中村獅童と妻・足立沙織の結婚には父や母の死に離婚など様々な壁があった
歌舞伎役者の中村獅童は三代目・中村時蔵の三男・中村三喜雄の長男。1981年に歌舞伎座で初舞台、二代目獅童を襲名。俳優としても2002年の映画「ピンポン」、2004年のNHK大河ドラマ「新選組!」などに出演。2005年に女優の竹内結子と結婚し、同年に子供をもうけるも2008年に離婚。2015年に元読者モデルの足立沙織と再婚しています。
実父の葬儀に姿をみせた中村獅童の新恋人
2008年10月、赤くなった目を隠すようにうつむきながら、足早に焼香に向かったのは女優の鈴木砂羽だった。2008年10月11日に胃がんのため亡くなった中村獅童の父・小川三喜雄さん。その通夜が2008年10月16日、東京・南青山の梅窓院観音堂で450人の弔問客を集めてしめやかに行われた。
その通夜の出席をするかどうか注目されていた女性の一人が、獅童の恋人と報じられていた鈴木砂羽だった。
「鈴木さんは焼香をすると神妙な面持ちで両手を合わせていました。獅童さんは喪主として弔問客の対応に追われていたようで、2人が言葉をまじあわせることはありませんでした」(梨園関係者)
会場の供花の名前欄には、渡哲也・小泉今日子・渡辺謙など大物の名前と共に2008年2月に離婚した前妻の竹内結子の名前もあった。しかし当日、竹内結子本人の姿はなかった。
「竹内さんはCM撮影がはいっていたといいますが、それよりも自分が葬儀に行くことで騒ぎになってはと遠慮したそうです。その代わりというわけではありませんが、獅童の父が入院していた病院には、息子さんと2人で何回かお見舞いに訪れていたようです」(芸能関係者)
そんな竹内結子に対して、ひっそりではあったものの、通夜に出席してその存在をアピールすることになったのが、鈴木砂羽だった。2008年2月に獅童と竹内の離婚が成立。その直後に交際相手として報じられたのが鈴木だった。2人は2004年のNHK大河ドラマ・新撰組!で共演。
2008年4月に交際が報じられ、鈴木は真相を聞かれると、笑顔でうなずき交際を認めていた。
「彼女にしてみれば、独身になった獅童くんの現在の相手は自分だという思いもあったんじゃないでしょうか。でも獅童くんは噂の多い人ですし、その後、舞台共演した辺見えみりさんとの親密ぶりも問題になってましたから、ふたりはどうなっているんだろうという声もあがっていました」(テレビ関係者)
しかし、2人の絆はしっかりとつながっていたようだ。
「今回、鈴木さんは一時、弔問を控えた方がいいのではと悩んでいたそうです。もし竹内さんが出席していたら、たとえ離婚しているとはいっても気まずい思いをするとも思ったんじゃないでしょうか。でも結局真剣に交際している相手の父親の儀式に出ない方が人として義理を欠くことになる、本命恋人としての意地のような思いもあり、出席を決めたそうです」(出・芸能関係者)
鈴木は焼香を済ませると、10分ほどで会場を後にしたという。
「これまでに色々噂された女性の中で参列したのは鈴木さんだけでした。それだけ梨園関係者は、鈴木さんを特別な相手かもというように見てました。お互い36歳。亡くなったお父さんは孫が歌舞伎役者になってることを夢見ていたといいますからね。2人とも今後を真剣に考え始めていると思います」(梨園関係者)
しかし、当時獅童の母親に結婚を反対され二人は破局してしまった。
中村獅童と黒木メイサがと真剣交際!沖縄旅行に
2009年9月、交際していることが発覚した16歳の年齢差がある中村獅童と黒木メイサ。ふたりは黒木メイサの故郷でもある沖縄に旅行にいっていたという。結婚を前提として親に挨拶をしにいっていたのか。
「獅童とメイサが沖縄旅行に行っていたんですよ。美ら海水族館デートをしていて、そこで撮った写メを知人に見せていました。出発する前には、おいしい沖縄そばのお店を聞いて回っていましたよ」(ふたりの知人)
2009年9月20日に、ふたりの熱愛報道が報じられ、ちょうどその1週間後、沖縄に旅行していたという。実は沖縄という場所に深い意味がある。
「メイサの故郷なんですよ。彼女が獅童をエスコートして、母校の小中学校や那覇にある国際通りを案内したそうです」(ふたりの知人)
16歳差のあるふたりだが・・・。
「獅童はかなり真剣で、結婚も考えてますよ。これまでは遊びも芸の肥やしと火遊びを続けてきましたが、彼も2008年10月にお父さんを亡くしてから、身を改めようと決心したんです」(芸能プロ関係者)
メイサも2009年5月に父が急死。そんな似た境遇もふたりを近づけた要因のひとつだったようだ。さらに獅童が結婚へ真剣になった背景には、歌舞伎界の現状があるという。
「歌舞伎界は高齢化が進んでいます。だから、早いうちに後継者を育てなければいけないんです。前妻・竹内結子との子供は大事な跡取りだったんですが、火遊びが原因で離婚し子供の親権は手放しましたからね」
ところが、一方で・・・
「メイサの周囲が交際をイヤがっているんです。ドラマで好演したことが評価され、宇宙戦艦ヤマトのヒロイン役にも出演が決まったように、今が旬の彼女。これからが大事なときなんです」(芸能プロ関係者)
獅童がバツイチで、数々の浮名を流してきたという過去も、清純派女優として売っているメイサのイメージダウンにつながるのではと、懸念していたという。その上、さらに歌舞伎界のしきたりが邪魔をしていたという。
「歌舞伎界の体質・考えた方は本当に古いんです。歌舞伎役者の妻は、仕事をやめて夫につかえるのが当たり前という世界。でも、メイサは若いし、引退も出産もまだ考えてないはず。またメイサはアメリカとのクオーター。それを後継者問題を含め、歌舞伎の世界ではいかがなものかという大御所もいるようです」(歌舞伎関係者)
どうやらふたりが結婚するには、乗り越えなければいけない壁がたくさんあったようだ。そして、結婚を強く意識していたのは獅童だったようです。
中村獅童が読者モデル女性と熱愛発覚
中村獅童といえば映画の共演が縁で竹内結子とデキ婚をしましたが、元カノ・岡本綾と飲酒運転事故を起こしてしまい不倫がばれ離婚に。そんなプレイボーイの中村獅童に読者モデルの新しい彼女ができ、同棲を開始したという。
ジェリーショップで男性が女性の薬指をじっと見つめている。この男性は中村獅童で、女性は中村と結婚秒読みとされる、恋人の足立沙織さんである。
ふたりがいるのは渋谷にある高級ジュエリーショップM・A・R・S。2011年1月3日の午後9時過ぎである。時間が遅いこともあって、店内には客はいない。ふたりはショーケースの上にたくさんの指輪を並べる。足立さんは次々と指輪を左手薬指にはめ、眩しそうに、時にはしゃぐように、獅童に感想を求める。指輪を選ぶこと1時間、ようやく決心がついたのか、Aさんが指輪を獅童に渡すと、獅童が会計を済ませた。どうやら彼女への誕生日プレゼントだったようだ。
さらに驚いたのは、店を出たふたりが向かったのは杉並区にある獅童の実家だった。獅童は2009年に湘南に億ションを購入している。ふたりはそのマンションから仕事に向かう仲でもあった。つまり、すでに同棲状態だった。
梨園の妻はかなり厳しいが足立沙織さんはどんな女性なのだろうか?
彼女は早稲田大学在学中に女子アナの登竜門と言われるミスキャンに登録され、読者モデルとして数々の女性ファッション誌に登場してきた。2005年には東京ガールズコレクションの舞台にも立っている。しかし、大学卒業後はモデルを辞めて、人気セレクトショップを経営する企業に就職。シルバーアクセサリーで人気のブランドを担当していた。
獅童は彼女が担当するブランドの大ファンで、この日、獅童がかぶっているニットの帽子もそこのブランド。ふたりの関係は今後どうなっていくのだろうか?
「プライベートに関しては本人に任せており、事務所としては何か進展がございましたら、皆様に報告させて頂きます」(獅童の所属事務所)
新恋人の足立沙織と親公認の仲なのに結婚できない理由があった
2013年5月、中村獅童と元モデル・足立沙織はとの交際は2年が経過し獅童の実家にお泊まりをしたりし、親公認の仲のようだったが、結婚はまだできない状況だったという。一体何が結婚を邪魔してたのでしょうか。
2013年5月初旬のある夜、神奈川県鎌倉市の高級マンションから一組のカップルが姿を現した。高級外車に乗り込んだふたりが向かったのは、都内にある男性の実家だった。男性は中村獅童で女性は獅童と交際が報じられている元読者モデルで人気ブランドメーカーに勤める足立沙織さん。
獅童の実家に一緒に帰省したふたりは、彼の母と一緒に外食を楽しみ、そのまま実家にお泊まり。翌日、鎌倉の自宅に仲良く帰宅するふたりの姿は、恋人というよりもはや夫婦だった。
獅童さんと足立沙織さんは、2011年1月、都内高級ジュエリーショップで指輪を買う様子を週刊誌に報じられ、当時から同棲をしており、結婚間近といわれていた。それからもう2年が経過すぐが、いまでも結婚はしていない。
その理由について歌舞伎関係者が語る。
「2012年12月に中村勘三郎さんが亡くなったことが原因のようで、獅童さんは勘三郎さんの一周忌が終わるまで結婚はしないと周囲に話をしています」
獅童は、歌舞伎の名門・萬屋の生まれだが、父は獅童が幼少期の頃に、歌舞伎役者を廃業したため、後ろ盾がないまま歌舞伎デビューした。世襲の世界で父が廃業したことは、歌舞伎役者にとって非常に不利になる。そのため、獅童は長く歌舞伎で役らしい役につくことができず、テレビや映画のオーディションを受け、活躍の場を求めた。
そんな苦悩する獅童を、歌舞伎役者として引き立ててくれたのが勘三郎さんだった。
「勘三郎さんが、歌舞伎を初めてみるお客さんにもわかりやすいもので、すそ野を広げるコンセプトで、コクーン歌舞伎に取り組み始めた頃、映画などに出始めた獅童さんを見て、面白い奴がいるじゃないかといって、自分が座頭を務める舞台に呼ぶようになったです。そのおかげで獅童さんの知名度もあがり、歌舞伎で役につけるようになったんです」
獅童にとって、今の自分の地位があるのは、勘三郎のおかげで、喪が明けるまで控えたいという考えだったようです。
中村獅童が再婚!お相手は元読者モデル足立沙織
中村獅童には前妻・竹内結子との間に長男がいますが、将来は歌舞伎界入りすると思われていましたが、獅童は元恋人だった女優・岡本綾との浮気がばれ、離婚になりました。
でもやっぱり自分の跡継ぎが必要のため、再婚したい気持ちが強くなり、2010年夏に友人の紹介で知り合った元読者モデル・足立沙織と真剣交際をしてきました。その後、家族にも紹介を終え、結婚秒読みと何度か報じられましたが、結婚には至りませんでした。
2013年12月に獅童の母親・小川陽子が死去。母の死を機に考えが変わり、家を支えてくれる女性が必要ということで2015年1月に交際していた足立沙織再婚しました。
「母を発見したのも僕でした。その前日も母と一緒に食事をして元気だったので、あまりにも突然のことで・・・」(中村獅童)
中村獅童は母と二人三脚で歩んできた。
中村獅童の父である先代の中村獅童に嫁いだ母・陽子さんが歩んできた道はいばらの道だった。
「獅童さんのお父さんは、舞台上でかぶっていた桂を投げつけて梨園の世界から出て行った反逆児でした。望んで梨園の嫁になった陽子さんは、これが悔しくて仕方なかった。獅童さんが生まれると、彼が自発的に歌舞伎の道を志してくれるよう、物心つく前から劇場を引っ張り回しました」(歌舞伎関係者)
そして獅童は7歳の時に歌舞伎の稽古を習いだした。それまで34年間、母・陽子さんと奮闘の日々が始まった。ほかの梨園の子供は学校が終えるとハイヤーで迎えにくるのだが、獅童は1人で電車を利用した。
「獅童は8歳で初舞台を踏みましたが、楽屋の支度も陽子さんの仕事でした。重い鏡台や絨毯を持って、歌舞伎座の階段を上がっていく母の姿をいまでも覚えているそうです」(同上)
獅童は、20代の頃はまともな役につくことができなかった。獅童は、アルバイトをしながら矢沢永吉の成りあがりを読み、夢を実現させてみせると耐えてきた。2002年にオーディションを合格し、映画「ピンポン」に出演すると、ドラマ「HR」にも出演。ここで注目され人気が出てから、人気役者の仲間入りをする。
そして2005年に竹内結子と結婚をするも、入籍16ヶ月で離婚をする。そして、獅童の再婚の話が2010年夏に浮上する。
「友人の紹介で知り合った29歳の元読者モデルAさんです。3ヶ月後には獅童のマンションで同居を開始するアツアツぶりでした」(別の歌舞伎関係者)
2人は獅童の恩人でもある中村勘三郎さんの喪が明けてから入籍するとみられていた。
「獅童さんは、歌舞伎の世界では、やっぱり家を支えてくれる人が必要だと話していました。陽子さんの葬儀ではAさんの親族も来ていたようですよ」(参列者)
両家の親族は顔合わせをしていたようです。
会見で獅童は母へこのような言葉を贈った。
「僕を産んでくれてありがとう。これからも僕の舞台を見守って下さい」
これまで、二人三脚で母と2人で頑張ってきた獅童にとって母の死は大きなショックを受けたと思います。そして、2015年1月に足立沙織と再婚。二人三脚で頑張っていくようです!