三笠宮寛仁さまと妻・信子さまの別居8年間が生んだ断絶と娘たち

天皇陛下のいとこで「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまは、昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁さまと百合子さま夫妻の長男として誕生。学習院大法学部を卒業。障害者福祉、スポーツ振興などに尽力し、障害者がスキーなどを通じて自立し社会復帰出来るよう実技指導などをされた。2012年6月、喉のガンが悪化したことが原因で66歳で亡くなられています。

三笠宮寛仁

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三笠宮寛仁さまの夫婦別居8年間が生んだ妻との断絶

2012年6月6日午後3時35分に三笠宮寛仁さまは息を引き取られた。1991年に食道がんの手術以降、21年間で16回もがんに関する手術を受けながら公務に取り組まれてきた。

病室で最後を看取ったのはふたりのお嬢様の他に、母・百合子さまと姉だった。しかし、結婚生活32年目になる妻・信子さまの姿はなかったという。麻生太郎元首相の妹でもある信子さまは、2009年10月から病院と同じ千代田区にある旧官内庁でひとりで生活をしてた。寛仁さまと信子さまが揃って公務をされたのは、2004年6月が最後だった。

「信子さまは2004年夏から、胃潰瘍と更年期障害の療養ということで、軽井沢の別荘で長期のご静養に入られました。それ以来、ほぼ8年にわたり、寛仁さまとは別居生活を送られてきたのです。一時期は、信子さまが寛仁親王邸にお戻りになられたこともあったのですが、信子さんは自室に籠もられていることが多く、寛仁さまとはお会いになろうとはしなかった」

2012年6月8日には寛仁親王邸で、寛仁さまを棺に納める、お舟入、皇族方がご遺体に最後の対面をする拝訣という儀式が行われた。皇太子ご夫婦や秋篠宮ご夫婦などが参列された。しかし、宮内庁担当記者によれば、「お舟入も拝訣にも信子さまは参列されませんでした。喪主には寛仁さまのご遺志により、長女の彬子さまが務められることになりました」
病室でのご臨終の時も、その後のお別れの儀式でも、夫婦の対面は一度もなかったという。

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寛仁さまは、2007年にアルコール依存症の治療をしていることが公表された。講演の際に、「アルコール依存の寛仁親王です」と挨拶をすると、会場は笑いに包まれたりした。しかし、この性格が信子さまとの亀裂の一因になったという。寛仁さまと長年の親交があった友人男性は、「おふたりの関係がこじれてしまったのは、寛仁さまのアルコール依存症の治療が原因です。その当時は、まだ病名は公表してませんでした。

信子さまは、がんの検査と寛仁さまに偽って入院させていたようですが、実際は依存症の治療のための入院を知った寛仁さまは激怒されたのです。なんで、俺を騙してまで入院させたんだ!と・・・。もうひとつ寛仁さまが怒っていたのは、信子さまが依存症のことを周囲に隠そうとしていることだったようです。率直な性格だっただけに、信子さまを叱られたそうです。そして意地になって酒量を減らそうとはしませんでした」

この出来事は、信子さまにとってもショックだったという。このようなことで行き違いが多くなり、夫婦喧嘩も絶えなくなり別居に至ったようです。この別居生活は、夫婦だけではなく、信子さまと長女・彬子さま、次女・瑶子さま姉妹の関係にも影を落としたという。

三笠宮に近い人物によれば、「彬子さまと瑶子さまは、もともとパパ子でした。それが信子さまが出て行かれた後、ますます父娘の絆が強まっていったのです。お嬢様からすれば病気のお父さんを置いて、家をでてしまうなんてという気持ちがあったのかも知れません。信子さまは孤立感を強め、お嬢様たちとも距離を取るようになってしまいました」
結局、最後まで信子さまは、寛仁さまとは対面しなかったと書かれていました。とても深い確執が夫婦間であったようです。

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