押尾学の事件の裁判について!交際相手の暴露や親に負担も

俳優の押尾学は2001年の「ラブレボリューション」、2003年の「クニミツの政」など人気ドラマに出演。ロックバンド「LIV」のボーカルとしても活動。2006年に女優の矢田亜希子と結婚し息子をもうけた。しかし、2009年8月に合成麻薬MDMAを使用したとして、麻薬取締法違反で逮捕。その後、矢田と離婚しています。

押尾学

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押尾学の保釈保証金を用意したのは女社長だった

保釈決定によって、事態は急展開した。2009年8月28日に地裁が押尾被告の保釈請求を認めた。保釈金額は400万円、この金額は誰が払ったのだろうか?
「保釈保証金は400万円と言われていますが、誰が支払うのか、どこから捻出したのかというのは、まだかわっていません。離婚しましたし・・・」(スポーツ紙記者)

そんな大金を支払えて、かつ、押尾の保証人となれるほど親しい人物になると、誰もが想像しうる、ひとりの女性が浮かんでくる。
「事件があった ドラッグ部屋のオーナーである、下着通販会社女社長が考えられますね」(芸能プロ関係者)
この女社長、押尾とのつながりは、かなり深いものと言われていた。
「押尾は、女性社長のことを愛称で呼んでいたりしていましたし、一緒に食事やジムに行ったり、クラブに行く仲でした。女社長もブログで学の顔は、ほんとによく出来ているなぁと書いたり、とても可愛がっていた」(テレビ局関係者)

しかし、事件の部屋のオーナーだったので、事件への関与が疑われた。
そうした話が表立つと、女性社長は海外に飛んでしまった。
すると、途端に、「警察は、女性社長の行方を追い始めました。関係者にどこにいるのか?交友関係をしっているのか?最近の様子は?などと事細かに聞き始めたんです。重要参考人と位置づけているのでしょう。また六本木ヒルズは審査が厳しいのに、なんで何室も借りられたのかも調べる必要があるようです」(捜査関係者)

この事件のキーマンは女社長が握っているとも言われていた。
「警察もそれを狙っているのでしょう。クラブで一緒に遊んでいたタレントや関係者の捜査に乗り出し始めたそうです。だから、芸能関係者は社長とかかわりたくないと思っていますよ。その社長が、知人にそろそろ日本に帰るからよろしくといったメールを送ったそうなんです」(芸能プロ関係者)
帰国したら間違いなく、警察から聴取を受けることになりそうだ。
「以前、ライブドアのホリエモンが保釈されたとき、住むところや身の回りの世話をしてのは、この女性です。今回も、このタイミングで帰ってくるということは、押尾のためとしか思えません」(社長の知人)

2007年、週刊誌が押尾被告を取材すると、新卒の記者は、「みんなマスコミは目が汚れていくんだよ。だから、お前は汚れるなよ」と論されたものだった。
まさか押尾被告が薬物で汚れているとは・・・。
女性社長とはPJの野口社長のことです。押尾学とは愛人関係にあり、毎月小遣いを渡していたと言われています。

押尾学

押尾学が無実を主張

有罪になれば芸能界復帰が絶望的になるので何がなんでも無罪を勝ち取ると息を荒げていたという押尾学。死人に口なし、すべて田中さんに責任を押しつけている押尾学の裁判は一体どのような結果になるのか・・・

「死にものぐるいで無罪を取る」
2010年8月に発売されたファッション誌「エッヂ・スタイル」に発表した獄中ノートで押尾学は、2010年9月3日の初公判に向けて決意表明ともとれる言葉を綴っていた。
押尾被告が起訴されているのは、合成麻薬MDMAを一緒に使用した田中香織さんの死亡した事件。

薬物取締法違反ではすでに、懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の判決が出ていた。
その後、保護者責任者遺棄致死で再々逮捕され、その裁判が開かれていた。 

「証人には救急救命医療の専門家のほか、事件現場にいた知人、女友達などが含まれているんですが、中には弁護側と検察側と引っ張り合いになった証人もいるようです。ところが、もう事件とかかわりたくないという人が多く、証人を逃げ出す人が相次いだ。そのため、裁判所の判断で召喚状を送付し強制的に出廷させたようです」(司法記者)
「証人が何人もいるということですから、異常事態ともいえます。彼らの口から爆弾発言が飛び出す可能生も考えられます」(司法記者) 

保護者責任者遺棄致死が成立するかどうかがこの裁判の最大の注目点だったが
「争点は3つ。押尾被告が被害者女性の保護責任者であったのか、仮りにそうだといえた場合、遺棄したといえるか、そのふたつが認められたとしても遺棄致死が成立するか。つまり押尾被告が放置したこと自体が死に直結したという因果関係を証明するのは難しい面もある。押尾被告がすぐに救急車を呼んだとしても、どっちみち助けることが出来なかったと訴えれば、裁判員もそれはそうかもしれないと考えるかもしれないからです」

2010年9月16日までに7回公判は行われ、19人もの証人が出廷予定だといわれるこの裁判の判決は2010年9月17日だった。

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押尾学と3年間交際した女性が暴露

何人彼女がいたのでしょうか?事件後、次々と押尾学と関係のあった女性が暴露し、今度は3年交際したという女性が登場。しかも、矢田亜希子と結婚する前から付き合っていたようです。

「初めてあったのは福岡のホテルでした。避妊もしてくれませんでした」
そう語るのはOLのA子さん。
タレントの安田美沙子にどことなく似ているスレンダー美女である。

実はA子さんは、押尾学が逮捕されるまでの3年間、彼と不倫関係にあった女性である。
その彼女と押尾との交際について赤裸々に語った。
「彼と初めてあったのは2006年9月でした。知人の紹介だったんですが、しつこくメールが来て、部屋に遊びにいったところ熱心に口説かれ、ついふらっときてしまい、その夜のうちに男女関係になりました。以来、2009年の5月ぐらいまで彼との関係は続きました」 

A子さんは、押尾の不倫相手3人目となる女性である。
「押尾さんは、私とはドラッグを使うことはありませんでしたが、私がドラッグに興味を示すかどうか確かめているような感じはありましたね。卑怯な内容のメールを送ってきては、その反応で判断していたように思えます。送られてくるメールはどんどん過激になりました。今どんな格好しているの?会いたいから早く来て、待ってるからなどから始まり。どんなことに興味あるのとか言ってきました。そしてエッチな写真までも要求してきました。要求はどんどんエスカレートしました。食いつきがよかったら薬の話をしていくつもりだったのでしょう」 

押尾は2006年11月に、女優の矢田亜希子と結婚するが、結婚後もA子さんとの不倫は続いたという。
「矢田さんと結婚する直前の頃は、あまり結婚したくないんだと漏らすのを聞いたことがあります。矢田さんとの結婚は本意でないし、本当はあまり気が乗らないという感じでした。周りが彼女と結婚しろしろと言ってうるさいんだよ。相手の事務所に無理矢理結婚されるんだよと言ってました」
一緒にハワイに行こうと言われたこともありました。
「めちゃ楽しいから、一緒にいこうよ」って何度か誘われましたね。
でももし行っていたら本当に薬までエスカレートしていたのかも知れない。
押尾が逮捕されてからA子さんは驚かなかったようだ。
「彼ならそれくらいしそうだしと、思えて・・・」と語った。
初公判は2009年10月23日、事件の真相解明はされるのか。

矢田亜希子

押尾学が保釈後の心境を語る

「彼にはあべさん(芸能レポーター)にありのままを話して下さい。今日見たこと、聞いたこと、感じたことをすべてありのままに話して下さいといわれました。だから私はここで、彼と話しした4時間全てを話したいと思います」
そう真剣に話すのは芸能レポーター・あべかすみ。

芸能ニュースを伝える彼女は、かねてから押尾被告の取材を重ねて、取材者とタレントというルールの中で親交を深めてきたという。
「押尾被告が2005年、最初の所属事務所を離れた頃から、マネジャーを通してコンタクトをとってきました。彼はマスコミのことを嫌っていたんですが、2008年の春頃から直接、電話やメールで近況報告をもらうようになりました」
アメリカでオーディションを受けてきました”今度、さんまさんの番組に出ます”仕事に動きがあると、あべさんの元へ連絡が入ったという。
「いつも仕事のこと、プライベートな報告は無かったです。最後に押尾被告に会ったのは、2009年6月末、東京・恵比寿で行われた彼のバンドライブでした。その1ヶ月後に事件を起こったんですよね・・・・」 

保釈から3週間がたった2009年9月20日午前9時55分。
あべさんの携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。
「誰だろうと思って出たら、”押尾です”と、私はどうしたの?って返しました。すると彼は、今回のことは本当に申し訳ありませんでしたと、そして、一度お会いして話しをすることはできませんかというのです。少し焦っているかのような早口の小さい声でした」

あべさんはよっぽど押尾被告に信頼されていたのだろうか?
あべさんを予定を調整して翌21日に押尾被告と会うことになった。
「どこで会う?と聞くと、押尾被告は僕の自宅でお願いします。この状況で僕は家から一歩も出られない生活ですので、自宅まで来ていただけますでしょうかと」
以前の携帯電話を警察に押収されたために新しい携帯電話番号になったこと、そして最寄り駅の駅まで押尾被告の実母が迎えに行くことが告げられ、電話は切られた。 

「お母さんは、張り込みの人たちがいるから表はダメなんですといって、私たちは裏口からマンションの部屋へと上がっていきました」
築6年ぐらいの8階建てマンション、3LDKほどの一室。
その家に入って廊下を通り、突き当たりにある白い壁のリビングダイニングにあべさんは通された。

そして押尾被告がリビングに姿を現した。
「どうも、こんにちわ。今日はすいません」
そこには、3ヶ月前、ライブ会場の楽屋であった時とは驚くほど様変わりした押尾被告が立っていた。げっそりとこけた頬、真っ白くなった側頭部と後頭部・・・。
あべさんは思わずこう語りかけたという。
「第一声、やせた?と聞いていました。すると彼は、いや・・・ちょっと・・・と苦笑いを浮かべ、向かいの椅子に座りました。そして、彼自ら、こんなに白髪が増えちゃいました。凄いでしょうと話しました。私は何も言えなかったですね」
そして、押尾被告があべさんとふたりきにしてくれといい、会話が始まった 

六本木などで遊び歩いていた姿やナンパをしていた姿が報じられていましたが、精神的にかなり参っていたそうです。

押尾学

矢田亜希子との離婚についても語る

「私は彼に”正直、裏切られたよ”といいました。なぜなら、私は2008年の春に、彼からこう聞かされていたからです。あべさん、あんなもの(麻薬)に手を出すのは、身を滅ぼすことなんです。だから、僕らは絶対にしないと、当時、彼は麻薬を拒絶していたのに・・・・。押尾被告は私の目を見つめて、本当に申し訳ありませんでした。薬をやったのは事実です。そう話しました」 

事件当日に何が起こったのか?
死亡した女性との関係、押尾被告は一方的にあべさんに話し続けたという。
「押尾被告は女性が死亡したとき、家族、子供、仕事、友人・・・いろいろな思考がガッと押し寄せてきて、怖かったと話していました。なんで、なんで、と自問自答し、その場に立ち尽くしてしまったと。どのくらい立っていたのかも覚えていないといっていました」
そして、押尾被告と同様に解雇された元所属事務所のマネジャーふたりが、通報もしないままに現場に居続けていたことが、駆けつけた知人男性によって語られている。 

あべさんはこのことに関して、こう話す。
「なぜ、冷静に判断し、行動すべき事務所の人間が、素早い対応が出来なかったのか、それに疑問を感じます」
では押尾被告は、死亡した女性に関してどう思っているのか、あべさんは問いただした。
「当然、本当に申し訳ないという思いでいっぱいと話し、そして、彼女の遺族に謝罪に行きたいんですが、行くことを禁じられているので、行きたくてもいけないんです。許されるのであれば、すぐにでも駆けつけたいのですが・・・と、いっていました」 

次に、近所の女子大生をナンパしていたことと、銀座のゲイバーで大騒ぎしていたことについて、あべさんは押尾被告に報道されたことを聞いてみた。
「マスコミがずっと家の前で張り込んでいる今、外出するようなことは一切ないですと話していましたね」 

そして話題は最後の矢田亜希子との離婚に及んだ。
「あべさんは押尾被告に報道されたことを聞いてみた。は、今回こうなってしまって、離婚は仕方がないことですねといっていました。でもその後、寂しそうな表情を浮かべて、でも、りあむ(息子)は、本当にかわいくて、今、オレにそっくりなんです。でも、子供に会えないこの状況をつくってしまった自分がいけないからって・・・」 

押尾被告と4時間以上の時を過ごしたあべさんは帰途についた。
「食事が終わった後、押尾被告は、ベージュのエレキギターを自分の部屋から持ってきて、チューニングを始めました。ギターに触れているときの彼の表情は、とても落ち着いていました。私が帰るとき、押尾被告は玄関まで見送りにいて、今日はありがとうございましたといって深々とお辞儀をしていました」

会う前は裏切られた気持ちでいっぱいだったあべさん。
しかし、白髪が目立つやせ細った身体で、深く反省している様子の押尾被告を目の当たりにした今、思うことは・・・。
「ご両親と同様なのですが、とにかく今後が大事だということ。自分自身ですべてを受け止め、これからどう償っていけるか、それを見ていきたいという気持ちになりました」
果たして、今後、押尾被告は芸能界に復帰することが出来るのか。

矢田亜希子

人気ファッション誌JJで活躍するモデル・Nanamiと熱愛

複数の愛人がいたことも捜査関係者の取材などでわかっていましたが、その相手がだれなのかは不明でした。そして人気モデルが事情聴取を受けたとも報道されていましたが、これも不明でした。しかし、この疑惑の女性の正体がついに。

2009年11月頃、隠れるようにしながら、押尾学と並んで歩く女性の姿があった。
170CMの長身に胸元まであるロングヘア、猫顔系の美人だ。
ふたりは神奈川・横浜の臨港地区に建つ高級マンションに出入りしており、周辺住民達にも目撃されていた。 

「警視庁捜査一課は、特殊な復元ソフトを使い、押尾の携帯電話の中で意図的に削除されていたメールを復元したんです。その中には、薬物をやり取りしていたことをうかがわせるものもあったそうです」(捜査関係者)

復元されたメールなどを解析した結果、親しい関係にあった女性の存在が次々に発覚!その数は10人を超えるという。
懲りないというべきか、押尾は2009年8月31日の保釈後だけでなく、2009年11月2日に判決を受けて再逮捕となる間まで、反省の色が全く見えない生活をしていた。

「実家に帰るのはせいぜい週1~2回。すぐに知り合いの女性達と次々と会うようになりました。一時は携帯電話も3台を駆使して、女性によって使い分けていたという話もあります。こんな状況でも多くの女性が押尾を助けるんですから・・・何というかすごいですよね・・・」(押尾の知人) 

判決後に押尾が会いに向かった先は、京都のクラブのホステスAだった。
しかも押尾はAさんとの密会中に警察から事情聴取の要請の電話を受けたが、「九州にいるからいけません」と嘘をつくと、警察に届け出ていた携帯電話の電源を切り、事情聴取を拒否した。
警察関係者によれば、ふたりの関係に注目をしているという。
「Aさんは、押尾が再逮捕前に頻繁に連絡をとっていた女性のひとりです。押尾がAさんに会っているときに警察に嘘をついたこともあって、Aさんの自宅も家宅捜索され、何度も任意の事情聴取を受けていると聞いています」 

そして2009年12月7日に神奈川県・横浜で再逮捕された押尾。
逮捕現場となったのは、横浜の高級マンションである女性が賃貸契約を結んでいた。
押尾とこの女性はここ1年以上交際を続けていた女性とも言われている。
この女性とは一体誰なのか?
「人気モデルのNanamiです。押尾は彼女のことだけは、セフレじゃなくて特別な子!というように話していて、ここ1年ほど親密な関係が続いていたようです」(押尾の知人)

Nanamiはファッション雑誌「JJ」などの表紙を飾る人気モデルである。
「Nanamiさんは押尾の紹介でこのマンションに引っ越してきたそうです。彼女は横浜に住んでいたことがあって、この辺りで探していたそうです。マンションができたときから住んでいる人に聞いたんですが、押尾が矢田亜希子さんと結婚した直後に住んでいたのが、ここだとも聞きました」(マンション住民)
Nanamiがこのマンションに引っ越してきたのは2009年11月頃のことだった。
「押尾さんの判決がでて、すぐに引っ越しの準備に入ったようです。ただ、彼女は引っ越したと周囲にいっていませんでしたので、あのマンションは彼のためにNanami名義でかりあげたのかも知れませんね」(芸能関係者)
Nanamiの事務所に押尾との関係をたずねてみたが回答は得られなかった。 

そして2009年12月半ば、警察は京都の女ことAさんから事情を聞くため、東京まで呼び出していた。
Aさんを直撃すると、「彼とあったのは店で1度だけです」と押尾との関わりを否定していたが、質問を続けるとポツリとこう続けた。
「何度か会ったことはありますが・・・」
彼とは男女の関係だった?
「そんなんないです!」
そう強く否定するとこう続けた。
「とにかく、いまお話できません。これから東京の警察に行きますから。警察のことが終わるまでは何もしゃべってはいけないと言われてますし、店にも来ないで下さい。連絡もしないで!」
次から次へと出てくる女性達。

nanami

取り調べで泉田被告にはめられたと罪をなすりつける

覚醒剤の使用で逮捕され、今度は保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕された押尾学ですが、供述についてはいまだに二転三転していたようです。泉田被告にはめられたと思っているようです。押尾に裏切られたと思っている泉田被告は、次から次へと警察に真実を供述しているようで、無罪になっても芸能界復帰は絶望だと言われていますが・・・。

保護責任者遺棄致死罪で起訴され、2010年5月中ともいわれる初公判を待つ押尾学。
その押尾にMDMAを譲渡した知人の泉田勇介被告の初公判が2010年2月19日、東京地裁で開かれた。
そこで行われたのは両者の生々しいMDMAのやり取りだった。
2009年7月30日、押尾から「アミノ酸ある?最近まわりが夏のせいかアゲアゲだわ」とのメールを受けた泉田被告。
アミノ酸とはふたりの間でのMDMAの隠語で、泉田被告は同日に押尾に10錠譲り渡したという。 

さらに、その2日後には、田中さんと一緒にMDMAを飲んで性行為を楽しんでいると、田中さんの容体が急変すると泉田被告に相談。
救急車を呼ぶように促した泉田被告に「オレもだいぶMDMAを入れているから」と、適切な処置を執らなかったうえ、未使用分のMDMAを処分まで依頼されたことも明らかになった。

田中さんを救える可能生のあった3時間について、押尾は事件の隠蔽をはかっていたようだ。
「ぼく自身をいるかという意味。薬のことではない」と押尾が主張していた「来たらすぐいる?」という事件当日に田中さんに送ったメールについても、泉田被告はそれがMDMAを指す言葉だったと明かした。

泉田被告にメールについて「警察に聞かれたら、どういえばいいか」と相談した上で、押尾はこう切り出したという。
「オレ変態だから、自分が欲しいか、という意味だといえばいいかな。それしかないよね」
押尾を庇い、口裏合わせていた泉田被告。
2009年頃に押尾と出会い、毎日のように連絡を取り合っていた仲だったが、彼が次々と事実を暴露した背景は次の理由があった。 

「事件が発覚すると、押尾は周囲に泉田のせいでハメられたと愚痴をこぼし始めたんです。事件で動転した押尾の面倒をみていた彼はそれを知ってからというもの、裏切られたと思っていたようです」(泉田被告を知る人物)
拘留されてから2ヶ月が過ぎたが、いよいよ押尾が本格的に裁判で裁かれる日が近づいてきた。
押尾が裁判で真実を話す日は来るのか。

押尾学

裁判費用は1千万超え!パートの母は破産の危機

押尾学の裁判、当初は軽くても懲役6年はなるだろうと予想されていましたが、ふたを開けてみれば、懲役2年6ヶ月の執行猶予無しという、軽い判決がでました。押尾側とすれば、勝ったような裁判だったのですが、あくまで押尾は無罪を主張してたたかうようです。しかし、その背景には押尾を金銭面で助ける両親の苦しい生活状況もあったようです。

主文 被告に懲役2年6ヶ月に処する
押尾学に判決が言い渡された。
あまりにも軽すぎる量刑だった。
今回は芸能人初の裁判員制度を利用した裁判として注目を集めた。
「この裁判全体の印象を言えば、押尾劇場を演じ続けたといえますね。被告の態度も予想されたとおりでした。彼は俳優ですから、自分のシナリオがあったと思います。裁判員に自分はそんな悪い人間じゃないとか、身振り手振りを交えて訴えていましたから」(板倉名誉教授) 

今後、押尾はどうするのだろうか?
「控訴せず、刑が確定しますとだたちに刑務所に収監されます。控訴期間は判決から14日以内です。判決では執行猶予がつきませんでしたから、押尾は即日控訴しました。控訴審は、3ヶ月後ぐらいからはじまります」(板倉名誉教授)
今回の軽い量刑は、押尾側が控訴しなくても、検察側からさらなる重い刑を求めて控訴の手続きがとられる可能生もあった。
2009年10月に押尾側の証人として出廷した父親は、今回は出廷しなかった。
だが、いまだに息子の弁護士費用は年老いた両親が捻出しているのだという。 

「彼のお父さんは東京六本木にある高級レストランに勤めていました。2009年の出廷後にはお店に迷惑をかけるからといっていたので、今も同じ職場にいるかわかりません。だけど、彼が働かないと訴訟費用も工面出来ませんからね。母親も自宅近くでなれないパートに出ています」(押尾の知人)

有罪となった訴訟費用はすべて被告側の負担。
板倉教授によると、押尾の場合は、弁護士を4人つけている。
「最高裁まで含めると、費用は最大1千万円前後になるのではないでしょうか?担当弁護士も、この仕事にかかりきりならば相当の額を頂かないといけませんし」
さらに、亡くなった遺族側も、民事訴訟で賠償金を求めるようですし。
裁判が長引けば長引くほど、押尾の両親にしわ寄せがきていた。

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