田中好子は夫・小達一雄氏と乳がん闘病を隠し続けた理由とは

スーちゃんの愛称で親しまれた女優の田中好子は、1973年に伊藤蘭、藤村美樹と「キャンディーズ」の一員として歌手デビュー。「ハートのエースが出てこない」「暑中お見舞い申し上げます」などのヒット曲連発し、1978年に普通の女の子に戻りたいと解散。1980年に女優として復帰。1989年に主演映画「黒い雨」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など受賞。1991年に故夏目雅子の実兄、小達一雄と結婚。2001年のNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」に主人公の母親役で出演。 2011年4月に55歳で亡くなられています。

田中好子

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乳がん闘病19年を隠し続けた理由

2011年4月8日、55歳の誕生日を病院のベットで迎えた田中好子さんは終始笑顔だったという。
腕には点滴のチューブがつけられ、点滴台やモニターが彼女の周りを取り囲む。
誕生日を祝う事務所のスタッフが病室に集まり、田中好子は明るく振る舞っていた。
用意されたケーキは食べることができなかったが、スタッフに気遣いをしていた。
これが彼女の最後の誕生日になった。

田中好子 

夫の小達一雄氏が記者会見を開き
「原因は乳がんです。1992年に発症しました。再発してまして、2010年10月に入院。懸命に治療を続けたんですが、転移があり体調が急変し・・・」
彼女の闘病生活をしっていたのは、家族や極少数の知人だけだったという。
ガンがみつかったのは1992年、36歳の時。
再発も何度もあった。
2000年9月には、スーちゃんと親しい関係者からこんな情報もある
「実は彼女は乳がんで乳房の切除手術をしたんです」
旦那に確認したところ、一瞬で顔色がかわったので本当だったのだろう。 

スーちゃんは一時期、髪が抜け、かつらをつけていた。
そのことについては夫はこう答えている。
「頭部にわっと湿疹ができまして。病院でみてもらったんですよ。仕事のことなどを考えて髪を切り、その代わりにかつらにしようということに」
今から思えば、これがガン治療の副作用だったのだろう。
しかし、彼女は19年間もガンであることをほとんど人にいってなかった。
「彼女、よく言ってたんですよ。ママには心配をかけたくない」
スーちゃんがママと呼ぶのは実の母ではなく、姑にあたる故・小達スエさんのこと。(女優・夏目雅子の母) 

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スーちゃんの実弟は19歳で骨肉腫を患って亡くなっている。
「僕はお姉ちゃんがテレビに出ている姿が一番好きなんだ」という生前の言葉で1980年に芸能界復帰を決める。
復帰第一作のドラマで夏目雅子と共演する。
以後、スーちゃんと夏目さんは家族ぐるみの仲に。
その後、夏目さんを通じ、兄(現夫)・小達一雄氏との交際に発展していく。
「彼女は夏目さんを女優として育てたスエさんに相談した。原爆症で日に日に体が変化する場面を、田中さんの入浴シーンで表現するという台本でした。その台本を見せると、スエさんは、これは一生に一度出会えるかどうかという作品。断ったら後悔するわよといってくれたんです」
結果、演技が高く評価され、1989年日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得し彼女の大女優の道が始まったのである。

たくさんの人に愛され亡くなった田中好子さん。

小達氏の家系は苦しい病にかかって亡くなった人が多いようです。
田中好子さんはガンが原因で死去。
弟は、骨肉腫(悪性骨形成性腫瘍)で19歳で死去。(弟は数人います)
旦那の母(小達スエ)は、急性骨髄性白血病で死去。
小達スエの夫は、スキルス性胃がんで死去。(年齢不詳)
旦那の姉の夏目雅子は、白血病のため27歳で死去。

その後、2012年4月に田中好子さんの一周忌献花式が東京・日本橋三越屋上で行われた。親交のあった俳優の津川雅彦や「ちゅらさん」で共演した国仲涼子やガレッジセールのゴリら芸能関係者やファン約300人が参列したそうです。

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