荒木しげるの亡くなる3日前に前妻から暴行を受けていた過去
俳優の荒木しげるは1968年にフォークグループ「フォー・セインツ」のドラマーとしてデビュー。1973年に解散し俳優に転身。1975年の「仮面ライダーストロンガー」などに主演。2012年4月に63歳で亡くなられています。
元仮面ライダー荒木しげるは亡くなる3日前に前妻から暴行を受けていた
仮面ライダーなどの役で俳優として活躍していた荒木しげる。離婚した前妻・A子さんが、荒木さんが亡くなる3日前(危篤状態)の時に、前妻・A子さんが寝たきりの荒木さんに暴力を振るっていたことを荒木さんの友人が告白していたという。
「7年間ずっと支えてきたIさんと最初の奥さんとの長女に最後の対面もかなわず、手を握ってもらえなかったことは荒木さん自身、本当に悔しかったと思います」(知人)
ドラマで俳優として活躍した荒さん氏が亡くなったのは2012年4月14日のことだった。
死因は肺アスペルギルス症という、呼吸困難に陥る病気だった。
亡くなってから1年3ヶ月経った時、実はその最期の病床での仰天トラブルが続いていたことが発覚した。
亡くなる3日前の危篤状態の病室で、暴行と器物破損の被害があったことが、警察・検察に申し立てられていたという。
申し立てをしていたのは、荒木さんの最期の7年間を公私にわたって支えてきた女性Iさん。
荒木さんが長い別居の末、2年前に前妻・A子さんと離婚してからは、前妻・A子さんの前の奥さんの長女とともに、Iさんは闘病の面倒を見てきたという。
荒木さんが神奈川県にある病院に入院したのは2012年4月2日。
この時、すでに歩くことのできない状態だったという。
「入院申込書を書いたのは私です。この時点で彼は書くこともできないほど衰弱状態に陥っていました。78キロあった体重も半分に・・・」
重篤な荒木さんの介護をIさんと長女は交代でした。
入院を知らせてないはずの前妻・A子さんが、突然病室にやってきたのは1週間後の4月9日。
この時、荒木さんは、「生命保険のことで彼女が来た」とIさんに伝えた。
そして、トラブルが起きたのは2012年4月11日だったという。
Iさんと長女の証言をもとに週刊誌が修羅場を再現している。
2012年4月11日朝、「呼吸が薄く危険な状態です」とい病院からの連絡を受け、Iさんと長女が駆けつける。
意識はなく、こんこんと眠る状態だった。
荒木さんの足は氷のように冷たくなっていた。
ふたりは必死にマッサージをした。
長女が靴下を買いに外に出たときに事件は起きた。
「何が危篤だよ!なんで私に連絡がこないんだよ!」
前妻・A子さんがいきなり病室に入ってきた。荒木さんに近づくなり、いきなり彼の顔面を平手打ちした。その時、酸素マスクが飛んだ。
それまで閉じていた荒木さんの目がぱっと開いた。
びっくりしたIさんは、あわてて酸素マスクを着け直した。
「こんな体になるまで、あなたの言いなりに必死でお金を作っていた人に、なんてことするの!私にまで100万円を出させておいて!」
「そんな金、もうとっくにないよ!それより、なんでこの女がいるんだよ!」
A子さんが荒木さんに再び殴りかからんばかりになったので、Iさんは止めにはいったが、すると逆にIさんはA子さんに髪の毛をわしづかみにされ、そのまま室内で引きずりまわされる。
Iさん、「やめなさい。病室で何をするの!」
しかし、A子さんは今度は左顔面を蹴った。
Iさんは、引きずられるまま抵抗せずに、ポケットにあった携帯電話で、主治医に助けを求めた。
結局、看護師が入ってきて、A子さんを厳しく叱責しようやく収まった。
そして、この事件があった2012年4月11日にA子さんは荒木さんとの婚姻届けを再び役所に提出したのだ。
その後、危篤の知らせを受け、長女の母親である最初の奥さんも駆けつけた。
病院の看護師はこう告げたという。
「荒木さんはIさんに付き添ってほしいと言っていました。しかし、このような状況ですと、戸籍上、妻の立場である人が強いです。病院としては病人の安静と回復が一番です」
荒木さんの身を案じれば、このまま身を引くよりなかった。
そして3日後、荒木さんは息を引き取った。
荒木さんの葬儀を取り仕切ったのは、再び妻となったA子さんだった。
葬儀はテレビ中継され、彼女は、「これまでつきっきりで看病した」と、けなげな妻を演じていた。
Iさんと長女は、葬儀にも立ち会えなかった。
Iさんは、警察に被害届けを提出。
暴行事件のみで傷害容疑が抜けていたので、いったんは不起訴処分となったが、今年4月に改めて審査申し立てをし、検索審査会に受理された。
Iさんは、当時怒っていたという。
なぜ、暴力を振るい、3日前に強制結婚をしたのか。
この件が本当なのかA子さんに週刊誌が取材。
検察審査会に受理されたIさんの申立書を見ましたか?
「それで、私、警察に事情聴取に行きました。私が頭を蹴ったとか、いろんなことごちゃごちゃいってるんですけど、私に対する嫌がらせ。あの人、私からうちの主人を取ろうとしてたみたいなの」
Iさんへの暴行について。
「あの人が最初に渡しを殴ってきたの(略)」
2011年前の離婚理由については。
「うちの娘はまだ当時高校生で、受験を前にパパが具合が悪くて稼げなかった。お金が必要だったし、離婚して私と子供ふたりになればいいと思ったの」
母子家庭になれば、公的機関から金銭的優遇処置を受けられる。
それでしのごうとしたと記者に打ち明けたという。
「そうやって離婚した人もいっぱいいるじゃない。こんなこと恥ずかしくてとても言えないですよ。それで離婚届けを書いたとき、娘が大学に受かってちゃんとしたら、また籍を入れようって、主人は婚姻届けも書いていったんです」
A子さんの言い分は、離婚は経済的な理由で、また再婚をすることを約束していたのだという。
A子さんの娘は2013年4月に有名私立大学に合格。
再婚理由は他にもあったという。
「私だけが籍を出たんだから、葬儀になった時、喪主になるのが娘になるんですよ。もしね、保険金を貰うときに支障が出るから再婚しようってパパと話していたとしたって、何が悪いですか?」
取材を終えた5分後に、「言い忘れたことがあります」と週刊誌に電話がかかってきたという。
離婚時に経済的に困っていたのは、「主人が2011年4月に目黒区議選に出馬し、貯金を使い果たしたから」と説明をした。どういう方法で解決に向かっていくのでしょうか。