美川憲一は前の事務所社長に訴えられ裁判に!紅白出場叶わず

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演歌歌手の美川憲一は1965年に「だけどだけどだけど」でデビュー。1966年に「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット。その後も「釧路の夜」「おんなの朝」「さそり座の女」などがヒット。1990年にはコロッケによるモノマネがきっかけで人気に。

美川憲一

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美川憲一が事務所を解雇!ギャラの値下げに応じず

2012年8月突然、所属事務所を辞めて、独立をした美川憲一。その背景には、やはりお金の問題があったという。演歌歌手は、地方の営業での儲けが大部分をしめますが、その地方営業も激減していた美川憲一。社長からのギャラを下げたいという申し出を断ったことが、この騒動の原因のようです。本人は円満退社を主張していましたが、物別れ状態だったようです。

「2011年末、事務所社長のAさんは、美川憲一さんにギャラが高すぎてこのままでは事務所が立ち行かなくなる。ギャラを下げさせてくれないかと頼んだそうです。しかし、美川さんはイヤよと言ったそうです」(芸能レポーター)

約25年間、所属していた事務所からの独立騒動。
発端は所属事務所が美川のギャラや社員の給料の支払いを滞らせたことだった。
一部では、美川の仕事が激減したころによる経営不振が原因と報じられた。
しかし、2012年8月14日に海外から帰国した美川は、
「私も仕事をしていますから。そんなはずないと思っています。CMもありますし」

一方で社長であるA氏は、週刊誌にこのように答えたという。
「仕事は実際減っていました。美川もそれはわかっているはずですよ。うちの所属は彼ひとり。彼の仕事が減れば事務所の稼ぎはありません。仕事が減った理由はいろいろです。演歌の冷え込み、震災の影響もあります。紅白出場を2年連続逃したことが最大の原因でしょう。それと重なり、ディナーショーなどの仕事が減っており、2012年4月、5月には、1~2本しかないありさま。半年ほど前から金庫は空っぽでした」

そんな状態なのに、ギャラを下げる提案を断った美川。
「A社長は、紅白出場はNHKが決めることという意見でしたが、美川さんは、あなたが頑張らないから私が落ちたのよ!と社長を責めたそうです。逆境に立たされた美川さんですが、それでもセレブ暮らしをやめなかった。旅行に行くときは、いつもファーストクラスなど、見栄を張り続けたと聞いてます」(芸能レポーター)

さらにA社長は続けて答える。
「よくここまでやってこられたというのが正直なところです。20年以上もヒット曲が無かったんですよ。私はプロモーターに仕事を下さいと頭を下げ続けてきた。私なりに精一杯やってきたんです。いまはひとつだけ言えることがあります。それは、今後、彼と再び仕事をすることは絶対にないということです」
最後の数ヶ月はお互い口も聞かなかった状況だったようです。
円満解決どころか、絶縁状を叩きつけられた美川憲一・・・。
たくさんの社員を連れて独立をしましたが、無事に食べさせていけるのだろうか?

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どうしてももう一度紅白歌合戦に出場したい!小林幸子とコンビ結成

2009年を最後に紅白出場がない美川憲一。それをきっかけに地方などでの営業が激減し、給料やギャラも激減で所属事務所を飛び出し事務所を設立しました。芸能以外でも仕事があると余裕な発言をしておりましたが、実際はかなり瀬戸際にたたされているようです。

一方、紅白での衣装対決のライバル小林幸子は、30年以上付き添ってきた所属事務所社長を解雇し、こちらも営業のギャラと給料激減、そして紅白出場も黄色信号が赤になりそうで大ピンチ。紅白の出場をもし逃すと、さらに仕事が激減するため何とかしたい。ふたりの利害が一致したのでしょうか?美川と小林はコンビを結成し2012年紅白出場を狙っていた。

「次々と騒動が明るみに出る美川さんですが、同じ悩みを抱える親友の小林幸子さんに救いの手を求めたようです。二人三脚でこの危機を乗り越えていくつもりだと聞いています」(芸能関係者)

所属事務所からの独立騒動で世間を騒がせた美川憲一。
すぐに次のスキャンダルが出た。
渋谷にある1億5000万円のマンションが、税金の滞納により差し押さえされた。
同じ時期に、小林幸子は、所属レコード会社と契約が解除された。

ふたりはかつて、紅白で豪華衣装対決を繰り広げていた。
彼らは、タッグを組むことで乗り越えようとしているようだ。
「美川さんと小林さんの交友関係は、1965年までさかのぼります。レッスンもともに同じ作曲家の古賀致男さんのもとで受けていた間柄で、何かあるとお互いに相談に乗り合ってきたんです。2012年4月に小林さんの事務所騒動が浮上した時も、美川さんは心配しているからと電話をしています」(同上)

ふたりは、2012年9月28日に放送される関西ローカル放送・えぇトコでの共演が決まっていた。
さらに小林は、NHKの別番組での出演が決まっているという話もあった。
「小林さんはコロッケさんと共演するという話が浮上しています。小林さんも美川さんも問題が浮上してから注目が集まっています。そのためNHKでは、できるだけふたりを番組に出演させることで視聴率アップに繋げたいようです。NHKへの貢献度があがれば、それだけ紅白にも出場しやすくなりますからね」(同上)

夢の共演で最近では強気の発言も出すようになってきた。
「美川さんは、つくづく高い授業料だったけど、私のスポンサーなんて、いっぱいいるわよ。だから、スタッフもみんな安心してついてくるんじゃないのと漏らしていると聞きました。2012年9月には新曲も出す予定です」(美川の友人)
「小林さんも大手ビデオレンタルチェーンと契約をして、2012年10月に彼女自身が作詞作曲したCDを出す予定です」(興行関係者)

このまま順調にいけば、また紅白でふたりの衣装対決が見れると思っていましたが、出場は叶いませんでした。

美川憲一

美川憲一が前の事務所社長に訴えられる!会社の物を無断で使用

美川憲一は2009年の紅白歌合戦を最後に出場できず、その影響なのでしょうか?地方での営業や仕事も激減しましたという。ギャラの問題で事務所を喧嘩別れの形で独立をしましたが、その後に円満解決で終わったことを主張していたが2013年、その前事務所の社長についに訴えられてしまいました。損害賠償請求は約2億円ほどで、事務所の衣装などを無断で使用していることや、長年の恩を仇で返すやり方に腹を立てていたようです。

「24年間支え続けた私を、一方的に悪者に仕立てた。あのやり方だけは許せません。私は受けた損害と名誉を回復するために、近く美川憲一を提訴します」
このように話すのは美川憲一の前事務所社長・エービープロモーションの社長・秋元那男氏である。

24年間も美川と秋元氏は二人三脚で歩んできた仲である。
「私がマネージャーとして仕え始めたのは、昭和の最後の年でした。当時、美川は二度目の大麻事件で芸能界から完全に干されました。その後、コロッケのものまねで注目されるようになったのをきっかけに先代の社長である阿部征男さんと副社長の私で再び売り出すことに成功をしました。先代の社長が亡くなったことで私が後を引き継ぎ、紅白も19年連続出場を果たしましたが、まさかこんな結末が待っているとは・・・」

騒動の発端は2012年頃からエービーで発生した、美川のギャラ未払いと従業員の給料遅配だった。
これをきっかけに美川は2013年9月5日に事務所を独立をする。
秋元氏が当時を振り返る。
「会見で美川が私に謝罪を要求し、受け入れられたことで円満に解決したと話していましたが、すべて嘘です。ただ、会社の売り上げ低迷により給料の遅配があったことは事実。従業員の給料はその後、すぐに支払いました。元従業員には迷惑をかけてしまったので独立は仕方ないと思っています。しかし、その後、美川が私にとった態度は許せないものでした」

秋元氏が話しを続ける。
「それだけでなく、美川は会社が所有していた衣装などを勝手に持ち出し黙って使い続けていました。また独立後しばらく、会社所有の車、ファックスも無断で使用。私が業者に連絡し強制的にストップさせましたが、何で切り捨て足られた人間がその後の経費まで払わなくてはいけないのか。このまま泣き寝入りするわけにはいかないので、損害分の2億1000万を請求するつもりです。私は美川の身勝手な振る舞いをずっと我慢してきました。私がなぜ許せなかったのか、その理由をお話します」

そもそも、2人に亀裂が生じたのは、2010年の紅白落選だった。
「美川は社長の私に力がないから落選したと逆恨みしたのです。40年も前の歌・さそり座の女ぐらいしかヒット曲がないのに、19年も連続で出場できた裏方の苦労をまったくわかっていない。小林幸子さんとの衣装対決も、会社の金をやりくりして捻出してきました。2000年に美川に金銭トラブルが発生した時も後始末をしました」

2000年の金銭問題とは、美川の元後援会会長が、1億6000万が未返済と美川を訴えた事件である。その時、NHKのプロデューサーから、問題を和解しないと2013年の紅白は危ないよと言われ、必死に解決に向けて事務所社長が動き和解。2009年まで19年連続で紅白が出場できたのは、社長など従業員の裏方の苦労のおかげでもあるのだ。

しかし、2010年に紅白出場が途絶えたことで、会社が傾いていく。エービーの所属タレントは美川だけだった。紅白に出場することでネームバリューを維持し、営業で稼ぐ。そういったビジネスモデルが、紅白出場が途切れたことで崩壊していった。「全盛期は営業が、1本600万円。月に十数本ありました。最後の頃は1本400万円で月に1~2件でした」

エービーが作成した過去10年分の美川へのギャラの支払いは、ここ数年金額が激減している。2005年には3億円を超えていた。2010年は1億6000万円。2011年は1億3000万円。

美川を25年間、支えてきた側近のN氏が話す。
「美川の付き人はイケメンでなければいけない。顔が気に入らないという理由だけで切られた付き人もいます。彼らには本当に申し訳のないことをしたと思います」
付き人をする人は、美川の急な用事にも対応させるため、美川の住んでいる近くで住むことになるそうです。

美川の金使いについてもN氏は話す。
「2003年頃から、年に1~2回、韓国のカジノで公演する仕事を受けるようになりました。美川は韓国の仕事のギャラは、全額自分が取ることを主張しました。ギャラは現地で現金で貰い、全部カジノですって帰ってきます。ロスにも年に1~2回行きますが、これもカジノが目的です。買ったらちゃんと会社にお金を入れるからといいますが、一度も入れたことはありません」

金使いはあらいのに、金への執着は並々ならぬものがあったそうです。
下記で紹介をした芸能人を巻き込んでの投資問題で、うつみ宮土理や神田うのが投資の損害に巻き込まれましたが、この2人を誘ったのは美川憲一だそうです。

美川憲一は秋元氏から訴えられることについて、次のように回答。
「独立の話は私から切り出したわけではないし、私が一生懸命働いて、秋元だって潤ってきたんですよ。今更告発なんて、私の仕事がうまく回っているから嫉妬してるんでしょうね。そもそも先代の社長が彼をクビにしようとして、とりなりしたのは私よ。私のおかげでクビがつながったのに何を言っているのかしら」

2人の言い分は食い違い、法廷で争うことになる。

美川憲一

美川憲一に2億1000万円を踏み倒された!前事務所社長との裁判始まる

美川憲一と前所属事務所の社長・秋元那男氏の金銭問題がついに2013年に裁判に発展しました。秋元氏は2億1000万円を美川に踏み倒されたと主張しています。2億1000万の内訳は、紅白の衣装持ち逃げ、無断使用した会社の備品代、名誉毀損などがあるようです。

一方の美川は、この件について、「あっちが私に嫉妬をしているのでしょう」「今の立場があるのは私のおかげ」と言って、まったく取り合わない回答をしていましたが、裁判で決着をすることになったようです。

「提訴してからそろそろ1ヶ月が経ちますが、美川からの反応はありませんでした。そろそろ公判の日程も出てきますので、決着は裁判所になるでしょう」(秋元氏)

2013年12月12日に、秋元氏は、美川と彼の個人事務所に対して、2億1125万円の損害賠償請求を東京地裁に提出した。
初公判を前に秋元氏が話しをしてくれた。
美川の金回りが悪くなったのは、19年連続でNHK紅白の出場が途切れた時、そして段々と金銭的に苦しくなり、亀裂が生じたのは2012年夏のことだった。
ギャラの未払いと従業員への給料遅配を理由に美川が事務所から独立をする。

当時、美川の活動による収益が全盛期の半分ほどになり、事務所の資金繰りは苦しくなっていった。
営業が減った原因は、秋元氏の怠慢にあると美川は主張したのだ。
「あの頃はどこの事務所でも歌手のテレビ出演や営業の本数が減少して大変だったんです。給料の遅配は本当に申し訳なかったです。それで、今後の事務所の方向性などを話し合っている最中に、美川がでたらめなことを会見を開いて話して・・・」

2012年8月14日に、美川は会見で秋元社長に謝罪を要求したところ、「本当に申し訳ない。すみません」と言って、頭を下げてくれたと話していた。
この発言に秋元氏は反論する。
「美川は、私が涙をながさんばかりに土下座したなどと言っていましたが、あれは嘘です。ギャラの遅配については経営者として謝罪はしました。そこは責任がありますからね。後に明らかになったのですが、美川は紅白の衣装を保管していたトランクルームから、無断で衣装を持ち逃げしたのです。私が倉庫に行った時は何もありませんでした」

2012年12月、秋元氏は、これら会社の資産である衣装や楽曲の譜面(ふめん)の返却を求め、美川に内容証明付きの通知書を送った。
そして、3ヶ月後に美川の弁護士から届いたEメールには、「衣装リストと楽曲リストを美川に確認したところ、紅白以外に使用した衣装も全て返却したいとの意向があります」とあったが、この約束は守られなかった。
「メールで紅白以外の衣装23着分の画像が添付されていましたが、衣装は古くなって使えなくなり処分したなどと、ふざけた理由で一着も返ってきませんでした!」

さらに、秋元氏は2度目の内容証明を2013年4月に送る。
この時は、美川が元後援会会長から借金の返済を求めて訴訟を起こされた時の裁判費用立替分など、総額3000万円を返還するように求めたという。
「今度は回答すらありませんよ。2度の内容証明に対し、誠意のかけらも見られず、怒りがこみあげてきました。それで具体的な訴訟の準備に入ったんです」
(お金の証拠集めなどをするのに半年ほど準備がかかったそうです)

秋元氏が裁判をすると報道されると、一部からは秋元氏がお金に困ってるから訴えを起こしたという声もあった。
美川憲一の芸名を使うなという報道もあった。
この件については、「私が言いたいことは借りたものは返しましょう。それだけです。美川憲一の芸名の使用停止の裁判ではありません。いよいよ裁判が始まりますが、向こうが求めてきても和解に応じるつもりはありません」

ついに裁判にまでなったこの金銭問題騒動ですが、美川憲一にはかなり不利になりそうな感じですね。
最終的には美川憲一側がいくらかの金銭を払って解決しそうですが、この裁判の影響もあってか2014年も紅白への出場は叶いませんでしたが、2015年7月に東京地裁は美川側の全面勝訴となる判決を下しました。

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