日本ハム・上田利治元監督の妻と娘は統一教会信者!娘奪回に説得も

元プロ野球選手の上田利治氏は徳島海南高から関大を経て1959年に広島に入団。現役は実働3年間で出場は通算121試合。1962年に広島コーチに就任。1971年から阪急コーチに。その後、1974~1978年、1981~1988年に阪急監督。1989年、1990年にオリックス監督。1995~1999年に日本ハム監督。リーグ制覇5度、日本一に3度。2017年7月に肺炎のため80歳で亡くなられています。

上田利治

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元日本ハムの上田監督の妻と娘は統一教会信者

「何年かかるかわからないが、必ず説得する」と退団を決意し、統一教会(世界基督教統一神霊協会)から2人の娘を奪回すると宣言した日本ハムの上田利治元監督。2004年、作家の故飯干晃一氏が統一教会に宣戦布告し、娘の飯星景子を教団からの脱退に成功させたこと。しかし、上田元監督の場合、娘2人が信者の夫と結婚するなど、その説得は困難視されていた。闘将・上田元監督に秘策はあったのか。

「これが、例の女房ですよ」。上田元監督は都内の自宅に親しい記者数人を招き、元信者の勝子夫人をこう紹介した。「私が統一教会の上田です」と笑顔で応じる勝子夫人。

さらに、上田元監督は「おーい、のぶちゃん。氷を持ってきてくれ」と声をかけ、記者らの前に、問題の二女・信子さんを招き入れたという。「女房は本当に尽くしてくれる。娘もホンマに優しく育ってくれた」と話しながらも、「こいつらの信じているものが、問題の宗教というだけで、我慢ならんのや」と改めて、奪回への決意を語った上田元監督。それでも、勝子夫人は「教え自体は素晴らしい」と語るなど、洗脳脱却への難しさをうかがわせた。

上田利治

親しい記者に家族を紹介するという「公開闘争」にまで踏み切った上田元監督だが、その道は厳しい。2008年3月に他界した飯干氏が、娘の景子を統一教会から脱会させた経緯を記した「われら父親は闘う」(ネスコ/文芸春秋)には、まさに死闘ともいえる闘いの厳しさが描かれている。

飯干氏は、娘との話し合いを始めるに当たり、硬派の作家らしく、676ページにも及ぶ統一教会の経典「原理講論」を、聖書と対比しながら読破、その矛盾点を自分なりに認識。また、教会の幹部を張り込みの末に捕まえ質問するなど努力を重ねた。

そして、父と母は、統一教会側から、逆に両親をなだめる使命を帯びた形で帰宅した娘と、仕事などを一切棚上げにして、1カ月以上に渡って真っ正面から向かあった。一度は挫折しかけたが、最終的にはマインドコントロールを解く手法を持つ「説得者」や、元信者といった協力者の力も借りて、娘の心に張り付いていた呪縛の殻を引きはがすことに成功した。

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だが、上田元監督の娘は信者と結婚、子供まで設けており、「奪回は飯干氏の時よりはるかに難しい」 それでも、統一教会問題に詳しい俳優の中村敦夫氏は、「私は全国に上田さんのような崩壊し、苦悩する家庭が3000以上あり、多くの父親が仕事を辞めて闘っていることを知っています。(説得は)理屈じゃないんです。信者には正論をいってもどうしようもなくなっている。決め手といえば、家族の情と根気なんです」と話す。

事実、知将の上田元監督だけに、「飯干さんのように徹底して調べて説得したが、分からないので鉄拳制裁したこともある」と、これまでに相当研究していることをうかがわせた。一度は妻と2人の娘の脱会にも成功した時期もあったが、娘2人は、その後に再入信したという経緯がある。それだけに、片手間に闘うことの限界を感じ、今回の退団宣言につながったとみられるのだ。

信者の親から多くの相談を受けた関係者の一人は「上田元監督は娘を引き留められない人間が、チームを指揮するとはなどと自責の念を感じていたようですが、マインドコントロールは、どんな家庭にも起こり得ることで、自分を責めることはありません」と擁護。
そのうえで、「人の心は必ず変わります。だから奪回は可能です。それには信者の心を感動させることが必要。その際、大事なのは人の真心なんです」。

また、飯干氏が娘の心に衝撃を与えられるのは「元信者の話をおいてほかにはないのだ」と語るように、適切な協力者も不可欠だ。今回「専門家の力を借りてでも必ず説得いてみせる」と語った上田元監督。その胸中には秘策があることをうかがわせていた。しかし、2017年7月に肺炎のため80歳で亡くなられています。

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