松本人志は嫁・伊原凛との娘を英才教育!映画や不仲だった父

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お笑い芸人の松本人志は1982年に吉本総合芸能学院に第1期生として入学し、浜田雅功とお笑いコンビ「ダウンタウン」を結成。1994年に自身のエッセイ「遺書」がベストセラーに。2007年の映画「大日本人」で企画、脚本、監督、出演の4役を務める。2009年5月に元タレントの伊原凛と結婚し同年10月に生まれた娘がいます。

松本人志

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松本人志のモテモテ伝説!歴代彼女は

ずっと独身のままだと思っていたら2009年5月、タレントの伊原凛とに出来ちゃった婚した松本人志。伊原は2006年4月から2008年9月まで日本テレビ「ズームイン!!SUPER」にお天気キャスターとして出演。それ以後は芸能活動を休止。なぜ相手が伊原凛なのか?といった意見が多かったようですが。突然の出来ちゃった婚をそんな松本人志のモテモテ伝説は。

島田紳助ですら当日に報告を受けたほど極秘事項だったんだとか。
「同棲していたというのも初耳。おそらく軍団でも側近の宮迫さんしか、知らなかったと思う」(中堅芸人)

松本と伊原の交際が始まったのは、2007年冬。
いずれもデート後は一緒に帰宅している。
しかも、向かった先はこれまで見た中でもっともグレードが高く、かつ、他の女の色がついていないセレブな高層マンションだった。
慣れた様子で入っていくふたり。
それだけ彼女のことが大事だったのだろう。

「ただスポーツ紙が報じているように、とんとん拍子ではなかったようです。伊原は嫁入り修行のため2008年9月で所属事務所を辞めたとなっていますが、実際は違う。まっちゃんとの交際で精神的に追い込まれて休養を申し出たんです。あれだけの大物、相手が務まるか心配だったのでしょう」(芸能プロ関係者)

まっちゃんが週刊誌にスクープされたのは1995年。
隠しマンションで密会していたファンのAさん(当時18歳)に「スタジオ見学の時に電話番号を聞かれた」なんてナンパ手口を暴露されたかと思えば、翌週には、常磐貴子に夜這いをかけている姿をスクープされた。
アイドル・木内美歩にもチョッカイをだしたりしていたが、共通しているのは全員、10歳以上年下だったということ。
中でも常磐貴子との交際は4年にも及び「フジテレビでやっていたレギュラー番組(ダウンタウンのごっつええ感じ)打ち切りで落ち込む松本を常磐が慰め、以来、松本は常磐との将来を真剣に考えた」なんて証言も飛び出すようになった。
それだけに、優香とのディズニーシー&15時間お泊まりデートは衝撃だった。

次のスクープされた相手はSPEEDのhiroである。
いくら年下好きとはいえ、40過ぎのおっさんがよりによって・・・と突っ込もうとしたが、この日ははなんだか、様子が違う。
公の場であるハンバーガーショップでツーショットになっているのである。
これまで外で会うときは、必ずカモフラージュ用に後輩芸人らをはべらせていた。
見れば、胸元の開いた赤いワンピース姿のhiroはかなり色っぽい。
しかも彼女の誕生日翌日のデートだった。
テイクアウトの手続きを済ませると、ふたりはジャガーで松本の自宅方面へ。
しかし、このカップルも結局は成就せず。
で、最後に現れたのが19歳年下の伊原凛だった。

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松本人志と伊原凛の披露宴は

報道陣を完全にシャットアウトしての結婚披露宴で、ネットでは批判の対象になっていましたが、週刊誌が披露宴参加者からのインタビューを掲載。民族衣装は着ないでウェディングドレスを着たようです。

「招待客は約300名と言われています。相方の浜田さんはもちろんのこと、キム兄や宮迫さん、千原ジュニアなどのベテランの方から、チュートリアルやノンスタイルの若手まで様々でした」(参加者)
しかし、招待されなかったこんな人達も。
「さんまさんといったいわゆる大先輩には声すらかけてなかったんです。あくまでも、ごくごく内輪でのお披露目会といった趣旨だったんでしょうね」(参加者)

とはいっても、会場は吉本の人間だらけで豪華だったようだ。
「さすが、芸人ぞろいというべきか、スピーチは20人にも及び、みんなすべることなく挨拶をしていました」(別の参加者)
もちろん浜ちゃんもスピーチし、「実はずっと心配していました。結婚出来て本当によかったです」と祝福。
「食生活が安定して太らんように気をつけて下さい。わからんことがあったら、私が駆けつけますから」と、所帯をもった大先輩としてのアドバイスをしていた。

会の最後では、松ちゃんが顔をまっかにし、こんなスピーチを。
「結婚することになりましたぁ。今日の会は、嫁にどうしてもウェディングドレスを着せてやりたかったんで、開催しました。これからもずっと大事にします!」
普段の松ちゃんから考えれないスピーチで会場は大いに盛り上がっていたようです。

伊原凛

娘の出産立ち会いで人生観が変わった

子供が生まれてから丸くなってつまらなくなったとも言われてしまっている松本人志。周りやファンになんと言われようが、娘のことが大好きなようです。でき婚した時は、すぐに離婚するだろうとネットでは話題になっていましたが、かなりの子煩悩ぷりのようです。
映画・さや侍と子育てについて語っています。

松本人志は2009年5月に結婚。
2009年10月には長女が誕生し、その彼が40代半ばで父親になったことによる心境の変化などを語ってくれた。
父親になった変わった点は、今回のような映画を撮るようになったことでしょうか。
昔の自分には考えられなかったことです。
結婚して、子供が生まれてなかったらさや侍はなかったと思います。
実は出産に立ち会いたくなかったんです。何か仕事が入ってくれと思ってました。それが・・・運悪く間に合って(笑)。でも、いま思うと立ち会ってよかったと思います。 

いまでも、娘の顔を見て、ああ、この子が出てきたとき、俺はみていなのかと思って、感動することがあります。
昔は、子供がかわいいなんて全然思わなかったんですけど、娘が生まれてからは、他人の子供でもかわいいと思えるようになってしまった自分がいる。
これはちょっとよくないなと思ったり、えっ本当によくないのか?と思ってみたりしています。 

娘の名前は、姓名判断をしたり、字画を考えたりけっこうしてますけど、僕はあまりそういうのに興味がなく、インスピレーションで、平仮名にしました。
これなら呼びやすいし、実家にいる犬はぺるというんです。
それと同じ感覚でつけました(笑)。
娘は日に日に言葉を覚えていて、多少親子の会話ができるかなぁ。
僕がテレビ出ているのを見て、パパといいますけど、この間全然関係ない人にもパパといってましたから、坊主頭でヒゲ面の男はパパだと思ってるみたいです。
娘の将来については、まだ考えたことはないですが、特別な人にはなってほしくない。
特別なのは僕の代だけでいいですよ(笑)。
最後に映画について語ってくれた。
僕は、従来の映画を壊したくて映画を撮り始めました。
でも、さや侍では一度しっかり映画を作ってみようという思いがありました。
それができたと思います。
いままで大日本人など日本人からは全く評判のよくなかった映画ですが、さや侍はかなり自信があったようです。

松本人志

松本人志はお笑い界の裸の王様!気付かないなら引退しなさい

近年のダウンタウンのトークで笑わない人が増えました。ネットを中心に松本人志への批判などがたくさんありますね。なぜ、ダウンタウンのお笑いは、若い人に受けなくなったのでしょうか?松本人志が面白くなくなったのは、結婚をしてから守りに入ったといった意見も多いようですが・・・。

そんな中でコラムニスト今井舞さんが、松本人志に引退勧告をしています。
2014年のダウンタウンは、番組の視聴率は低迷し、番組タイトルを変えリニューアルをしても残念な状態です。
ダウンタウンが復活するには、まっちゃんの復活なしではありえないと思いますが、また全盛期のようにダウンタウン人気が復活することはできるのでしょうか?

松本人志は、誰もが認める「笑いの王」。
着眼点、表現力、今までのどの芸人も到達しなかった域まで笑いのステージを高めてくれた。
人を笑わせることがカッコイイということを世に知らしめたのは松本人志である。
その功績は大きく、今も若手芸人のほとんどは、彼の影響を受けている。

王として、今も冠番組を持ち、王座に座り続けるまっちゃん。
しかし、目の前にいるのはまっちゃんではなく、過去の彼に向けられているような気がしてならない。
さらに、冠番組が次々に終了し、終わっては名前を変えて、ゾンビのように続いている。
しかし、そこに往年の輝きはない。

最近は映画監督業に前のめりで、ゆくゆくは北野武的な青写真を描いているようにも思えるのだが、興行収入は右肩下がりだ。
この件について、まっちゃんは、「やっぱりオレの感覚に、常人はついて来られんのやろうな」と内心ほくそ笑んでいるようなところがある。

昔は、確かに世の中の先を行っていた彼ではあるが、それも20年以上前の話。
当時と同じ感覚で今の自分を捉えているのだとしたら、視野は狭く、裸の王様ぶりには哀しみしかない。

新作の映画もコントも鈍った今の感覚で、かつての自作を焼き直しているだけ。
新しく始めたワイショーも、マツコと有吉の怒り新党の影響を受け、ああいうの、俺もやりたいねんって始めたと見受けられる。

今の世の中の思いの痒いところを、世間の代わりにかいてやる。
あれはかつて自分が、ガキの使いやあらへんでの冒頭のフリートークでやっていたことなのに、そこに気づかずにワイドショーを始める始末・・。
思えば、あのフリートークをやめた頃が、まっちゃんの終わりの始まりだったのかも知れない。

世間はそんなまっちゃんの衰えには気づいているのに、本人だけが気づいていないという点が、一番、まっちゃんの衰えを感じる。
若い頃の彼が今の自分を見たら、恥ずかしくて失神するのではないだろうか。

かつて、「面白くないものに、昔取った杵柄で持ち上げてもらっている大御所芸人を心底バカにし、ああだけはなりたくないと。なるくらいなら引退すると言っていたまっちゃん。しかし、今のまっちゃんを見ていると、自身が公言してきたああはなりたくない大御所芸人になっている。そのことに自分だけが気づいていない」

往年の松本人志のファンであればあるほど、今の状況は見ていられないだろう。
もうまっちゃんは死んだと思って諦めている人もいると聞く。
引退と言われたら寂しいけど、まっちゃんには大御所になられるのはもっと寂しい。
ファンの思いにまっちゃんが気づいてくれる日は来るのだろうか?

長いこと松本人志を見てきたコラムニストの一ファンとしての意見が綴られていました。
的を得ていると思いました。
ネットでも、同じような意見がたくさんありますね。
松本人志の取り巻きがよいしょばかりするから勘違いをするという意見もあります。
そろそろ完全復活してほしい・・・。

松本人志

松本人志が娘を英才教育!インターナショナル校へ入学させていた

最近の松本人志は視聴率も取れないようになり、オワコンだと言われ続けていますね。本人もそろそろ引退するかもしれないような発言などもしています。

昔は面白かった松本人志がつまらなくなった大きな原因は結婚をしたことだとファンの間では言われていますね。
そんな松本はプライデートでは、娘に英才教育をしているそうです。
木村拓哉と工藤静香の娘が通っている青葉ジャパンインターナショナルスクール・目黒校に松本人志の娘も入学したそうです。
やっぱり英語を覚えるのが目的?

「ちゃんとまっすぐ座ってたべぇたと、松ちゃんが優しく言い聞かせていたんです。奥さんは顔が小さくて綺麗な方でした。ニコニコしながらお嬢さんのお食事を手伝っていましたよ」(居合わせた客)

松本人志がプライベートで妻の伊原凛よ一緒にいるところを目撃されるのは珍しい。
上記の居合わせた客の話は、2014年初め、目黒区内の高級中華料理店でのことだ。

「面白かったのは、そうやって食べ方を教えている松ちゃん自身は、食事中なのにニット帽を被りっぱなしだし、左利きのせいなのか?お世辞にもお箸の使い方が上手とはいえないところ・・・。静かな声で説明していてお嬢さんもちゃんと聞いていましたよ」(同上)

松本は2009年に日テレでお天気お姉さんをしたことがある伊原凛とでき婚をした。
19歳年下の伊原凛は聖心女学院の中等科・高等科を卒業後、フラワーアレンジメントの専門学校に進学。
そして、大手芸能プロに所属しタレント活動をしている時に松本と出会ったのだ。

松本はどういう暮らしをしているのか?
「8年前に松本の個人事務所名義で購入した都内の一等地に数億円する豪邸があるのですが、ここでは生活はしていないようです。基本的には有名なタワーマンションで暮らしていますね。車は以前はベントレーなどの高級外車を乗り回していましたが、ここ数年はレクサスが多いようですね」(芸能記者)

松本自身は兵庫県立尼崎工業高校を卒業後、吉本(NSC)の一期生に。
以降は芸人道を貫いているが、娘の教育にも力を入れているそうだ。
「娘さんは都心にあるインターナショナルスクールに通っています。ここはキムタクと工藤静香の娘たちも通っているのですが、本来、英語が母国語の家庭の子ばかりで、日本人の合格は厳しいことで有名です。学費だけでも年間200万以上かかるセレブ校ですよ」(同上)

松本は子供が生まれてから私生活も変わったと話すのがテレビ局関係者だ。
「子供が生まれてから、打ち上げなども一次会で変えることがほとんどです。おしゃべりなってからは公園デビューやおむつ替えをしただの、英語の教材を聞かせてるといった話はテレビでしていました。最近は妻と話しをしていたら、娘が会話を理解して○○したらいいんじゃない?なんてアドバイスしてくるねんと後輩芸人に話していたそうです」(同上)

かつてはお笑いに魂を売ったと言っていた松本人志だが、いまではすっかり娘に夢中だそうです。
娘は5歳になるそうです。
芸人として松本人志がつまらなくなった娘に熱心になったことが原因?

松本人志

松本人志が不仲だった父・譲一さんとの思い出

松本人志さんはテレビなどで母と共演もしたことがあります。しかし、父・譲一さん話は全くしませんでした。そのため、父がいないと思っている人も多かったようです。

まっちゃんの母は地元の尼崎市では、知らない人がいないぐらい有名な人で、創価学会員であることも有名ですね。
住んでるところも、実は管理人の家から徒歩圏内です。

毎年、お正月がお盆には地元にこっそり帰ってきているまっちゃんですが、父が亡くなって葬儀のため尼崎市に帰ってきていたようです。
これまで語られることがなかったまっちゃんと父・譲一さんとの思い出!

2014年8月31日のワイドナショーで松本人志が突然こう話した。
「全然大した話じゃないんですけど、うちの親父が死んだんですよ」

このことは番組スタッフには一切知らせていなかったため、びっくりしたそうだ。
驚くゲスト出演者の東国原英夫に、香典いただいてもいいですか?とボケるなど、笑いの返るセンスはさすがだ。

しかし、寂しげな表情を浮かべながらこう続けた。
「でも、そんなに親父との折り合いはよくなかったので・・・。だから親父が死んでも別にええかなと思ってたんやけど、思ったより、あっ、結構きやがるなっていうのはありましたよ」

松本人志と父・譲一さんはなぜ折り合いが悪かったのだろうか?
松本人志は1963年に尼崎市で生まれる。
姉、兄の3人兄弟の末っ子。

まっちゃんがお笑い芸人になったのは父の影響?
「親父さんは舞台関係の仕事もしていて、吉本新喜劇とかのチケットを貰ってきてはまっちゃんを連れて見に行ってましたね」(地元関係者)

しかし、小学校になると父との関係がギクシャクするようになる。
「松本さんは九九を覚えていないという理由で、お前みたいな奴は何やってもアカン! しかもそこまで言うかというぐらい無茶苦茶言われたみたい。凄く怒られたことがトラウマになり親父さんに恐怖を感じるようになったとも話していましたね」(お笑い関係者)

まっちゃんは親父との思い出をあるインタビューでこう話している。
「親父が自分をバイクの荷台に乗せた。連れられてきたのは遠い埋め立て地。一緒にあるくうち、ふと親父の背中がどんどん小さくなっていく。アカン、捨てられる! 必死に後ろを追いかけた。小学校2年当時のキッツイ記憶」

中学、高校へあがると、父への思いは反発へと変わっていった。
もちろん、まっちゃんがお笑い世界に入ることも父は大反対した。
「吉本に入る時もボロカスに言われた。「絶対無理やって!」。だから絶対出世したろという気持ちになりましたね」(松本人志)

その後、ダウンタウンとして一気にお笑い界の頂点まで登り詰めたが、それでも父は認めてくれなかったそうだ。
最後まで雪解けすることがなかったまっちゃんと譲一さん。

しかし、番組終了後、ツイッターでこうつぶやいている。
「葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった・・・」

実は相方の浜田雅功はチキンライスという曲をリリースしている。
この曲の作詞作曲を務めたのはまっちゃんだ。
まっちゃんは父とは折り合いがわるかったようですが、父への思いは強かったようです。

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