中森明菜の病気で活動休止から現在の復帰まで!恋人と結婚は

歌手の中森明菜は1981年に日本テレビ系「スター誕生」で優勝。1982年に「スローモーション」でデビュー。その後も「少女A」「セカンド・ラブ」などのヒット曲をリリース。1985年に「ミ・アモーレ」、1986年「DESIRE」で2年連続日本レコード大賞を受賞。2010年10月からストレスによる免疫力低下で活動休止に。

中森明菜

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中森明菜の激やせ心労に父親が引退勧告

「私の勤め先の人が、明菜ちゃん大丈夫って聞くんですよ。最初はわけがわからず、何のことって聞き返したぐらい何もしらなくて・・・。それから新聞を読んで、初めて明菜が大変なことになってるって知ったんです」(中森明菜の父・明男)
明菜は2010年10月28日、体調不良のため、正式に音楽活動休止が発表された。
過労と心労の蓄積による免疫力低下で当時、入院治療中だったが、父には何も知らされていなかった。

「ドクターストップがかかっていたにもかかわらず、明菜の強い希望でパチンコ機用のオリジナル曲も制作し、CMに出演。2010年9月末まで全国規模のキャンペーンを展開していますが、無理がたたったのか、重篤な状況だと聞いています」(芸能レポーター)
詳細な病状は発表されていないが、重度の帯状ほうしん、致命的な喉の病気など、情報が飛び交じっていた。

「明菜は子供の頃から体が弱く、風邪を引いては熱を出して、よく母ちゃんが面倒をみていましたからね。でも帯状ほうしんが出たなんてことは、ただの一度もありませんでしたよ。明菜のいる芸能界は競争や浮き沈みが激しい。若いうちはそれでも頑張れるでしょうが、体調を崩すほど、あの娘にとってハードな場所ならば・・・」(父) 

明菜の引退と娘の無事だけを願う父の悲痛な心中が伺えた。
明菜がオーディション番組で優勝し、芸能界への切符を手に入れて2010年は30年目の節目の年だった。
1980年代は松田聖子との歌姫頂上決戦を争い、レコード大賞を2年連続で獲得。
一転、不運に見舞われたのは1989年の未遂騒動からだった。

1999年、久しぶりに出演したドラマ・ボーターを体調不良で途中降板。
所属事務所とのトラブルもあり、再起不能とまで言われた。
父としては、もう十分頑張ったという思いもあるようだ。
「明菜も17歳で芸能界にデビューして、ずっと頑張ってきました。いろいろ辛いこともあったと思いますが、そろそろもうこの辺で、本当の女としての幸せをもう一度じっくりと考え直してみて欲しい。とのかく体を休め、将来を見つめ直す時間として使ってもらえたらと思っています」
父は中森明菜に芸能界引退をすすめていたようです。

中森明菜

帯状疱疹が悪化し顔面にまで広がっていた

2010年体調不良により公演なども全てキャンセルし、長期の芸能活動休止に追い込まれた中森明菜。当初は、疲労のため回復すればすぐに復帰をすると思われていましたが、体調は悪化していたようです。なぜこんな状態になってしまったのでしょうか。

「2011年7月の初旬、明菜さんが元恋人のAさんに突然電話をかけてきたそうです。涙ながらに苦境を訴えていたそうです」(音楽関係者)
2010年10月に過労による免疫低下のため、音楽活動休止を発表した。
それから9ヶ月過ぎたが、病状はますますひどくなっていた。
さらに精神も不安定のようだ。 

2011年6月下旬のファンクラブ会報のメッセージには
「大好きよ!みなさんへ、上手に言葉に伝えられなくてごめんなさい」
このように始まっていた。
明菜がSOSの電話をかけた話の内容は何なのか?
「彼女はいま帯状疱疹(たいじょうほうしん)に苦しんでいるようです。治らないどころか、今では顔全体までに広がっているようです。そのせいで外にもでれなくて、顔面が凄く痛むの。あって相談していのだけど・・・と明菜は言ってたようです」(音楽関係者) 

帯状疱疹の原因は、極度のストレスや多量の飲酒による免疫低下などが考えられるそうです。
人によって症状や痛みもばらばらで、顔面にでるレベルの場合は、気分がめいって鬱になることもあるそうです。
最悪のケースは痕が残ることもあるようです。
もし、痕が残ってしまうと、音楽活動に支障がでる。
それでも明菜は復帰へ向けて諦めていない。
「明菜さんは1日も早く治して、復帰をしたいと思っています。なでしこJAPANの活動を見ていたら感動したらしく、私も頑張ってもう一度立ち直ってみせるといっていたようです」(音楽関係者)
まだまだ復帰は遠そうです。
仕事が大変なので酒を飲んで気分転換してたのかも知れませんが、それが仇になったようです・・・。

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帯状疱疹の病状が良くなり復活への希望も

中森明菜が帯状疱疹の悪化で、歌手としての復帰は絶望的だと思われていました。しかし、奇跡が起きつつあったようです。

「明菜さんはこの夏、家の中にひきこもりだったと聞きました。例年ならディナーショーの詳細な日程が発表されるころですが、いまだに復帰のめどがたってません」(芸能レポーター)
中森明菜が過労と免疫低下のためツアーをキャンセルして1年になる。 

2011年7月から帯状疱疹の悪化で激痛に苦しむ明菜だったが、調子はどうなっていたのだろうか?
「明菜ちゃんはベランダ菜園にこっていて、バジルやミントなどを育てています。毎日、愛情を注いで育てているうちに、彼女の表情もだんだんとよくなってきましたよ」(明菜と親しい関係者)
外を少しでも散歩してみようかなぁというようにもなったそうだ。 

「バジルには鎮静効果があり、お茶にすれば、頭痛を和らげます。ミントは集中力アップ、山椒は精神を安定させ、不眠を改善。大葉は心身をリラックスさせ、アトピーやがんを押さえる効果も期待されてます」(専門家)
明菜にとってはどれも効果的なハーブばかりのようだ。
父もそんな明菜に喜んでいるという。
「上のお姉ちゃんのところに、最近、元気になってきたから大丈夫と電話が入ったそうです。家族に心配かけまいとしてるんでしょうね。一日も早く体調を取り戻してほしいです」
ハーブがまさかの奇跡を起こしつつあったようです。

中森明菜

中森明菜の病気は現状は

原因不明の病気、帯状疱疹で苦しんでいたことが報じられたのは2011年の夏。外出もできないほど、ひどい状態でした。しかし、奇跡が起きて、ベランダ菜園していた、バジルやミントのハーブが病状回復に向かわせていました。

「中森さんのファンクラブから久しぶりに会報が届きました。でも、楽しみにしていた直筆メッセージは誤字や脱字が多く、しんどいという表現もあって、心配です」(ファンの女性)

2012年3月にはデビュー30周年に合わせて、DVD「ザ・ベストテン 中森明菜プレミアムBOX」が発売された。
しかし、具体的な活動再開はまだ未定のようだった。
「まだ具合が悪いようで、すぐには復帰はできないようです」(芸能関係者)

「長い付き合いですが、体調不良が原因で、2010年から2年続けてディナーショーはキャンセル。2012年の開催についても、明菜サイドと話し合っていたところです。しかし、精神面が不安定で今年も難しいというのが結論です」(同上)

帯状疱疹は人によって痛みなども違うようです。
明菜の場合は、普段は普通だけど、いざ予定が決まり約束の日が近づくと緊張のためか、体調が悪化するとのこと。
当初は、体調が回復をすれば復帰できると思われていたが、実は精神的な問題も抱えているという。

「明菜は、テレビを見て、あの歌手は歌がうまいとか、私も頑張らなくちゃと、前向きな発言もしています。だから2012年はショーができると期待していたんですが・・・」(同上)

なので、現状も復帰については白紙でディナーショーも白紙のようです。
彼女は完璧主義者なとこがあるから、自分が許せなかったそうです。
自分が納得できる回復までもう少し時間がかかりそうだった。

中森明菜

休業から2年半たった中森明菜は

病状はよくなりつつあると報じられ早ければ2013年には復帰をすると報じられました。そんな中森明菜の2013年の状態はどうなっていたのでしょうか

「中森明菜さんは、復帰に向けて毎日トレーニングに励んでいるそうなんです」(親しい関係者)

2年7ヶ月余りの長期休養状態が続いている中森明菜。
2013年に入って報じられた情報は、心身がボロボロで引退状態、鬱状態といったいずれも復帰が困難と思わせる内容だ。

しかし、明菜のコンサートを手掛けてきた制作会社関係者はこう話す。
「彼女は体調がいいときには、AKB48や若手歌手の活躍している姿をテレビで見ながら、私も負けずに頑張らないといけないと、最近は前向きな発言をしていますよ」

週刊誌が明菜の姿をキャッチ。
2013年6月10日は、明菜の母・千恵子さんの18回目の命日。
埼玉県にあるお寺を週刊誌記者が訪れた。
記者が午前9時過ぎに訪ねると、千恵子さんの墓前には花束やお茶やお菓子が供えられていた。
その傍らには、お線香と一緒に、真っ赤な口紅がついた吸いかけのタバコがあった。

「明菜さんですか?ええ、毎年必ずご命日には、お墓参りにいらっしゃいます。おひとりで都心から車で来ているようです。早朝に来られることが多いです」(寺の関係者)
週刊誌記者は、明菜とスレ違いだったようだ。

命日の2日後、明菜の父・明雄さんに話を聞いた。
「明菜はあれでも家族思いなんです。ふたりの姉たちには、お母ちゃんの命日には、必ず行くからと連絡があるようです。体調を見て、母のお墓参りをしに来てくれたんでしょうね」
父は現役で調理師として働いていたそうです。

明菜の知人の一人がこう話す。
「彼女の自宅マンションには、通販で買った健康器具が日増しに増え、各種のトレーニングマシンが部屋を占領している状態のようです。その危惧を使って必死に体を鍛えているのも、復帰に掛ける思いが強いのでしょう。今年に入ってから体調も回復の兆しが見えてきて、復帰に向けて頑張っています」

中森明菜

恩人の葬儀で出られず!原因は顔の吹き出物と体調不良

2013年8月、恩人の葬儀の最後の立ち会いも体調不良のためできなかったそうです。休止してから中森明菜が外出している現場は、墓参りぐらいしか報じられた記憶がありません。

「山田さんの訃報を知った明菜さんは、葬儀にかけつけたいと切望していたそうです。しかし、斎場には明菜さんの姿はありませんでした」(テレビ局関係者)

2013年8月28日に特発性間質性肺炎のために亡くなった元TBSプロデューサー・山田さん。
その告別式が2013年9月3日に営まれた。
山田さんは最高視聴率41.9%を記録したザ・ベストテンを手掛けた名プロデューサーだ。
葬儀には、黒柳徹子、桑田佳祐、吉川晃司、稲垣吾郎らの多数の有名人が駆けつけた。
しかし、ザ・ベストテンで番組史上、もっとも多く1位を記録した明菜の姿はなかった。

山田さんの著書にも、明菜とのエピソードが綴られていた。
「ザ・ベストテンスペシャルをやるとき、リハーサルで自分の出番が終わっても最後まで3-4時間、ずっとMC席のソファーに座っているのは南野陽子さんと明菜だけ。ほかの歌手が歌っている時、その歌を一緒に歌っているのも明菜。本当に彼女はザ・ベストテンが好きなのだ」

明菜はなぜ、そんな恩人の葬儀に参列することができなかったのだろうか?
「明菜さんは、山田さんに最後のお別れをしたかったそうです。しかし体調が思わしくなく、特に顔の吹き出物がひどい常態で、周囲から参列を止められたそうです」(テレビ局関係者)

明菜は2010年10月に休止してから、これまで何度も復帰の噂はあったが、実現には至っていない。
「実は帯状疱疹(ほうしん)は完治しておらず、人前に出ると症状が悪化してしまうようです。投薬も続けていて、2013年のディナーショーの予定もありません」(音楽関係者)
体調を治し復帰をして、山田さんに歌声を届けることで恩返しをするしかなかった。

中森明菜

父が明かした中森家に続く災厄

中森家では次々に健康による不幸に見舞われているそうです。中森明菜の父が告白をしています。父は明菜と同じ帯状疱疹にもなったそうです。中森明菜の父が明かした中森家に続く災厄とは・・・

「あきなー ひとりー こんなあたしですぅ! すいません・・・」
こんな書き出しから始まる直筆メッセージが綴られた、中森明菜のファンクラブ会報。
2013年9月中旬に会員に郵送されてきた。

秋には復活が報じられた明菜だが、2013年7月13日の誕生日もたった1人で自宅に籠もっていた。
孤独な生活を明菜は会報で告白をしていた。
「PM6時、外はもう暗い。48歳かあああ~ でも、ほとんどひとりごと~。今日は7月13日だぁ! ハッピーバースデーだぁ~ 全然ハッピーじゃないけどね。カラスがすかさず来る! ハッピーバースデー言いに来てくれたのかな!」

この会報を読んだファンの女性は心配そうに話す。
「誕生日に話し相手が枯らすしかいないような寂しい状況ばかり書かれていて、胸が苦しくなりました。また、辛い物が大好きで、何にでも大量のタバスコをかけるのが彼女の悪い癖でしたが、声帯にいいわけがありません。一時は反省してタバスコ断ちをファンにも誓ったのに・・・またストレスが悪化したのでしょうかね?」

芸能レポーターが話す。
「明菜は、都心から離れた千葉の病院で、少し前まで熱心に通い、集中的に治療を受けていました。完全個室で病棟に出入りするにはカードキーまで必要なとこだったようですよ」
こうした治療を受けても今でも完治できないから苦しんでいるのだろうか。
会報のメッセージは寂しいという彼女の心の叫びが聞こえるような内容だった。

そんな明菜を遠くから見守るのが、東京に住む父・明男さん。
明菜は家族からも孤立をしているという。
明男さんも明菜とは連絡が取れていないそうだ。
断絶の理由は、中森家に次々と不幸に襲われていた。

「実は、明菜の一番上の姉の孫娘が2012年亡くなったんです。小児白血病で、骨髄移植したり2~3年苦しんだんですが、小学6年で他界しまして・・・。明菜はとてもかわいがっていた子でね。でも明菜にはとうとう会えずじまいで亡くなりました。長女は、自身が苦しんでいる明菜に訃報を知らせなかったのかも知れませんが、明菜はいまだに、その子の死を知らないと思いますよ」

さらに妹の明穂も2010年頃に大怪我をしたという。
「明穂は交通事故に遭ってしまい大怪我をしました。3回手術を受けても、ハイヒールなんか履けなくなり、足が不自由で引きずるようにしか歩けなくなってしまいました」

さらに父・明男さんにも不幸が・・・。
「2012年の秋、実は私も明菜と同じ帯状疱疹を患って大変な目に遭いました。親子なんですかなぇ・・・。幸い治療を受けて完治したんです。だから明菜にも、心配ないから、先生の言うことを聞いて治療をすれば大丈夫と言ってあげたいですね」

最後に父として明菜にエールを送る。
「明菜の兄弟たちも、離婚や孫の死、大怪我を乗り越えて前を向こうとしています。そんな家族全員、今でも明菜を応援しています。明菜家の希望の光が明菜の歌う姿でした。もう一度ステージで輝く姿を見せてほしい。お父さんたち家族は、いつまでも明菜の味方だから、明菜頑張れ!」
父からのメッセージは明菜に届くのだろうか?

中森明菜

中森明菜が家族と絶縁状態になっていた

絶縁になった理由は、中森明菜が稼いだお金を家族が使い込んでいると思われているのが理由だそうです。中森明菜と亡くなった母の仲は良好で、毎年お墓参りしている姿が報じられました。

「実は、明菜の母親の葬儀以来、明菜と私達家族は今日までずっと音信不通で一度も会えてないんですよ」
2013年10月中旬に週刊誌に電話がかかってきた。
電話をかけてきた相手は、中森明菜の親族と名乗る女性だ。

18年前、明菜の母・千恵子さんの葬儀に明菜が参列したのを最後に、一切連絡が途絶えたままという。
「ですから、もう高齢な父親と明菜を元気なうちに一目でも会わせてあげたいと、家族は強く願っているのです。家族の何人かは、これまでも再三、レコード会社などに連絡を入れて、思いを伝えてきました。でも連絡はありませんでした。いまだに明菜本人に家族の意思が伝わっているのかどうかさえわからない状態で、今日まできてしまったんです」

この件を父・明男さんに週刊誌が聞くと話してくれた。
「明菜と私が音信不通なんて記事が出ると、また明菜に迷惑がかかると思いまして、去年の正月に明菜と会ったというた嘘を前回ついてしまいました。私おろか、家族も全員音信不通です。母が亡くなって葬儀を挙げて以来、一度も明菜とは連絡が取れていないんですよ」

絶縁は事実だったことを認めたのだ。
さらに、絶縁に至った原因を重い口を開き語りだした。
「それは、明菜が私たち家族に自分のお金を勝手に使われてしまったと、固く信じ込んでいるからなんですよ」

「母ちゃんが経営していたカラオケスナックだって、当時の事務所から、明菜が売れているうちにやれって勧められて始めただけなのに。どうせやるなら家族みんなでと、娘や息子たちを雇ったんですよ。その方が人件費も抑えられると考えてね。でも、明菜の方は、そのお給料もみんな私の稼ぎから出てると思ったみたいです・・・」

明菜と家族を引き裂いたのは金銭トラブルだった。
さらに、金銭トラブルの誤解を招いているのは当時の事務所関係者の次のような発言が理由だそうです。
「明菜は当時の事務所のスタッフから、清瀬(の家族)にいっぱいお金が行っていて、大変なんだよと言われたそうです。そんな間違いや行き違いを、明菜の耳に吹き込む人たちがたくさんいるんです。2番目の姉の亭主に出させていた洋食店や、それに私がやっていた中華料理店だって、みんな私のお金でやっていたのに。それでも明菜は誤解して、明菜のお金をお父ちゃんが使ったって・・・」

娘達も明菜が誤解をしていることを伝えたいそうです。
明菜と和解し、家族の絆を取り戻したいと家族全員の悲願となっている。
18年の沈黙を破り、初めて明菜との確執を語った父。
最後に明菜にこのように思いを口にした。
「明菜に会って、また一からこんなお金の話をする気はありません。明菜はいまだに会えなくても、私の自慢の娘です。お母ちゃんも天国できっとわかってくれていますからね。私も遠くから見守ってやりたいです」

明菜と家族が和解ができる日が来るのだろうか?

中森明菜

中森明菜が恋人のマネージャーのマンションで引きこもり同棲

2013年11月、家では通販で購入した筋トレマシーンなどを使って体を鍛え体力をつけるトレーニングをしているという明菜の。当時、恋人と噂されていたマネージャーのマンションで同棲をしていることが報じられました。

2010年7月13日、45歳の誕生日のパチンコ「CR中森明菜・歌姫伝説」の発売イベントに出席したのが、公の場に姿を見せた最後となっていた。
2010年10月に過労による健康問題のため明菜の芸能活動休止が発表された。
それ以来、一切姿を見せなくなった明菜に、重病説などが飛び交った。

活動休止以降、「千葉の病院で入退院を繰り返している」「自宅で療養中」「都内のハーブ教室に通っている」など報じられたが、どれも噂の域を超えることはなかった。
唯一、明菜の様子を知ることができるのが、ファンクラブの会報だった。
さらにその後の報道では、明菜の父がインタビューに答え、明菜とは18年も絶縁状態だったことも明かし話題になった。

親族ですら、明菜の状況やどこにいるのかもわからなかった。しかし、そんな中、ついに明菜の姿を週刊誌がキャッチした。

都内にあるマンションだった。
このマンションは明菜の現在のマネージャー・Aさんの名義の物件だ。
「あのマンションは4.5.6階の3フロアを明菜さんの個人事務所が借りている形になっています。2011年頃から明菜さんはそこで暮らしていますよ。彼女はマンションから一歩も外に出ない生活を続けています。毎日、決まって夕方になると5階の部屋から降りてきては、筋トレを1時間ほどしています」(Aさんの知人)

この引きこもり生活を支えているのがAさんだ。
「Aさんも4階に住んでいるんです。部屋こそ別々ですが、ひとつ屋根の下、明菜さんと一緒に暮らしているというわけなんですよ」(同上)

いつもAさんは、明菜が筋トレをしている間にスーパーへ買い物に行っていた。
そして自身が生活する4階に明菜を呼び、数時間過ごす。
その後、明菜は6階へと戻って眠りにつく。
明菜の日常はこの繰り返しである。
筋トレなどを初めて生活が改善してると思われるが、逆に言えば、Aさんがいないと明菜の生活は成り立たない状態なのだ。

「Aさんと明菜は恋人関係です。Aさんはもともと、大手芸能事務所でマネージャーをしていたんですが、2003年頃に明菜さんと出会い、彼女のために独立して、マネジャーとなり、公私ともに支える存在になったそうです」(別のAさんの知人)

明菜が芸能活動を休止して3年も経っていたが、収入などはどうやって生活をしているのだろうか?
「休養前に出したパチンコの収入は大きく、明菜さんの手元には2.3億入ってきてるはずです。それにカラオケなどの歌唱印税も年間数千万円ありますから、明菜さんは働かなくても収入があるんですよ」(音楽関係者)

明菜の復帰に時間がかかっているのは、精神的に不安定なところがまだあるからだそうです。
収入もあるので、万全な状態で復帰をさせたいそうです。
筋トレを頑張っているのは、復帰する準備のためだそうです。
復帰にはまだ時間がかかるようです。

中森明菜

中森明菜の復帰は!新曲も発表予定も

病状はかなり回復してきたようで、2014年4月には復帰をするのではないかと当時の状況と復帰間近なことが報じられました。

「太陽大好き・・・太陽。太陽 太陽 みんなはあたしの太陽!」
これまで愚痴など暗さが目立っていたファンクラグの会報に一転、明るいトーンで話す中森明菜がいた。

この会報は2014年3月上旬にファンに送られたものだが、明菜は近況も明かしていた。
「明菜のステージ見る日を楽しみに・・・ぜったい毎日元気でいてやる!てぇ!思っていて!」「目をまあるくする日を、ぜったいにみんあに・・・贈るかぁ・・・」「もう・・・また!と思うかもしれないけど、本当・・・あと少し・・・本当に」
(小文字の多い文章でしたが、意味がわかるように省いて書きました)
この前向きな発言は活動再開が間近であるとも言えるだろう。

「明菜が最後に姿を見せた以前にあったパチンコ台の新機種イベントでした。実は今回、再び明菜をキャラクターとして新機種が2014年4月に発売されることが発表されたんです」(スポーツ紙記者)

前回は、パチンコ台が発売された時は、明菜は発売に合わせて新曲を発売した。
「3年半前と同じように、新機種が発売される4月にタイミングを合わせて、明菜は新曲をリリースすることになりそうです」(芸能レポーター)

そして、今回のファンクラブの会報には、明菜からファンへのプレゼントがあったそうだ。
同封されていたのは、長さ50㎝の磁気ネックレス。
こんなところにも、明菜のこれまでにないやる気が感じられた。

明菜と絶縁状態である父も復帰については喜んでいるようだ。
「明菜も、もう48歳になりました。恋人がいてもおかしくない年頃ですから。お正月には、神主さんと結婚するなんて報じられましたね。しっかりした男性からパワーをもらえるなら、家族だって大歓迎ですよ。明菜が幸せになってくれればそれだけでいいです。明菜も早く復帰してから、ファンの前で自分の歌を聴かせたいと思っているでしょう。嬉しいことです」(明菜の父)

一時は芸能界を引退するとまで報じられていましたが奇跡の回復か。

中森明菜

中森明菜の恋人のマネージャーが近況について語る

中森明菜をずっと支えてきた恋人で婚約が報じられたマネージャーが、現在の中森明菜の状態についてインタビューに答えています。中森明菜の復帰はどうなっている。

2014年4月初旬の昼下がり、都内のパチコン店で、7日に登場したばかりのCR中森明菜の台で打っているジャージ姿の男性がいた。
この男性は中森明菜の恋人と報じられてきたマネージャーAさん。
Aさんはすでに10年以上にわたって、トラブル続きの中森明菜を支えていた。

「都内の住宅街にある6階建てのマンションに明菜さんは住んでいますが、このマンション一棟丸ごとの所有者がAさんなんです。2人は一応、明菜が6階でAさんが4階に住んでいますが・・・。療養中の明菜さんを支え続けています。明菜さんにとっては唯一信頼できる存在でしょう」(芸能関係者)

明菜は家族とは絶縁しているため、Aさんには絶対的な信頼を置いているそうです。
パチコン店から出て来たAさんに週刊誌が直撃。

記者:随分と長くパチコンを打たれていましたね。
Aさん:いやいや、彼女の新台が出たばかりだったので、マネージャーとして試しておかなければいけないと思って。

記者:明菜さんの近況を教えて下さい。今の体調は?
Aさん:調子ですか? うーん、まだ全然。あまりよくなくて療養を続けています。

現在の体調は、寝たきりとかそういう状態ではないといえばないけど、状態は悪いそうです。

記者:ということは復帰のメドは立っていない?
Aさん:全然立ってないですね。正直なところを言うと・・・。今の段階ではまだ何も決まっていません。

明菜の復帰にはまだ時間がかかるようだ。
そして、結婚についても聞いた。

記者:神主と結婚という報道がありましたが?
Aさん:実は僕もわからないんですよ。

記者:え?とういうことは明菜さんからの報告も?
Aさん:僕のところにもないです。
Aさん:結婚報道がもし本当なら、本人が言うでしょ。刑務所の中にいるわけじゃないんだし(笑)

記者:自宅に引きこもっている明菜さんの買い出しや、食事までAさんが作ってあげているそうですが?
Aさん:本当にどこで聞いたような嘘を平気で書くのか呆れますね。彼女は料理もうまいし、食事くらい簡単に自分で作れますからね。でも知らない人があの記事を見れば、僕が毎朝毎晩、食事を作ってることになっちゃう。かわいそうですよ彼女が。

言葉少ないAさんだったが、食事の件に関しては怒っていた。

Aさんを直撃する前に、明菜の父・明男さんから話を聞いている。
「私、2014年の1月で80歳になったんですよ。それで家族みんな、子供達も孫たちも集まって、私の誕生日を祝ってくれました。でもそこには明菜はいませんでした・・・」

このように寂しげに肩を落とす明男さんに、明菜に会いにいっては?というと、「目下の者が目上の者を訪ねるのが本来の礼儀でしょう。親である私から足を運ぶのは筋違いです。私たち家族は、事務所を通じて、何度も明菜に呼びかけていますが、一切連絡はありません」

明男さんの発言をAさんにぶつけてると。
「お父さんの誕生会のことは知りませんでした。こちらの事務所にご家族から連絡がきたら、応えられる範囲でいつも応えています。でも、僕はマネージャーの立場として、家族との和解とかそこまでは・・・。彼女はもう大人ですからね。本人の考えにまかしています」

最後に、明菜の体調が戻り復活が決まったら、ファンの前で話をすると言っていた。

そして、2014年に8月にベストアルバムと新曲を発売。同年12月31日のNHK紅白歌合戦にサプライズゲストとして登場し、新曲を披露。4年2カ月振りに歌手活動を再開しています。

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