西田敏行は妻と病気を乗り越え復帰!怪我で入院し薬の噂も否定

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俳優の西田敏行は福島県郡山市生まれ。1966年に明治大学農学部を1日で中退し、日本演技アカデミーに入る。1968年に青年座俳優養成所に入り、1971年「写楽考」の主役、1973年のNHK「北の家族」で人気に。ドラマは「池中玄太80キロ」「八代将軍吉宗」など、映画は「植村直己物語」「敦煌」「釣りバカ日誌」シリーズなどが有名。現在はドラマ「ドクターX~外科医・大門未知子~」に出演しています。

西田敏行

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西田敏行が故郷で死にたい!妻とはUターン別居

西田敏行は2003年に心筋梗塞で倒れ、生死を彷徨いました。この時に生死について真剣に考えるようになり、たばこをやめました。死期を悟にはまだはやいですが2012年8月、余生を故郷で過ごしたいと妻との別居をしていた。

福島の原発事故以降、健康を考えて故郷を離れていく人が多い中、帰ってきた人もいる。そのひとりが西田敏行だった。
東京都内に妻と一緒に住んでいる豪邸があるのだが、この地に新たに家を購入したという。

西田敏行

「郡山にいる時、西田さんは復興支援のためにコンサートなどをしてました。仲の良い地元の友達とも遅くまで飲んでいるみたいですよ。こっちにも家があるので安心してるんでしょうね」(地元の知人)
都内の豪邸の方ではこんな話が・・・。
「自宅にホームセキュリティーのステッカーが貼られていたので、奥さんに聞いてみると、夫は郡山にマンションがあって、ほとんどこっちにいないから防犯のためにと言ってましたよ」(近所の住民)

西田は、まだ5歳の時に父が他界し、母が再婚したため、福島県郡山市に住む母方の伯母夫婦に引き取られたという。
養父は市役所職員だったが、当時は戦後まもない乏しい時代。
市内にある神社の社務所を無料で借りて、そこで3人で暮らしていた。
いつしか役者を志すようになった西田は中学を卒業し単身上京。
親戚を頼って東京の明大中野高校に進学した。
卒業後は明治大学農学部に進むが、なんと1日で中退している。そして、演劇スクールの夜間部に入った。
1966年の19歳の時にデビューし、妻・寿子さんと1974年に結婚した。

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結婚も仕事も順調だった西田だったが、2003年に心筋梗塞で倒れてしまう。
一時は死の危険もあったのだが、1ヶ月に及ぶ入院生活を終え、無事に退院した。
妻は西田から大好物を取り上げた。
「病気の原因は、お酒とたばこだと医師に言われ、寿子さんは西田さんに禁酒禁煙を厳命しました。でもお酒だけはやめれなかったようです」(芸能関係者)
妻はスタッフなどに西田に酒をすすめないように釘をさしたという。

「西田さんは、体のことを考え、酒をやめて長生きする。そんな細くて長い人生よりは、好きな酒を飲み、仕事もやり、仲間と騒ぎながら死んでいく方がいいという男なんです。だから故郷の郡山は居心地がよかったのでしょう。時間があるたびに帰ってくるようになりました」(地元の友人)
西田は妻のことを嫌いになって別居をしていたのではないそうです。
妻に対しては、自分のわがままを許してくれる最高の妻だと言って感謝しているとのこと。

その後、2016年2月に自宅ベッドから転落して首を痛め頸椎亜脱臼に。同年4月に腰椎の一部を頸椎に移植する手術を受ける。手術後に胆のう炎を発症。同年5月に胆のうの摘出手術を受けた。同年6月に退院し、病院食で1600キロカロリーまで落とさなくてはいけなくて12キロの激やせ。

2016年10月、仕事復帰した西田は一部で噂されていた薬物中毒疑惑を否定。同年6月まで入院生活を送っていた西田は、ネットでは入院はシャブ隠しとまで言われていた。西田はシャブ中じゃございませんと笑いながら否定したそうです。

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