寺田理恵子アナは略奪再婚も夫・関本雅一が急死!元夫や娘に現在は

フリーアナウンサーの寺田理恵子は、聖心女子大学卒業後の1984年にフジテレビに入社。1985年に「オレたちひょうきん族」のサブ司会を務め人気に。1989年に3歳年上のテレビ制作会社の落合正幸ディレクターと結婚。わずか5年でフジテレビを寿退社。同年に第一子となる娘を出産。その後、フリーアナウンサーに転向。そして、1990年10月からTBS系「ビッグモーニング」の総合司会に。1998年に離婚することに・・・。

寺田理恵子

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玉の輿再婚をしたが哀しい結末

離婚した寺田理恵子アナは、2000年にNEC元会長の御曹司で元大手広告代理店勤務(電通)で芸能事務所社長もしていた関本雅一氏と玉の輿再婚。寺田アナとしては、ここから幸せな人生を送るはずでしたが、歯車が狂いだした。

結婚後、関本氏は父に勘当され、さらに勤務先の会社のお金を横領し逮捕され解雇される。その後も事業を立ち上げ頑張っていたようですが、うまくいかずに、借金返済の裁判を起こされたりもしています。そして、2012年53歳の若さで亡くなったそうです。まさかのセレブ婚が・・・。

2012年12月都内で行われた葬儀は、参列者が家族と弟夫婦らごくわずかな親族のみだった。
あまりにもひっそりとして葬儀だった。
それもそのはずで、仕事の関係者、近隣住民、友人らには葬儀はおろか、その死さえ知らせていなかった。

「突然、倒れたため、すぐ病院に運ばれたんですが、大動脈瘤破裂という診断で・・・。看護の甲斐なく数日後に亡くなりました」(寺田の知人)
まだ若い夫がこんな形で亡くなるとは寺田も思いもしなかっただろう。
夫とは13年結婚生活をしたが、波乱に満ちあふれたものだったという。

寺田理恵子

寺田アナといえば、思い浮かべるのがひょうきんアナとしての顔だろう。
1984年に入社し、1985年には超人気番組・オレたちひょうきん族でサブ司会に抜擢され人気を誇った。
1989年にテレビ制作会社の落合正幸ディレクターと結婚し寿退社。
長女をを出産したが、1998年に離婚。
そして寺田アナの前に現れたのが、当時、電通勤務だった関本氏だった。
1999年4月に知り合ったふたりは7ヶ月後にスピード婚。
関本氏は父がNEC元会長の長男で玉の輿婚だった。

だが、幸せなセレブ生活を送れるはずだった寺田さんに暗雲が立ちこめる。
交際当時、関本氏には妻子がいたのだ。
1986年に結婚したB子さんで、ふたりの間には当時26歳になる娘もいた。
寺田さんはこの事実を知らされていなくてショックを受けるが、それでも彼女は関本氏と一緒になる道を選んだ。

彼も彼女の思いに応え、1999年11月にB子さんと離婚、2000年1月1日に入籍した。
しかし、思ってもいないことが起こる。
「関本氏の父・忠弘さんは、B子さんを実の娘のように可愛がっていました。それなのに、息子がひどいことをしてしまって、彼女と孫に何か償えないかとずっと考えていたそうです。そして出した結論が、B子さんを養女にするといった決断だったんです。戸籍上の親子になれば財産も相続させられますからね」(寺田の知人)

そして、忠弘さんさんは、B子さんを養女にした一方で関本氏をしばらく勘当同然の状態にしたという。
寺田アナにしてみてば、やっと掴んだ幸せだったのに、波乱含みのスタートだった。
挙式をグアムでふたりは挙げたのが、そこには関本氏の両親の姿はなかった。
再婚後、寺田さんはアナを引退し専業主婦になった。
しかし、受難が待ち受けていた・・・。

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2000年7月、関本さんが広告費3億円余りを水増し請求したとして、勤務先の電通から解雇される。
彼はその後、IT関連企業数社を設立したが、会社の経営は思うようにはいかなかった。
しばらくすると、東京・世田谷区にある約50坪の敷地に建つ3階建ての豪邸を担保にまで入れて、経営資金を工面するようになっていった。
しかし、経営状態は好転せず、2004年に金融会社から借金返済を求めて訴えられてしまう。
裁判では関本氏の債務額は6500万円ほどだったと明かされている。
この裁判では寺田も被告となっている。
借金で自宅を差し押さえれないように所有権を関本氏から寺田に意図的に移したとされたからだ。
判決はもちろん敗訴になった。
500万円を支払うことで和解している。

借金生活が続く中、関本氏はまた事件を起こすのである。
2007年10月、関本さんは、かつて社長を務めていた人材派遣会社から約5600万円を不正に着服したという業務上横領容疑で逮捕されている。
不起訴となり釈放されたものの、息子の不祥事に心労がたたったのか、父は脳梗塞で倒れ亡くなってしまう。
関本氏は、実家の所有権の一部を相続するのだが、その権利さえも、すぐに差し押さえられて競売にかけられてしまうのだ。

借金もふくらみ、関本氏はなんとかして立て直そうと別の事業を始めたりもした。
「韓国の芸能事務所の日本支社長をしていましたが、収入は少なかったようです」(芸能関係者)

冒頭に戻り、葬儀に人が呼べなかった理由は、
「関本氏は、まだ相当な借金があったようです。それをきちんと整理しようと頑張っていたんですが、その矢先に亡くなってしまった。彼の死を貸し主が知れば、妻である寺田さんに取り立てにいくでしょう。そのような状況を多くの人に知られたたくない。また余計な心配をかけたくないので、夫の死を知らせなかったようです」(関本氏の知人)
彼女の波乱万丈の再婚生活は終止符を打った。

現在は芸能事務所・生島企画室所属し活動再開。2014年10月からTBSラジオの「生島ヒロシのサタデー・一直線」のアシスタントとしてレギュラー出演。娘は藍沢ゆりえの名前で2014年から、シンガーソングライターユニット「ユカリエ」のメンバーとして音楽活動をしています。

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