大島渚の妻・小山明子はうつを克服し介護生活17年!息子は 

映画監督の大島渚さんは1954年に映画会社松竹に入社。1959年に「愛と希望の街」で監督デビュー。1960年に女優の小山明子と結婚。2人の息子をもうける。1961年に松竹を退社し1976年の「愛のコリーダ」、1983年の「戦場のメリークリスマス」など製作。1996年に脳出血で倒れ、リハビリ生活を経て、1999年に「御法度」を製作。2001年からはリハビリに専念。2013年1月に80歳で死去されています。

大島渚

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妻・小山明子が明かす大島渚さんへの介護生活17年

映画監督の大島渚さんが2013年1月15日に肺炎のため亡くなりました。1996年に脳出血で倒れてから、闘病生活をし、一度は監督として復帰はしたものの、別の病気などを患い、妻が17年間も介護で支えてきましたが、80歳で力尽きました。

「大島はいつ召されるかわからないけど、そのときのために私はいまを生きています。今日1日、今日1日で16年も経ちましたけど」
2012年、週刊誌の取材でそう語っていた妻で女優・小山明子。

小山明子

妻・小山は、1955年に松竹映画「ママ横をむいてて」で女優デビュー。テレビ、映画、舞台と活躍。その後、1963年に長男で現在、東京工芸大学教授の大島武氏、1969年に次男で現在フリーディレクターの大島新氏の2人の息子をもうける。1996年に大島渚監督が脳出血で倒れ、介護の日々が始まる。
そして、ついにその日が来てしまった・・・。

大島渚監督は、1976年に社会の底辺に住む男女の愛を描いた「愛のコリーダ」を発表し世界に認められた。
1978年には愛の亡霊で、カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞した。
そんな輝かしい大島さんの人生が一変する。

1996年2月、大島さんは訪英中に脳出血で倒れ、右半身と言葉が不自由になってしまう。
以来17年に及ぶ闘病生活が始まる。
「小山さんは仕事をすべて断って介護に専念しました。それまで女優一筋だった彼女にとっては、食事を作るだけでも大変で、徐々に追い詰められて鬱病を患ってしまいました」(芸能関係者)

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しかし、小山は大島さんにもう一度、監督として復帰してほしい重いから鬱病を克服し介護を続けた。
すると大島さんも奇跡的な回復を遂げて、1999年には10年ぶりの映画・御法度を完成させた。
しかし、2001年6月に、十二指腸潰瘍穿孔で倒れた。
手術は成功したが、大島さんは要介護5の認定を受ける。

「大島さんは排泄の世話なども必要になり、もう死にたいと漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)
そんな大島さんを小山は献身的に介護した。
映画を見たいといえば、尿便器を持って車椅子を押して映画館に連れて行く。

「排泄はデリケートな問題で本人も気にしていますが、なかなか出ないときは、ママは出るのに、パパはどうして出ないの?とユーモアな言い方に変えてお腹をマッサージすると本人はほっとするんです」と語っていた。
「正直いって無償の愛は無理なんです。見返りとはいわないけど、ありがとうのひと言がほしい。大島は毎日、惜しみなく、ありがとうといってくれるんです」
17年間の闘病生活を頑張ってこれたのは、毎日のありがとうだったそうです。
言葉にすると17年は簡単ですが、想像を絶するほど大変だったと思います。
天国でも毎日お礼をいっているのではないでしょうか。

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