満島ひかりの演技力の秘密と波乱万丈人生!旦那は石井裕也

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女優の満島ひかりは11歳で芸能界入りしてから、女優にあこがれていたという。沖縄アクターズスクールに在籍し、1997年に音楽ユニット「Folder」のメンバーとしてデビュー。2005年に女優に転身。2010年に主演を務めた「川の底からこんにちは」の監督である石井裕也と結婚。弟は俳優の満島真之介、妹はモデルの満島みなみ。

満島ひかり

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ドラマ・Womanでブレイク!満島ひかりの演技力の秘密とは

2013年8月、満島ひかりが主演しているドラマ・Womanが好調で、要因は満島の演技力に魅了される人が多いという。なぜ、満島はここまで演技力が高いのか?その秘密は売れない時期があってこそ、生まれた努力。

「満島さんは完全に役柄に入り込んでいて、演技に没頭したという理由から取材はすべてNG。鬼気迫る熱演ぶりにスタッフも行きを飲んでいます」(芸能関係者)

夫が事故で他界しパートで2児の花を支えるシングルマザーを描いたドラマ・Woman。
その主演の満島が注目を集めていた。
彼女のあまりにもうますぎる演技力に絶賛する意見が多い。

演技は女優の座に一気に躍り出た満島だが、彼女の芸能界入りは11歳にまでさかのぼる。
アイドルユニットFolderとしてのデビューだった。
すぐさまブレイクし14歳で状況したが、その後メンバー脱退を経て、2002年以降は活動休止に。
芸能活動を再開するも、鳴かず飛ばずの7年間が続いた。

先の見えない不安にさいなまれた満島。
そのストレスから顔にブツブツができ、人に見られるのが怖いと思う時間もあったという。
当時の心境をこう語っている。
「水着のグラビアをやったり、クイズ番組に出たり、ものまね番組に出たことがありました。浜崎あゆみさんをまねたんですけど、やっぱり向いてなくてつらくて、いつもメソメソ泣いていました」

そんな満島が開眼したきっかけは、2009年公開の映画・愛のむきだしで主演を務めたことだった。
当時を知る映画関係者はこう話す。
「監督の園子温さんからのしごきは、苛烈を極めました。気持ち悪い!悔し泣きしてんじゃねーよ!と毎日のように罵倒され、彼女も体当たりでぶつかっていったんです。当時の彼女は心身ともにボロボロでした」

そんな彼女の支えとなっていたのが、実父の教えだった。
地元・沖縄県にある中学校の体育教師で、顧問を務めるバスケ部を全国優勝に導いている。
「彼女のお父さんは母子家庭で育ったそうです。今回、彼女がシングルマザーを演じる上でいろいろ話を聞いたそうです。それも教訓になったようですが、それまでもと言っていましたよ」(芸能関係者)

父は、満島が上京する時にこんなアドバイスをしたそうだ。
「1ヶ月に1回くらい自分を殺してまた生まれ変わったらいいよ」
その言葉が現在の体当たり演技につながったという。

そして、努力が実り、その年、満島は新人賞を総なめした。
その後も話題作に出演し、2010年に主演を務めた・川の底からこんにちはの監督である石井裕也氏と結婚。さらに演技の幅を広げた。

「彼女はすごい努力家で、常にノートを持っています。そこには与えられた役がどんな性格で何を食べるとか詳細なことが書き込んであるんです。さらに、役柄と同じ環境にいる人から話を聞き、見聞きしたことを書きとめるんです。そうした努力が彼女の技力を支えているのでしょう」(芸能関係者)
売れない時代が長かったからこそ、努力で這い上がってきて今の演技の結果になっているとのこと!

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波乱万丈人生!実家差し押さえ、父は飲酒運転の事故で失職

満島ひかりは女優として人気もでて注目されていますが、ここに来るまで大変な日々だったそうです。特に父が迷惑をかけて苦労をしたそうです。一体どんな家庭だったのでしょうか?

2013年8月、ドラマ・Womenはついに同時間帯で放送されている人気ドラマ・ショムニ2013の平均視聴率を抜いた。
視聴者からは、「満島ひかりってかわいいのに、不幸を背負わせたら別格なんやろ?」「幸薄い役をやらせたら満島ひかりの右にでる人はおらんわ」などといった書き込みがある。
満島の演技力に泣く人までたくさんいるのだ。
そんな彼女の演技の秘密は家族にあった。

沖縄県出身の満島は、ともに中学の体育教師だった両親の元、弟2人、妹1人の4人兄弟の長女として生まれ育った。
父はフランス系アメリカ人のハーフで、満島ひかりクオーターだ。
「お父さんは地元の中学のバスケットボール部で顧問をしていて、チームを全国大会優勝に導いたこともあります」(地元住民)
そんな両親に厳しく育てられた満島。

満島の人生を大きく変えたのが、10才の時だった。
安室奈美恵wihtスーパーモンキーオーディション。
見事にグランプリを受賞したのだ。
1997年に11才でアイドルユニットFolderとしてデビューした満島。
デビューシングルは10万枚を超える売り上げがあり大成功のスタートを切った。
しかし、メンバーの脱退などもあり、下降線となり2002年に活動休止になってしまう。
その後、満島は個人で芸能活動を続けたが、泣かず飛ばすの日が続く。

いろんなことに挑戦をする。
その時のことをこう振り返っている。
「私、胸ないんですけど、それくらいやらなきゃって言われて水着のグラビアをやったり、クイズ番組に出たり、ものまね番組に出たこともありました。努力はしたんですがやっぱり向いていなくて・・・」

そんな苦労と挫折を繰り返しながら、徐々にドラマ出演を増やすなど。女優としてチャンスを掴み始めた2006年7月に、満島が生まれ育った沖縄の実家に思わぬことが起きる・・・。
「家計が苦しかったみたいで、税金などを滞納して、実家が沖縄市に差し押さえられてしまったんです」(満島の知人)
そして2007年10月、さらに悲劇が起きる。
父が酒気帯び運転で事故を起こしたのだ。
厳格で人格者だった父が起こしたこの件で、満島は相当なショックを受けた。
そして、この事件をきっかけに家族は追い込まれていく。

「教師だった父は、教え子にも示しがつなかないと学校を辞めることになったんです。職を失ったので、さらに家計は苦しくなって、結局、実家を手放すことになったんです」(同上)

当時の満島は、今のように収入があったわけではないので助けれなかった。
どん底の日々を送っていた満島を支えたのは意外な人物だった。
「当時、満島さんはミッツ・マングローブさんが経営していたバーに足繋く通っていたそうです。ひかりと名前をマジックで書いた焼酎ボトルを飲みながら語っていたみたいです」(満島の知人)

その時のことをミッツはブログで振り返っている。
「その昔、私も、そしてひかるちゃんも、いろいろな仕事をしていた頃、飲んだり、食べたり、踊ったり、ドライブしたり、互いに互いの人生をぼんやりと手のひらに浮かべながら、遊んだりしたものでした」

満島は挫折と不幸に見舞われながらも、自身の努力と友情に支えられながら乗り越えてきた。
そして、家族の金銭的な経済事情は、満島がブレークしたことによって、解決しつつあるそうです。

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