山崎静代と癌で亡くなったボクシングコーチ梅津正彦との誓い

お笑い芸人のしずちゃんこと山崎静代は、2003年に山里亮太とお笑いコンビ「南海キャンディーズ」を結成。2006年に映画「フラガール」で女優デビュー。2008年からボクシングジムに通い、2009年にアマチュアC級ライセンス獲得しています。

山崎静代

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山崎静代のボクシングコーチ・梅津雅彦氏が皮膚ガンだった

山崎静代ことしずちゃんがボクシングで2012年、凄く頑張っていました。しずちゃんがボクシングをここまで頑張っているのは、教えてもらっているコーチの病気が原動力になっていたようです。

「絶対勝ちたかった」
2012年2月11日、広島で開かれたアマチュアボクシングの全日本女子ミドル級で山崎静代が優勝した。
そしてロンドン五輪出場の日本代表に選ばれた。
リングを降りて、喜びをぶちまけるしずちゃんの目線の先には、2008年から共に闘ってきた専属トレーナーの梅津正彦さんの姿があった。 

「2011年の秋くらいから梅津さんはずっと体調が悪かった。それで2012年になって病院にいったら、メラノーマという皮膚ガンだと診断された。放っておいたら余命1年の宣告だったそうですよ」(スポーツ紙記者)
彼は、最後までしずちゃんの雄志を見守るために手術を延期した。
「彼は早くに父を亡くしているし、結婚したばかりの奥さんとの間には幼い子供もいる。早急に手術するべきだったんですが、これまで苦楽をともにしてきたしずちゃんの試合を途中で放り投げることはできなかったんです」(ボクシング関係者) 

彼はこれまでも映画やドラマの演技指導で俳優の指導をしてきた。
山下智久、伊勢谷友介、亀梨和也、高橋克典、山田京介などの恩師でもある。
梅津さんとのトレーニングは過酷だ。
「彼は教え子の性格をよく見極め叱咤激励してきました。しずちゃんの場合は尻をたたかないと前に進まないタイプだから、精神的にもどんどん追い込みましたね。泣いてる暇があったら体を動かせって」(スポーツ紙記者)

2011年6月、韓国で行われた大会でしずちゃんがボロ負けをした。
「しずちゃんが試合に負けてリングを降りてくる時、あーまた怒るのかなぁと思っていたら、梅津さんは拍手で迎えたんです。どんなに厳しくしていても、頑張っているしずちゃんを温かく見守り支えているんですよ」(同上)
五輪でもふたりは二人三脚で頑張っていく。

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山崎静代が末期ガンコーチと誓った!もう一度リングに立つ

ボクシングで五輪出場のため頑張っていましたが、後一歩及ばず、出場の夢は叶いませんでした。今後の進退が注目されていましたが、結論を出したようです。2014年のソチ五輪には出場できないので、さらにいまから6年後を目指すことになりますね。39歳で挑戦するのでしょうか?

「先日、しずちゃんと会ってきました。彼女は今後もボクシングを続けたいと思っているようです」
おしくもロンドン五輪出場の夢が叶わなかった山崎静代。
二人三脚で練習を積んできたトレーナーの梅津正彦さんに、2012年5月予選敗退から1ヶ月が経過したしずちゃんの近況を聞いた。

「久しぶりにあったしずは本来のおっとりとした性格に戻った印象でした。それまでは野獣のような迫力がありました。本人の頭の中は、まだ真っ白という感じですね。敗退したとこで、時が止まっているようでした・・・。だから次の試合をしようとか具体的な話はしませんでした」

予選敗退後に電話やメールで頻繁に連絡をとっていたが、2012年6月中旬に彼女と会って話を聞いたという。
「今一番やりたいことを聞いたら、しずは、ドイツに行ってあの負けたドイツの選手ともう一度試合をしたいと言うんですよ。それだけ悔しかったんでしょうね。まだ次の目標が定まらない。大きな喪失感を抱えた彼女は、いま必死になって切り替えている最中なんです」

失意の中、再びボクシングの準備を始めているという。
「脳波の検査でも、まったく問題ないと診断結果をもらいましたし、痛めた膝などもケアしています」
この取材前日、梅酢さんは頭を丸めていた。
しずちゃんが病室にお見舞いに来たときに、こんなやり取りがあったという。
「入院した時、しずがお見舞いにきてくれたんです。スケジュール帳の2012年6月10日に、ハゲと書いてあり、それをみたしずが、このハゲってなんですか? 僕が、このあたりから、抗がん剤治療の副作用でハゲそうなんだと言ったら、しずはシュンとしちゃって」
しずちゃんは、自分がボクシングをしている姿で恩師を元気づけたいという重いもあるようだ。
負けた選手ともう一度対戦してから、本格的にどうするか進路を決めるようです。

山崎静代

しずちゃんがボクシングでリオ五輪を目指す

ボクシングでロンドン五輪を二人三脚で目指していた梅津正彦トレーナーと山崎静代ことしずちゃん。がんばりましたが、練習期間が短いことや経験不足もあり、2012年5月にロンドン五輪の予選で試合に負けて、最初で最後の五輪挑戦終わりました。

梅津トレーナーは末期がんを患っており、この五輪の挑戦が最後でした。
2012年5月に1年の余命宣告をされてから、2013年7月23日に闘病の末に亡くなりました。一度はボクシングを諦めたしずちゃんですが、リオ五輪を目指してがんばることにしたそうです。

「このまま自宅に帰ってこれなくなるんじゃないか?その恐怖に踏ん張った」「1日でも負けないように、引っ張って朝日を見ます!」とツイートしていた梅津トレーナーが末期がんのため都内の病院で亡くなった。
冒頭のツイートは、そんな梅津トレーナーが6月30日に綴ったツイートだ。

2012年5月に余命1年と宣告されたが、余命0日を過ぎてからも、最後まで懸命に生きた。
2012年1月にメラノーマという皮膚がんという診断を受けた梅津氏。
一刻も早い手術が必要だったが、梅津氏はそれを延期した。
「彼は早くに父を亡くしているし、結婚したばかりの奥さんとの間には小さなお子さんもいましたから、なんとしても生きようと思っていたはずです。でも、当時ロンドン五輪出場を目指していたしずちゃんの重要な試合が控えていたんです。彼はこれまで苦楽をともにしてきたしずちゃんの試合を途中で放り出す事をできなかったんですね・・・」(ボクシング関係者)

しずちゃんも五輪にでるために過酷な練習を頑張っていた。
しかし、がんは全身に転移し、2013年4月には、医者からは、この状態で動けるのはあり得ないと言われながら、しずちゃんが出場した第一回ボクシングチャレンジマッチに駆けつけた。

その後、ふたりは2016年のリオ五輪の話をしていた。
年齢制限が34歳から40歳に上限が引きあげられることが年内にも正式決定する可能性があるのだ。
その時の会話を雑誌のインタビューで振り返っていた。
「梅津さんに一緒に行きましょうといったら、オレも忙しいけどなぁ・・・。お前をリオに連れていかなアカンと明るく答えてくれた」
しかし、ふたりでリオに行く目標は叶わなくなった。
しずちゃんは恩師と誓った約束でリオ五輪を目指すことに決めたようだ!

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