やなせたかし「アンパンマン」誕生のきっかけは!妻や子供は

漫画家のやなせたかしは1953年から漫画、ラジオコント、テレビ番組の脚本などに携わる。1973年に月刊絵本キンダーブックに「あんぱんぱん」が初登場。1988年に日本テレビ系アニメ「それゆけ!アンパンマン」がスタートし大ヒット。2013年10月に94歳で死去しています。

やなせたかし

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誕生のきっかけは命を救ってもらった時にアンパンを貰ったから

亡くなる前日まで仕事をしていたというやなせたかしさん。まだやり残したことがあったようで、まだ死にたくないと言っていたことも報じられました。最後の方は、ほとんど視力がみえない状態で描いていたそうです。そんな、やなせたかしさんの代表作は、アニメ「アンパンマン」と童謡「手のひらを太陽に」。アンパンマンは世代関係なく愛されています。

「やなせ先生は亡くなる前日も、フレーベル館で2013年11月に出版予定のやなせたかし大全の原稿をチェックしていたそうです。亡くなる数時間前まで、スタッフとお話ししていたそうなんですが・・・」
94歳でやなせたかしさんは、2013年10月13日に心不全のため亡くなった。

やなせさんは、1919年に高知県香美市で生まれる。
幼い頃に父を亡くし、母は再婚。
伯父の元で居候のような形で暮らしていたという。
「子供の頃、高知で線路を歩いていたことがあったそうです。その時、思い詰めて自ら命を絶つことまで考えていたようです。たまたま知人に見つけてもらった先生は、アンパンをもらって食べたらとてもおいしかったと話をしていました。その経験がアンパンマンの誕生につながったのだと思いました」(佐藤館長)

終戦後に高知新聞社に就職をする。
そこで妻・のぶさんと出会う。
「若い頃の奥様は、やなせ先生をリードするようなところがある、キピキピとした人だったそうです。一緒に食べたきのこ鍋では、みんなが食中毒になったのに、奥様だけ平気で、その時にやなせさんを看病し、愛が生まれたのでしょう」(同上)
その後、やなせさんは上京し、のぶさんの下宿に転がり込み新婚生活が始まる。

漫画家として独り立ちを目指すやなせさんに、「収入がなければ、私が働いて食べさせてあげる」とのぶさんは励まし続けた。
しかし、40歳を超えても代表作を発表できなかった。
そんな苦しみの中から生まれたのがアンパンマンだった。
1973年に出版をされた絵本だったが、評価は悪かったという。

出版してから5年後の1978年頃から売れっ子となり、限界まで働く夫を支えたのがのぶさんだった。
やなせさんも妻についてこのように話している。
「仕事以外はすべてかみさんに頼っていた。散髪も彼女にしてもらっていたし、病気になると全力で看病してくれた」

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しかし、1988年にのぶさんに乳がんが見つかる・・・。
残された時間は3ヶ月医師に余命宣告される。
ワクチン治療と手術で、奇跡的に延命。
1年後には好きだった山歩きもできるほど回復した。
その後、1993年にのぶさんさんは再入院し、やなせさんの手を握ったまま75歳で亡くなった。

やなせさん夫婦と仲の良かった近所に人はこう話す。
「奥様は茶道の先生になられて、ご自宅で生徒さんを集めて教室をしていました。亡くなられて20年にもなりますが、その茶道教室のお部屋は、今でもそのまま残してあるそうです」
亡き妻を身近に感じていたという、思いが伝わってくる。

「先生は奥様から元気をもらっていたのでしょう。奥様は、たかしさんがテレビやメディアに出演して、頑張っている姿を見るのがとても好きなんですとおっしゃっていたそうです。頑張っている姿を見せるため先生は取材をたくさん受けていたのでしょう」(佐藤館長)
妻を亡くしても90歳を過ぎても、仕事を続け、メディアに露出し続けたのは妻への愛だった証なのだろう。

やなせさんの死後、印税やキャラクター使用料などでの遺産は400億円以上になるそうです。
やなせさんとのぶさんの間には、子供がいません。
故郷の高知県美市にアンパンマンミュージアムを作ったときに、これが僕のお墓だと言い、1995年の著書・アンパンマンの遺書では、全財産はアンパンマンに送ると綴ってあるそうです。

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