小泉進次郎の母との関係は!弟と父・純一郎の絶縁を和解へ
政治家の小泉進次郎は、父・小泉純一郎元首相の秘書を経て、父の地盤神奈川11区を引き継ぎ、2009年8月の衆院選神奈川11区で初当選。復興政務官、自民党青年局長を経て、現在は自民党の農林部会長。兄は俳優の小泉孝太郎。
小泉進次郎の生い立ち
小泉純一郎の息子であり、後継者に任命された二男の小泉進次郎。当初は芸能界入りも噂されましたが政界へ進出することに。
「あの子(進次郎)が2歳のとき別れてからずっと会っていないのですから、何もわかりません。それでも世間様は、実の子供だ、孫だとおっしゃいますが、何分あちら様の子供として育っていたわけで・・・」
そう語るのは小泉純一郎元首相の離婚した妻の母。
つまり進次郎氏の祖母にあたる人だ。
「もちろん忘れたことはございません。でもだからといって、政治家になることへの特別な思いもございません。あちらは政治家の家系ですから。実の子供といっても、突き放すくらいの覚悟を持たなければ、こちらも人生を歩むことが出来なかったわけです」
2歳で別れてから、完全に実の母親とは断絶状態で成長してきた進次郎さん。
彼を母親代わりになって育ててきたのは、純一郎氏の姉、道子さんだった。
「お父さんの一番上のお姉さんが、ふだんはお母さんとして家庭を守ってましたね」
と語るのは、進次郎さんが高校時代に所属した野球部の監督。
小泉家とゆかりのある女性もこう話す
「道子さんご本人から聞いた話では、いちばん手を焼いたのはこの進次郎君だったって。病気がちで、特に夜泣きがひどかったと」
そのうえ、進次郎さんには、もう一人頼りになる人がいる。
父・純一郎氏の姉で三女の信子さんだ。
「進次郎君のお披露目パーティーのとき、挨拶の仕方などについて、個人レッスンをしたのが信子さんだったようです」(自民党関係者)
そんな進次郎さんが珍しく母達に反抗する場面がみられたという。
「2008年9月27日に横須賀であったお披露目パーティーのとき、信子さんだか道子さんだかが、彼の髪型をなんとかならないの?清潔な感じにしたほうがいいんじゃない!とアドバイスしたらしいんです。政治家は短い髪が常識ですから。ところが普段は絶対に口答えをしない進次郎君がこのアドバイスだけは頭を縦に振らなかったらしいです」(地元の後援会関係者)
純一郎氏の後継者としてこの先が期待されます。
小泉進次郎が三男と父・純一郎との絶縁を和解させた
小泉家といえば、エリート家庭ですが、長男・孝太郎は芸能界で活躍する俳優、次男・進次郎は政治家、実はまったく報じられていませんが、弟・三男もいるようです。この三男が父とずっと絶縁状態にあったらしいです。
六本木のミッドタウンから徒歩5分ほどにある隠れ家レストラン。
2010年末のとある夜に、男性4人組がこの店を訪れていた。
小泉進次郎議員をはじめとする小泉一家である。
4人はカウンター席に座った。
そこには三男のAさんの姿もあった。
Aさんと言えば、父・小泉純一郎と絶縁中のはず。
1978年にB子さんと結婚。
孝太郎と進次郎のふたりの子供に恵まれたが離婚。
この時、B子さんはAさんを身ごもっていたが、離婚後小泉家とは絶縁状態になっていた。
2010年11月にも三兄弟の和解を報じたが、まだ和解まではいたってなかった。
4人は乾杯した後に、孝太郎の仕事の話や、Aさんの不動産会社の仕事の話など、お互いの近況について報告している。
純一郎氏は嬉しそうに聞いていたという。
「この店は小泉一家ご用達の店なんですが、4人揃って来店するのは初めてだと思います。進次郎さんは忘年会のスケジュールだらけでなんとかあけてから時間を作ったそうです。Aさんと父の間に座り間を取り持ってました」(店の常連客)
Aさんは父をテレビでしかみたことがなくて、この日も緊張していたという。
「Aさんは純一郎さんのことを父と呼び、純一郎さんは照れくさそうにはにかんでいました。純一郎さんは照れ屋なのか、Aさんの名前を呼べずになーみたいな感じで呼んでいました」(常連客)
28年目にして、ようやく実現した親子4人でのお食事。
小泉一家にとっては忘れられない素晴らしい日になったようです。