押尾学の刑務所生活から現在まで!恋人Nanamiと獄中結婚報道も

元俳優の押尾学は4歳から8年間、米ロサンゼルスで過ごした。1998年にフジテレビ系ドラマ「愛、ときどき嘘」でデビュー。2002年には歌手デビュー。2009年8月に麻薬取締法違反で逮捕された。

押尾学

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全く反省していない!美女と銀座でデート

「夕方すぎ、押尾さんが女性とふたりでやってきたんです。派手な女性でなくて、清楚な感じの20代美女でした」(居合わせた客)
2010年9月、保護者責任遺棄などの罪で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けた押尾学。
判決の翌日には保釈となった。
「しかし彼は、いまだに遺族へ謝罪を一切していません。自宅にほとんどこもりっきりで、母親が慣れないパートにも出て必死に家計を支えている状態です。押尾の知人によると彼は今も反省している様子もないそうです。かなりヒマみたいで、知り合いの女の子に手当たり次第連絡を取ったり、新しい女の子と遊びたいなどともらしている」(芸能関係者) 

2011年3月月上旬、押尾は銀座で美女とデートを楽しんでいた。
目撃された見せはシルバーアクセサリーブランド・クロムハーツだった。
そして、ここは元妻との思い出の店でもあるのだ。
「お店での押尾さんは、知り合いのスタッフを見つけると久しぶり!と話し始め、女性も横で会話に聞き入っていましたよ。女性は一般の方みたいです。店内には、ほとんどお客さんはいなかったので、堂々としていました。この日は挨拶をしに来ただけで何も買っていませんでした」(居合わせた客) 

以前なら、俺様タイプだったのに、「お前になぐさめてほしい」「癒してほしいよ~」と甘えることも多くなったそうです。
弱い面も見せることで母性本能をくすぐろうとしているのでしょうが、そのテクニックがまた一級品のようです。
全く反省をしていない押尾学。彼の姿を遺族や両親はどう思っているのだろうか?

押尾学

裁判ドタキャン母親が出廷

母親に裁判費用を全額支払ってもらい、本人は反省もせずに遊び・・・。今度は裁判までドタキャンしたという。

「母親はパートをして家計を支えているのに、押尾本人はかなり暇みたいです。友人には、テレビのワイドショーばっかりみているから、沢尻エリカに詳しくなったと話していたそうです。反省の様子はまったくありません」(押尾の知人)
2011年3月22日に保護責任遺棄致死などの罪で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けていた押尾の控訴審が東京高裁で行われた。

ところが出廷したのはスーツ姿の母親だけで本人の姿はなかった。
当初は押尾も来る予定になっていたらしい。
裁判長がなぜ来ないの?と質問が飛ぶ。
すると母親は、
「ここで息子がまた出てくると、被害者のご両親への取材が再燃してご迷惑をかけるかも知れません。弁護士さんと話した結果来ないことにしました
しかし、押尾の本心について知人は
「実は内心では、彼は一番の判決を受け入れているんです。検察は6年を求刑していたのに、判決は2年6ヶ月でしたからね。本当は控訴しなくてもよかったのですが、さらに減刑されるならもうけもの。まぁやってみようかという気持ちだったみたいですよ。でもいざ控訴審になると新しく話すこともないし、もういいでしょと気変わりしたそうで、母親が行くことになったようです」

当然、控訴審は母親が押尾にかばって必死に情状を訴えていた。
押尾の母は涙ぐみながら決意を語っていた。
「二度とこういうことはしないと約束しています」
そして、弁護士から「被告人がもしまた薬物をやったら?」と聞かれると
「もう、親子の縁を切るしかないと思います」と涙ぐみながら決意を語っていた。
だが、別の知人はこう語る。
「母親は押尾のことをかなり甘やかしていますからね。押尾が何をしても、絶縁はありえないでしょう。押尾は、いまも女の子にメールを送りまくっていますよ」
まったく反省していなかったようだ。

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人気モデル・Nanamiと獄中結婚か

押尾学がMDMAを服用してホステスが死亡した事件が発覚し矢田亜希子と離婚。矢田は芸能界に復帰をしたものの、イメージが悪かったのでしょうか?今ではあまりテレビでみかけることがなくなりました。

一方の押尾は実刑判決が下り、ついに獄中生活が始まりました。しかし、押尾には恋人がいて、その恋人と獄中結婚をする可能性が高いという。ファッションモデルのNanamiという女性のようですが、この女性は所属事務所まで辞めて結婚をしようとしてるようです。

懲役2年6ヶ月の刑が確定し獄中生活が決まった押尾学。
しかし、そんな彼を見捨てることがなく支え続けるひとりの女性がいた。
2010年1月に交際が報じられた人気モデル・Nanamiだ。
中学時代からティーン誌でモデルとして活動してきた。 

Nanamiがモデル仲間から押尾を紹介されたのは2009年だった。
押尾と交際が始まったのは2009年春から。
当時、押尾はまだ矢田と婚姻中だったが、周囲には彼女は特別な子だと紹介して真剣交際をしていた。
その半年後に押尾は例の事件を起こす。
「彼女のショックは相当なものでしたよ。浮気どころか逮捕されましたからね。でもNanamiは、日本中から非難されている押尾さんをみて、彼の寂しさや弱さを知ってるのは私だけ、支えてあげなくてはと思ったんですね」(押尾の知人) 

押尾が2009年8月31日に釈放された。
同年12月に横浜で再逮捕される。
その逮捕された現場がNanami名義で借りていたマンションだった。
「ご両親もマネージャーも初めて押尾さんとの関係を知って問い詰めると、Nanamiちゃんは押尾との関係を否定したそうです。会ったこともないって・・・。だからみんなその時の言葉を信じていたんです」(Nanamiのモデル仲間)
しかし、いくら否定しても両親はごまかしきれなかった。
何度も押尾のことで口論となったが、Nanamiの意志は変わらない。 

そんな言い争いが続いていたが、ついにNanamiは家を出てしまった。
両親は連絡も取れなくなった。
なんとかスケジュールを調べ、2011年9月ファッションショーに出ることを突き止めた。
「両親はマネージャーと一緒に楽屋で待ち伏せしたんです。彼女はそこで押尾さんとの結婚を考えているとはっきり伝えてきました。両親も涙ながらに説得をしてましたが・・・。マネージャーや他のスタッフは、彼と一緒になるなら仕事ができなくなる。どっちをとるんだ?と迫りましたが、彼女の気持ちは変わりませんでした」(Nanamiの知人)
所属事務所を2011年末でNanamiは退社している。
彼女は神奈川県にあるファミリー向けマンション3LDKに住んでいる。
そこで押尾の帰りを待ち続けたようだ。

nanami

仲間に裏切られた!胃潰瘍にもなり白髪だけに

保護責任者遺棄と麻薬取締法違反の罪で懲役2年6月の実刑判決を受け、獄中結婚なども報じられたた押尾学。

「もうすぐ刑務所に収監されます。それが怖いとかいう気持ちはありません。もう失うものは全部失いましたからね・・・。ゼロ以下なのかもしれないけど、それはすべて受け入れます。受け入れるしか選択肢がありませんからね・・・。ただ、収監の手続きを待っているいま、精神的に辛いのは確かです。胃が痛いので病院でみてもらったら胃腸炎でした。逮捕された直後と同じような状態でした。点滴を打てば多少は治まるんですが、家からはあまり出られる状況じゃないです」 

刑務所で体験したことも、すべて自分の力にして、出て来たときは、ひとりの人間として復活したい。
出た後は、芸能界に戻るつもりはありません。
確かに芸能界では、いろいろ勉強させてもらい、いい思いも、悪い思いもあるけど、未練はありません。
過去には戻れないので、いまさら、何を言っても仕方ありませんが、事件当日に戻れたらと思う自分がいることは確かです。
田中さんの遺族に会って謝罪したい気持ちはずっとありますが、現在まで実現していません。 

マスコミは、「押尾は全く反省していない」と決めつけて、それが繰り返し報道されてきた。
それを見た一般人も同じように思ったのでしょう。
僕としては貫き通してきたことが、そういう誤解を与えたかもしれない。
自分がやったことは全て認めるけど、やってないことは認めたくないということだけです。
自分が犯した罪は認めてますし、反省してます。
でも、真実と違うことが法廷でまかり通っていくことは本当に許せなかった。
自分の声は全く無視をされ、ドラマのシーンのようにあっさりと裁かれてしまった。

これには、正直潰されそうな思いでした。
とくに留置所では、3畳一間で24時間電気がついている生活。
本を読むかひたすら自分と向き合うしかない。
目を閉じて、息子とプールで遊んだことや、ライブで歓声を浴びたときのことを思い出していました。
所内では、心が追い詰められて寝ることができなかったので医者から安定剤をもらったりしましたが、裁判で眠そうな顔もできないので、やめたら今度は頭が痛くなる・・・。
留置所の中では死ぬことばかり考えていました。
弁護士にノートを差し入れてもらい、真実を語ってくれない友達への恨みなんかを、ひたすら書いていました・・・。 

でも、2011年の夏くらいから、死ぬことがバカバカしいと思って、自分から死ぬことはやめようと思うようになりました。
いい思いも悪い思いも受け入れて、ここは耐えて生きていこうと考えるようになったんです。
以前、マスコミに育児放棄と書かれたことがありましたが、あり得ません。
子供は大好きだし、先輩の子供と遊んだりもしてます。
でもやっぱり自分の子供に一度でもいいから会いたい。
弁護士を通じて頼んだりしましたが、一度も会わせてもらえていません。
事件以降は一度も直接連絡を取れてません。(この後は息子への会いたい思いなどが綴られています。省略) 

今は髪の毛を真っ黒に染めてますが、落とすと真っ白になるんです。
逮捕されてから一気に白髪だらけになってしまって・・・。
そして、通っていた美容院は事件後に一切拒否されました。
美容院だけではなく、レストランや洋服などのショップまでね。
その豹変ぶりは凄かったですね。
このように、押尾は逮捕されたことによって、かなりのストレス?で胃を壊し、髪の毛も白髪だらけになり、死を考えるほど追い詰められたようです。

押尾学

Nanamiとは友達!芸能界には戻らない

事件後は一気に知り合いが減った押尾学。しかし、手を差し伸べる友人もいた。
ボクシングをしている先輩からは、ジムに来いと誘ってもらい、スパーリングなどを教えてもらいました。
体を動かしてる時は、全てを忘れることができる。
そうやって前と変わらず、支えてくれる友人や先輩、後輩などの仲間は、芸能人じゃなく押尾学と付き合ってくれています。
そして、一緒に生活をしている両親にも感謝をしています。
親戚からは非難され、断絶されたりしているけど、なんら変わらず、僕を見守ってくれた。 

そんな両親だからこそ、マスコミが父のことを書いたり、母が洗濯物を干す姿を掲載したりすると腹立つんです。
当時、頭にきたのは、モデルと獄中結婚っていう記事です。
「なんでわざわざ、獄中で結婚しないといけないんですかね。結婚するなら、普通は獄中に入る前にするでしょ。確かに彼女は友人だけど、恋人とかそんな関係じゃありません。」
こんなことを言うから、押尾は生意気だ、全然反省してないと言われるかもしれないけど、このまま押しつぶされてたまるか、という怒りが生きる力になってるのは確かです。 

自分はアメリカから帰国した中学の時から、言いたいことを言ってきたので勘違いされることがよくありました。
俳優としてデビューしたのが20歳で事件を起こしたのが31歳。
デビューした頃は生意気でしたね。
元々10代の時に、米軍基地でバンドをやっていました。
そこの活動がきっかけになって、音楽デビューの話になったんですけど、せっかくなら僕の美学や思いとかを盛り込みたいじゃないですか。
こんなのは違う!なんで英語じゃだめなんだよ!と、デモテープを何本作っても納得できなくて、ドラマデビューよりも1年半も遅れたんです。
本当は、芸能界では音楽でいきたかったんですが、俳優の方が目がでるのが早いからというのが事務所の方針でした。
それでドラマを頑張って、1年後にドラマの主役をとれました。
あの頃は、多忙だったけど楽しかったですね。
夜はレコーディングをし、朝からドラマの撮影をしての繰り返しだったけど楽しかった。
ライブで地方を回るのも楽しかったです。 

「逮捕されてからこの3年間は、自分と向き合う時間があったから、ずいぶんと曲も書き溜めました。音楽をやりたい気持ちは今もありますが、もうやらないでしょうね・・・。」
自分なりに覚悟を決めているので、収監に向けた準備を始めています。
歯医者や病院にいったりしてます。
いまはほとんど家の中でこもりっきりです。
出所後は、芸能界には戻らないでの、新しいことを始めたいと思ってます。
24歳くらいから考えてるビジネスがあるんです。
その夢は、時間もお金も必要だけど、勉強をして絶対にこれは成し遂げたいと思ってます。
出所後は人間として成長していたいし、周囲からもすごいと認められる人間になりたいですね。
そして、息子が会いたい、僕に会いたいと思わせる男になりたいと思います。 

nanam

別れの手紙!収容1時間前

2012年3月29日に東京拘置所に収容されました。最長で3年半ほど服役することになるようです。東京拘置所に向かう姿が掲載されてましたが、結婚相手と報じられたNanamiの姿はありませんでした。

2012年3月上旬に、週刊誌がインタビューを行ってから3週間。
黒く染めていた髪は金色に染められていた。
当時よりやや太ったように思える。
「釈放後も、ずっと自宅に閉じこもりきりで、自ら命を断つ思いは捨てきれませんでした。その手前まで実際に行動したことも何度もありました」 

出頭を1時間半後に控えた、押尾は都内のある事務所にいた。
別れを惜しむ友人たちが集まり、彼を囲んで昼飯をとっていたのだ。
友人らを前に押尾は努めて明るく振る舞おうとしているように見えた。
食事が終わって、押尾に収監前のメッセージを依頼すると、彼は黙ってボールペンを握った。
紙に向かい、少し書き始めては止まるペン。
メッセージを書き終えると、小さく息を吐いた。
これが、最後のメッセージ
「今から、僕はすべてを受け入れて検察庁へ向かいます。あの事件以来、僕の人生は地獄の底まで落ちました。それでも、ずっとそばにいてくれた家族や友人たちには本当に感謝しています。これから3年6ヶ月、自分を見つめ直し、そして人間として成長し、お世話になった方に恩返しできればと思います」 

そして、時間は刻々と過ぎてゆく。
45分前にワゴン車に乗り込み高等検察庁へ向かう。
「刑務所の中からも、手紙を出せるんだよね・・・」
隣の友人へ、そうつぶやくように語った押尾。
そして、官庁街に差し掛かると、押尾の表情が少し強ばる。
「検察庁の正面から、正々堂々と入りたい」
実はこの直前まで押尾はそう主張していた。
しかし、門の前には、報道陣が大挙して詰めかけている。
トラブルを懸念する周囲の説得で別の入り口から入っていった。
車から降りた彼は振り向くこともなく右手をあげて、行ってきますとでもいうように入っていった。

押尾学

押尾学が独房から心境を語る

薬物事件で懲役2年6月の実刑判決を受け2013年5月、服役中だった押尾学。刑務所へ入ることを嫌がって、ノイローゼ気味になっていましたが、最後は腹を決めて出頭をしていきました。2012年3月29日、東京高検に出頭し、東京拘置所に収監。服役期間は最長で3年6か月になる見通しだという。独房に入ってから約400日が経過しようとしていた。

2013年5月6日、押尾は刑務所の独房で35歳の誕生日を迎えた。
収監されてから1年が経過し、押尾に取材を申し込んでから1ヶ月半。
押尾から手紙が送られてきた。
質問は全部で20したそうです。

刑務所での1日のスケジュールは?
4時半起床、5時工場で作業開始、18時過ぎに作業終了。
その後入浴し、18時50分くらいに部屋に戻り20時55分まで自分一人の時間。
1日がとても早く感じます。

独房の様子は?
部屋の面積は5.7㎡で独房。
ものすごく古い部屋。
トイレが長方形の木のトイレですごく臭い・・・。
畳もボロボロで虫がいっぱい。

かなり汚いことがわかる。
さらに独房は冷暖房がない。
夏の暑さ、冬の寒さは耐えるしか方法がない。

刑務所での作業は?
体力、気力が一番過酷と言われている炊場工場です。

炊場工場とは、受刑者の食事を作るところだ。
午前5時から朝食作りがはじまり、土日も休みはないという。
(交代制で休みはあり)

刑務所での過ごし方は?
余暇時間は考え事をしたり、ノートにいろいろ書き込んだり、本を読んだり、テレビを見たりしています。

休日は、職業訓練や通信教育も始めたので、それらの勉強もしています。
出所後は、もう芸能界に戻らないので、新しいことを始めたいと収監前に明かしていた押尾だが、しっかり勉強をしているようだ。

芸能人だということで、不当な扱いなどは?
どうでしょう、いろいろな人がいますからね。

他の受刑者との交流は?
普通の日常会話をしています。
いろいろな面白い話を皆さんがしてくれるので、ある意味勉強になります。

現在の体調は?
公式ブログには、身長184センチ、体重78キロと書かれていた。
現在は体重70.4キロだそうです。

5歳になった子供への思いは?
息子への思いは無限です。
一緒にスポーツをしたり、遊んだり、世の中のことをきちんと教えたい。
教育は大事だけど、教育がすべてではなく、幅広い要因で人生を左右すると教えたい。

週間前、息子が会いたいと思うような男になりたいと語っていた押尾だが、子供への募る思いは今もかわっていなかった。

収監生活で一番辛かったことは?
自由を奪われ、懲らしめられながら毎日粗探しをされること。
息子のそばにいれないこと。
押尾は、あと2年以上も牢獄生活が続く・・・。

出所したら、まず何をしたいですか?
数年間、深い闇の中に沈み込んでしまったから、静かな所で光りに当たりたい。
出所したら、しっかりと次の人生を生きていきます。

事件について思うことはありますか?
いろいろな人に思うことや言いたいことは、いっぱいあります。
だけど、いまは何も言いません。

有名人だからといって作業所での優遇はないようですね。
独房なのは有名人なのでしょうがないようですが。
ホリエモンは、介護が必要な人の入浴などを手伝う作業をしていると言ってましたね。
この作業もかなりの重労働のようです。

その後、2014年12月に仮釈放となり出所。2016年1月に東京都渋谷で行われたライブにLIVのメンバーとして出演。同年7月には大阪市内でトークライブを開催しています。

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