宍戸錠は妻が亡くなり自宅全焼の危機も現在は!息子・宍戸開と溝も
エースのジョーという愛称で知られる俳優の宍戸錠は、1954年に日活の第1期ニューフェイスに合格。1955年に「警察日記」でデビュー。「渡り鳥シリーズ」「拳銃無頼帖シリーズ」「流れ者シリーズ」などで人気に。2001年に45年間両ほっぺに注入されていたシリコンの摘出手術を受けた。息子は俳優の宍戸開。
宍戸錠の自宅が火災で全焼
2013年2月4日の夜に宍戸錠の自宅が火事に。しかも最悪なことに全焼だった。出火原因は分からず、宍戸は放火されたと告白してた。普段から枕元には木刀を置いて用心はしていたそうです。
「僕は外出の際、暖房などのスイッチは全部切るし、コンセントまで抜いています。まだ出火の原因は不明だと警察や消防はいうけど、自分としては放火じゃないかと思ってね・・・」
東京世田谷区にある自宅が全焼。周辺住宅3棟を含む270平方メートルが火事に見舞われた。
出火当時、宍戸は外出中で、人的被害がなかったのは不幸中の幸いだったという。
1964年にこの土地(500平方メートル)を購入し、2年後には2階建ての豪邸を建築。妻や子供たち5人と暮らしていた。
宍戸は1962年に日活の女優だった妻・游子(ゆうこ)さんと結婚。長女に長男で俳優の宍戸開。開さんのマネジャーを務める次男の宍戸表の3人の子供をもうける。
子供達も自立したが、妻・游子さんに2008年がんが見つかり、胃の全摘出手術を受ける。その後も闘病を生活を送り、2009年に肺に転移が見つかった。2010年4月に妻は亡くなった。
同年12月に息子の開は1年半交際したという小学生の男児がいる同い年の一般女性と結婚。開の結婚をテレビで知った宍戸。開は父の宍戸に何の報告もしないまま結婚したため、宍戸と開の間には深い溝があるという。その後、宍戸は1人暮らしをしていた。
火災から数日後、週刊誌が火災現場を訪れると宍戸が偶然現れた。
火事の当日は、昔なじみの映画スタッフを偲ぶ会に出席していたという。
その後、娘夫婦と食事をし家に帰ったら家事になっていた。
そういうと、自ら門を開け、入って下さいと通された。
火災現場は映画などのビデオテープが至るところに散乱していた。
「俺の映画で使ったおもちゃの十数丁の拳銃も燃えた。100本のメガネも無くなって、持っているのはいまかけているのだけ。家の中のものは全部大切ですよ。俳優になって58年間で400本ほどの映画に出演しました。衣装も自前が多かった。それも今着ている1着だけになってしまった」
当時は都内のホテルで過ごしていたそうだ。
宍戸は家の中を歩きながら説明した。
「ここは娘の部屋。ここが応接間。不審者の存在を感じていたから、俺は最近、台所に寝泊まりをしていました。枕元には木刀と懐中電灯を置いて寝ていました」
さらに話は続く。
「家が焼けたくらいで泣いたり、びくびくしてるヤツは男じゃないね。俺はそういう感じだから平気。かえって土地を売りやすくなった(笑)。こんなことに負けるか!」
少し寂しそうな表情を浮かべた宍戸。家を出ると、近所の住民が数人、集まっていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
宍戸は深々とお辞儀をする。
しばらくすると興奮した声があがった。
「大事なものがあったよ!結婚式の写真!」
満面の笑みを浮かべ宍戸が手にしていたのは、赤いアルバムだった。
そこには、若い時の宍戸と妻・游子さんの結婚式のモノクロ写真があった。
台紙は濡れていたが、写真は綺麗なままだった。
感慨深そうに写真を見つめる宍戸にこれからの夢を聞くと、
「死ぬまで俳優を続けることだよ。お袋は映画が好きだったからね・・・」
どんな苦悩でも常に前向きの懐ろの深さは、さすが宍戸だった。
その後、2014年3月に都内で行われた出演ドラマ「スターウルフ」のDVD発売記念座談会に参加。現在の住まいは内緒で、だいたい焼失した自宅の近所にいるようないないようなとはぐらかす。本音は仕事が少ないことに現在危機を感じているそうです。