、迷惑をかけたくないからと、用意していた離婚届けに署名、捺印して、彼女に渡したそうです。それが2008年10月30日のことでした。」
この情報を得た一部マスコミが「すでに離婚した」と報じたが事実は違うようだった。

知人はこう続ける
「KEIKOさんから事情を聞いた大分のお母さんは1日に急遽上京し、姉の文恵さんと3人で、都内のホテルに集まりました。」
その時、KEIKOが離婚を申し出られたことを聞いたお母さんは、「そんなに小室さんを信じているのなら、離婚しちゃ絶対だめよ!」と彼女を説得したようです。
母親のその言葉におされたのでしょう。
彼女は離婚届けは提出していないそうです。
電話でKEIKOが語った決着がついたという言葉の意味は、離婚を回避して、これからの茨の道を小室とともに歩む決心がついたという意味だったんだと、理解しています。

2002年11月22日、5億円の超豪華結婚披露宴を開いた2人は6年で、幸せの絶頂から奈落の底へ突き落されることになった。
「最近の打ち上げは、ファミレスを借り切っていってました。いろいろなものが食べられると、小室さんは絶賛してましたが、正直そのレベルでさえ、出費はキツイようで、ふだんの外食も控えるようになりました。KEIKOも彼の魚嫌いを克服するために、必至に魚を使った家庭料理を勉強していました。」(音楽関係者)

夫婦間の信頼は揺るがなかったようだが、一方でこんな証言もあった。
「KEIKOと付き合うようになってから、小室のほかのアーティストへの音楽提供がぐっと減りました。あれはKEIKOが、ほかの女性アーティストのプロデュースをさせなかったからなんです。
元恋人の華原朋美を含め、小室の女性関係は派手でしたから、KEIKOも気が気ではなかったんでしょう。結果的にそれが収入減の借金生活にもつながっていると思いますけどね」(芸能リポーター)

KEIKO

KEIKOがくも膜下出血で倒れる!後遺症で今後はどうなる?

KEIKOがくも膜下出血で救急車で運ばれ、5時間に及ぶ手術をしました。命に別状はなくほっとしましたが、歌手としての復帰はどうなるのでしょうか?早期発見で出血量が少なければ、後遺症は残らないようですが、今後が心配されます。

5時間に及ぶ大手術だった。
彼女は目を覚ますとベットの側で寄り添っていた小室哲哉の手をギュッと握り替えした。
2011年10月24日、自宅で倒れたKEIKO。
都内の病院に運ばれ、くも膜下出血の緊急手術をした。
「その日、KEIKOさんは小室さんと一緒に自宅にいて、昼間からずっと体調が悪いと訴えていたそうです。それで少し横になっていたんですけど、起きたら首の後ろに異常なまでの痛みを感じ、心配した小室さんが救急車を呼んだそうです」 

手術は無事に成功した。
KEIKOはここ数年、苦難の連続だった。
1995年にglobeのボーカルとしてデビューし2曲目のJoy to the loveでオリコン1位に。
ここから人気歌手の仲間入りをはたす。
日本レコード大賞も受賞した。
プライベートでは、1999年5月に北川悠仁と熱愛が報じられる。
お互いの家を行き来し交際も順調で結婚秒読みだったが、2002年3月に破局。
「北川さんと破局になったのは、新興宗教である母の猛反対が原因です。KEIKOさんとしては本気で結婚したかっただけに、かなりショックを受けたようです」(音楽関係者) 

そんな時にKEIKOをささえたのが小室だった。
同じく、前妻・吉田麻美と離婚したばかりだった。
そのまま小室と2002年11月に結婚。
しかし、KEIKOが夢みた幸せな家庭生活は長くは続かなかった。
2008年に小室は詐欺容疑で逮捕される。(5億円事件)
この時、小室はKEIKOに借金を背負わせたくないから離婚を望んだが、KEIKOは「私達のこれからの人生は大変険しいものですが、共に歩む覚悟です」と小室と苦悩する道を選んだのだ。 

2009年後半には、判決後にはじめてKEIKOと小室がステージに上がって、KEIKOは感極まって号泣もした。
その後、小室はAAAの曲をプロデュースし、globe復帰に向けてKEIKOもボイトレを再開したが、これが悲劇の幕開けだった。
気になるのはKEIKOの今後なのだが・・・
「くも膜下出血の1/3は死亡するといわれています。ですからKEIKOさんの場合は、小室さんが早期に発見したことが事態を軽くしました。後遺症としてしびれ、けいれん、マヒ、感覚障害、意識障害、失語症などがあります。以前のように歌えなくなる可能性も否定できません」(医療ジャーナリスト)
復帰へは、かなり厳しいようです。
でも、小室の早期発見のおかげで、最悪な事態はまぬがれることができたようです。

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緊急手術から2週間、親族が明かす涙の闘病生活

幸いKEIKOの場合は、早期発見で小室の対応が早かったので大丈夫と報じられていますが、まだ話すことなどは難しいようです。

2011年10月24日にくも膜下出血で倒れてから2週間が経過。
彼女の親族であるAさんから現在の容体を聞くことができた。
大分県に住む、KEIKOの母・喜美代さんから状況を聞いたというAさんが語り始めた。
「10月24日、喜美代がKEIKOが緊急入院したと連絡があって、明日、朝一番に飛行機で東京に行くからと伝えてきました。大変なことになったのはわかりました。翌朝、東京の病院に着いて、そこで見た光景に彼女はショックを隠しきれなかったようです。手術直後だったこともありますが、KEIKOと名前を呼んでも、全然反応がない。眠ったままだったようです。祈るような気持ちで意識だけでも戻ってほしいと・・・。不安で眠れないし、しばらく大分にも帰れそうもないといっていました」 

上京した母は都内にあるKEIKOの姉のマンションに身を寄せている。
「小室さんも毎日、KEIKOのとこにきているようです。手術後は、彼もかなり精神的にまいっていたようです。目の前で妻が倒れる様子を見ていたんですからね。ショックは大きいでしょう。だからKEIKOが目を覚ましたときは、母も小室さんも安心したそうです」
KEIKOは順調に回復をしているという。
「思ったより回復が早いそうなんです。最近だと、KEIKOは母親のことも理解できるようになっているみたいです。母が手を握ってあげると、KEIKOも握り返してくるみたいです。母が話しかけると、まだ言葉は出せませんが、何か話そうとしてるようです」 

「聞いた話では1/3の確率で障害が出ると言われているみたいで、それがわかるのはもう少し先のようです。2011年12月には一般病棟に移る予定。家族としては後遺症が残らないようにと祈るばかりです」
命には別状はありませんが、まだまだ予断は許さないようです。

KEIKO

小室哲哉が語るKEIKOのリハビリ生活!記憶喪失がひどい

くも膜下出血でKEIKOが倒れ緊急手術。手術は成功し、すでに退院し自宅でリハビリ生活するまで回復をしていますが、歌手としての復帰はまだまだ未定のようです。退院後からの壮絶なリハビリ生活が続いています。悲しいことにまだまだ時間はかかるようです。

このインタビューは2011年12月末に行われ、KEIKOが倒れてから2ヶ月が経過していた。
KEIKOは倒れた前日から5日間ほどしか経過していないような感覚だと語っているという。
つまり、倒れた時からその間の記憶は抜けているのだ。
「この2ヶ月間、僕の誕生日、結婚記念日、親しい知人の誕生日もあったのですが、2011年に限ってはKEIKOの中ではすべてなかったことになります。今は良い方向に向かっていると感じています」
「例えば、リハビリの一環としてツイッターを再開させてみたところ、濁音などの入力方法が思い出せず、誤字だらけ。そこで僕ば間違いを指摘すると、一文字消して修正すればいいところを全て消してしまうなど、一文字書くのにもかなり時間がかかります。でも、最近では入力のスピードはアップしています。記憶が蘇っているようです」 

現在は、週1~2回の通院と平行して自宅でもリハビリをしてる生活だ。
「リハビリはパズルを組み立てたり、文章を読んで、その中にあった単語を思い出せるかなどを試す知能テストのようなものを一緒に行っています。抜け落ちになってしまった記憶を100%取り戻すことは無理なのかもしれません。でも90%は取り戻せるかも知れないと前向きな気持ちを持つようにしてます」
取材を受けているこの少しの時間でもKEIKOを家でひとりっきりにしてしまうことは不安だという。
小室はこれまでのように仕事に没頭できる時間もかなり減った。
しかし、それ以上にKEIKOから与えられたものがたくさんある。
「正直、この年になって、涙を流したり感情を激しく揺さぶられることなどあまりないと思ってました。でも、今でもKEIKOが何気なく1週間前のことを話だしたりするだけで、涙がでるほど感激します」 

今後の課題は、歌うことで彼女に活力を取り戻させることです。
以前は、家でもよく歌ってたんですが今ではめったに聴かなくなりました。
でも自分の声がテレビから流れたりすると、「私の歌も皆を楽しませているんだね」と喜ぶので、社会に必要とされることは何よりも活力になると思っています。
まだまだリハビリ生活は長いようだ。

KEIKO

くも膜下出血からの手術とリハビリをしているKEIKOの今は

KEIKOがくも膜下出血で倒れたのが2011年の10月25日。5時間に及ぶ緊急手術をし、そのまま長期入院。
奇跡的な回復をし、約45日後の2011年12月8日に退院をしました。その後は、過去の記憶が抜けている状態や、リハビリに励む様子が報じられていましたが、現在はどこまで回復をしたのでしょうか?

「過去の記憶は、もうほぼ回復してきた感じがするかな」
2012年6月30日付けのツイッターで、そう綴るのはKEIKO。

「ツイッターを定期的に更新することはリハビリの一環でもあるんです。定期的に主治医の診断を受けながら、散歩したり、近所の美容院に行ったり、日常生活を穏やかに送っています。気分のいい日は、globeの曲を歌えるほどまでに回復してますよ」(音楽関係者)

小室哲哉は2012年7月2日、スマスマに出演していた。
「中居さんと木村さんは、KEIKOさんと同い年ということもあって、収録の合間に小室さんに彼女の回復状況を聞いていました」(番組関係者)

小室はKEIKOが倒れてから家族思いになったという。
「どうぞKEIKOをお守り下さいと、5年前に脳出血で亡くなったKEIKOさんのお父さんへ毎日お茶をあげているそうです。リハビリにも積極的で、少しでも楽にと、WIIに励んでいるようです。さらには、彼女が髪を切ったら綺麗だねと、声をかけるなど、一生懸命頑張って支えているようです」
もう声も出て、歌えるほどまで回復をしているようです。
しかし、くも膜下の影響で気分が優れない日もあるようです。

小室哲哉

KEIKOくも膜下出血の闘病生活から1年!記憶障害に苦闘

KEIKOがくも膜下出血で自宅で倒れてからもう約1年が経過。夫・小室哲哉の処置が早かったため手術後は、記憶障害以外、大きな後遺症はなかったのですが、歌手としての心を忘れてしまったと報じられています。しかし、最近変化がでてきたそうです。くも膜下出血になると社会復帰は難しいと言われていますが、奇跡は起きるでしょうか?

「まだまだだけど、少しでも、早く私の歌を聞いてもらいたい」
リハビリを続けるKEIKOがツイッターでつぶやいたこの言葉は、彼女の大きな変化を表していた。

小室がglobeの活動再開を明かにしたのは2012年9月24日のこと。
当面はマークパンサーとふたりだけの活動だが、「globeのともしびを消さぬようKEIKOが元気になるまで活動しようってことになりそうです」

KEIKOがくも膜下で倒れてから1年が経つ。
「最初の頃は、自分が歌手だったことも覚えていないようでした。直近の記憶をどんどん失っていき、例えば、小室さんの名前は紙に書くことができても、直後に書いたこと自体を忘れてしまうような状態だったんです」(小室の知人)

つまり記憶障害になってしまった。
それでも小室はKEIKOのために、献身的な介護を続けた。
退院後もKEIKOのために朝食を作ってからでかける。
パズルの組み立てや記憶テストといったリハビリもした。
ツイッターでつぶやかせているのもリハビリの一環だ。

小室が一番心配をし、苦しめたのは別の後遺症だった。
「家にいる時、暇さえあれば歌を歌っていた彼女が、倒れた後さっぱり音に反応しなくなってしまったんです。小室さんが音楽をかけると気が散って疲れるといって嫌がるまでになったそうです」(小室の知人)

こんなKEIKOの姿を見て、小室は男泣きをしたこともあったようだ。
しかし、KEIKOに変化が!
2012年5月には、「TMの新曲、サビは、なんとかくちずさめてる」
2012年8月には、「音楽番組を久しぶりに真剣に観ることができて嬉しいです」などと音楽への興味を持ち始めた。

そして、冒頭のように思いを綴るまでとなった。
小室がglobeの活動を再開させたのも、KEIKOの姿に触発されたのかも知れない。
くも膜下出血になると、完治して社会復帰できる人は1/3程度のようです。
KEIKOは奇跡的に回復しているようです。

KEIKO

KEIKOがくも膜下出血で倒れて2年!現在の状態は

KEIKOがくも膜下出血で倒れてから2年が経過。KEIKOが倒れた時に、夫・小室哲哉が家にいたのと、すぐに救急車を呼んだことで、命は助かりました。ただ、くも膜下出血は手術が成功しても、かなりの確率で後遺症が残る問題があり、KEIKOの歌手生命は絶たれる可能性が高いようですが2013年、状態はどうなっているのでしょうか?

2013年5月11日の夕方、家具販売店・IKEAに小室とKEIKOの姿があった。
「ふたりとも堂々としていて顔を隠すようなこともなかったんですが、たぶんほとんどの人がふたりに気づいていなかったと思います。だってKEIKOさんが普通に歩いていましたからね」(目撃人)

IKEAでは100円で買えるホットドッグが日記でいつも行列ができている。
そこに・・・
「普通にKEIKOさんがな並んでいました・・・。すごいびっくりしたんですが、なんか感動しましたよ。よくここまで回復しましたね」(別の人)

2011年10月にKEIKOはくも膜下出血で倒れたが、手術の結果、命に別状がなかったが、心配されたのが後遺症だった。
「術後のKEIKOさんは、言葉を話すことができないどころか、記憶障害のために自分が歌手だったことも忘れてしまっていたんです。1ヶ月近く、病室で寝たきりの状態でしたね」(音楽関係者)

2011年12月に退院をすると、小室とのリハビリ生活が始まった。
完治して社会復帰できるのは1/3程度という。
言語障害や記憶障害だけでなく、半身麻痺などにより歩行も困難なケースも多い。
しかし、冒頭のIKEAでのKEIKOは元気に歩いていたという。
久しぶりの夫婦水入らずのデートだったのだろう。

「いつの日は、KEIKOと一緒にステージに立ちたい」と語っていたが、小室の目標が叶うのはそう遠くない。

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