アントニオ猪木は倍賞美津子や米国女性に22歳年下妻と3度の離婚
元プロレスラーのアントニオ猪木は13歳の時に一家でブラジルに移民。17歳の時に力道山にスカウトされ帰国。1960年に日本プロレスでデビュー。1989年に参院選でスポーツ平和党(当時)から出馬し初当選。1998年にプロレス引退。
アントニオ猪木に不倫交際発覚
「非常識に生きなくちゃね。みんな常識の枠内で生きているからね。はみ出してみると面白いこととか違う面が見つけられる」
2010年12月22日、TBSの生活情報番組はなまるマーケットでアントニオ猪木が言い放った言葉。
生出演を終えた猪木は、小柄な熟女とふたりで車に乗車し局を後にした。
その5日後の12月27日の六本木に、トレードマークの赤いマフラーをなびかせた猪木の姿があった。
隣に寄りそうなのはまたしても同じ女性。
車で乗り付けた先は、ビルの2階にある会員制のバーに入って行った。
「その女性は猪木さんの彼女といわれていたA子さんですよ。猪木さんの身のまわりの世話を全部やっています」(芸能関係者)
猪木といえば1964年に約2年間アメリカで修行を行った際、1人のアメリカ人女性と出会った。ふたりは同棲し結婚。子供も1人できたが亡くなってしまったという。
1971年には女優の倍賞美津子と結婚し、子供は娘をもうける。しかし、猪木が経営する飼料会社や飲食店が経営不振になり、暮らしは困窮。そんなとき妻・倍賞美津子は1985年の映画「恋文」で共演した俳優の萩原健一と恋に。そして1987年に離婚。理由は妻・倍賞美津子の不倫だったと言われている。
「猪木さんは1989年に22歳年下の尚美さんと再婚し、現在は成人した息子がいます。1991年には身内だけで子連れ船上結婚式を挙げました。再婚10年目の1998年には、長男にアメリカでの教育を受けさせたいと言って家族3人で米国に移住しています。事があるときは日本に来る生活をしています。アメリカではメトロポリタン美術館の近くに住んでいます」(米国在住商社マン)
再婚22年目の猪木を燃えさせているのはどんな女性なのか?
「彼女は当時52歳年のカメラマンです。1996年頃から猪木さんの写真を撮り始め、1997年と2001年に猪木さんの写真集を出版しました」(芸能関係者)
「猪木さん一家がニューヨークに移住したことから、A子さんは猪木さんの絶大な信頼を得るようになったようです。六本木のバーを経営するいっぽうで、いまでは猪木さんの会社の役員にもなっています」(芸能関係者)
12月27日の夜に六本木のバーに訪れたのは、A子さんの店だったのだ。
猪木が店からでてきたのは4時間後の深夜1時過ぎだった。
ふたりはタクシーに乗り込むと、港区内の高級マンションの中へ消えていった。
一夜明けた12月28日の朝8時過ぎに猪木がマンションから姿を現し、迎えの車に乗り込む。
数分後にA子さんもその車に乗り去っていった。
ふたりの関係を猪木の事務所に週刊誌が問い合わせたところ
「不倫ではありませんよ。その部屋は衣装部屋ですからね。スタッフもよく出入りして一緒に過ごすこともあります。朝まで何をしていたのか?それは私にもわかりません。彼女が猪木さんをサポートしているのはニューヨーク在住の妻もしっていますよ」
その後、2014年8月に猪木が3度目の離婚していたことが分かった。原因は猪木の浮気といい、息子が成人したため妻が同意、2012年11月末に離婚したという。離婚が成立したのは2013年秋頃だそうです。