安藤美姫はモロゾフコーチと恋人関係で結婚も考えていたが破局し引退に
元フィギュアスケート選手の安藤美姫は8歳でスケートをスタート。2002年12月のジュニアGPファイナルでは女子で史上初めて4回転ジャンプに成功。2006年のトリノ五輪は15位、2010年バンクーバー五輪は5位。2007、2011年の世界選手権優勝。
安藤美姫がマスコミに怒っていた
2011年2月、安藤美姫がマスコミに激怒していたという。ライバルである浅田真央も関係していたようです。ふたりは仲はいいのでしょうか?
「笑顔満開という雰囲気とはほど遠い様子でした。報道陣の質問にも形式的な返答で無愛想というか不機嫌というか、とても優勝した選手とは思えませんでしたね」(スポーツ紙記者)
2011年2月21日に四大陸選手権で優勝した安藤美姫が、羽田空港で会見を行った。なぜか、安藤は会見でギクシャクしていた。
実は、今大会前から、安藤と取材陣の間にはピリピリムードが漂っていたという。
フィギア関係者が話す。
「安藤側から、取材エリア以外での取材には他王しないとの通達があったんです。ほかの選手はエリア以外でも取材を受けることもあるんです」
さらに安藤は海外メディアに対して日本のマスコミ批判を繰り広げていたという。
2011年絶好調の安藤に何があったのだろうか?
「全日本に優勝したのに、2位の浅田より報道のあつかいが小さかったのが不満だったようです。浅田ばかりか3位の村上佳菜子も自分より注目された。さらに、今回の四大陸も同様で、女王は私なのに!どうして2位の真央ちゃんのほうがあつかいが大きいの?と激怒したそうです」
その苛立ちは大会後にも表れていた。
本来なら、浅田と同じ飛行機で帰国するはずが、安藤はひとりで羽田へ。
「浅田と一緒に帰国会見するのがいやだったんでしょう。写真も浅田を真ん中にしたものが取り上げられるのではと、疑心暗鬼になったようです」(スポーツ紙記者)
ここ数年、フィギア界の人気と実力を独占してきた真央。
安藤は努力をし2連勝し、やっと女王になったのに、このような報道のあり方に激怒しているようだ。
安藤の成績がよくなっているのは、恋人でコーチであるニコライ・モロゾフの存在も大きいようだった。
「コーチは安藤に、もっと技を磨けば、もっと輝く。次の五輪で表彰台に上がることは不可能じゃないと言い聞かせているようです」(スケート関係者)
このコーチの煽りで安藤の女王様ぶりはさらに磨きがかかっていたという。
スケートの報道といえば、日本のマスコミがごり押ししたキムヨナですね。
日本のマスコミが批判されるのは誰もが納得するのではないでしょうか?
日本に帰国せずロシアに滞在していた理由
2011年、4年ぶりに世界選手権で優勝した安藤美姫。他のメンバーは帰国しても彼女だけは帰国せずロシアに残っていた。
「現地でのアイスショーに出演するためといってますけど、本心は彼のことが心配で離れられないんです」(フィギア関係者)
その彼とは、コーチでもあるニコライ・モロゾフ氏のこと。
「世界選手権で優勝した後も長い抱擁をして、ふたりだけの世界を作っていました」
2009年に週刊誌で報じられたニコライ氏との同棲。
ニコライ氏はバツ3の身で元妻はすべてスケート選手だった。
2番目の妻との間には10才の娘がいある。
3番目の妻とは2007年に離婚している。
「彼の子供も美姫ちゃんになついているし、厳しいと有名な美姫ちゃんの母も、彼のことを認めている。美姫ちゃん自身も、いつでも結婚OKな状態なのに、彼がなかなか結婚へと踏み切ってくれないそうです。交際はもう3年以上になるのに・・・。だから最近、美姫ちゃんは彼に他の女がいるかもって思うようになったんです」(フィギア関係者)
安藤が心配するのもしょうがない。
なぜかというと、ニコライ氏と元妻を含め噂になった女性は全員教え子だからだ。
ロシアにはニコライ氏の教え子がたくさんおり、彼に学びたいという女子スケーターも多い。
心配で彼の元を離れられないのが実情のようだった。
結婚秒読みだったモロゾフコーチと破局
コーチでもあるモロゾフ氏と結婚秒読みで、ロシアで一緒に生活までしていた安藤美姫が破局していた。そして新しい彼氏とデートをしていた。ふたりの仲に一体何があったのでしょうか?
午後3時過ぎ、東京・明治神宮の参道をゆっくり歩くカップルがいた。
ワンピ姿の安藤美姫選手だ。
隣にいるのはモロゾフ氏ではなく、スケートクラブに所属している南里康晴選手だった。
女性ファンから明太王子と呼ばれている。
ふたりは手をつないで原宿へ向かって歩き、今度は表参道でウインドーショッピング。
途中、ケータイを取り出すと、顔を寄せ合ってふたりで写メを撮影。
安藤に気づく人もいたが、そんな人目を盗んで、安藤が南里にキスするシーンも。
実は、ふたりは前日の2011年8月28日から一緒にいた。
その日は、荒川選手がプロデュースするアイスショーの最終日で安藤も出演したのだが、その会場に南里の姿があった。
「彼は出場選手ではなかったし、福岡にいるはずだったから、みんな、あれ?どうしてここにいるの?って感じでした。美姫ちゃんとも仲よかったし、お母さんとも仲良く話しをしていました」(スポーツ紙関係者)
その夜8時過ぎ、南里は安藤が宿泊しているホテルの部屋を訪ねていた。
「美姫ちゃんとモロゾフ氏は3年以上の付き合いでしたが、2011年5月の女子世界フィギア選手権後しばらくしてから別れてしまったそうです」(フィギア関係者)
女性関係で喧嘩が絶えなかったことで安藤は疲れてしまって別れたようだ。
そして6月の帰国で再会したのが南里選手だった。
「ふたりはジュニア時代から仲が良く、家族ぐるみの付き合いでした。美姫ちゃんがプロに転向した彼に、恋愛や将来の相談にのってもらっているうちに、自然に付き合いが始まったようです。美姫ちゃんのお母さんも南里くんのことはお気に入りのようです」(フィギア関係者)
モロゾフコーチとは破局していなかった
モロゾフコーチと破局し、日本に帰国していたと報じられた安藤美姫。さらに、同じフィギア選手の南里康晴とのデート現場が報じられるなど破局をしたとばかり思っていましたが、交際は続いていると報じられてました。
「2011年~2012シーズンの完全休養を決めた陰には、モロゾフコーチのアドバイスがあったそうです」(スケート関係者)
安藤美歌は、2011年9月に同じフィギア選手・南里康晴選手との熱愛が報じられたばかり。
「報道ではモロゾフコーチとは破局したと報じられていましたが、南里選手は幼なじみの関係でしかありません」(同上)
安藤とモロゾフコーチは2011年9月、交際が続いていたというのだ。
「かつては、日本スケート連盟はモロゾフが連盟の指導方針に従わないことを理由に、安藤にモロゾフとのコーチ契約を解除するように迫ったこともあったそうです。安藤は、世界女王が日本の予選から出場しなければ日本代表になれないことについて、連盟に対して不満を持っていたようです。今シーズンの休養も連盟への不満ともいわれています」(スケート関係者)
安藤は名古屋の友人に次のように語ったという。
「今は、彼のプロポーズを待っているの・・・」
一方のモロゾフは、母国・ロシアのスケート連盟から2014年にロシアで開催されるソチ五輪に向けて国内の選手の強化を指示されている。
しかし、安藤とも14年のコーチ契約を結んでいるので、安藤とは別れることはなかったという。
安藤としては早く結婚をして嫁に行きたいようだが、モロゾフにはコーチの仕事がある。
「安藤はモロゾフと結婚、ロシア国籍を取得して、ロシア代表としてソチ五輪での金メダルを目指すという仰天プランもあると囁かれています」(別のスケート関係者)
ニコライ・モロゾフコーチが浅田真央の振付をオファーしていた
2012年~2013シーズンでスケートを引退することを発表していた安藤美姫。引退の大きな理由は、モロゾフコーチとの破局。
さらに、新しいコーチが見つからないことも引退の理由のようでしたが、失恋をして精神的に不安定になっていることが一番大きな原因だっのか?ふたりの別れを決めたのは、安藤美姫であることもわかった。
「真央ちゃんは、2012年秋から始まるシーズンのプログラム作りのため2012年5月末に渡米する予定です。実は、当初、2011年同様にショートはタラソワが振付を担当するはずだったのですが、腰痛が悪化し入院してしまったんです。それから真央ちゃんは別の振付師に変更することになったんです」(フィギュア関係者)
最愛の母を亡くし、思うように活躍できない真央。
さらにタラソワの緊急入院で窮地に立たされている。
そして、この情報に反応したのが安藤美姫のコーチだったモロゾフだった。
「タラソワの入院を聞くと、モロゾフは日本スケート連盟の関係者をつかまえては、真央ちゃんの情報収集をしていました。真央は今季のプログラムを誰に頼もうとしてるんだ?と。さらに、もし僕が真央のプログラム作りに参加したら必ず復活させてみせると、自信満々だった。そして浅田さいどに振付をしたいとオファーもしたそうです」
モロゾフが大物選手のコーチをするのは、自身の価値を高めるためのようです。
安藤が浅田へのオファーをしたと聞いたら心中は穏やかではないのでは・・・。
「モロゾフの私が振付をというささやきには、真央ちゃんは、安藤さんのコーチだから教えてもらうのは・・・と、複雑のようです」(別のフィギュア関係者)
安藤美姫のフィギュアスケート引退の理由
安藤美姫が2012年~2013シーズンで引退をすることを発表しました。引退の理由はモロゾフコーチとの破局が原因というが、彼女にとっては、父であり恋人であり信頼できるコーチだったので、そのような大切な人を失ってしまったことによって、心の支えがなくなり、精神面でのダメージが大きかったようです。
ニコライ・モロゾフコーチと破局後は、別の男性とデートする姿も報じられましたが、心の支えにはならなかったようです。
「美姫は東京と名古屋を行ったり来たりで、今はどちらにいるかわからないですね。本人は、来年は競技に参加するって言ってますし、ファンの人たちとは復帰したら応援しようねって言っているんですが・・・」
2011年~2012シーズンのグランプリシリーズは欠席。
2012年~2013シーズンで引退を発表した安藤美姫。
彼女の祖父が経営する愛知県にあるカフェレストランを訪ねると、祖母の山中愛子さんが店を切り盛りしていた。
店には安藤の写真がたくさん飾られている。
「美姫は、ほとんどこの店には来ないですよ。お盆にパパのお墓参りに来たときには寄って行きましたけど」
2012年7月に安藤はツイッターでI born to die 私は死にたいなどとつぶやいた。
「私もあれには怒りました。だからメールで叱りましたよ。皆がみているものにこういうことを書いてはいけないって・・・姉に知らせると姉は知らなかったようで、叱ったようです」
祖母は安藤の情緒不安定なことが心配なのだろう。
表情は曇りがちだった。
2011年~2012シーズンは競技生活を休み、世界のアイスショーに精力的に出演。
さらに東日本大震災の被災者のためのイベントは安藤が自ら企画した。
ところが、2012年10月9日にGPシリーズの欠場を発表した。
理由は、2006年からコーチをしてきたモロゾフコーチの後任が見つからず、調整不足ということだった。
かつてモロゾフとは恋人の関係でもあった。
結婚願望についてはしばしば口にしていたが、結婚予定はなかったのだろうか?
「結婚の話は全然聞いてません。でも本人同士はどう思ったかは知らないです。ニコライとは、私たちも仲良くしていました。家にも店にも来て、アメリカのニコライの子を預かったこともありました」
安藤は8歳の時に父を31歳で亡くしている。
交通事故だった。
「父が死んだのが31歳で、知り合った時のニコライも31歳でした。美姫の心の中で父とニコライが重なったんだと思いますね。美姫にとって父親代わりだったと思います」
安藤はトリノ五輪で亡くなった父のことを聞かれて号泣したことがあった。
父が死んでから11年経っても思い出すのが辛かったのだろう。
「義兄はかわいそうでした。朝、行ってきますと言って、そのまま帰ってこないんですから・・・」
1995年、安藤は小学3年でスケートを始めたばかりだった。
「だから、義兄は一度も美姫のスケートを見てないんです。明日、見に行くよって言い残して・・・」
安藤は悲しみを忘れるためにスケートに打ち込んだ。
「美姫も姉もスケートがあったからここまでこれたんです。スケートがあったから生きていられた。今でも必ず父の日や、父の誕生日には、アメリカや遠征に行った先から、父宛に手紙が届くんですよ」
何が書いてるのかは知らない。
誰も開封していないそうです。
安藤は子供の頃から神経質だったそうだ。
中学の時、人から握手を求められると、驚いて手を引いちゃったりしていた。
新幹線で美姫を待っているファンの人を見ると固まったり。
安藤は、お守りとして父の形見の結婚指輪をネックレスにして肌身離さず持っていた。
そのネックレスを外せるようになった頃には、モロゾフが父に代わって、安藤の精神的な支えになったという。
「お父さんの代わりにニコライが美姫の前に現れて、トリノ五輪で力を発揮できなかった美姫を引っ張りあげてくれたんです。世界選手権で優勝できたのもニコライのおかけです」
支えであったモロゾフが去ってしまった時、安藤の心は折れてしまっていた。
モロゾフは安藤美姫とは結婚を考えていたが自分が振られた
ふたりの別れを決めたのは、安藤美姫であることもわかった。モロゾフは結婚を考えていたのに、なぜこのようなことになったのかと困惑をしていたようです。
安藤は2012年10月突然の引退発表をした。
「はっきり言って来季がラストのシーズンと思っています。どの試合でもいいので、もう一度出させていただいて演技をさせていただけたら。今まで支えてくれた方のためにも、恥ずかしくない演技がしたいです」と引退宣言をした。
「やはりコーチが決まらなかったことが大きいです。モロゾフコーチに信頼を置いていたので・・・。2012年3月に今季は指導できないと言われ、それ以降も面と向かってはコーチ関係の解消は言われてなかったんですが、結果的にそうなってしまいました」(スポーツ紙)
安藤がモロゾフに信頼を置くのは当然だ。
モロゾフは、2006年のトリノ五輪で荒川静香に金メダルを獲らせた後、高橋大輔や織田信成を教えて世界トップレベルのスケーターに育てあげた。
安藤はそんなモロゾフから06年から昨年まで教えてもらっていた。
2007年、2011年と世界選手権で金メダルが獲れたのもモロゾフのおかげだろう。
ふたりは、コーチと選手という関係を超え、2009年頃から恋愛関係に。
しかし、モロゾフ氏は、安藤の元を去り、しかも今季は一度は袂(たもと)を分かった高橋大輔のコーチに復帰した。
モロゾフはなぜ安藤のコーチを辞めたのだろうか?
重すぎたのだろうか?
モロゾフが真相を語ってくれた。
「美姫に最後に会ったのは今年6月でした。私たちが話したことはスケートのことではありません。私は美姫から3月に今季もコーチとして指導してほしいと言われて断っていました。その理由をこれからお話します」
「2011年夏のある日、私は美姫から突然、あなたとは、もう関係を続けたくないと告げられたのです。私達は恋愛関係にありました。そのようなことを彼女から切り出されるまで、ふたりの関係に何の兆候もありませんでした。だから私は非常にショックを受けました。何が起きているか理解できなかった。新しい彼が出来たのだろうかという思いも頭をかすめました。ですが彼女は苦しげな顔で、もうスケートはしたくないのと言ったのです。私達を結ぶ唯一の絆がスケートですが・・・彼女にとって私との関係が重荷になっていたのかもしれません。私は親権に、彼女と結婚することを考えていたのです。でも彼女の状況は、それは許されないことだったのかもしれない。」
わかったことは、モロゾフが安藤との関係解消をしたと報じられているが、安藤からの通知だったようだ。
さらにソチ五輪で、ロシア協会から、最大のライバルである日本人選手のコーチをしていることに難色を示し、彼が国の命令に従ったという報道もされたが真相はそうではなかった。
「たしかに私は今、すべてのロシア選手が上達するのを助けています。ソチで母国に良い結果を残してほしいですからね。だからといって、ロシア政府や協会から何か言われたことはありません。そんなこと言われているなら高橋選手のコーチはしていません」
安藤についてどう思っているのだろうか?
まだ好きなのか聞いてみた。
「もちろん美姫のことを好きでなくなることなんて、どうしてできるでしょう。今でも心から愛しています。日本の皆さんどうか、美姫のことを悪く言わないでほしいです。彼女がここに至ってしまったのは、仕方のないことだったのかもしれないのです」
ロシアで一時期同棲をしていましたね。
日本に帰国して遠距離になってから、精神が不安定になったのでしょうか?
ネットではメンヘラになったと言われ叩かれていますが・・・精神を病んでしまっているようです。
後、モロゾフは安藤は感情の哀楽が激しいとも語っていました。
安藤の感情をコントロールすることもコーチの仕事だったと。
安藤美姫とモロゾフコーチのメールの関係
モロゾフコーチと破局をしてから、歯車が狂いだし、精神的にも追い詰められ自暴自棄になっていましたが・・・。当時、引退後の仕事について考えていたようです。そして、相談相手が元恋人でありコーチだったモロゾフ氏のようです。
「約2年ぶりに復帰し、いきなり高得点で優勝したキムヨナの存在が、安藤にとってかなり刺激になっているようです」(フィギュア関係者)
2012年10月に、今季のグランプリシリーズ欠場と、来季限りでの引退を発表した安藤美姫。
2006年から指導を受けていたニコライ・モロゾフに代わるコーチが見つからなかったことが欠場の大きな理由だという。
その発表直後、週刊誌のインタビューでモロゾフ氏は、安藤との関係をこう話した。
「私達は恋愛関係にありました。私は真剣に具体的に彼女と結婚することを考えていたのです」
しかし、破局すると同時に師弟関係も解消した。
完全に決別したかと思われているふたりだが、実はいまでも連絡を取り合っているそうだ。
「安藤とモロゾフは、定期的にメールをやり取りしているんです。彼女は引退後の相談もしているようで、フィギュアの振付師になりたいと彼に話をしているそうです」(スケート関係者)
ふたりは恋人関係は解消をしたが、いまでも信頼関係は厚いようだった。