大塚範一アナは急性リンパ性白血病で闘病中!番組復帰も再発

フリーアナウンサーの大塚範一は1973年にNHKへ入局。高松、広島、名古屋の各放送局を経て、1984年から東京アナウンス室勤務。高校野球や大リーグ、NBAなどのスポーツ中継を中心に担当。1994年にNHKを退局。同年4月からフジテレビ系「めざましテレビ」のキャスターに。2011年11月に急性リンパ性白血病と診断され同番組を降板し治療に専念しています。

大塚範一

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大塚範一アナが急性リンパ性白血病で番組降板!闘病中に母が死去

2011年11月、めざましテレビの看板アナである大塚範一アナが急性リンパ性白血病で緊急入院しました。その後、抗がん剤投与による治療専念することが発表されました。それからしばらくして2012年3月、めざましテレビの卒業がフジテレビから発表。そして最愛の母は闘病生活中に亡くなり、葬式にもでれなかったようです。

「2011年11月突然お休みを頂いてから4ヶ月。復帰を目指して治療を続けてきましたが、今しばらく時間がかかることが明らかになり、この決定に至りました」
2012年2月28日、急性リンパ性白血病で抗がん剤治療を続けている大塚範一アナのめざましテレビ卒業を発表した。 

現在の病状はどうなっているのか?
「抗がん剤の副作用が強くて、髪も眉毛も抜けて、顔はむくみがすごくて、ぱんぱんに腫れている状態のようです」(テレビ局関係者)
2012年2月25日、高島彩の結婚披露宴では、事前に電話でおめでとうと伝えるにとどまった。
ビデオレターはおろか、手紙に文字を続くこともできないほどの副作用に苦しんでいるようだ。
そんな大塚アナにさらなる悲劇が・・・。
2012年2月初旬に94歳になる母が亡くなった。 

いまから18年前、当時NHKのアナだった大塚アナは、めざましテレビのキャスターに抜擢される。
そして悩んだ末、21年務めたNHKを退職し、45歳の時にめざましテレビのキャスターになる。
早朝の放送のため、3時起きとなった大塚さんを起こすのが、毎日の母の日課だった。
「母は、朝きちんと起きて、ちゃんとご飯の支度をしてから、範ちゃんを送り出していました。弟がもう起こさないでいいから。寝てていいからといっても、起こし続けたそうです」(2番目の姉) 
さらに、母は家事、選択など大塚の身の回りの世話をすべてしていた。 
そんな辛い生活でも母は幸せだったという。
「ある日、母は私は幸せだったっていうんです。母はそういうことを言わない人なんでびっくりしました。毎朝、テレビに出ている範ちゃんが、母の誇りだった。弟はテレビに出続けることが母への親孝行なんだと思っていたんでしょう」(姉)
そんな母も2000年頃から、認知症を患うようになってしまった。
夜には徘徊するようになった。
それでも大塚さんは母の面倒を見続けようとしたが、仕事との両立はできなかった。
そのため、京都に住む姉が母を引き取ることになる。 

そして自身が入院中に姉から母の死を聞く。
「母のことを伝えると、声もなく泣いていました。親ですからね、自分の病気のこともあるし、情けなかったんでしょう」
息子として何もできぬ自分を責める後悔の涙。
体調はかなり悪く、通夜と葬式の出席もかなわなかった。
姉が続ける。
「詳しい病状は聞いていないし、聞かないようにしています。お医者様にお任せしているだけで・・・。10日周期で抗がん剤を打たないといけないと聞いています。抗がん剤を打つと、吐き気が相当苦しいようです。体調も良いときと悪いときが繰り返しあって・・・。回復にはまだまだ時間がかかると思います」
大塚アナは抗がん剤治療の副作用にかなり苦しんでいるようです。

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めざましテレビ復帰向け白血病奇跡の回復

性リンパ性白血病になり、11ヶ月に及ぶ入院生活をし無事に退院。久しぶりに公の場に姿を現した大塚アナは、顔色もあまりよくなく、毛が全て抜け落ち、薬の影響でしょうか?顔がむくんでいました。そんな大塚アナは、2013年春にめざましテレビ復帰を目標にしていたようです。

「帽子を被って散歩している大塚さんの姿を見かけることはありますよ。復帰に向けて体力作りをしているようですね」(近所の住民)
2012年10月1日、無事退院をした大塚範一アナ。
2011年11月に急性リンパ性白血病のため入院してから1年。
テレビ復帰に向けて着々と動き始めていた。

2012年2月には、最愛の母が94歳で死去。
また3月には、18年間務めためざましテレビを卒業。
闘病生活は試練続きだった。
「入院直後から、抗がん剤を使った化学療法をはじめました。この時期は、副作用で吐き気と目まいがして起きれなくなり、ただ寝て1日が過ぎる日が続きました。母の死にも相当ショックを受けていました。訃報を聞いた大塚さんは、人目を気にせずに泣いていました。さらに2012年8月には退院する予定でしたが、後1ヶ月になった時に、感染症や合併症を併発し、2ヶ月間は命を失いかねない危険な状況でした。大塚さんは、よく助かったなというのが実感ですと言っていました」(フジ社員)

闘病生活の時、大塚アナを励ましてくれていたのが、めざましファミリーだった。
退院後、久々にスタッフたちを食事に誘った大塚アナだが、自身の容姿の変貌の変化を気にしていたという。
「抗がん剤の影響で、頭髪がほとんどありませんでした。そして顔が少し丸くなっていました。大塚さんに、少し太りましたか?と聞いたら、体重は減っているんだけど、顔だけが丸くなったと笑っていました」

そんな大塚アナが一番気にしていたのが、高島彩アナのことだ。
5歳の時、父を亡くした高島アナは大塚アナのことを父のように慕ってきた。
「大塚さんを一番励ましていたのは、アヤパンでした。メールを送ったのも、彼女が一番多かったのではないでしょうか。また大塚さんも彼女のことを可愛がっていましたよ。2011年10月にゆずの北川さんと結婚した際も、自分のように喜んでいましたから」(フジ社員)

そして、最近になって大塚アナは、高島アナとの涙の再会をしたという。
「大塚さんが退院して一番に会いに行ったのも、高島アナだったようです。大塚さんが鹿児島の霧島温泉旅行から帰ってきた数日後の10月下旬には、高島アナと北川さんとふたりに会ったようです。それで催促された結婚祝いを手渡したみたいですよ」(制作スタッフ)

大塚アナは、病院を退院したが、病気は完治してるわけではない。
それでも大塚アナは諦めることはない。
「大塚さんは、みんなの支えがあったからここまでこれた。感謝してもしきれないくらい。その恩返しをしなければと言っています。強い意志を持って2013年春に復帰を目指していますよ」(フジ社員)
一旦卒業しためざましテレビをまた復帰するために頑張っているようです。

大塚範一

大塚範一アナがめざましテレビの復帰を断っていた

急性の白血病になり、治療のため、めざましテレビを卒業という形で辞めました。そして治療に専念し、目標は完治をしてのめざましテレビ復帰だったのですが、なんと復帰のオファーを断っていたそうです。あれだけ復帰をすることを待ち望んでいたのになぜ?

「不思議な気分ですね。もともとは自分の番組という気持ちが強いので、ゲストに来るのは違和感があるんですけど」
急性リンパ性白血病で治療していた大塚アナが2013年2月4日朝、1年3ヶ月ぶりにめざましテレビに生出演した。

そして4月から仕事復帰することを発表した。
しかし、めざましテレビではなく、知りたがりの後継となる生の情報番組「アゲるテレビ」のメインキャスターだった。
「2012年秋に退院の見通した立った頃から復帰番組を模索していく中で、当然、めざまし復帰の話も出たんですが、それはダメと大塚さん本人の意向があったそうです」(テレビ局関係者)

なぜ、めざましでの復帰を断ったのだろうか?
こんな事情があったそうだ。
「治療の必要はなくなったものの、完全に完治したわけではないという状態なので、再発の可能性もあるんです。以前みたいに元気ですが、早朝番組のレギュラーとなると体に相当負担がかかりますからね」(番組関係者)

体調的に大きかったのが、仲間たちへの配慮だった。
「自分が突然の病気で休養して迷惑かけて、その後スタッフやアナが力を合わせて、やっと新しいめざましファミリーができあがった。復帰したからといって、そこに入っていくのはあまりにも自己中で申し訳ないと言っていました」(同上)

そんな事情の中で、復帰するにあたって譲れない希望が情報番組だった。
「闘病中の非常につらい時期を乗り越えられたのは、多くの視聴者からのメッセージだったそうです。だからキャスターとして恩返しをしたいと考えているようです。誰よりも自分の活躍を楽しみにしていた母の死に目に会えなかったことも大きかったようです。この仕事を続けていくことで母への孝行になるとおもっているのでしょう」(同上)

大塚範一

白血病再発で骨髄移植手術は年齢的に難しい

白血病を完治させ見事に復帰し、さらに4月からキャスターとして新番組を担当する予定だったのに・・・。退院後、5ヶ月という早さで白血病を再発させてしまった大塚範一アナ。

2013年3月15日、大塚さんは都内の有名寿司店を訪れていた。
この店は行きつけで、高島彩や軽部真一らも連れて行くことも多い。
長年の付き合いの店主とは気が置けない仲だ。

この日の大塚さんは少し元気がなかった。
話をしていてもどこか上の空で、笑顔はひきつっていた。
まぐろ、うに、穴子と3貫つまんだだけで、ビールはグラスに1杯、後はお茶に替えた。
そんな大塚さんを店主や常連客は心配そうに見つめていた。

そして翌16日に、急性リンパ性白血病を再発し、再入院することがフジテレビから発表された。
1ヶ月前の2013年2月4日には、めざましテレビに出演し、元気な姿を見せていたのだが・・・。

この病気は、血液のがんで一度治っても再発するケースが多く、生存率は25-40%と決して高くない。
芸能界では、カンニングの中島忠幸さんも2004年12月にこの病気と診断された。
1年半後にさい帯血移植を受けて成功したが、ほどなくして再発。
診断後からわずか2年後の2006年12月に亡くなっている。

大塚さんも一度は退院をしたが、病院側は退院にはあまり積極的ではなかった。
「再発しやすい病気ですし、病院街では感染症の危険もありますから。病院としてはできるだけ退院させたくなかったそうです。ですが、退院が延期になって落ち込んでいる大塚さんを見て、そのストレスが快復の妨げになっているのではないかと判断して退院を決めたそうです」(医療関係者)

生きる活力を見い出すという目標もあったが、彼には働かないといけない理由があったのだ。
「入院費が思ってた以上にかかったんです。これからの治療費も必要ですし、休み続けているわけにはいかなかった」(フジテレビ関係者)
(フジからは治療費はでていなかったのでしょうか?)

九州大学医学部教授は、大塚さんの再発について次のように語る。
「退院して5ヶ月で再発は早いですね。復帰番組ということで、大塚さんには、相当なプレッシャーがあったんだと思います。それがストレスとなり負担をかけ、再発を早めた可能性は否定できません」

大塚さんは再発の診断を受けると、すぐにフジに結果を使えたが、ショックのあまり声が震えて上手くしゃべれなかったそうだ。
ショックと悔しさを抱え、大塚さんは冒頭の寿司店に足を運んだ。
そして、帰り際に店主に声をかけ、他の客に聞かれないようにこう話したという。
「実は病気が再発しちゃって・・・。参ったよ・・・。いろんな人に迷惑をかけちゃった・・・」
そして、今にも泣き出しそうな声でこう言った。
「また入院するから、しばらく来れないかも知れないけど、調子がよくなったら、すぐ来るから・・・」

無理をしすぎての再発してしまったようです・・・。

大塚範一

大塚範一アナの現在は!激やせで杖をつかないと1人で歩けない

完治するにはとても厳しい状況だったようですが、あれから1年後の2014年、大塚アナの現状は。 

2014年3月初旬の午後、ウォーキングをしている大塚アナの姿があった。
大塚アナは、11年11月に白血病が発覚し、抗がん剤治療を経て1度は退院し、テレビでの仕事も内定していたが、2013年春に再発し、入退院を繰り返していた。

そして、散歩中の大塚アナの容姿は、以前と比べてかなり痩せている。
歩行するのには杖をついている。
「大塚さんは2013年10月のめざましテレビ特番に電話で出演しましたが、姿を見せることはしませんでした。その時は投薬治療の副作用などもあって顔が丸くなり、髪の毛も薄くなっていて、明るく元気な大塚さんのイメージとはかけはなれていたので、テレビの前に立つことは見合わせたそうです」(フジテレビ関係者)

大塚アナは、可愛がっていた高島彩と北川悠仁の結婚式に出ると約束をしていたようだが出席することができなかった。
そのことで、自分を奮い立たせるためにウォーキングを開始したそうです。

そして散歩中の大塚アナに週刊誌が直撃。
記者:復帰の時期はいつですか?
大塚アナ:お答えすることはできません。現在療養中なので。そうじゃなかったらどんどんテレビに出ていますよ。僕も普通の状態じゃないので・・・。これで失礼します。

「テレビ復帰のメドが立たないことに、大塚さんが焦りを感じていてもおかしくないでしょう。4月からのレギュラー番組も、特番の出演も今のところありませんからね」(フジテレビ関係者)

大塚アナは激やせをしているというのは、薬の副作用の時と比べると激やせですが、健康だった頃の比べると老衰したような感じになっていました。
一時期より、状態は良くなっているのではないでしょうか?
大変でしょうが、頑張って復帰をしてほしいですね。

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