さだまさしは映画監督業で借金35億を背負い破産危機も返済

シンガーソングライターのさだまさしは、1972年にフォークデュオ「グレープ」を結成。1973年にシングル「雪の朝」でメジャーデビュー。同年リリースのシングル「精霊流し」が大ヒット。1976年からソロ活動をスタート。1979年にはシングル「関白宣言」をリリースし大ヒット。1982年にドラマ「北の国から」の音楽を担当。息子はヴァイオリニストの佐田大陸、娘はピアニストの佐田詠夢。

さだまさし

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さだまさしが40年の歌手人生を振り返る

さだまさしは、国民的にも有名な歌手です。名曲も「関白宣言」「親父の一番長い日」「雨やどり」などがあります。もう歌手生活40年の大ベテランですが、当初は歌手になる予定はなかったそうです。さらに、映画監督業で興行的には成功したものの、個人で35億円を超える借金を背負ったそうです。

「2013年7月12日のコンサートが前人未到の4000回に達し、2013年10月25日でデビュー40周年になりました。僕は22歳でミリオンヒットを作っていただいたこともあり、早咲きだと思っていたんですが、ところが60歳を過ぎてもコンサートにたくさんの人が来て下さることはありがたいことです。デビューしてしばらくは、若造というだけで普通に言う言葉も伝わらなかったり、売れたことで嫉妬されたり、誤解されたり、悪口もたくさん言われました。でもスタンスを貫けば、必ず受け入れられる時が来ると信じてずっとやってきました。軸足がぶれないことで徐々に僕を信用して下さる方が増えてきたんだと思う。だから僕は早咲きではなく遅咲きです」

さだまさし

40年の歌手生活を振り返り、四字熟語で現すと、「空前絶後」。
「もう一度やれ」と言われたら断ります。
二度とやりたくないし、それだけしんどかったです。

例えば、会って話して「さだは暗い」と言われる分には、まぁしょうがないと思うけど、会ったこともない人に、「さだの歌は暗い」と言われると、「暗くない歌もありますよ」と言いたくなるし、暗いという言葉が単純に、好きか、嫌いかの言い訳にされていた時代がありました。

思うに、暗いというのはエネルギーが充満している状態で、それがバーンとはじける状況が明るいなんです。
だから、弾けている最中に何かが生まれるってことは絶対にありえない。
暗さのなかでしかものは作れないし、ものを作っている時は暗いです。

話したこともない人間に悪口を言われてまで歌う理由はないと思っています。
「今でも歌うのはあまり好きじゃありません。もともと僕は歌手を目指していたわけではないので、デビュー当時から芸能界に対する執着心はありませんでした」

僕は3歳からバイオリンを始めて、クラシックのバイオリンを弾きたかった。
その夢がだめになり、でも何らかの形で音楽にかかわって行きたい。
そこで歌謡曲のメロディなら自分にも書けるのでは?と思い上がって作曲歌になりたいと。
そう思って曲を作ったけど、誰も歌ってくれない・・・。
ならば、自分で歌うしかないということで歌手になったんです。

当時、NHKの歌番組にはオーディションに通らないと出れませんでした。
落ちる人間はほとんどいませんでしたが、僕は歌が下手なので落ちました。
さらにあがり性なんです。
コンサートでよく話すのは、あがっているのをごまかすためです。
それが今では技になっている。

そんな僕が40年間歌手を続けられてきたのには理由があります。
その一つが負債です。
多額の借金を背負い、それを返済するのに30年かかりましたけど、その間は何があっても歌手を辞めるわけにはいかなかったんです。

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1981年、28歳の時にさだまさしは、中国大陸を流れる揚子江を舞台にしたドキュメンタリー映画・長江を製作した。
映画は興行的には成功したが、それ以上に諸経費がかさみ、総計28億円、金利などを入れると35億円近い負債を背負ってしまった。
中国で映画を撮影したのは、祖父が中国大陸からシベリアを股にかけて活躍したスパイでした。
祖母は若い頃シベリアに渡って、砂金で大金を得て、その後、ウラジオストクで大きな料亭(松鶴桜)を経営していました。
そこに官憲に追われた祖父が逃げ込んできて、ずっとかくまっているうちに生まれたのが僕の親父なんです。
そういう経緯があり、中国大陸には憧れがありました。

最初は2億円もあればできるだろうと踏んで、手持ちの2億円で撮り始めたんですが、終わってみれば30億円近くかかってしまって・・・。
金利を入れて35億円を個人で背負ってしまいました。
苦しかったのは返済でした。
会社を維持し、社員に給料を払い、なおかつ税金も払いながらの返済です。
普通に仕事をしているだけでは、返済できなかったので、神出鬼没コンサートを銘打って、地方の小さな町でもコンサートをやりました。

返済の過程で2度不渡りを出したことがありました。
半年に2度不渡りを出すと銀行から取引停止になるんですけど、僕の場合は数年おいてだったので会社は潰れませんでした。
そして、このまま返していけば返せるんじゃないかと思い、それがモチベーションになりました。

借金を返済する過程で感じたり学んだりすることがありました。
ひとつは、人の情です。
銀行の担当者をはじめ大勢の人が僕を助けてくれた。
人間関係に恵まれていました。
それと、最後の最後までわからない。
だから、諦めてはいけないということも学びました。

今あるのもファンの方の強い支えがあるから続けられているそうです。
これからについては、さだまさしという名おり、後世に歌い継がれる歌を残していきたいという思いが強くあります。
名前はいつかは忘れられるものですが、歌い継がれていく歌ってのはすごいと思います。
歌というのは本来そういうものだと思うんですと、これまでの思い出を語っています。

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