大沢樹生の妻と娘や喜多嶋舞との息子は!諸星和己と和解も

俳優の大沢樹生は1981年に、12歳で日本テレビ系ドラマ「夏の王様」で芸能界入り。1987年に「光GENJI」のメンバーとしてデビュー。1988年に「パラダイス銀河」で日本レコード大賞を受賞。1994年に脱退。以降、1995年の映画「日本製少年」に出演するなど俳優として活動しています。

大沢樹生

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大沢樹生と15歳年下元モデルと再婚パーティー

深夜1時前のと今日・渋谷、正装した招待客を笑顔で見送るカップルの姿があった。タキシード姿の大沢樹生と再婚相手の元モデル、さやかさんだった。

「2008年11月にすでにバリ島で結婚式を済ませていて、この日は結婚披露宴2次会が行われていたんです」(芸能関係者)
18時から行われた披露宴には、ふたりの門出を祝おうと約1000人の友人らが駆けつけ、会場には石田純一らから花が届けられていた。
元・光GENJIのメンバーで出席したのは山本淳一ただひとり。
「大沢さんは山本さんを紹介するとき、ぼくはメンバーとはもう付き合ってないし、付き合いたくもないのですが、山本だけは別ですと話していました。」(出席者)

大沢と新妻・さやかさんの出会いは2007年末、友人のパーティーだった。
「大沢さんのひと目惚れで、毎日のように連れ立って飲みに歩いては、何度も何度も結婚しようといったといいます」(芸能関係者)
元・光GENJIで俳優の大沢が9年間連れ添った女優の喜多嶋舞と離婚したのは2005年。
1997年に誕生した長男・零次くんは大沢が引き取り、シングルファザーとして子育てに奮闘してきた。

大沢は、再婚を決めたさやかさんと零次くんの初顔合わせのときは、それはどきどきだったという。
「でも、それは杞憂に終わったようです。プロポーズ後、さやかさんとの生活が始まるや、零次くんは彼女にべったり。さやかちゃん、さやかちゃんといって、ついてまわるそうなんです。大沢が寂しい思いをすることもあるくらいだといいます」(芸能関係者)

披露宴には零次くんの姿もあった。
「最後に零次くんがふたりへ向けて手紙を読んだんです。お父さんは結婚式は2度目ですね。さやかさんがまさかお母さんにはなると思っていませんでした。お母さんとは呼べませんが、お母さんだと思うようにします。などと小学生らしいし尚な気持ちで父親の幸せを喜び、みんなで涙でした」(出席者)

大沢樹生

大沢樹生の妻が不妊治療でようやく妊娠!しかし6ヶ月で死産

不妊治療を続け、ようやく妊娠をしたのに6ヶ月目にして死産をしてしまった娘。その死産した娘の写真を当時ブログに掲載し物議を醸しました。

大澤莉々生(りりい)、2012年5月24日生まれ、身長20㎝、体重174g。
2012年5月31日、大沢樹生が自身のブログで妻の早耶香との約3年にも及ぶ不妊治療の末、身籠もった長女が死産だったことを明かした。

2012年1月31日に妻の妊娠が発覚して以降は、ブログにわが子の成長記録を綴っていた。
「赤ちゃんに異常が見つかったのは4月初めだったそうです。でもずっと奇跡を信じていたようです。そのまま妊娠した状態でなんとか赤ちゃんの治療ができないか、いろいろな病院を探し回ったといいます」(テレビ局関係者)

しかし、妊娠6ヶ月、陣痛促進剤を使っての人工出産で生まれてきた娘は一度も産声をあげることはなかった。
通常、死産の場合は、多くの赤ちゃんが目は閉じているというが、大沢の子供は目を開けたまま生まれてきた。
助産師が目を閉じたが、時間が経過するとまた目が開いてきた。
大沢は、「きっとパパとママに逢いたかったんだね」と綴っている。

出産の翌々日となった26日、妻は退院し大沢たちは、娘が眠る棺にドライアイスを入れ自宅へと連れて帰った。
その夜は20度以下に保ったリビングに布団を敷き、親子で一緒に眠ったという。

2012年6月28日に娘との別れとなった。
大沢と妻は、棺の仲に天使の羽のついた赤ちゃん服、帽子、折り鶴などをたくさん収めた。

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最愛の娘が亡くなった心境を語る

不妊治療の末ようやく授かった娘でしたが、残念ながら死産した。その様子がブログに掲載され話題になりましたが、それから2ヶ月、ようやく娘の死と向き合うことができるようになったみたいです。

ずっとね、一緒にいる気がするんですよ、莉々生と。ぼくの周りをいつもふわふわ飛んでる感じです。家でも仕事場でも心のなかでいつも莉々生に話かけているんです。

ぼくも妻も無宗教ですから法要などはしませんが、このままではいけない。
そろそろ家族みんなで前を向いて過ごさなきゃと思うんです。
もともと、妻は妊娠しずらい体質で、結婚前から婦人科系の病院に通っていたんです。

結婚して、やっぱり子供がほしくなり、不妊治療をやってみようということになったんです。人工授精を8回やってもダメでした。それから、顕微受精で、莉々生ができたのは3回目でした。

大沢は、1995年に前妻・喜多嶋舞と離婚し、ふたりの間には、高校生の長男がいる。現妻・早耶香さんとの再婚は2008年。莉々生ちゃんは3年にわたる不妊治療の末、ようやく授かった命だった。

妊娠がわかった時は、ふたりで大泣きしました。究極の喜びでしたからね。嬉しくてその日に記念日として、ペアウォッチを買いました。2012年の1月30日です。その時点で妊娠4週目でした。2012年3月6日には、不妊治療のクリニックを卒業して普通の産婦人科へ移りました。

しかし、そこで切迫流産という診断を受け、絶対安静と言われました。
入院はしませんでしたが、妻の実家でゆっくりしてもらおうと大阪に戻りました。
大阪のクリニックでも診察を受けたのですが診断結果は同じでした。
数万分の一の確率で起きる病気で、英語の病名はあるんですが、日本語での病名はありません。
言葉にできないほど愕然としました。

動揺の中で妊娠発表をしたので(ブログで)戸惑いもありました。
でもやっぱり信じていたかったんです。
なんとか無事に生まれてきてさえくれればと思って・・・。
でも、医師の話では、生まれてきたとしても、赤ちゃんが外で生きられる時間は限られてしまうということでした。

大沢樹生

最愛の娘をブログに掲載した理由を語る

その後も、知人のクリニックなどで検査を受けたのですが、結果はどこも同じで、妊娠21週が莉々生と一緒にいることができるギリギリのラインということでした。しかし、どこかで決断をしなければいけなかった。

お別れの日が近づいているからって、莉々生のために何もしないというのは、私達には考えられなかった。
妻は、エコー写真と母子手帳を離さずもっていて、逃げずに普通の生活を続けようと話しました。
3日間かけて、子宮口を開いていく処置をしました。
僕も立ち会いましたが、かなり辛そうでした・・・。
麻酔も使えませんから。

そして、2012年5月24日、朝6時半には妻は分泌室に入って、陣痛促進剤を打たれました。
陣痛の痛みが強くなるほど、莉々生との別れが近づいている。
そう思うと涙が止まらなかった。
18時20分に莉々生を出産しました。
ギリギリまで莉々生の心音が聞こえていたんですが、出てきた時には止まっていて・・・。
これまで生きてきて、これだけの悲しみは味わったことがない。
こんなに泣いたこともありませんでした。
体重はわずか174グラムで身長は20センチでした。

あとはもう、いろんな感情が押し寄せてきて、心の中がぐちゃぐちゃでした。
不妊治療の時からずっとブログに経過を報告していました。
だから、みなさんに莉々生の顔を見てもらいたくて・・・もちろん賛否はありました。
僕にはどうしても亡きがらには見えなかった。
親バカかも知れませんけどね。

2012年5月28日、莉々生を空に返しました。
斎場に向かう途中に、妻から光GENJIの歌を莉々生に聞かせてあげてとリクエストされたので、ベストアルバムを車の中で流しました。
これからも生涯、莉々生は私達家族の中で成長していきます。
今後とも莉々生の父と母であり、前向きに生きていきたいです。

大沢樹生

大沢樹生が長男にDVしたのは本当なのか

大沢からも前の妻・ 喜多嶋舞からも暴力を受けたと週刊文春でDVを受けていたことを告白した長男Aくん。大沢はDVはしていないと言っていたみたいですが当時、長男とは連絡もとれなかったという。親子関係が上手くいっていないことが明るみになってしまった。

「今も息子とは連絡が取れず大変心配しております。警察にも捜索願を出しておりますが、1日でも早く戻ってくれることを願ってますし、今後、息子とどう向き合っていくか妻とも話しあっております」
自身のブログでこのように綴った大沢樹生。

1996年に結婚した喜多嶋舞との長男Aくんが、親から暴力を受けていたと告白したのだ。
2005年に大沢と喜多嶋が離婚した後は、大沢と一緒に暮らしていたが、2012年9月中旬から家出をしたという。
いったい、親と子との間に何があったのか、大沢が話しをしてくれた。

「まずなにより、息子のことを一番に考えなきゃいけないと思うんです。年ごろで反抗期でもあるけど、それもまして病気が妄想で真実になってしまう状況なんです」
大沢によると、Aくんは診療で「乳児期の疾病による長期入院と手術による心的外傷後遺症」と診断されたという。

大沢と喜多嶋ができ婚をした翌年に誕生したAくんは、生後する腹壁破裂という病気で手術を余儀なくされ、その後の後遺症のためか、一定の男が聞こえない感音性難聴になった。

息子とのふたり暮らしが始まった様子を次のように語っている。
「ふたりだけの生活が始まった頃、本当にめまぐるしかったです。常にオーバーワーク気味で。息子とは常に体当たりなんですよ。悪いことをしたのに謝らないときなんかは、外までおっかけますよ」

大沢の自伝には、このようなことも書かれている。
長男の万引きが発覚したエピソードがある。
「駐車場で息子をパチパチ叩いた。オレの剣幕に転院も客も目を丸くしていて驚いた。どうもギャラリーがいると役者の血が騒ぐようだ」
長男が中学校にあがるまでは、ときに手を挙げることもあったようだ。

そして大沢は2008年4月、Aくんが10歳の時に、Bさんと再婚をする。
AくんはBさんを拒絶するどころか、家事手伝いもし、すぐになついたそうだ。
Aくんは、2012年3月に中学を卒業したが、高校受験に失敗した。
Aくんは、大沢に連れられて京都の嵐山のお寺で2ヶ月ほど過ごしたという。

ブログには、「この2.3ヶ月、本人の行動や言動が以前にもましてエスカレートしてきました」とある。
Aくんは、高校にいかせてもらえなかったと明かしているが、大沢の知人からはこんな話しもある。
「長男は高校に行かず、役者の道を目指したいということで、大沢さんも社会人として最低限の礼儀作法を身につけさせたいと、お寺での修行をさせることになったようです」
長男が俳優を目指しているのは、2009年に週刊誌が大沢に取材をしたときも話をしている。
さらにAくんは、小学校の卒業文集に将来の夢は俳優と書いていた。

大沢と息子との絆は取り戻すことができるのだろうか?
DVは否定した大沢だが、子供はどう思っているのでしょうか?
子供とはようやく連絡がついたという。

喜多嶋舞

大沢樹生のDVが原因で家出をしていた長男と再同居していた

週刊誌に、父・大沢樹生と元妻・喜多嶋舞からDVを受けた告白をした長男。それが原因で親子関係がうまくいかずに、長男は家出。その後、連絡が取れなくなってしまったと報じられたのが2012年の10月でした。そして2013年5月、大沢と息子は一緒に暮らしていたようです。

2013年5月中旬の午後、都内の住宅街を歩くふたりの男性の姿があった。犬のリードを持つのは大沢樹生だ。隣にいるのは長男のA君だった。

一見すると仲の良さそうにみえる親子だが、A君は2012年10月に、大沢からDVを受けていることを告発していた。
その内容はあまりにも怖いものだった。
日本刀を突き突きつけられたりもしたという。
この告発の後、長男は家出をし連絡が取れなくなった大沢は、警察に捜索願を出し、「今は息子に会って気持ちとか思いをしっかり聞きたいと」言っていた。

あれから8ヶ月、父子の関係に変化がでていた。
「ふだんは大沢さんか奥さんのことが多いですが、最近は息子と一緒に犬の散歩をしてるのをみかけますよ。息子さんは学校にはいかずにアルバイトをしているようですが、あまり続いてないんじゃないかな・・・」(近所の人)

A君は俳優を目指すために中学卒業後は高校に進学せずに、大沢の勧めもありお寺で人間修行をしていた。
2ヶ月ほどで自宅に戻ったころから衝突が深刻になったという。
実はその頃、大沢家では悲しい出来事があった。
元モデルのBさん(現在の妻)と、3年に及ぶ不妊治療の末に長女・莉々生(りりい)ちゃんを授かったのだが、21週目で死産・・・。
このことも重なり、A君とうまくコミニュケーションがとれなかった。

父子の絆をもう一度取り戻したいという願いが叶い、同居にこぎつげたものの、大沢の悩みはまだ多い。
「まだ、A君の夜遊びが絶えないそうです。大沢さんとしては、A君を社会復帰させるためにも学校に通わせたいといっていました。それでもA君の病気の問題もあってぶつかっているようです」(同級生の保護者)

A君は、生後すぐ腹壁破裂という病気で手術を余儀なくされ、その後遺症のためか、一定の音が聞こえない感音性難聴になり、補聴器が必要になった。
さらに心療内科の診断では、手術による、心的外傷後遺症と診断されている。

週刊誌記者と大沢との会話。
最近衝突はない?
「思春期で荒れたり、反抗期だったり、誰でも通る道じゃないですか。当然彼もそこから脱してくれると信じています。親としてしっかり彼を導きたいと思っています。過ちを繰り返さないようにしっかりと話し合っています」
親子関係の修復中のようです。
16歳という年齢だけに今は手を焼いているようです。

大沢樹生

元・光GENJIの諸星和己と大沢樹生が20年ぶりに和解

光GENJIは1987年に結成され、1994年に大沢と佐藤が脱退し、その翌年には解散している。解散がきっかけでグループ内のメンバー同士が不仲になった。その不仲だった、諸星と大沢がついに和解し2013年11月、笑顔で週刊誌のインタビューの答えています。

渋谷で帽子を目深く被る男性を発見!よく見ると、諸星和己だった!
諸星が向かった先は、芸能人御用達の高級焼肉店「J」で、そこで待っていたのは、なんと大沢樹生だった!

記者M 「この2人って光GENJI時代は不仲を囁かれていたよね。アーティスト志向の強いミッキー(大沢)が、光GENJIを抜けようとしたことがきっかけと言われている。解散後、2人は一度もプライベートでも会っていないのに、なぜ?」

店内の個室に2人は入っているが、会話ははっきりと聞こえはしないが、ともに笑顔で楽しそうだ。
そして店内から出てきたところを直撃した。

記者:週刊誌ですが、一緒に食事をするのは何年ぶりなのですか?
大沢:20年ぶりぐらい?

記者:20年?何の話をしていたんですか?
大沢:昔話より、これからの話をね!

記者:もしかして、この先、一緒に仕事をなされるとか?
諸星:何いってんのぉ。基本的に仲悪いっす。

記者:またまた冗談を! 仲良さそうですよ。 もしかして光GENJIの再結成ですか?
諸星:そんなもんわからないよ。メンバーはあと5人いるからね。今日は単純に飯食っただけ!
大沢:まぁ打ち合わせを兼ねてね!

酔っぱらっている諸星の肩を大沢が抱き、そろそろと告げて消えていった。
この先、何か2人で計画をしていることがあるようです。

大沢樹生

大沢樹生の長男が心境を語る

DNA鑑定をした結果、大沢樹生と喜多嶋舞の間に生まれたと思われていた長男は、大沢樹生と血はつながっていなかったことがわかりました。大沢樹生は、喜多嶋と離婚をしてから、1人で長男を育て、養育費なども相当な普段だったと思います。この件について、喜多嶋は、「私的なことでお騒がせして大変心苦しく思っております。少年を巻き込んだ報道に非常に憤りを感じております」とコメントをし、最低だと炎上しました。

まさか親父だと思っていた人が違って、一番困惑しているのは長男だと思います。そんな長男が現在の心境を告白しています。2014年1月、長男はロスに住んでいる喜多嶋の両親に引き取られて一緒に暮らしていますが、心境はかなり複雑でしょうね。さらにDNA鑑定の結果の紙を見たら、99.9%大沢とは親子関係だと書かれていたと話しをしています。

「衝撃だったというか、パパはいったい何のことを入っているのだろうって・・・。もう、何とも言えない複雑な気持ちで・・・」
長男Aくんは、困惑した表情でこう語り始めた。

大沢と長男はDNA鑑定をして、父性確率0%だった。
週刊誌はロスで暮らすAくんの祖父(喜多嶋の父)でもある音楽プロデューサーの喜多嶋修さんを立ち会いの元でAくんに話しを聞くことができた。
Aくんは当初、大沢の行動がとても信じられなかったという。

「あんなふうに僕のことをネタにするなんて。なんだろう、裏切られたというか騙されたというか・・・。パパが再婚してからは2人でいる時間も減ったけど、それでも一番信じていたし、一番一緒にいたパパだから・・・」

大沢と喜多嶋は1996年6月にでき婚をした。
翌年にAくんが誕生したが、2005年に離婚した。
親権の移動を経て、大沢がシングルファザーとして子育てをした。
昨年、喜多嶋は9月に家庭裁判所での協議の結果、Aくんの親権を大沢から取り戻している。
さらに、その直後、親権は米国在住の喜多嶋の両親に移った。

喜多嶋舞

2013年の夏、娘(喜多嶋舞)が再婚した旦那さんとその間にできた娘と一緒に、こっちへ遊びにくることになったんです。
そしてAも、「一緒に行きたい。でもパパが許してくれないと行けないと」
それで私が大沢君に電話をして、Aが来たがっているので一緒に来させてもいいかと聞いたら、ぜひお願いしますと言われたんです。
それでAもロスに来たんですよ。

ところが、Aが日本に帰る時期を話し合っていたら、今度は大沢君から弁護士を通じて、「もう帰ってくるな」と・・・。
あのDNA検査は、裁判所が定めたオフィシャルな機関で行われたものでないのに、あまりに一方的で突然のことでした。
以降、大沢君からの連絡は途絶えたままです。
そうこうしているうちに週刊誌に記事が掲載されてしまって・・・。

DNA鑑定をする流れになったのが、大沢が現在の妻との間の娘が死産したことや、Aくんの外見に疑問を抱いたためだと報じられた。
当時の様子をAくんが話す。
「ある日、僕が帰宅したら、いきなりパパに病気になった時に、パパとお前が血を分けあえるのかどうか、親子だけど不安があるから念のために検査をしようと言われて。いまさらDNA鑑定なんてとも思ったけど、そういうことならと一緒にいったんです」
「この時パパの様子も少しおかしかったです。検査費用に6万円ぐらいかかったのですが、それでなぜか、お前のために6万円もかかったんだぞって怒鳴られて。パパのためならと受けた検査だったのに。あの検査の結果でこんなことになるなんて・・・」

検査をした際、2~3週間後には鑑定結果がわかると伝えられていたのに、その期間が経過しても大沢からAくんに結果が伝えられることはなかった。
結果が気になるAくんは、大沢と現在の妻が留守の時に、こっそり探して鑑定結果を見た。
「見てみたらそこには、僕とパパは99.9%親子と書いてありました。当然そうだろうなと、そのまま閉じて元に戻しました」
なんとA君が見た結果は、大沢が発表したのとは全く逆のデータだった!

それで安心していたら、その頃からパパが急に冷たくなったというか・・・。
2013年の7月に、いきなりパパから、「あなたの本当のお母さんから連絡があって、大事な話があるから会いたいと言われている」と伝えられました。

喜多嶋舞

何の話だろうと思って会いに行ったら、修さんのいるアメリカに一緒に行こうという話でした。
家に帰ってパパが「ママに何か聞かれた?」と言うので、別にと答えました。
その時、深く考えもしないまま喜んでロスに来て、そして2週間ぐらい経った頃かな?
ママに、「もしかしたら(Aくんが)こっちに残ることになるかもしれない」って言われて、僕もアメリカでの生活に憧れていたし、パパも応援してくれてるって修さんから聞いたので、こっちでやっていくことを喜んでいたんです。

Aくんがロスにいた間、大沢と喜多嶋は弁護士を通じてDNA検査の結果についての話し合いが行われていた。
その後、大沢側からの通達により、Aくんは渡米前まで生活していた大沢の家に帰ることができなくなる。

「雑誌の記事に、僕がそれでもパパだからって話しをしていた記述があったでしょ?あんなこと言ってませんよ。それに僕が2013年秋に日本に一時帰国した時だって、パパの家には自分の荷物さえ取りにかえれませんでした」
「どこかの取材で、俺は息子に会って、DNA鑑定の事実を認めさせたと書かれていましたが、僕は会ってませんし、電話だって聞いていません。その時の僕の様子を全部言ってみろってパパに言いたい」

2014年1月、Aくんの正直な気持ちを週刊誌が聞いた。
「いまはただ、ごめんなさいっていう気持ちです。ダディ(修さん)、マミィ(喜多嶋舞の母)にも・・・。いろいろあって家族や親戚も増えたわけだけど、みんなに謝りたくて」
(自分が原因で迷惑をかけていることを言いたいようです)

大沢には、「パパのやっていることは、本当にくだらないとしか思えない。こんなことで騒いで何が楽しんだよって。この人は何がしたいの?目的は何なの?って聞きたい。自分が幸せにこの国で生きていけば、みんな喜んでくれると思うし、パパもわかってくれると陣しています」

Aくんは、大沢に裏切られた悲しみと怒りを抑えて、アメリカで生きていく決心をしたそうようです。
DNA鑑定の結果は、どちらの言っていることが正しいのでしょうか?
もう一度、別の機関でDAN鑑定をするとはっきりとしそうですね。
喜多嶋舞も、大沢に俺の子供ではないといわれた時、心当たりがあったのでしょうか?
16歳のAくんがお気の毒すぎてかわいそうでした。

そして2015年11月、裁判で東京家裁は喜多嶋との間にもうけた長男と大沢の間に「親子関係が存在しないことを確認する」と判決を出しています。

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