佐藤浩市は三國連太郎と確執も!前妻と離婚後に息子に会えず

俳優の佐藤浩市は1980年、NHKドラマ「続・続事件」でデビュー。1981年の映画「青春の門」でブルーリボン賞新人賞。1994年の映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞。2000年の映画「ホワイトアウト」では日本アカデミー賞最優秀助演男優賞。
父は、2013年4月に亡くなった俳優の三國連太郎。幼少時代、父が家出し母に育てられたため、三國との間に確執があったそうです。

佐藤浩市

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佐藤浩市の父は老人ホーム!母は認知症で自宅介護の苦しい生活だった

一昔前なら長生きは美徳とされてきましたが、現在は長生きは社会問題にまで発展するくらいデメリットな話ばかりが・・・。
最近、芸能人も両親をする介護の話題になることが増えましたが、佐藤浩市の両親も高齢者で介護で大変な思いをしていたそうです。

都心から電車で1時間、緑に囲まれ高台に建つ老人ホーム。
ここは介護員100名以上が従事してるだけでなく、24時間の医療体制が組まれており、食事からリハビリまで不安なく過ごすことができるのだ。
高齢者にとってここは、終の棲家(うちのすみか)にするには最高の環境といえる。
この老人ホームで三國連太郎が暮らしていた。

三國は2012年に入ってから、以前より背骨の状態が悪くなり、寝返りも打てないほどになって、一時寝たきりになったという。
妻だけでは面倒が見れないと思い、息子の進言もあり、この老人ホームへの入居を決めたという。
しかし、問題はこれだけでは終わらなかった。

三國は4度結婚をしており、佐藤の実母・A子さんは、彼の3番目の妻にあたる。
しかし、プレイボーイだった三國は、多くの女性と浮き名を流し、家に戻らない日が続き、1972年、ついにふたりは離婚する。
この時、佐藤はまだ小学校6年生で心には大きなショックを受けただろう。
以後、佐藤はA子さんとふたりで暮らすことになる。

三國連太郎

A子さんは離婚後、スナック経営を始めた。
そして佐藤が中学に上がると、その母を手伝う男性Bさんが現れる。
よっちゃんと呼ばれた彼は内縁の夫として一緒に暮らすようになる。
いきなり見知らぬ男が家に転がりこんできた。
思春期だった佐藤には実に耐えられない出来事だっただろう。
「この家に自分の居場所がないと思った佐藤は、高校2年の時に家を飛び出したんです」(佐藤の知人)
そして、以後30年にわたって、母子関係は断絶状態となってしまった。

1980年の俳優デビューした佐藤だが、当初は売れなかったので苦しい生活をしていたようだ。
その頃、母もスナック経営が傾き苦しい生活を送っていた。
「そのことを人づてに聞いた佐藤さんは、まだ役者になりたてで収入がそれほどないにもかかわらず、事務所から借金をして母に仕送りをしたんです」(別の知人)
自分を捨てた母だったが、見て見ぬふりはできなかったのだろう。
そんな佐藤も25歳の時にモデルの女性と結婚し、1児を授かったが、3年で離婚してしまう。
そして1993年、現在の妻C子さんと再婚し、男の子も生まれ、現在も幸せな家庭を送っている。

佐藤と母の関係に転機が訪れた。
A子さんは2008年に脳梗塞で倒れ、都内の病院に入院。
さらに12月には、内縁の夫Bさんも他界する。
内縁の夫を失い、独り身となってしまった母。
しかも、脳梗塞の後遺症から認知症を患い、その症状は急速に進んでいった。
この病が30年断絶状態だった母子関係の雪解けのきっかけになった。

そうして、2008年の年末に佐藤は母を病院から退院させ、自宅に引き取った。
「もうお母さんは自分で歩くこともできす、佐藤さんの顔さえわからない状態だったんです。そんなお母さんを食事から排便まで全部、佐藤さんの奥さんが付きっきりで介護していました。心底できた奥さんだと思います」(別の知人)

佐藤夫婦は、自宅の介護に加え、定期的にリハビリにもつれて行ったのだが、母の病状はよくなることはなく悪化していった。
ついには、昼と夜の認識もできなくなり、24時間介護が必要な状態になってしまった。
C子さんは、それでも自分の睡眠時間を削って献身的に介護を続けた。
しかし、その体力も限界になり倒れてしまったのだ。

パーキンソン病で父の看病をしてきた高島礼子もかつて介護で次のように話をしている。
「最初は、何が何でも自分たちでと必死に頑張っていました。でも、結局、父も私たちもみんなつかれちゃんうんです。ストレスをためることになって、本来病気の本人こそがつらいのに、自分達が一番大変となってしまう最悪のパターンになっていたことがありました」
佐藤夫婦もこれと同じ経験だ。
妻が介護をして倒れたことで、佐藤の父である三國を支える34歳年下のD子さんに、父を老人ホームに入居させることを提案したそうです。

介護は他人が想像しているより、かなり大変ですね。難しい問題ですね。

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佐藤浩市の前妻との間にできた息子と離婚後一度も会っていない

佐藤浩市の父・三國連太郎さんが90歳で亡くなりました。佐藤は連太郎さんの3人目の妻との間にできた子供です。3人目の妻と離婚してから、俳優になるまで父とは会えなかったそうです。会えなかった時の溝が最後まであったようですが。そして、佐藤が前妻の息子に同じようなことになっていたと2013年5月に報じられました。

2013年4月14日、佐藤浩市の父・三國連太郎さんが亡くなった。
息子の佐藤はどんなお父さんだったのか報道陣に聞かれてこう語った。
「ひろいよ、そりゃ。ぼくと彼の間に介在したのは、役者という言葉だけなので、その中で語ることはできるけど、ただ単純に父親像という世間一般の方にわかるように説明してくれと言われても無理です」

佐藤が最後まで恨み節を語った背景には、21年に渡って抱き続けた父への愛情渦巻く重いがあったようだ。
生涯4度の結婚をしている三國さん。
佐藤は1957年に結婚した3人目の妻であるA子さんとの間の長男として1960年に生まれる。
しかし、当時すでに人気俳優だった三國さんとA子さんの幸せな家庭生活は、ほどなくして破綻。
三國さんは、プレイボーイで家に帰らない日々が続く。
1972年に離婚をした。
そして、佐藤が小学校6年の時に離婚をする。
その際、こんな言葉を言い放った。
「ここでお前と別れる。今日から他人になる。一切関係を断つ。これからひとりで一生懸命生きてくれ」

棄てられた佐藤は母とふたりで生活することになる。
佐藤が中学生になった頃、母に内縁の夫ができ、居場所がなくなる。
そして高校2年の時に家を飛び出す。
喫茶店でアルバイトをしながら1人暮らしを続けた佐藤は、1980年に役者の道に進む。
しかし、役者になってからも父への複雑な思いは増すばかりだった。
ちなみに1996年、映画・美味しんぼで父と共演している。

佐藤浩市

佐藤は、若き日の自分と同じように父からの愛情を与えられずに育った息子・Bさんがいる。
佐藤は1985年7月に24歳の時に元モデルの前妻C子さんとでき婚。
「佐藤さんは、初めてのお子さんの誕生にめちゃくちゃ喜んでいて、出産にも立ち会ったほどです。生まれてからも、子供の写真を仕事場に持ち込んだりと子煩悩なパパでした。周囲には将来は役者にしたいといっていたことを覚えています」(佐藤の知人)

しかし、そんな幸せな生活はすぐに崩壊を迎える・・・。
1986年3月には別居が発覚し、9月に離婚をする。
わずか1年の結婚生活だった・・・。
離婚成立後にBさんは母に引き取られる。
そして千葉県内で母と祖父母にBさんは育てられた。

そんな我が子を佐藤が訪問することはなかったという。
実際、Bさんが3歳になった頃のインタビューで、佐藤はこう語っている。
「最近時間が取れなくて会ってないんですよ。一体僕が息子に何を教えてあげられるかというと何もないんですよ。息子が僕を見て感じることもあると思うし、嫌悪することもあると思う。それを十分に感じ取ってくれればいいことだと思う」

しかし、幼いBさんは、父親に会えない寂しさは膨らむばかりだった。
そんなBさんの元に、祖父にあたる三國さんは孫の元を何度か訪れている。
「夜遅くに三國さんはやってきては、B君に会いに来ていました。幼稚園の頃は、運動会の応援にも来たことあります。年老いて三國さんは、息子に対してできなかったことを悔いたのかも知れませんね」(Bさんの知人)

小学生にあがると野球を始めたBさん。
しかし、思春期を迎えるころから、会えない父への思いが陰を落とし始めたという。
「B君に将来おとうさんのような俳優を目指したりしないの?って聞いたことがあるんですけど、まったく興味ないといって話題に触れてほしくない感じでした。身長も180センチ以上あり、かっこよくて充分に俳優でやっていけると思うんですけどね」(同上)

わずか1歳の時に離ればなれになって26年。
Bさんが父・佐藤に抱いたきた思いは、そのまま佐藤が三國さんに抱き続けた重いと重なるはずだ。
2013年5月現在、Bさんと佐藤は離婚してから一度も会っていないそうです。
今後、会える日が来るのでしょうか?

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