松田聖子と夫・河奈裕正と再々婚に離婚した元妻は!母と同居解消も

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歌手の松田聖子は1985年6月に俳優の神田正輝と結婚し話題となった。しかし、長女・沙也加をもうけるも、1997年1月に離婚。1998年には6歳年下の歯科医・波多野浩之氏と再婚するも、2000年12月に離婚。 2012年6月に大学准教授の河奈裕正氏と再々婚しています。

松田聖子

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母と同居を解消していた!原因は聖子の恋人

2011年、10年ぶりに紅白歌合戦の出場を決めた松田聖子。しかし私生活では心残りなことがおきていたようです。当時、母と同居していましたが、松田聖子の恋人が原因で解消になったという。

10年ぶりの紅白出場で娘・沙也加と母娘共演をすることになった松田聖子。
紅白の目玉のひとつだが、その姿を誰よりも喜んでいたのが聖子の母・一子さんだった。
聖子が芸能界を入る前から支え続けてきた。 

デビュー14年目には聖子の身の回りの世話のために福岡から上京して一緒に暮らしながら支えた。
「一子さんは、聖子さんがどんな仕事を選ぶかについても助言してきました。1990年のアメリカ進出の決め手となったのも、全財産を投げ打ってもいいから、頑張りなさいという言葉でした」(芸能関係者)
そんな最愛の母が体調を崩したのが1993年。
心労と疲労を重ね肝臓を悪くしてしまった。 

2001年には緊急入院もしている。
「聖子さんは、知人のつてを頼って、名医がいる病院を探したんです。入院中は、見舞いに行きたかったのですが、混乱になることを避けていけなかったようです。」(聖子の知人)
一子さんの体調は回復していき、2011年夏には、聖子が手を引きながら散歩する姿も報じられた。
母娘は一緒に暮らし、娘は母の面倒をいまもみていると思われていた。
「一子さんは2010年の春に聖子さんの自宅から徒歩数分の距離にある一戸建てに引っ越ししたんです。そこは聖子さんの兄がたびたび来て世話をしているようですよ」(芸能関係者) 

なぜ、家を出たのだろうか?
そこには2005年6月に交際が発覚したマネージャーA氏の存在があった。
「一子さんはA氏との交際に反対しているんです。2度のつらい離婚をした娘に、これ以上悲しい思いをさせたくないという思いがあるのでしょう」(同上)
聖子と一子さんは話あったが、聖子は譲らなかったという。
「家にはいつもA氏がいて、お互い気まずくなっていったんでしょう。一子さんは別々に暮らす選択をしたんです」(同上)

松田聖子

松田聖子の再々婚の裏事情!やっぱり略奪婚だった

常に男性スキャンダルで注目されてきた松田聖子。お相手の略奪婚も囁かれていましたが、慶応義塾大学医学部の准教授のA氏の元妻は略奪婚されたと思っているという。そして、聖子も電撃婚の前夜に、もうひとり交際していた男性を捨てたという。

A氏と聖子が初めて会った場所は、フジテレビの診療所だったという。
「2010年頃、聖子さんは番組の収録中に急に歯が痛くなったんです。それで診療所に駆け込んだところ、たまたまAさんの担当日だったんですよ。最初は聖子さんからのアプローチだったんですが、最終的にはAさんの方が夢中に」(テレビ局関係者)

しかし、当時A氏には、結婚生活15年になる8歳年下の妻・B子さんとふたりの子供がいた。
1991年にA氏が出向していた静岡県の病院で看護師をしていたのが彼女だった。
出向を終えたA氏は、2年間のドイツ留学へ行くことになる。
離ればなれになったふたりだが、B子さんはお金をやり繰りして何度もドイツに通い、1995年に結婚する。

しかし、2010年5月、幸せだった一家に突然変異が起こる!
A氏がちょうど、聖子と出会った頃だ。
ある日、A氏が突然離婚を突きつけたのだ。
「Aさんは理由もいわずに、一方的に離婚するといったきり、自宅を出て行ってしまったようです。あまりに突然の出来事でB子さんは何が行ったの理解できなかったそうです。さらに口にした離婚の条件も勝手でした。子供達の親権はB子さんでいいから、とにかく早く離婚したいということだったようです」(知人)

当然、B子さんは納得できないので、何度も連絡をして話し合いを夫に頼んだが、こんな言葉が返ってきたという。
「忙しくて病院に寝泊まりしているから」
子供にも離婚を説明できないまま不安な日々が続いていった。
そんな精神不安定な状態な彼女を心配して両親がA氏と話し合おうと静岡から駆けつけたこともあったが、話し合いの場に来ても、すぐに仕事の電話がありまったく話し合うことができなかったようです。

なんとかB子さんは元の幸せな家庭に戻りたいと願った。
最後の手段として、話し合いの場に、ふたりの子供を出席させた。
しばらくぶりに会う父親に子供達はたちまち泣き始めた。
「お父さん、別れないで・・・離婚しないで・・・」
しかし、A氏は一言も発することなくその場を出て行った。

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結婚後も前の彼とビジネスパートナーとして交際

「もう限界だ!修復は無理だと感じたB子さんの両親は彼女を説得して離婚届けにハンコを押させたようです」(知人)
こうして7ヶ月に及ぶ話し合いの末、2010年12月にふたりは離婚した。
「養育費だけで、慰謝料は求めなかったと聞いています。裁判をして子供を傷つけることを避けたようです」(知人)

そして、離婚が成立して3ヶ月後のこと。
A氏は聖子の自宅300Mしか離れていないマンションに引っ越しをしていた。
B子さんは、心労から1年半の間に激やせをした。
それでもようやく、落ち着いて生活ができるようになった頃に、また問題が起こる。

2012年6月の上旬のこと、A氏が突然、「子供に会わせてほしい」と言ってきたのだ。
「離婚して1年半、一度も会いたいといってこなかったんです。父親に裏切られた気持ちが強かったのか?子供達は会いたくないと言ったそうです。しかしA氏は引かず、子供との面会を巡って家庭裁判所で話し合いがもたれる事態にまでなったようです。B子さんの両親が間を取り持って、A氏に少し会わせる時間を作ったそうです。いまにして思えば、聖子さんと結婚が決まり、世間に騒がれる前にもう一度会いたくなったんでしょうね」(知人)

そして2012年6月13日に聖子は再々婚を発表したのだ。
B子さんはA氏が再婚をすることを知らされてなかった。
「B子さんは何もしらされておらず、ニュースで知ったそうです。ショックでご飯も食べれなくなり、友人がかけつけてなんとか平常心を保てたほどだったそうです」(知人)

娘への仕打ちにB子さんの両親は怒っていた。
「B子さんの両親は、A氏の離婚の原因が聖子さんにあるなら絶対に許せないと怒ってます。祝福ムードで報じられていることにも、人の家庭をめちゃくちゃにしてと怒ってます」(知人)

離婚の原因は聖子だったのだろうか?
A氏の父に週刊誌が聞くと、
「いってはまずいこともあるだろうし・・・。みんな頑張って幸せになれたらそれでいいんじゃないのかな」と言葉を濁すので精一杯だったようだ。
いきなり離婚を突きつけられたB子さんにしてみれば、まさか離婚をしたい原因が不倫だったので激怒しているようです。
慰謝料も貰えてないので当然かも。

聖子はというと、2004年から11歳年下男性D氏と交際をしていた。
整体師の専門学校を出て治療院で働いていた。
聖子が知人の紹介でその治療院を訪れたことが出会いだった。
聖子はD氏を事務所のマネージャーとして迎え入れふたりは公私ともにパートナーになる。
D氏はやがて、聖子の母・一子さんと沙也加が住む住宅で暮らすようになる。
聖子は07年に、東京・成城に豪邸を建築するがそこにもD氏は住み続けた。
だが聖子の家族はD氏と共同生活に居心地の悪さを抱いたようだ。
まず沙也加が家を出て、次に母も家を出て行った。
そのD氏といまでも交際が続いていたと思っていたのに、一体どういうことなのか?

さらに不思議なことに、D氏はいまでも聖子の整体兼マネージャーとしてサポートをしているという。
再々婚発表の当日、聖子の事務所にはD氏の姿があった。
「普通に考えれば、A氏と結婚をするのでD氏とはお別れとなるはずですが、そこは聖子さんの凄いところで、D氏ともビジネスパートナーとしてキープし関係は続行しています。D氏は複雑だったんでしょうね。時折ため息をついています」(芸能関係者)
D氏は聖子の家から出て行ったが、車で5分の距離に住んでいるそうです。
聖子はA氏にD氏を松田聖子としての活動にはなくてはならない存在として説明しているそうです。
この結婚も長く続きそうもないかも知れませんね。まさかの三角関係に?

松田聖子

全国ツアー終了後に夫・河奈裕正氏と新婚旅行に

略奪婚の可能姓があり、批判もある今回の松田聖子の再々婚。娘も母の結婚を直前まで知らなかったほど隠していたのには、後ろめたいことでもあったのでしょうか?そんな聖子ですが、いまでもあまり旦那Kさん(河奈裕正氏)のことは周囲には話をしていなかったそうです。

「この日、K医師は休診になっていたんです。ひっとしたら、最後のツアーを観に行ったのでは?」(夫の知人)
2012年8月4日、地元・福岡で全国ツアーのファイナルを迎えていた松田聖子。

結婚報告をファンにも行っていた。
「私、50歳になりまして、またここから新しい人生を歩んで参りたいと思っております」と話していました。
「ただ、今年は恒例だった質問コーナーやリクエストコーナーが無くなってしまって。Kさんのことを聞かれるのがイヤだったのかなぁ」(観客)

「家族導線の付き合いがあるモト冬樹さんにも、Kさんの結婚報告や紹介もしませんでした。娘・沙也加さんでさえ、祝福の思いを積極的に話すことはありません。芸能人ではないKさんに気遣っているようです」(芸能関係者)

一方のKさんも、職場で妻の話を披露することはないと関係者は話す。
「聖子さんとはもともと時間外診療でK先生の治療を受けていたそうです。それも数人しか知りませんでした。K先生はもともとおしゃべりなタイプではなく、結婚後も同僚の間では、聖子ちゃんの歌、あまり知らないんじゃないの?と言われてるくらい芸能界には疎いようです」

そんな2012年7月下旬のある朝、週刊誌が出勤するKさんを目撃。
半袖のワインシャツにネクタイ姿で、手にはコーヒーとサンドイッチの入った袋を持っていた。
聖子は家事をしていないのだろうか?
「彼女はツアー中は、ステージで踊るダンスのレッスンも欠かせません。ですから、旦那さんの朝食を作る暇がないのかもしれませんね」(音楽関係者)

この2ヶ月に及ぶ全国ツアーが終わる頃に、計画をしていることがあるという。
「K先生の夏休みを利用して、遅い新婚旅行を考えているようです。どこに行くのかは不明です」(夫の知人)
全国ツアーが終わって、ようやく新婚生活が始まる。

松田聖子

松田聖子がオアフ島へ極秘挙式

「聖子ちゃんは、ウエディングドレスを思わせる白いドレス姿で熱唱していました。マイクを持つ左手には大きなリングが輝いていて幸せなんだと思いました」(観客)
2012年9月9日開催の東京JAZZ2012で指輪を付けていた聖子だが、2012年8月4火まで行われていた彼女の全国コンサートでは左手薬指には指輪はなかった。
さらに、2012年8月下旬に週刊誌が自宅近くのコンビニで買い物をしている姿を報じた時もしていなかったという。

コンビニで目撃された直後、聖子はハワイで目撃されていた。
「2012年8月下旬、聖子ちゃんがご主人とハワイに来てたそうです。オアフ島のコオリナ・リゾート周辺だったので、新婚旅行を兼ねて、ふたりだけで挙式したとも聞きました」(ハワイ在住日本人)

「ここは1年前にオープンしたハワイ初のディズニーホテルが人気。特にウエディングはディズニーキャラクターの登場やオリジナルの結婚証明書も発行されるのでファンには評判が高いです」(旅行代理店関係者)
聖子のディズニー好きは筋金入りなのはファンの間では有名だ。

夫のKさんとは2012年6月13日に入籍をしただけで、結婚式は挙げていない。
どうやら背景には、Kさんには前妻との間の思春期の子供がいるため気を遣ってるようだ。

「K先生は8月18日から9日間お休みでしたよ」(病院関係者)
ハワイにはふたりっきりで出かけたようだ。
「何度もハワイに来ている聖子さんですから、今回は日本人観光客の少ないコオリナを選んだのでしょう。コオリナ地区には、ホテルの式場のほかにも、美しい教会があります。若い時に結婚式を挙げていない夫婦などにも人気ですよ」
どうやら指輪はここでKさんから貰ったようです。
そしてコンサートの終了後から、聖子の自宅で同居を始めたという。

松田聖子

略奪婚をした理由は玉の輿だった!河奈裕正氏は大地主の御曹司

まさか金目当ての結婚だったのでしょうか?結婚相手のA氏(河奈裕正氏)は大地主の御曹司だったという。聖子の玉の輿婚だったのでしょうか?

松田聖子が歯科医のA氏と2012年6月に再々婚をして約4ヶ月が経過していた。
当時、ふたりは聖子の自宅で暮らしているが、そこは都内の高級住宅街にある100坪の豪邸。
「聖子さんは、この他の家にも一戸建てを所有していて、総資産は10億円とも言われています。結婚当初は、聖子さんがA氏を資金援助し、開業医にさせてあげるなんて噂も聞かれました」(芸能関係者)

そもそもこの結婚は略奪婚だった。
A氏には、結婚生活15年に及ぶ妻と双子の衣がいた。
都内にある3階建ての一軒家で暮らしていた。
だが、2010年5月、A氏は突然、妻に離婚を切り出し自宅から出て行く。
ちょうど彼と聖子が出会った時期だ。
A氏の妻B子さんは7ヶ月後にやむなく離婚に同意した。
慰謝料はなかったという。

その末の、聖子との結婚だっただけに、A氏が妻子を捨てて逆玉のような形で結婚をしたと思っている人が多い。
しかし、実際は違った。

B子さんと子供達は、離婚から2年以上経つが、まだA氏の3階建て一軒家に住んでいる。
その実情にA氏の親族が首をかしげる。
「なんでB子さんはあの家にまだ住んでいるんでしょうか?だって、あの土地と家は今もAさんの名義のはずですよ・・・」
親族がそう思うには、150年にわたるA氏一族の歴史が関わっていた。

B子さんが暮らす家の隣には、賃貸用マンションが建っている。
家とマンションが建つ土地を合わせると広さは、160坪近くになる。
この土地と家とマンションを合わせると、その資産価値は4億円になるという。
このマンションの名義は、登記によると、A氏とA氏の父親の共有に。
そして土地はA氏の祖父の名義となっていた。
実は、この土地だけではなく、この一帯は、A氏一族の所有なのだ。

地元の不動産業者からはこんな声が聞かれる。
「有名な大地主ですよ」「古くから続く名家ですよ」
先祖代々、この土地は受け継がれてきているそうだ。
土地の名義になっている祖父は95年に亡くなっている。
祖父の名義になっている理由は、親族が多いことから、まだ遺産相続が完全に整っていないためだとのこと。

聖子とA氏の交際は、聖子からの猛アプローチから始まったと言われている。
聖子の結婚の決め手は、歯科医として評価が高く、しかもイケメンだからと言われているが、実は大地主だったから?なんて皮肉も言いたくなる。
A氏の妻・B子さんも、いつまでもあの家には住めないそうです。
遺産相続の問題が解決したら、B子さんは出て行くことになるかもとのこと。
聖子は見事、玉の輿婚に成功したと報じられていました。
愛じゃなくお金で選んだのかな・・・。

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