佐伯日菜子は元旦那・サッカー奥大介のDVで離婚へ!子供は
女優の佐伯日菜子はファッション雑誌「Olive」の専属モデルで芸能界デビュー。1994年に映画「毎日が夏休み」のヒロインとして女優デビュー。2002年に横浜F・マリノスに在籍していた奥大介と結婚。2人の子供を授かも2013年7月に離婚。2014年10月に旦那・奥大介は交通事故のため亡くなっています。
佐伯日菜子は6年間もDVを耐えていた
妻であり女優・佐伯日菜子を脅迫した疑いで2013年6月に、元サッカー日本代表の奥大介が逮捕されました。どうやら、交際中から佐伯は旦那からDVを受けており、5~6年前からはさらに激しくなり、抵抗する気力も失い奴隷状態だったそうです。奥は酒癖も悪く、妻にあたることもかなり多かったと報じられました。
「奥選手は、子供の前でも日菜子に暴力をフ振るっていたそうです。周りが注意しても逆ギレして手がつけられない。彼女には余計なことを言うな!と怒鳴りつけていました」(佐伯の知人)
2013年6月6日に、旦那・奥は逮捕された。逮捕理由は、妻・佐伯に電話し脅迫をしたためだった。さらに、6年以上にわたってDVを受けていたそうだ。
ふたりは2002年にでき婚をする。
1994年にジュビロ磐田に入団した奥は、1998年に日本代表に選出。
2002年に横浜マリノスに移籍すると2003年からキャプテンとしチームを牽引し人気絶頂だった。
「長女を出産後、夫人はよく子供を連れて練習場や試合会場に来ていました。あの頃の奥選手は人気絶頂で、1億円近くの年俸をもらっていたと思います。ふたりはいつも笑っていて幸せそうでした」(サッカージャーナリスト)
しかし、2004年に日本代表を外されると2006年にはマリノスから戦力外通告を受ける。
この頃から、奥のDV行為は日常化していったという。
「日菜子は誰にも言えず、地獄のような日々を耐え続けていました。ある時に腕にアザができていたので聞いてみると、彼女は転んだのと言っていました。でも暴力は次第にエスカレート。彼はもともと酒癖がひどく、人前でも殴るようになっていました。彼女が仕事でロケに行けば、浮気してるだろ!子供をほったらかしやがって!と何度も電話をしてくる。その異常な行動に子供への危害が及ぶと思って、彼女は仕事を断るようになっていました」(佐伯の知人)
2007年に再起を近い横浜FCへ移籍したが、シーズン終了後に引退。
翌年から、テクニカルアドバイザーや強化部長を歴任するなど裏方でチームを支えた。
しかし、今年1月、体調不良を理由に突然の退団を決意し、地元尼崎市にあるお好み焼き店で働いていた。
「日菜子さんはもう限界でした。そこで彼の機嫌がいい時を見計らって、一度地元に帰ってみたら?と提案して距離を置くことにしたそうです」(芸能関係者)
奥はお金の困ってお好み焼き店で働いていたとも報じられたがそんなことはないようだ。
16年の親交があったお好み焼き店の店主が話す。
「生活に困ってうちで働いていたといわれているようですが、それは違います。週に3日ほど来てくれていましたが、大介さんは一切お金を受け取らなかった。自分はサッカーしかやったことがなかった。でもこれを機会にサッカー以外のこともやってみたいと言って手伝ってくれたんです」
奥はどんな悩みがあったのだろうか?
「大介さんは指導者の仕事は、自分には合わない。あんなに好きだったサッカーが嫌いになりそうだ・・・と悩んでいたんです。強化部長になると、どの選手に戦力外にするか決めないといけません。大介さんは戦力外を伝える際に選手の家族の顔が浮かぶのが辛くてしかたなかったそうです。最後は精神的に参ってしまい、体調も崩したそうです」(店主)
今回の事件のきっかけは、2013年6月3日におきていたと店主が続ける。
「大介さんに電話をしたら落ち込んだ声で、嫁と喧嘩したって言って、店も休んだんです。日菜子さんからも電話があったので、ふたりにお互い冷静になって話し合って下さいと言いました。その後、大介さんにどうなったのか聞くと、大丈夫。もう心配せんといてと元気になっていたので安心したのですが・・・」
第二の人生を歩み始めていた奥が口走ってしまったひと言が、ずっと耐えていた妻の最後の一線を越えてしまったのだろう。
逮捕後、報道陣に囲まれて警察署へ入っていった奥がその時に着ていたTシャツは、マリノス時代の栄光の背番号14番が描かれていた・・・。
佐伯日菜子と奥大介のDV離婚慰謝料は1億円
妻を脅したとして逮捕された奥大介。当初はDVや脅したことを否定をしていましたが、佐伯日菜子の条件を受け入れ和解になりました。その結果、不起訴で奥が拘留中に佐伯との離婚が決まりました。
佐伯は、不起訴になった理由を次のように語っています。
「ここ数日、本当に色々と悩み考えましたが、弁護士の先生方ともお話をし、彼にもまだ 未来があり、これからの人生を頑張っていって欲しいので、あえてこれ以上、事を大きくするのは
ひかえる事にし、示談を受け入れて被害届を取り下げる事に致しました」
離婚を条件に被害届けを出さないことを約束し離婚に合意。
そして、佐伯の条件をすべて受け入れ、慰謝料は養育費を含め1億円を支払うことになったと報じられています。
「2013年6月6日に送検され、20日間の拘留が決まった後、奥の方から佐伯さんに示談の申し出がありました」(社会部記者)
奥が逮捕されてから1ヶ月、ふたりは離婚に合意した。
「起訴、裁判となればダメージが大きすぎるため、離婚の条件を置くがすべてのむ形で佐伯側に申し入れたんです。佐伯さんが彼からの示談を受け入れ、被害届けを取り下げたため、起訴猶予処分となったんです」(同上)
佐伯が奥に提示した離婚の5つの条件
1. 9歳と10歳の娘の真剣は佐伯
2. ふたりの娘が大学を卒業するまで養育費を一括で支払う
3. 精神的損害を与えた慰謝料の支払い
4. 財産分与として、夫婦が所有する自宅マンションを売却し、分与する
5. 今後、奥は佐伯親子、佐伯の母とは連絡することも会うこともしないと約束すること
奥にとってはかなり痛い慰謝料ですね。娘にも会えなくなるとは・・・。
「夫婦が結婚後に得た総収入は、およそ5億円になります。養育費や慰謝料なども含めると、奥が支払う金額は奥を超えても不思議じゃありません」(ふたりの知人)
奥は結婚直後からDVが始まっていたと知人が話す。
「そもそも、彼女が結婚後も女優の仕事を続ける条件で結婚したんです。ところが、彼は子育てを理由に仕事にいかせようとしなかったんです。それなのに、生活費はすべて佐伯さんの貯金でやりくりしていたみたいですよ。彼女は子供が成人になるまで耐えて頑張ろうと決めていたそうです。10歳になる長女でさえ、離婚しなよと言ったくらいでしたから」
奥は和解で不起訴になりましたが、DV離婚の代償は大きすぎた。
佐伯日菜子が知人に明かした壮絶DVの6年間
旦那・奥大介の拘留中に離婚協議が成立し、被害届けを取り下げたので、不起訴になりました。奥は、地元尼崎市で母の面倒を見ていたりし優しいところもあったのですが、一体なぜ、妻には暴力を振るってきたのでしょうか?一部では、束縛がひどかったといった報道もありました。佐伯にとっては、地獄の日々だったことは間違いありません。そんな、佐伯ですが、知人にDVの様子を話していたそうです。
長年のDVが2013年6月に警察沙汰となり先月、夫・奥と離婚した佐伯が、先日、横浜市内で行われた出演映画・インターミッションの舞台挨拶に登場し、事件後初めて公の場に姿を見せた。
所属事務所側は、「警察当局からも詳細を話すことは最悪、命に関わることにもなりかねないので止められています」と聞くことはできなかった。
それほどまでにひどいDVだったのだろうか?
舞台裏を追ってみた。
奥は佐伯を脅迫し逮捕されたものの、佐伯が被害届けを取り下げ、起訴猶予で釈放となる代わりに、離婚に応じ、佐伯も自由の身になった。
奥は、どうして暴走をしてしまったのだろうか?
「筋肉増強剤の副作用説もありましたが、彼女に聞いたら全くの寝耳に水で、そういった薬を奥は一切使っていないし、むしろ嫌がっていたそうです。もし何か精神を崩壊させることがあったなら、強い嫉妬かプライドだと、彼女は昔から言っています」(友人)
さらに続ける。
「何をしても暴力を振るわれる状態がずっと続いていました。離婚を切り出そうものなら、毎回、おまえと子供達を殺すという話になり、次に死んでやるとなり、最後は、お前はオレが心配じゃないのかとなり、殴る、蹴る・・・。最後は抵抗できないほど弱ってて、それはもう想像を絶する地獄の日々だったと思う」
一部では、この騒動は佐伯の売名行為とする声もあるが、友人は、「命がけで売名行為をする人間はいません!」と強く言う。
「今回の事件は起こるべくして起こった長い苦悩の末の結果です。周りのサッカー関係者や地元民には、DVの事実を知っているのに知らないフリをしている人が恐ろしく多いのにも驚きましたね。ほとんどが関わりたくないからノーコメント。もしくは、仲の良い家族や夫婦だったととマスコミに嘘のコメントばかり言っていました」
知っていたのに知らないフリをしていたのは、尼崎のお好み焼きの店主のこと?
聞けば、一方の奥は、「これまで子供のことなんて気にもしてなかったし、習い事や小学校受験にも興味がなく、金の無駄だと言っていた」そうだが、最近、佐伯と子供に宛てた手紙には、「幸せにしてやれなくてごめん」「学校や習い事頑張って」などと綴っていたそうだ。
さらに、親孝行な一面もあり、地元の尼崎市に住んでいる両親への援助もまめにしていた。
「親戚さんのためマンションも購入しているよ。確か2000万円台の物件で完済している。ご両親は働いていなくてバイトしたりするぐらいだから、お金はあまり持っていない。親が上京したり、自分が正月や夏休みで実家に帰るたび、両親に毎回20万円ほどの小遣いをあげていました」(地元関係者)
その後、2014年10月に旦那・奥大介は沖縄・宮古島で交通事故のため死去しています。奥は2007年に横浜FCに移籍し、同年に引退。2011年から横浜FCの強化部長を務め、2012年12月にテクニカルアドバイザーに転身。2013年1月に退職していたそうです。