菅山かおる姫のバレー引退の真相!現在はビーチバレー西村晃一と結婚

かおる姫の愛称で知られる、元バレー選手の菅山かおるは、古川商業高校2年の時に高校バレーで優勝。3年の時に主将。卒業後、Vリーグの小田急、JTでプレーし、2005年、2006年には日本代表のアタッカー、リベロとして活躍。2008年にインドアを引退し、2009年からビーチバレーに転向。2011年にビーチバレー選手の西村晃一と結婚し子供が一人。

菅山かおる

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バレーボール界の姫だった菅山かおるの引退の真相

菅山かおるは2009年、口数が少なくなり相当落ち込んでいる様子だったという。練習も一人でポツンと不安げな表情でいることが多かった。2009年に当時年齢が30歳になる菅山かおるだったが、2005年頃から北京五輪が最後の夢の舞台になると語っていた。

2009年5月に入ってからはほとんど連絡はありませんでした。このように明かすしていたのは、菅山かおるをよく知る知人だった。菅山かおるが北京五輪を前に突然の引退宣言をしたのは2009年5月30日。引退に至った経緯は何も発表されていなかった。

菅山かおる

菅山かおるは、親しい関係者だけにある話をしたいた。かおる姫や白い妖精ともてはやされ、持ち上げられるやり方に菅山かおる自身、かなり気にしていたらしい。

菅山かおるはバレーに真面目な人なのでかおる姫と呼ばれることにかなり抵抗があったのだという。そのエピソードの一つに、ある番組関係者のスタッフにいつまでかおる姫って使うのですか?恥ずかしいからやめて下さいと食ってかかってたそうだ。

人気絶頂の中、急に体調異変が起きたのは2007年の6月頃。原因不明の激しい頭痛や吐き気、天井が回って見えるなどを訴えるようになり、病院に入院。

代表に選ばれるまで無名だった彼女が、代表に選ばれて突然アイドル扱いされ、そのストレスが原因でなったみたい。体調を壊してからは、彼女本来のプレーが全くできなかったようです。

さらに菅山かおるの夢を打ち砕く決定的な出来事は、体調不良の彼女の代役として当時代表に入った佐藤優子選手がメキメキと頭角を現し、レギュラーを獲得。北京五輪の出場権がかかるW杯の15人枠から菅山かおるが漏れてしまった。

それがさらに追い打ちをかけ、練習に励みすぎて腰を痛めた。チームでもっとも仲のよかった当時、全日本代表キャプテンでセッターの竹下佳江さんと相談し、全日本男女選抜大会後に引退を申し出たそうです。

引退後はまだ何をするか全く決まってなかった菅山かおるだった。早く新しフィールドでかおるスマイルを復活させてほしとファンは願っていた。

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ビーチバレー選手の西村晃一と結婚

2009年2月、菅山かおるはビーチバレーへ転向。そして、2009年5月、菅山かおると同様に元全日本代表選手からビーチバレーに転向した西村晃一との交際が発覚。西村晃一は、同じプロビーチバレーチーム「WINDS」に所属していた。

西村晃一

2人はとある夜、東京・広尾の高級鉄板焼き店で、チームのスポンサーを交えて食事。その後、菅山かおるは西村晃一が運転する黒塗りベンツに乗車して夜のドライブへ。そして、2人の乗ったベンツは西村晃一の住むマンションの地下駐車場に入っていったという。

お相手の西村晃一は、京都の花園高校時代に主将として春高バレー優勝。立命館大に進学し、主将で西日本インカレ優勝。1996年にNECホームエレクトロニクス入社。1998年にリベロとして全日本に選出。2002年からビーチバレー転向している。

そして、2011年5月に2人は3年間の交際を実らせ結婚。バレーボール日本代表の先輩、後輩という間柄だった2人は、2008年5月に菅山かおるがインドアを引退し、JTを退社してから距離が縮まったという。2002年にインドアから転向していた西村晃一は、菅山かおるの良き相談相手として信頼関係を築きゴールインに至った。そして、2011年10月に長男を出産しています。

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