高橋大輔が母に誓った金メダル!浅田真央と熱愛も現在彼女は

元フィギュアスケート選手の高橋大輔は8歳でフィギュアスケートを始め、2005年に全日本選手権で初優勝。2006年のトリノ五輪8位。2008年に右膝前十字靱帯断裂の怪我を負い手術。2010年にバンクーバー五輪銅メダルと世界選手権優勝。2014年のソチ五輪は右膝故障もあって6位となり、現役引退しています。

高橋大輔

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高橋大輔が浅田真央と熱愛

昔から仲のよかったというふたり。高橋大輔には当時恋人がいたことは知られていたようですが、破局していたようです。2011年5月に恋人は同じフィギア界のアイドル・浅田真央だと報じられました。

2011年3月下旬のある日、愛知県名古屋駅近くの雑踏の中に、浅田真央選手と高橋大輔がはいった。
浅田はキャップを深くかぶっていたものの、高橋は変装はなし。
「最初は誰か気づきませんでした。カッコイイ人だなって思って見てたら本物の大輔くんだった。それに横にいた細くスタイルのいい女の子を見たら、真央ちゃんでしたからびっくりしましたよ」(目撃した女性) 

「世界選手権前には正式に付き合い始めたと聞きましたよ。大会が延期になったことで、一緒に過ごす時間ができたようなんです。震災後、真央ちゃんは被災地の状況にショックを受けて、練習にも身が入らないほどだったのですが、そんな彼女を大輔くんが支えてくれたみたいです」(浅田と高橋の知人)
浅田と高橋は5才違い。
ふたりに最初の変化が訪れたのは2009年夏のこと。
その2008年10月に右膝を負傷しリハビリを続けていた高橋が、2009年4月に練習を再開。
2009年8月に高橋が浅田のホームリングである中京大で一緒に練習することになった。
「役1年ぶりの再会だったそうですが、なんだか意識しあっていたようにみえました」(フィギア関係者) 

高橋大輔 浅田真央

実際、当時のインタビューで高橋は、浅田をひと目見て「すっかり大人っぽくなった」と話し、浅田も「大ちゃんは、昔はもっと年上に見えていた」と話していた。
浅田と高橋のラブっぷりは、2011年1月2日に放送された、とんねるずのスポーツ王は俺だ5時間SPでのあるシーンからも話題になっていた。
卓球でとんねるずが混合ダブルス対決したときのこと。
高橋がミスした際、浅田が励ますかのように、ごく自然の流れで手を握ったんです。
その映像を見たファンの間でふたりの仲が噂されました。

2011年5月7日、東日本大震災、愛知フィギアスケートチャリティーのイベント終了後に会場近くで打ち上げがあった。
出席者は、浅田 高橋 小塚、鈴木の他、織田信成や村上佳菜子らが参加していた。
午後7時から始まった宴は3時間にも及んだ。
そして、別れの解散の時、高橋は浅田をぎゅっと抱き寄せハグをしたのだ。
父親に関係を聞いたが、恋人同士であることは否定している。
目撃した女性は
「その組み合わせにもびっくりですが、ふたりはしっかりと手を握りあっていましたよ。気づいた人は多かったんですが、それでも手を離す様子はありませんでした」とコメントしています。

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高橋大輔の母は息子を時給800円のパートで支えてきた

フィギュアスケートは、日本が金メダルを男女共に狙える位置にいるので注目されていますね。日本のエースといわれてきた高橋大輔ですが、最近の男子フィギュアの話題は、羽生結弦が中心です。

今季はあまり調子がよくない高橋ですが、ソチ五輪では金メダルと取ると母と約束をしているそうです。
母は息子・大輔を20年間パートで支えてきた苦労人だそうです。
その恩返しとして、金メダルを捧げたいそうです。 

「全日本選手権が終わってから電話がありました。私は、お疲れ様。よく頑張ったねと言いましたが、息子は、いや、頑張れなかったと言っていました」(高橋大輔の母・清登さん)

バンクーバーでフィギュア男子日本初の銅メダルを獲得した高橋大輔。
そんな高橋にはソチ五輪でもメダルに期待がかかっていたが、母に代表入りを報告する電話では、言葉少なだったという。

高橋大輔

実は、2013年12月に行われた全日本選手権は、直前に右すねを負傷していました。
ソチ五輪出場権がかかった大一番のショートプログラムでは4位と出遅れる。
さらに、巻き返しをしなければいけなかったフリーでもミスを連発し、転倒までし、右手を切った。
結果はまさかの5位だった。
誰もが日本のエースの落選を覚悟させられる瞬間だった。

高橋も代表にはなれないと悟ったのだろう。
演技が終わった直後に涙を拭いてから、「これで最後の演技になるかもしれないと思ったら・・・いままでありがとうございますという気持ちで・・・」と語り、無念を漏らしていた。
しかし、過去の成績やシーズンの成績などを考慮した結果、ギリギリ3人目の枠に滑り込んだのだ。

2014年1月8日の高橋の壮行会では、母から息子への手紙が読まれ、高橋はその手紙に対してこう語っていた。
「本当に素敵な母。何があっても頑張った。良かったと言ってくれる・・・。ああいう奥さんをもらうと思います。母に形として恩返しができればいいと思っています。それは金メダルしかないですね」

母・清登さんは、息子がジュニア時代には、理容師として働きながら、夜にはパートに出て競技生活を支えてきた。
理容店には、リンク代と書かれたペットボトルが置かれ、訪れた客がおつりを入れてくれるようになった。
「テレビで大げさに放送されていましたけど、決して最初からリンク代の募金をしていたのではありません。本当に、たまたま入れてくれるようになったんです。最初は大輔にジュース代ということでおつりを下さっていまして、でもジュース代はもったないないので、リンク代の足しにしようということでペットボトルに入れるようになったんです。理容店が終わると、夜はお弁当屋さんで働きました。夜9時から12時まで、時給は800円ほど。6年ほど続けました」

建築関係の職人の父も息子のサポートを惜しまなかったそうだ。
「スケート靴のエッジを研ぐのは、父の役目でした」
こうして家族や岡山の地元の人々に支えられ、高橋はトップ選手へとなっていった。

高橋は、ソチ五輪で引退を表明していた。
メダルが決まるのは2014年2月14日だ。
さらに、運命的ともいえる事が隠されていた。
「実はあの子がスケートを始めたのが、ちょうど2月14日だったんです。幼稚園の頃から小学校4年間で日記をつけさせていたのですが、そこには2月14日に始めたと書かれていました」

高橋はソチ五輪で優秀の美を飾ることが、母への最高の恩返しになるだろう。そして、ソチ五輪では右膝故障もあったが見事最後まで滑りきり6位入賞を果たしています。その後、2013年~2014年シーズンを最後に現役引退。引退後、高橋は関西在住の一般女性と交際を始めたという。彼女はフィギュアとは関係のない一般の女性。万事控えめで、古風な性格の和風美人だそうです。

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