南野陽子は夫との離婚危機も!亡くなった母と父の介護

女優の南野陽子は2011年3月に、5歳年下のインターネット関連企業社長と結婚しています。二人の間に子供はいません。

南野陽子

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1300万円の結婚指輪を贈った旦那の評判が良くない

スピード結婚した南野陽子の旦那に思わぬ評判がと2011年3月に報じられてました。芸能人と結婚をするとお金がかかるみたいですが、はやくも離婚危機もありうるかも!一体旦那はどんな男性なのでしょうか?

きっかけは友人による焼き肉店での食事会だった。
ともに肉好きで意気投合し誠実で行動力がある。
同じ関西出身だったことも気が合い、スピード決断だった。
2010年9月に交際をスタートさせて3月3日に入籍。
交際6ヶ月で南野陽子と結婚したAさんはIT系会社経営者だ。 

「彼のために43年間もあけていた」という左手薬指には大きなダイヤが光る結婚指輪が輝いていた。
超高級ブランドのハリーウィンストン製で、右手に結婚指輪についているダイヤとあわせると4.5カラットもある。
お値段は1300万円を超えるそうだ。
「彼は相当悩んで、相当がんばってくれた」そうだけど、この不景気で、こんな豪華のものをプレゼントできるIT社長ってどんな人なのだろうか?
昔からAさんを知る人がこう話す。
「車は4~5台もっていて、ランボルギーニに乗っていたこともあります。ゴルフはシングルの腕前で、スタイルがいいから、おしゃれです。それで青年実業家だからもてるでしょう」 

その一方でこんな評判も。
2011年現在、代表取締役にAさんの名前がある人材派遣会社X。
その所在地は現在はもぬけの殻となっている。
「2012年1月までの契約だったそうですが、2009年の秋ころから家賃を滞納していたようです。労働基準監査署の人が会社を訪ねてきたこともあったそうだから、賃金未払いもあったんじゃないでしょうか」
そして昨年の夏には、この会社に大型トラックがやってきて、机や椅子のみを運びだしていったという。
「すべての事務所機器が運び出された会社のフロアには、山のような書類が散乱していたそうです。2回に分けてゴミ処理場にもっていったら、1回分で140キロにもなったとか。車検切れの車も置いたままだったそうですが、そういうのを片付けたのは、賃主や不動産関係の人たち。置いたままの機器を処分するのに裁判手続きまでしたそうで、かなりの費用がかかって大変だったそうです」(地元住民) 

AさんはX社の親会社で、運送事業などを展開するY社の代表取締役でもあったが、昨年11月に辞任。
そのY社がテナントとしてはいっていたところは、看板の文字がうっすらと残るのみ。
「2010年の春から夏にかけてかな?パソコンとかを運び出しているのを見かけたんです。その後で、銀行の人が何度もやってきたそうだから、夜逃げ同然だったのでしょう」(Y社を知る関係者)

この件についてAさんは書面で回答してくれた。
「2009年の11月に社内での不正が発覚し、その後一時的に資金繰りが悪化し、社員および取引咲きにご迷惑をおかけしました。現在は弁護士を交え早急に対処いたし、賃金や家賃の未払いはございません」
現在は稼ぐのは大丈夫なのでしょうか?

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最愛の母の葬儀で父への複雑な思い

良き心の理解者であった母が2011年11月に亡くなっています。葬儀の仕方でも母の希望より頑固な父の希望を通し行ったようです。

2011年11月中旬、兵庫県宝塚市にある斎場に南野陽子の姿があった。
11月11日に脳出血と心内膜炎で亡くなった母・久美子さんの葬儀が行われていた。
「葬儀は家族葬でした。本当に近い関係者しかいませんでした。100人ほど収容できる部屋はガラガラで半分ほどしかうまってませんでした」(参加者)
家族葬を強く希望したのは父だった。 

「お父さんは陽子の母でもあるが、私の妻でもあるので静かに送りたいと以前から周囲に行ってました。3年ほど前には、夫婦で斎場を訪れ相談などもしてたようです」
昔から父は自分の考えを貫く厳格な人だったという。
子供時代、陽子は左利きだったけど、右利きに直せと久美子さんと争うこともあった。
「両親の争いを見た南野は、父の前でだけ右利きのふりをしたそうです。派手なことが嫌いな父は、娘の芸能界入りに猛反対したそうです」(芸能関係者) 

一方の母は明るく気さくな性格で、南野とは何でもわかりあえる友達のような関係だった。
「実は、母は芸能界を目指していたそうです。華やかな世界が好きだったそうで、娘が芸能界に入ってからも上京をしては面倒を見てました。笑っていいともにレギュラー出演が決まったときは、大変喜んでいました」(同上) 

冒頭に戻り、最後の別れの場面で南野は棺の前でかがみ込み号泣をしていた。
その涙は、母との別れだけではなく、こんな思いがあったようだ。
「陽子は葬儀について、お母さんは明るく華やかなことが好きだったから、できるだけ大勢のかたに参列してもらい、別れを惜しんでもらいたかった。でもお父さんの気持ちも大切にしなければいけない。残された家族で争うのは母が悲しくからと話していました。寂しそうな顔をしてました」
(南野家の知人)
最後まで父の希望通りに葬儀を済ませたようです。
父との確執があるのでしょうか?

南野陽子

スケバン刑事で共演した中村由真を恨んでいる

南野陽子が深夜番組で26年間もずっと許さないと思っていた人をイニシャルでポロリしてしまったそうです。
そのイニシャルの相手は中村由真で過去にドラマでも共演し、ライバル関係にあったようです。
どちらが本当のことを言っているのかわかりませんが、南野陽子はいまでも当時のことで激怒をしているのこと。

「今までは、私は絶対にこんなことは誰にも言わないぞって思っていたのに・・・今日はいちゃった」
2013年6月18日に放送された深夜番組・徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみましたで長年の因縁を告白した南野。

番組のゲストは南野、小島慶子、ミッツ・マングローブだった。
番組は3人が最近キレたこと、一番きつかった仕事などについて語るものだった。
南野がここでぶちまけたのは年下Nへの怒りだった。

「テレビで渡しのことを、いろいろ言ってたことがむかつく理由。映画の初日の舞台挨拶で、そこ子が言うには、私だけコールとか拍手がなくて、すごいキレて楽屋で暴れたって。そんなことしてないのに、そういうことがあったかのように何度も言うんですよ」

Nの名前は明かさなかったが、なんとか刑事っていうので一緒だったんですよとNが誰か特定をされてもかまわないいい方だった。
なんとか刑事とはスケバン刑事のことだろう。
南野は18歳の時に、シリーズ第2作で出演し、大ブレイクをした、
ドラマ放映の翌1987年には南野が主演の映画版も公開された。

ネットではNって誰だろうと話題になっていた。
「映画スケバン刑事の共演者でNとは、ドラマ3作目に登場した風間三姉妹の一人である中村由真ですよ。確かに中村が2001年に出演したテレビ番組で、スケバン刑事のイベントで、声援が少なかったことに怒った共演者が、楽屋で自分の親衛隊に怒鳴っていたということを話しています。その番組では、中村も南野の名前を出さなかったのですが、中村が南野のことを暴露したと話題になっていました」

中村は現在、何をしているのか所属事務所に聞いてみた。
「中村は現在アメリカで生活していますので、その番組は見ていません。事務所としてもコメントは差し控えさせていただきます」
中村は2006年にアメリカ人弁護士と再婚し、現在は2児の母。
日本に帰ってくることもほとんどないそうだ。
南野と中村が和解する日は来るのだろうか・・・。

南野陽子

確執のあった父親の介護をする

2011年11月11日に脳出血と心内膜炎で亡くなった南野陽子の母・久美子さん。
そして1人になった父。
父は厳格な性格で、小さい頃から厳しいしつけを父にされてきた南野陽子。
母は良き理解者だったのですが、父だけは苦手だったようで、確執があるとも報じられたことがあります。
そんな父を南野陽子は引き取って、介護をしてあげることを決意したそうです。

神奈川県・箱根にある介護施設。
立派な大浴場や食堂があり、付近には散策できる広大な庭もある。
「最近も彼女は来ていましたよ。休みになると、ここで暮らすお父さんを迎えに来て、一緒に車で東京に帰っていくんです。親孝行な娘さんですよ」(近隣住民)

「10代の頃から関西から東京に出て、私のやりたいことを見守ってくれた父に感謝している。時間を大切にしたい。夫も理解があって、私の仕事が遅くなると、車椅子を押して父と一緒に飲みにでかけてくれたりしています」
2013年11月17日に、南野陽子のこんなインタビューが掲載された。
しかし、実はこの父娘、今日に至るまで長年にわたる相克があった。

1985年にドラマ。スケバン刑事Ⅱでブレイクし、芸能界デビューからわずか1年でトップアイドルになった。
周囲の注目も日に日に増していったが、父だけは複雑な心境で見ていた。
「お父さんはごく普通のサラリーマンで、派手なことを嫌う性格だったので、南野さんの芸能界入りに大反対だったんです。お父さんは南野さんが小さい頃から厳格で、左利きだった彼女を右利きに直させるなど、自分の考えを絶対に貫く人でした。娘の芸能活動を長い間、快く思っていなかったんですよ」(南野の知人)

後に父は芸能活動を認めるようになったが、そうすると今度は南野に介入しすぎて、再び亀裂が入る。
1989年に南野が事務所から独立して個人事務所を設立した際、「他人なんかに任せておけるか!」と、それまで務めていた会社を辞めて、自ら南野の個人事務所の社長になった。

「この時は、お父さんのあまりの独断ぶりに、個人事務所のスタッフともだいぶ揉めましたね。彼女のお父さんにはついていけないって何人ものスタッフが辞めていきました。南野さんも芸能界のルールも知らない人が勝手なことをしないで!と激怒し、親子の間に大きな確執が生まれたんです」(芸能関係者)

この独立劇は、芸能界へも影響が及んだ。
(最近またテレビにでていますが、一時期、芸能界から干されていましたね。
このことが原因だったのでしょうか?)
「結局、そんな個人事務所も数年後にはたたみ、別の事務所に移籍することになりました。これは父親と距離を置きたいという彼女の意思表示のように思われました」(同上)

母の葬儀でも南野と父の確執がみられた。
南野はお世話になったいろんな人を呼んで葬式をしたかったようだが、父は家族葬でしたいということで、結局は父の言うとおりに。
こうして、最近までぶつかりあってきた父親だが、母親の死後、少しずつ2人の関係に変化が生まれたそうだ。

「お父さんは長年患っていた糖尿病のために足腰が不自由となり、車椅子生活を余儀なくされています。お母さんが亡くなる前は、南野さんの実家である兵庫県宝塚で夫婦で暮らしながらお母さんが介護をしていました。そんなお母さんが亡くなった後、お父さんを自宅に1人残しても、彼はひとりでは生活はできません。南野さんは自分はお見舞いに行きやすく、環境にも恵まれた箱根の施設に入れることを決めたんです」(南野の知人)

この施設の入居に必要になった数百万円の一時金や、月々の費用なども南野が負担したという。
当初は自宅で介護する選択も考えたが、当時、南野は4歳年下のIT起業社長と結婚したばかり。
「しかも、この旦那さんは当時から5000万円近い借金を抱えている人で、お父さんはそんな奴は認められないと結婚にも大反対だったんです。結婚後も旦那さんとは話もしない仲だったので、父親と同居することは諦めたそうです」(同上)

しかし、父親の糖尿病の症状が悪化し、南野の気持ちは揺れ動く。
「いろいろあったけど、私にとっては親だから、一緒にいてあげたいって・・・。東京の自宅マンションで父の面倒を見ることを夫に相談したそうです。夫も彼女の気持ちを理解して、了承したようで自宅をバリアフリーに改装し、頻繁に父を呼ぶようになったんです」(同上)

父と確執が生まれてから20年。今はその20年間の空白をようやく埋める事ができているそうです!

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