野田聖子は高齢出産で子供を授かるも重病が!夫や母に現在は

政治家の野田聖子は岐阜県議を経て1993年に衆院選で初当選。1998年に小渕内閣の郵政相として当時戦後最年少の37歳で初入閣。2001年に自民党の鶴保庸介参院議員と事実婚。当時から不妊治療を続け、2004年に妊娠も流産。2006年に事実婚を解消。2007年に現在の旦那と知り合い、2011年1月に結婚。2010年8月にアメリカで第三者提供の卵子で体外受精し、妊娠を発表。2011年1月に出産後、子宮摘出手術を受けた。当選8回。

野田聖子

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野田聖子議員が高齢出産の苦悩を告白

晩婚化のため、高齢出産をする人が増えてますが、野田聖子議員も高齢出産をしたひとりです。41歳のときに不妊治療を始めた野田議員は、体外受精14回、流産1回という経験を経て、2010年8月に第三者による卵子提供での妊娠を公表し50歳にして子供を授かった。

2012年1月に1歳の誕生日を迎えた真輝ちゃん。
しかし当時、彼は生まれてから一度も病院から出られずにいた。
「でも、いつかは絶対に必ず退院させて、みんなと同じ外の空気を吸わせてあげたい。そして、家で一緒に過ごしたい」
アメリカ人女性から卵子提供を受け、体外受精による妊娠を50歳の時に成功させた。 

妊娠ではかなりの高齢になる。
そして、卵子提供は国内では禁止されていることもあり「そこまでして子供を産む必要があるのか?」など批判も受けてきた。
妊娠中には、胎児がヘルニアで肝臓が体外に飛び出している状態だということ、心臓にも異常があることが判明したが、産む決意はかわらなかった。
子供を持つことは彼女の悲願でもあった。
「思いつきで産んだわけではないです。突然、子供がほしくなって作りましたというのではないんです。私は子供を作って、家庭を営むことが渡しの生き様と考え、そのために経験を積み上げてきたんです」 

40代の10年間は不妊治療に費やした。
事実婚の夫・鶴保康介参議院とは、14回の体外受精を試みた。
1度は妊娠したものの流産した。
2006年には、鶴保議員との事実婚も解消。
母親となる夢はついえたかに思われたが、2007年に現在の夫と出会った。
彼は7歳年下の飲食店経営者だ。 

将来、真輝には卵子提供を受けて出生したことを言うつもりです。
「実はそれもあって、あえてアメリカ人の女性の卵子を入れたんですから。見た目が全然違いますからね。私、言ってあげるの。ハーフでいい男でしょ。イケメンに産んであげたのよって」
どんな困難が待ち受けようと、常に前向きに・・・。
そんな野田議員でも妊娠と出産育児は大変なものだった。 
2010年10月26日に妊娠7ヶ月で大出血を起こし即入院。
入院したまま1月6日に帝王切開で真輝ちゃんを出産したが、ここからが本当の試練の始まりだったそうです。

野田聖子

息子は手術7回、右半身マヒ、生後11ヶ月で体重5キロ未満

「出産後すぐに飛びだしている肝臓の処置をしなければいけない真輝は、産後すぐに小児科で検査を受けるために運ばれていった。そのため顔をみることはできなかった」
検査を終えた、真輝ちゃんと手術室で対面できたのは15秒ほとだったという。
「感動というより、死んでしまうかも知れなかったので、1秒でも早く助けてほしいと思っていました。辛いとか言っていられないんです。メスを入れなきゃ死んじゃうから。生きてほしいから・・・。どんな体になっても生きていればいいことがあるはずでそれを味わせたいと思って、ずっと見守りました」 

さらに、検査をしていると、真輝ちゃんは、肝臓と心臓の疾患に加えて、食道閉鎖症が見つかった。
野田議員も出産後6日に退院したものの、子宮内に血の塊が見つかり再入院。
2011年1月21日には、子宮摘出手術を受けた。
「真輝の姿を見て以降、かなうならば2~3年後にもうひとりと考えていたが、もはや望めなくなった。子宮摘出の日、私は泣き濡れた」(著書より)

しかし、泣いてばかりもいられない。
母は自由に会えない息子の写真を見ながらも搾乳にはげんだ。
「母乳がなかなかでなくて、最後はひねりだしたという感じでした。内出血で真っ青にもなりました。見ていた夫が、痛々しいのでやめてくれとストップをかけてくれました」
真輝ちゃんの手術は毎月のように続いた・・・。
「初めては胃ろうでした。胃に栄養を送り込むチューブを入れる手術ですね。次が肝臓をお腹に入れる手術。その後は、皮膚、食道閉鎖症、心臓の手術・・・。呼吸が停止した時には本当にだめだと思った」
2011年10月17日のことだった。
真輝ちゃんは、心臓に穴が開いており、本来2本あるべき心臓の血管が1本しかないことがわかった。
その手術後、呼吸停止に陥ったため、緊急手術となった。

「私はどうして、どうしてといいながら、震えがとまりませんでした。緊急手術が終わると、なぜか真輝の右半身が動かなくなってしまって、最初は麻酔が効いてると思ってました・・・」
後の検査でわかったのだが、真輝ちゃんは脳梗塞を起こして、それで右半身がマヒしてしまったのだ。
次から次へと襲いかかる病魔・・・わずか11ヶ月の間に真輝ちゃんは7回も手術をしているのだ。
緊急手術で一命は取り留めたが、多いときで体には17本ものチューブがついていた。
「体は大きくないんです。でも身長だけは伸びましたね。9ヶ月の時が64.8㎝、11ヶ月で66㎝。体重は少なくて書くのも嫌になります。5キロの壁が越えられなくて・・・」
体重が10キロにならないと心臓の根手術はできない。
野田議員の子供は当時、毎月のように手術をして一命を取り留めていた状態だったそうです。

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野田聖子の長男が肺炎で命の危機に陥っていた

50歳、14回目の体外受精を成功させた野田議員ですが、世間からの目はかなり厳しかったようですね。そんな野田議員の息子は2012年3月、まだまだ入院が必要で、生きるのも大変辛い状況が続いていたそうです。

2154gで誕生した息子は1年2ヶ月過ぎでようやく6300gを超えた。
体外受精14回、流産1回という苦難を乗り越えて、2011年1月6日、長男・真輝くんを出産した野田聖子議員。
真輝くんは、無事に産まれてものの、ずっと集中治療室にいたほど不安定な容体が続いていたという。 

2011年10月には、呼吸停止状態にも陥り、生死の間をさまよう事態にまでなっていた。
容体は最悪から徐々に安定していき、2011年12月には一般病棟に移ることができた。
そんな、真輝くんだが、また試練を迎えていた。
1ヶ月の間に2回も肺炎にかかっていた。
乳幼児にとって、肺炎は呼吸困難や高熱など命を落としかねない。
現在は、肺炎の病状はよくなっているが、不安要素もあるようだ。 

野田議員はブログで報告をしていた。
「心配ごとが発生。肺炎のもとになっていた菌は、前回の肺炎の時のものと同じ。つまり、心臓のバイパス部分(人工血管)のところに生息しているかもしれないとのこと・・・。近々CTで検査をすることになりそう」
もしもバイパス部分に菌が見つかったらどうなるのだろうか?
「抗菌薬、いわゆる抗生物質を投与することになるでしょう。心臓のバイパスのある子供では感染性心内膜炎に進展し、耐性菌などで、もし治療が上手くいかなかった場合は、命にかかわる可能性があります」(専門家)
生まれてからずっと病院に入院したままの真輝くんの闘病生活は続いていた。

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息子の次は母が老人性うつ発症

野田聖子議員といえば、高齢出産で子供を無理に生み、大病を患い、自分のエゴのために生んだ考え方に非難を浴びたこともありますが2012年5月、母がうつ病を発症。介護が必要になり、国会議員としての仕事は大丈夫なのでしょうか?

喫茶店で朝食を食べながら78歳の母親は、51歳の娘に重い口調で話しはじめた。
「死にたくないから気持ちが落ち込むの・・・」
80代を目前に控え、毎日死について考えてしまうという。
野田議員といえば、第三者の卵子提供によって、2011年1月、長男・真輝くんを生んだ。
生まれる前からさい帯ヘルニアと心臓疾患という病気を患っていた。
うまれてからも、ICUでいくつものチューブにつながれる生活を余儀なくされてきた。
退院はできていないものの、闘病日記は、笑顔の息子の写真であふれていた。

そんな野田議員のブログに母・弘子さんが登場した。
母が老人性うつにかかっていることを告白していた。
老人性うつとは、普通のうつ病に比べて、認知症によく似た症状の病気だ。
無気力や物忘れがひどくなるという。

野田議員は10代後半でアメリカに留学をする。
その頃から両親は不仲になり、野田議員の留学中に、父が家を出て行ってしまう。
こうした事態に、母は精神的に不安定になってしまったという。
野田議員はこの時、母の傍にいなかったことを後悔している。
「一番悲惨な時に渡しがいなかったと事あるごとに責める。それが胸に突き刺さるんです」
そんな母のために、自分が住む都心のマンションの隣の部屋を母のために購入。
母を呼び寄せて現在は隣同士で暮らしている。

母の病状は軽いようだったが、これが重症化した場合、野田議員は、闘病中の息子と母の介護とふたつの苦悩を抱えることになる。
野田議員の場合は、国会議員という重責もある。
高齢出産を選んだ人が必然的に抱えるこの問題。
少子化プロジェクトの座長を務めていた野田議員の向き合い方に多くの人が注目していた。

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野田聖子議員の重病だった息子が奇跡の退院

超高齢出産の影響といってもいいと思います。50歳で体外受精し生まれてきた子供は障害者でした。しかも、何度も命の危機に見舞われ、何回も手術。生まれてからずっと病院で入院生活をしていた真輝くんでしたが2013年4月、ついに奇跡の退院となり、お母さんの愛の力が子供に。

野田議員は2011年1月6日、長男・真輝ちゃんを50歳で出産した。
しかし、真輝ちゃんは、生まれる前からさいたいヘルニアと心臓疾患を患っていた。そのため、すぐに新生児集中治療室=NICUに入った。さらに、食道閉鎖症まであることがわかった。

小さい体に17本ものチューブが繋がれた。胃ろうや飛び出した肝臓をおなかに入れる手術など、毎月のように体にメスを入れる手術をした。そのたびに母は涙を流してきた。

一時は、呼吸停止状態に陥り、命の危機にもさらされた。一命はとりとめたが、今度は脳梗塞を起こして右半身麻痺の状態に。気管切開し人工呼吸器がつけられたため、声も失った・・・。親子で病魔と闘い続けた。

2012年12月、野田議員はブログに真輝ちゃんがテレビを見ている写真を掲載した。
「私が総務会長に就任した翌日、会見の様子がテレビに映ったんですね。それを病室で息子と夫が見たそうです。夫は、なんか真輝、ママのことわかっていたみたいだよっていっていましたね」
7歳年下の夫は、自営業で時間の自由が利くため、まめに病院通いをしていたという。

半身まひのため全く動かなかった右手も、少しずつ動くようになったそうだ。
ママがいると、いつも抱っこをせがむ真輝ちゃんは、こんなアピールをすることもあるという。
「抱っこしろとせがむので、いま忙しいからダメというと、呼吸器を外すしぐさをするんです。ニヤ~ッと笑いながら。イヤな子でしょ(笑)。外すとアラームが鳴って大変になることをわかっているんですよ。それで私を脅して気を引こうとしてるんです」
ママに甘えたい気持ちを口にできない真輝ちゃん・・・。
必死に思いをぶつけるけなげな姿が胸を打つ。

真輝ちゃんは、生まれてから外に出たことがない。
しかし、ついに2013年4月に退院。
「2012年の話では、退院は3月末までにはということでした。でも9回目の手術の後、体調を崩して、体重がかなり減ってしまったんです。8000グラムあった体重は、6600グラムまで落ちてしまいました。その間ずっと具合が悪かったので、退院は1ヶ月ほど延びちゃうかなと・・・。何もなければ先生も4月中には退院することができると」

高層マンションに住んでいたけど、震災の揺れひどかった影響で、2012年末に広めの一戸建てに引っ越したそうです。
そこで母も一緒に暮らしているそうです。
母は、過去に認知症と報じられたこともありましたが、母は物忘れはあるけど、認知症ではないそうです。

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50歳で高齢出産した野田聖子議員の長男の現在は

野田議員の旦那は、焼肉店を経営していたそうですが、野田議員の母が老人性うつ発症と長男が重度の障害をもっているため国会議員である野田議員に子育てと仕事の両立は難しいので2013年、専業主夫になるため焼肉店を閉店したそうです。

当初、野田議員の出産には賛否が分かれました。大多数の意見が、親のエゴだ!そんな子供を産んで、長男は将来苦しむとかといった意見が多かったです。長男は産まれてから命の危機が続いていたので長期入院をしていましたが退院をしました。

「真輝(まさき)も体重が12キロを超えて、随分と大きくなりました。最近は別人のようにまん丸になってよかったと思います」(野田議員)

出産した時の真輝くんは、臍帯(さいたい)ヘルニアと心臓病を患っており、さらに食堂閉鎖症も発症し、9回の手術をした。

そんな危機を乗り越えた真輝くんだが、今でも数々の障害を抱えている。
生まれてから2年3ヶ月でようやく退院し、野田議員が待望した家族一緒での暮らしがスタートした。
「実は最近、一戸建てからマンションに引っ越したんです。そのマンションの前の保育園が障害児を預かると紹介されていたので。転居して実際に保育園に問い合わせたら、障害が4級以下の子供だけ受け入れていますって・・・看板に偽りありじゃないかといらっとしましたよ。うちの息子は、呼吸器の機能不全、心臓の疾患、肢体不自由と1級の障害が3つあります」

悔しそうに明かすが、それでも引っ越しは無駄ではなかったという。
「一戸建てに住んでいた時は、2階の真輝の部屋には、階段で行ったり来たりしなければいけなかったのです。でもいまは、バリアフリー設計なので階段もなく、真輝にとってもいい環境です」

退院直後は、夫との関係もかなりぎくしゃくしていたそうだ。
「24時間、夫婦で真輝をみなければいけなかったので。日中はシッターさんが来てくれますが夜10時から翌朝9時までは2人で面倒をみています。本当に大変で睡眠時間は3時間ぐらいでした。夜は万が一のために人工呼吸器を着けて寝るんです。寝返りを打つと呼吸器が外れてアラームがなるので、そのたびに起きて着け直しをします。お互い寝不足でストレスのたまるので・・・。さらに、私たちの気を引こうとして真輝はわざと外したりするんです」

さらに、「2012年12月には、自民党の総務会長になって、仕事もすごく忙しくなったことを夫に報告すると、僕はそんなことやってくれって言ってないしと言われて・・・。まぁ、そのとおりなんですけどね。でも夫は育児と仕事の両立はできないと言うので、飲食店の経営をやめて子育てに専念してくれています」

「我が家は、夫と私が役割を入れ替えることで生活ができていますが、普通の家庭だと女性が仕事を辞めて子育てに専念しなければ、夫も仕事を続けることができないんだと、すごく感じています。だから、子供がいる共働きの家庭は大変だと思います」

野田議員は、2013年6月長男が死にかけたことを綴っている。
「家に戻ってからも一度、あの世に行きそうになりました」
原因は、痰(たん)がつまって窒息状態になった真輝くんは、一時、意識不明に陥った。
幸い、野田議員の救命処置で助かったそうだ。

2014年1月6日は、真輝くんの3歳の誕生日。
「初めて家族で普通に迎えられる初めての誕生日です。普通の子だったら大きくなってから、どこかへ連れて行くということもできるでしょう。でも、うちは大きくなるか保証すらない子だから、できる限りどこへでも連れて行こうと思っています。2013年8月には、韓国の日韓フォーラムにも連れて行きましたよ。酸素ボンベを6本ほどスーツケースに入れて・・・」

真輝くんとのエピソードは
「今の真輝の天的は、白い顔のママです。ある時、私が顔にパックをしたまま出てきたら、真輝は失神しそうなぐらいびっくりして、泣いてパパに抱きつきました。言うことを聞かなかったり、いたずらをする時は、ママが白い顔になるよと言うと、ぴたっとやめるんです。そういう意味では賢い子です」

退院をした今でも毎日、誰かが看ていないといけない状態が続いているそうです。

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One Response to “野田聖子は高齢出産で子供を授かるも重病が!夫や母に現在は”

  1. hihipopai より:

    なんもいえね~

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