上田晋也はコンビを改名し司会者で大躍進!年収や嫁に子供は
お笑いタレントの上田晋也は、1991年に高校の同級生だった有田哲平とお笑いコンビ「海砂利水魚」を結成。2001年10月にテレビ番組の企画で敗れコンビ名を「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に改名。2004年12月に同郷の熊本出身の一般女性と結婚。子供は2人。芸能界きっての、うんちく王として知られる。
いまでは司会者NO1の上田晋也
実力も人気のNO1だった司会者だった島田紳助にかわって誰がその座をとるのか話題にもなりました。ポスト紳助候補には、ロンブー淳や東野幸治や今田耕司の名前もあがりましたが、くりーむしちゅー・上田晋也がその座を獲得したようです。NO1にのしあがるまでの苦労とは。
さんま、タモリ、ダウンタウンといった大物芸能人を抑えて2012年1月発表の第4回好きな司会者ランキングで1位になった上田晋也。
2011年の4位からの大躍進。2013年1月発表の第5回好きな司会者ランキングも1位になっており、2連覇達成だ。
島田紳助が引退しポスト紳助にも名前があがっていた上田。
2012年には12本のレギュラー番組を持っていた。
熊本でプロパンガス店を営む両親の元で生まれ、その時の家庭環境が彼のツッコミ能力を磨いたという。
「上田さんのお母さんはかなり天然ボケな人で、いつも上田さんがツッコミを入れてましたよ。笑いが絶えない明るい家庭でした」(近所の住民)
幼い頃は野球少年で、その時も相手チームからヤジで恐れられたようです。
そして、県内でも有数の進学高校・済々黌高等学校へ。
そこで相方の有田哲平と出会い、そろってラグビー部に入部。
「高校時代、上田くんはリーゼント頭で番長でした。だけど硬派だったので女性と話すのが苦手だったようで、彼女がいた話しなどは聞いたことないです。だから童○番長とよばれていましたよ(笑)」(高校時代の同級生)
1年浪人し、早稲田大学に入学するも、お笑い芸人を目指して中退。
1992年にデビューをする。
「ボキャブラ天国に出演したころは邪悪なお兄さんというキャッチコピーが付けられるほど、毒のあるネタが多かった。自分たちが一番面白いと自負しており、他の芸人のネタには全く笑わない芸人でしたよ」(芸人仲間)
しかし、ボキャブラが終了すると仕事が徐々に減ってきた。
そんな時に転機が訪れる。
ウッチャンナンチャンの番組の罰ゲームでコンビ名がくりーむしちゅーに改名させられる。
結成当時のコンビ名は海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)。2001年にTBS系「新・ウンナンの気分は上々。」の企画の罰ゲームで有田の好物がクリームシチューだったことから、くりぃむしちゅーに改名。当時はバカルディとの対決で負けたほうが改名するという罰ゲームだった。バカルディが対決に敗れ、さまぁ~ずに。その後、海砂利水魚もコンビ名を変えるかたちとなった。
プライドが高い上田は渋々これを受け入れる。
「それから運気があがり、ウソのように明るいキャラになって、一気に仕事が増えていきました」(芸人仲間)
そして2004年10月に、初の冠番組くりぃむナントカがスタートし、そこから上田の司会者人生も始まる。
「スタッフからは、上田がいれば成功するといわれるほど抜群の信頼感があります。上田さんは頭を叩くなどというツッコミはしないで、ゲストのぼんやりした話を何か別のことに例えて説明するツッコミなので、ゲストも楽しくなってつい本音を話しちゃんうですよね」(テレビ局関係者)
昔とは違い、上田は共演者ともしっかりとコミュニケーションをとっているそうです。
Goingで共演する亀梨からは誕生日に数万円もするワインをもらったそうです。
2004年12月には同郷の熊本出身の一般女性と結婚。上田が嫁と出逢ったのは20歳で、彼が1年浪人して入学した早稲田大学1年生時に知り合ったという。上田は中退したが、嫁は早稲田大学を卒業。その後、結婚し息子と娘1人ずつ2人の子供をもうけている。
その後、2015年1月発表の第7回好きな司会者ランキングでは、さんまに次いで2位にランクイン。レギュラー番組は有田哲平とコンビ出演で週に6本、ピンでも5本以上を抱える売れっこぶり。ギャラもコンビ出演だと1番組250万円、ピンだと120万~150万円ぐらいだそうで、年収は推定7億円くらい稼いでいるようです。