浅野ゆう子の婚約中の恋人・田宮五郎はクモ膜下出血で死去
女優の浅野ゆう子は、1978年に死去した俳優の田宮二郎さんの次男で、俳優の田宮五郎と交際していました。しかし2012年6月、田宮五郎がクモ膜下出血で倒れ一度は回復し退院するも2014年11月に死去しました。
婚約中の恋人、田宮五郎がクモ膜下出血で涙の献身看護
浅野ゆう子が5年交際をして、結婚の約束までしていたという俳優・田宮五郎がくも膜下出血で倒れ、生死を彷徨っていた。生きて欲しいと涙を流し、一生懸命看護をしていたと2012年6月に報じられてました。ふたりの交際は極秘だったようです。
2012年6月上旬の午後6時過ぎ、都内の緊急病院に浅野ゆう子の姿があった。
帽子を目深くかぶり明らかに人目を避けている。
誰かのお見舞いなのだろうか?
忙しい合間を縫って見舞うほど、浅野にとって大切な人が入院しているようだ。
「実は浅野さんは6歳年下の俳優・田宮五郎さんの看護をしているんです。ふたりはすでに同棲をしてます」(舞台関係者)
2012年4月12日、田宮は都内の自宅にいる時に倒れた。
8時間に及ぶくも膜下出血の手術を受け、4日間も意識が戻らず、生死を彷徨ったのだ。
2ヶ月経ったいまも入院中である。
「田宮さんは自宅でトレーニングをしている最中に倒れたそうです」(同上)
ふたりの交際は田宮の兄・柴田光太郎も知らないほどの極秘交際だったようだ。
柴田が語る。
「浅野さんは、弟が前にいた事務所の先輩だと聞いています。今、弟と親しいグループが持ち回りで看病に来て下さっていますが、浅野さんもそのグループの中にいました。浅野さんみたいな大先輩に看病をしてもらうのは申し訳なくて、お断りをしたのですが、看病は一人で背負うより皆で分担すれば楽になるからと申し出てくれました」
兄・柴田は、この件で浅野に迷惑がかかると困惑していたが、所属事務所はふたりの交際を認めた。
「交際については、たしかに聞いております。ただ、彼が病気を抱える微妙な時期なので、事務所としては静かに見守っていきたいと思います」(浅野の事務所)
浅野の自宅マンション付近では、田宮と仲睦まじい姿がよく目撃されていた。
「少なくとも2年ほど前から同棲しているのでは?2年前は交際を隠したかったのか、ふたりで時間差でマンションを出入りしてましたよ。次第に2人揃って出てくるようになりました。一緒に住んでいるとも周囲に漏らすようにもなりましたね」(近所の住民)
田宮は39歳で俳優デビューをしたが、ふたりはその前からの知り合いだそうだ。
浅野主演のドラマで田宮は何度も共演をしている。
デビューにあたっては、田宮が浅野に相談し、浅野がプロデューサーに頭を下げ、自分の出演するドラマや映画の役を田宮に回してもらうなど面倒をみてきたという。
田宮へのサポートはまだ続く。
「浅野さん自身が経営するメガネ店で、俳優の仕事が少なかった田宮さんを従業員として雇っていたこともありました」(テレビ局関係者)
田宮が店長として店に立っていた時期があったそうです。
2009年には、浅野は都内に2億円で高級マンションを購入。
最上階のペントハウスで広さは130㎡以上。
ここで同棲生活が始まった。
結婚を考えていた矢先に田宮がくも膜下出血で倒れてしまったのだ。
浅野の懸命な看護もあり、一命は取り留めた。
1日も早く復帰をすることを願っていた。
浅野ゆう子の愛に支えられ、リハビリ中の田宮五郎が奇跡の回復へ
くも膜下出血で倒れ入院をしている田宮五郎。すでに倒れてから5ヶ月が経過をしていますが、くも膜下出血は後遺症が大変なことでも有名です。田宮は浅野ゆう子という彼女に支えられ、徐々にですが奇跡の回復へと向かっているようです。
「田宮さんは、2012年7月にリハビリ専門の病院に転院しましたよ。しかし、その生活は予想以上に過酷なものでした。彼の左半身はいまも麻痺が残っています。脳がダメージを受けたことによる高次脳機能障害という状態で、感情の制御が利かないこともあります。不思議と浅野さんがいる時は田宮さんは落ち着いています」(田宮の知人)
2012年8月末、都内のリハビリ専門病院に浅野ゆう子の姿があった。
「浅野さんは、仕事で東京と地方を往復する多忙な日々を過ごされています。それにもかかわらず、時間がある時は、ほぼ毎日彼のところに通い続けているようです。夕方に来て食事後に帰るのですが、たまった洗濯物を持って帰っているそうです。病院スタッフとも打ち解けて、先生の診察にも顔を出し、すっかり夫婦同然の態勢でリハビリに励んでるようです」(芸能関係者)
田宮と浅野は病院内にあるカフェへと入っていった。
小声で話しかける浅野とは対照的に、田宮の声はカフェ中に響いていた。
「くも膜下出血の後遺症なのでしょう。会話がかみ合わなかったり、声のボリュームを調節することが難しいなどの症状が出ているみたいです。早く復帰したいのに思うように体が動かないからイライラが募るようで、病室内では怒鳴ったりすることもあったようです。浅野はこんな彼を必死に自分が彼の手足になると言わんばかりに彼の世話を率先して買って出てるみたいです」(田宮の知人)
カフェで1時間ほど過ごすと病室へと帰っていった。
浅野の献身的な看病が功を奏したのだろうか。
田宮にも少しずつであるが回復の兆しが見え始めている。
「田宮さんは同じ境遇の人と生活がしたいと申し出て、浅野さんが勧める個室ではなく一般病棟で過ごしています。以前は、食事をする際も彼女に手伝ってもらっていましたが、最近では自分で食べることもできるようになったようです。田宮さんも確かな回復に手応えを感じ、以前よりも意欲的にリハビリに取り組んでいます。精神の不安定から睡眠導入剤を飲んでいましたが、最近では薬を減らしてほしいという意向を伝えているようです」(田宮の知人)
当時、左半身の麻痺をどこまで戻すことができるかが課題になっていた。
日常生活をおくれるようになる程度には回復するが、田宮の目指す俳優復帰にはそうとう高いハードルだ。
だが、それでも田宮と浅野は諦めずにリハビリを頑張っていた。
愛の力が奇跡の復活の一歩となっていたようです。
浅野ゆう子の看病が幸いし田宮五郎が退院
くも膜下出血で倒れ入院をしリハビリをしていた田宮五郎。闘病生活を一生懸命支えていた浅野ゆう子の姿が2012年12月に報じられました。闘病生活からの復帰は絶望的かと思われていましたが、奇跡の回復をし退院をしたようです。一番喜んだのは浅野ゆう子ではないでしょうか。
「先日、田宮さんが退院しました。だいぶ回復したみたいでね。退院する際には車椅子ではなく、杖をついて歩けるほどまでに回復したみたいです」(田宮の知人)
2012年4月にくも膜下出血のため倒れ、都内の病院に入院していた田宮。
あれから8ヶ月ついに退院をした。
「退院には浅野ゆう子さんも付き添ってくれたそうです。退院する彼の姿を見る浅野さんは、喜びで涙ぐんでいたそうです。ここにくるまで長かったですからね」(同上)
「浅野と田宮の交際は5年ほどになり、すでにふたりは同棲中とも言われていた。そんな彼が突然、ある日倒れて歩けなくなってしまったのですから、浅野さんのショックは計り知れなかったでしょう。それでも彼女は泣き言ひとつ言わなかったそうです。多忙のなか、ほぼ毎日病院を訪れて彼の着替えを届け、献身的な世話を続けた」(芸能関係者)
田宮の手術は無事に成功はしたのだが、彼の症状は当初は思うように改善しなかった。
「左半身に麻痺が残り、車椅子での生活が続いていました。脳がダメージを受けたため、高次脳機能障害という状態になっていたそうです。その後遺症から感情の制御が利かないこともあるようでした。しかし、浅野さんがいるときだけは、彼は落ち着いていました」(同上)
浅野は彼を支えるために、趣味のテニスとゴルフをやめた。
この8ヶ月間は仕事以外は全て田宮のために尽くした。
そんな浅野の努力あっての退院。
浅野が喜びを隠さなかったのも無理はないだろう。
「田宮の退院の日は、浅野さんは京都でドラマ撮影期間中だった。しかし彼女はそれを中断して東京に戻り、田宮さんの元へと駆けつけたそうなんです。実はその後、彼女は田宮さんを連れてロケ先の京都まで戻ってきましたよ」(田宮の知人)
京都から近い神戸には浅野の実家もある。
田宮を支える環境としても都合がいいようだ。
今後については、親族一丸となって復帰を支えていくつもりだそうだ。
「田宮さんは松葉杖をついていて、まだ左半身に麻痺が残ってます。だから細かい作業がまだできません。今後は、浅野さんか田宮さんのどちらかの実家で一緒に暮らす予定のようです。浅野さんは仕事で地方に行くことも多いため、彼のサポートをしてくれる人が必要ですからね」(田宮の知人)
俳優復帰には時間がかかるため、奇跡の回復の第一歩を踏み出していた。
浅野ゆう子、田宮五郎のために頭を下げて挨拶回り
2012年4月にくも膜下出血のため緊急入院し、その後、浅野ゆう子の献身的な支えのおかげで、奇跡的な回復をし、2012年末に退院した田宮五郎は松葉杖をついて歩行できるまでに回復。
そして、俳優復帰に向けて、浅野ゆう子が全力で支援している姿が2013年1月に報じられてました。
「田宮さんは現在、杖をついて歩けるようになりましたが、まだ左半身にマヒがあるようです。本人の希望で、定期的に病院でのリハビリを続けていくことになりました」(芸能関係者)
2013年1月下旬の昼過ぎ、都内のリハビリ施設専門病院に田宮の姿があった。
2012年4月にくも膜下出血で倒れ入院し、8月に目撃した時はまだ車椅子が必要だったが、奇跡的な回復をし昨年末に退院をした。
退院から1ヶ月、この日、田宮は右手の杖で体を支えると、ゆっくり自分の足で院内へと入っていく。
順調に回復していることがうかがえた。
浅野ゆう子は、タクシーで一緒に同乗をして病院に来たのだが、この日は付き添わずにタクシーでその場を後にした。
しかし、1時間後に彼を迎えにくると、今度は病院に入っていった。
しばらくして田宮とタクシーで渋谷方向のホテルへと向かっていった。
「田宮さんは所属事務所の社長と会っていたそうです。退院後初めて会ったらしく、現在の状態を報告していたようです。仕事の話はしなかったようですが、田宮さんは芸能界復帰の希望を強くもっています。現状を報告することで、復帰の第一歩を踏み出したのでしょう」(別の芸能関係者)
打ち合わせが終わると、田宮が電話をかける。
すぐに浅野がロビーに現れた。
彼に寄り添うと、浅野は事務所の社長に何度も頭を下げていた。
「浅野さんは、極力、彼と一緒にいられるように仕事のスケジュールを組み、彼の仕事復帰を全力でサポートしています。しかし、自ら決して出過ぎることなく、黒子に徹し、彼が1人で動くように促しているんです。彼もまだリハビリで思うようにいかないこともあり苛立つこともあるようですが、浅野さんは彼の事を優しく励ましいます」(芸能関係者)
この後、ふたりは浅野の自宅へと帰っていった。
しかし2014年11月2日、早朝に自宅で田宮五郎が、再びくも膜下出血で倒れ、浅野に看取られ11月6日未明に死去しました。