篠原涼子の旦那・市村正親との子供出産後のダイエット方法は
女優の篠原涼子は1990年「東京パフォーマンスドール」のメンバーとしてデビュー。1994年に小室哲哉プロデュースのシングル「恋しさとせつなさと心強さと」が大ヒット。2001年から女優として「ハケンの品格」「光とともに…~自閉症児を抱えて」などに出演。2005年12月に俳優の市村正親と結婚。市村は2014年8月に胃がんの摘出手術を受け全快。現在は7歳と3歳の2児のママでもある。
女優復帰に向けてダイエット
2005年、市村正親と結婚し、2007年11月7日に本人が所属事務所を通して、妊娠4ヶ月であることを発表。2008年5月10日に第一子である長男を出産。2007年10月から日本テレビ系ドラマの主演話があったが、降板した篠原涼子
女優復帰も間近です。育児で家からでる機会も少なくなり、自宅で出来る運動とダイエットに励んでいるそうです(テレビ局関係者)
実際に誕生日の写真が撮られてますが、スタイルはほぼ戻ってます。
2008年8月13日、この日は彼女の誕生日だった。
ママとして初めての誕生日、彼女は美容室にいって、夫の出演するミュージカルを見て、帰りに家族で食事をして過ごす予定だそうです。(篠原の知人)
夫の市村は、ミュージカル「ミス・サイゴン」のメーンキャストとして2008年8月17日まで帝国劇場で出演。
朝10時すぎ、都内の自宅から一人で出てきたのは、篠原。
髪をひとつにまとめノーメイク。
左の薬指には、結婚指輪が光っている、花柄ののロングスカートからのぞく素足のヒザには、虫にさされた後がたくさんみられた。
「彼女は自宅で家庭菜園をやっているんです。2008年はなすの出来がよかったそうで、虫さされは手入れの時にやられたようです」
また母乳をよく出すことで知られているタンポポ茶にもはまっていて、赤ちゃんの肌に触れるものはオーガニック・コットン製品で揃えているなど、赤ちゃんに凄く気を使ってました(知人)
彼女から遅れること20分。今度は大きなショルダーバックと白い革の手提げバックを持った市村が、玄関先に現れた。
そのままタクシーに乗り、長男を連れて劇場へと向かった。
この日は、異例の4回ものカーテンコールがなされる大喝采でした(舞台関係者)
俳優一家に生まれた息子にとって、この日は、英才教育第一歩だったのかも。
篠原は雑誌のインタビューでこう答えている。
誕生日は私はたくさんの人に支えられてここに立っているんだなということを実感する日だと思う。
家族水入らずで過ごした誕生日。周囲に感謝する1日となったみたいだ。
本格的にTV復帰もカウントダウンしてきた篠原涼子、早ければ2009年には女優として復帰する。
妊娠後は骨盤ダイエットで10キロも減量成功
お休みの間、初めてじっくり考えました。女の人が働き続けるのって簡単じゃない。
だからでしょうか、世間で元気に働く女の人に出会うと、私自身も心がぱっと明るく元気になるのです。
2008年5月に長男を出産した篠原涼子が働く女性に向けてメッセージを寄せた。
これは彼女がイメージキャラクターを務める新ブランド「Reflect」のPR広告。
夫の市村正親は2008年9月26日に初日を迎える主演舞台【キーン】の舞台の真っ最中だった。
自宅では、台本読みの相手役を篠原に勤めてもらっているという。
会見ではこんな親ばかぶりを発揮していた。
「4ヶ月の長男は起きている時は、夫婦の台本読みの練習をじっと見ていますね。う~って駄目だしをしているみたいでね。絶対、俳優の2代目になるなって気もしている。日々幸せです。」
篠原は2008年8月28二に9ヶ月ぶりに公の場に姿を登場。
あまりにもスリムな姿に会場は驚いていたとか。
「出産後10キロ減量したスリムな体系には誰もが驚いていました。会見ではあまり話していませんでしたが、骨盤ダイエットを中心に相当、減量の努力をしたそうです。」
2008年9月、各テレビ局では来春復帰を前提としたドラマのオファーが殺到していたという。
ママとなったキャラを活かした作品もあるそうです。
篠原涼子が夫と久し振りのデート
子育ても一段落し、女優としての復帰も決まった篠原涼子。スタイルも元の体重に戻し、夫婦ともに多忙な2人ですがデートが2009年1月に報じられてました。しかもデート先は病院でのランチデート。
2008年5月に子供を出産し、新作CMは1年ぶりとの撮影となったが、出産後以前にもましてキレイになったと評判の篠原。
どのようにしてスタイルを戻したかというと。
「メインの食事をとる前に、最近はまず寒天を先に食べますね。それでコレステロールをためないようにする」
医師から勧められたというこの食事方法は、寒天は普通に水で戻して、ポン酢をつけて食べているそうだ。
もともと料理が大好きな篠原は、夫・市村正親の体調管理もおこたらない。
「食事は塩分控えめの玄米食で野菜中心。特に今は風邪が流行なので、加湿器に入れるユーカリオイルのアロマテラピーを準備したそうです」(舞台関係者)
超多忙な2人だが、正月は家族3人で過ごせたようだ。
地方公演に出かけた夫に、子供の動画を撮って携帯で贈るのが篠原の役目とか。
「市村さんは、地方公演に必ず母子の写真を携帯しています。舞台前のセレモニーとして、写真にキスをして楽屋を出ますね」(舞台関係者)
そんな親子3人を、都内の有名病院レストランで目撃した人はこう語る。
「2008年の11月ごろでした。ちょうど6ヶ月健診と1回目のワクチン注射のために来院していたと思います。男の子をだっこした篠原さんと市村さんが、レストランに入ってきて、3800円のランチを注文したんです。メインはお魚かお肉かを選べますが、2人はとも鯛のポワレをオーダーしていたようです。食事がはじまると市村さんは赤ちゃんにメロメロでこれおいちいですよと、赤ちゃん言葉で、赤ちゃんの口元まで、料理をもっていって、食べさせるマネをしていました。その様子を篠原さんは笑うのを必至にこらえていました」
微笑ましい光景だ。
近くのスーパーまで、ベビーカーを押して歩いていく篠原も、何度も目撃されている。しかし、そんなよきママ・篠原の復帰作品はまだ決まっていない。
「テレビ局はもちろん、映画会社からのオファーはきているそうですよ」(仕事関係者)
一時は、年の差結婚で心配された2人ですが、周りが心配することは何もなさそうだ。
篠原涼子に離婚問題浮上!市村正親が20代女性と密会
年の差婚で周囲を驚かせた夫婦に離婚の危機が・・・。子育てもい一段落し芸能界へ復帰した篠原涼子ですが、夫の市村正親が20代女性との密会現場が報じられていました。これは浮気だったみたいで、篠原涼子が激怒!
「2009年2月中旬ぐらいでしたかね、篠原さんと市村さんが店内に入ってきて、席に座るや言い争いを始めたんです。もうビックリ!だってあの美人女優篠原さんが人目もはばからず、もう、なんなのよ!って声を張り上げているんですよ。そんなイライラした篠原さんを市村さんが謝りながら一生懸命なだめていました」(常連客)
年齢差25歳ながらおしどり夫婦と評判だったふたりに一体何が?
実は2009年1月末にも、この常連客は同じモール内で、様子の違う市村を目撃していた。
「確か、時間は夕方6時半ごろ、ジャンパーにジーンズのラフな服装で、それ以上に個性的なモジャ髪だったのですぐにわかりました。タクシーを降りた市村さんに、女性がすぐに腕を絡めてピタッと寄り添うように歩き始めたんで、隣は篠原さん?と思ったんです」
隣にいた女性はなんと・・・。
「身長150CM台の小柄な25~26歳ぐらいの方。派手な感じもなく、キレイな女性でした。市村さんも親しげで、恋人同士のようにモールに入っていきました」(目撃した女性)
このことが冒頭にあった大喧嘩の理由だったのだろうか?
妊娠・出産・育児と女性がいちばん夫にかまっていられない時期。
そんな折りに目撃された、篠原以外との女性とのデートに篠原が怒るのも無理ない。
市村の所属事務所にこの女性について確認した。
「本人にも確認しましたが、女性は劇団スタッフで、ただ買い物に同行したみたいです。そういった関係(男女の関係)は一切無いですよ」
そもそも市村は舞台役者であるがために、こういった付き合いも多いという。
彼を昔から知る舞台関係者は、
「昔から市村さんは面倒見がよくて、男女問わず若い劇団員やスタッフから慕われ、誘われれば一緒に飲み歩いては、熱く演技談議をするんです。さすがに涼子ちゃんも彼のモテ具合に心配しちゃったのかもしれませんね」(舞台関係者)
篠原の知人もこのようなことで口ゲンカをするのは日常茶飯事なんですと笑って答える。
とはいえ、モール内で現場を目撃した女性によると、
「あんまりジロジロ見たせいか、市村さんにニラまれちゃっいました。見ちゃいけないものだったのかしら・・・」
しかし、市村と篠原は不倫略奪愛を成功させて結婚しただけに今後が心配だ。
篠原涼子が闘病の父と最後に歩いたバージンロード
結婚に大反対をしていた篠原涼子の父が最後にバージンロードを一緒に歩いたと2010年8月に報じられました。披露宴中に倒れ、そのまま亡くなったという。最後に娘の幸せな姿がみれて本当によかったようです。
「2010年8月14日、彼女のウエディングドレス姿をお披露目する会が執り行われました。会場は、敷地内にチェペルもあり、貸し切りで食事もできるところでした。ですが、チャペルには行かずバージンロードも歩きませんでした。彼女がウェディングドレス姿をみせただけで、その他は親族だけで食事会をするという至ってシンプルなものでした。当日はお父さんも篠原さんと一緒に会場に向かいましたよ」(篠原の知人)
故郷・群馬県桐生市で挙式すべく、実家に里帰りしていた篠原涼子。
「当初、二回りも年上の市原との結婚に大反対だった父でが、入籍後は周囲に、自分としては、地元の賀茂神社で結婚式を挙げてもらいたいんだが・・・と、地元での挙式を望んでいたそうなんです。しかし、糖尿病を患っていた父は、入籍7ヶ月前に11時間に及ぶ心臓の手術をすることになりました。そんな父の体力的な理由から、とりあえず入籍だけの結婚を選んだのです」
篠原は2歳の時に、事故で母が他界している。
父が男手で3人を育て上げた。
中でも父親っ子だった篠原を、父はとても可愛がっていた。
そんな父だからこそ、入籍当初から父にウェディングドレス姿を見てもらいたいと語っていた。
父の体調を気遣いながら、篠原は里帰り挙式の計画を考えていたようだ。
「当初は、涼子さんの誕生日の2010年8月13日が有力でした。ただ、13日はお盆入りで、忙しいので14日目にお披露目することになりました」(芸能関係者)
「お父さんは派手な結婚式に反対だったため、挙式はあくまでもお父さんにドレス姿をみせるのが目的の、こぢんまりした質素な挙式を考えたんです。出席者も、友人や芸能界の人たちもいっさいお呼びしていません。親族40人足らずで行われたようです。当日、会場に向かう篠原さんはとても綺麗でした。実家の老化をお父さんと万感の思いで歩いていったのでしょうね」(篠原の知人)
バージンロードは篠原の実家で、父にとってはそれは最大の親孝行だったに違いない。
披露宴中に父は体力が尽きて倒れ、そのまま返らぬ人になったようです。
産後2ヶ月で元のスタイルに戻した方法とは
2012年2月に2人目の出産は無事に終了し、それを見届けるかのように、市村正親の母が翌日に死去。同年4月、育休中で芸能界を休んでいる篠原涼子ですが、ママとして多忙の日々を過ごしているようです。産後2ヶ月で元の体形に戻っていることも報じられました。
「篠原さんって、下のお子さんを出産してからまだ2ヶ月しかたってないんでしょう?なんであんなにスリムになったのか信じられません」(幼稚園児のママ)
2012年4月中旬、3歳の長男の私立幼稚園入園式に出席した篠原涼子。
2012年2月22日に二男を出産してからわずか60日足らず。
彼女のスリムさに周囲は驚いていましたよ。
入園式の前々日、週刊誌が家族揃って都内の病院で健康診断を受ける姿を目撃。
「二男の少し早めの2ヶ月健診だったそうです。母の篠原さんのおっぱいチェックと問診を中心に健康を受けたようです。市村さんも舞台が始まる前は必ず健康チェックをしますし、5月に4歳になる長男の健診も兼ねたみたいです」(舞台関係者)
幼稚園が始まると、家族4人で時間をあわせづらくなる。
そのため、全員で健診を受けたようだ。
それにしてもびっくりするのは出産わずか60日で元の体形に戻れた秘訣。
「意外にも、掃除がいい運動になったようです。特に長男の出産後の産後ダイエットで効果があったのが雑巾がけが効いたといってました。それでも足りないと感じた彼女は3年ほど前からヨガも始めました。室内でも体を動かし汗を流し、毎日2リットルの水を飲んでいるそうです」(知人)
復帰後の仕事はまだ決まってないようだが、いつでも切り替えができるように準備は万全のようだ。
篠原涼子がさらにスリムになって復活!そのダイエット方法とは
2012年7月、篠原涼子の体形維持は酵素ダイエットとウォーキングをしているという。最近、芸能界ではママタレの産後ダイエットが流行ってますが、全員といっていいほど成功をしてますね。
2012年2月、二男を出産した篠原涼子。
2012年9月6日放送の東野圭吾ミステリーシリーズの第10話の主役で8ヶ月ぶりの仕事復帰が決まった。
クランクイン前で育児に頑張っていたようだ。
「4月に長男が都内の有名私立幼稚園に入門なさってから、篠原さんは毎日送り迎えをしています。毎朝弁当も作っているようです」(知人)
2012年7月上旬、彼女が長男を幼稚園に送っていく姿を目撃。
「幼稚園に送り届けた後は、近くの公園でウォーキングをしているそうです。この3ヶ月間でますますスリムになったとママともの間でも評判です」(ママ友)
篠原は産後にも関わらず素晴らしいスタイルを維持している。
その秘訣とは何なのだろうか?
「最近彼女は酵素ダイエットにはまっているようですよ」(知人)
酵素ダイエットとは、太る原因となる酵素不足を解消することで太りにくい体に変えていくというもの。
野菜や果物、発酵食品に多く含まれる酵素は50度以上に加熱すると死滅するため、生で食べることが基本。
ただ、生の食材は体を冷やす作用もあり、酵素飲料やサプリメントを併用すると効果的だと言われている。
「そのため篠原さんは、アサイーのドリンクも定期的に飲んでいるそうです」
産後のスタイルの秘密は食生活にも気をつけていたようです。
いいダイエットをするには、食べて、運動するはやっぱり基本のようです。
母を亡くしてから育ててくれてた母同然の女性との縁が断たれていた
2013年6月ドラマにでるたびに大ヒットする篠原涼子。ドラマ「ラストシンデレラ」で活躍していた篠原ですが、芸能界へ入るきっかけと幼少期から芸能界に入るまでずっと面倒を見てくれていた女性がいるそうです。しかし、市村と結婚をしてからは、その女性とも過疎になり縁が断たれてしまったようです。
彼氏いない歴10年、恋に不器用なおやじ女子が15歳年下のカレに恋をする内容のドラマ・ラスト シンデレラで篠原涼子が演じるのはそんな女性だ。
視聴率も7週連続でアップで大人気のドラマだ。
篠原はプライベートでは、長男(5)と次男(1)の子育てをする母。
育児と家事をこなしながらも、次男出産後には3ヶ月で16キロもやせてこのドラマに復帰をした。
そんな忙しい彼女だが、いつも気にかけていることがあった。
2012年2月に亡くなった、夫・市村正親の母・こうさんが住んでいた埼玉県にある自宅だ。
「こうさんが亡くなってから1年以上が断ちますが、今も庭の植栽はきとんと整えられているし、家の周りにはゴミひとつ落ちていないんですよ。聞いたら、篠原さんが生前からこうさんの自宅に出入りしていたお手伝いさんにお願いをしているんですって」(近所の人)
篠原は2歳の時に実母を亡くして以来、姉と兄とともに父子家庭で育った。
彼女が義母に抱いた思いは、姑の関係を超えた特別なものがあったようだ。
「一緒に洋服を選んでいるのをみたことがあります。お互いが服を選びあっていました。まるで本当の親子のようでした」(市村家を知る知人)
しかし、篠原が義母を実の母のように慕う姿に、篠原の故郷である群馬の住民らは首を傾げる。
「涼子ちゃんの今があるのは、市村さんの母じゃなくて、A子さんのおかげじゃないのかしら?彼女こそ涼子ちゃんの育ての親なのに・・・」
A子さんとは、篠原の母が亡くなった数年後から、父・勝雄さん(71)が懇意していた女性のことだ。
まだ小学生だった篠原のご飯の世話をしたり、芸能活動を応援するなどしていたが、今はその縁は絶たれてしまっているそうだ。
母が亡くなった当時、父は地元で飲食店を切り盛りしていた。
朝早くに起きて、子供達のお弁当を作り、夜遅くまで店で働く。
そんな父を支えたのがA子さんだった。
「A子さんは勝雄さんのお店の近くでスナックをやっていました。だから自然と顔を合わせるようになって、親しくなっていったんです。涼子ちゃんは当時小学校5.6年で、A子さんの店に父に連れられてよく来ていましたよ。涼子ちゃんは兄弟とは年が離れていて、学校が終わるとひとりでいなければいけなかった。寂しいだろうとA子さんは店の開店前によく呼んでいましたね」(スナックの常連)
子供がいなかったA子さんは、篠原を我が子同然のようにかわいがった。
仕事で忙しい勝雄さんにかわって、篠原をオーディションに連れていったのもA子さんだった。
そして、オーディションで合格し、東京パフォーマンスドールの初代メンバーに選ばれた。
A子さんはすごく喜んでいた。
「涼子ちゃんはブレークしてからもA子さんのスナックに遊びに来ていましたよ。お客さんと一緒に写真を撮ったり。今でも店内には涼子ちゃんの写真が貼ってあります」(スナック関係者)
しかし、篠原が2005年に市村と結婚をすると、A子さんとの関係も過疎になっていった。
多忙な篠原にとってA子さんと義母を等しく訪れるのは難しく、徐々に足が遠のいていった。
しかし、A子さんは篠原の立場を思いやっているようだ。
「本音は寂しいんだと思います。でも、A子さんはそんなことひと言も言わないんです。彼女は涼子ちゃんが立派に育ったことに喜んでいますし。会えなくてもテレビで活躍を見れるので大丈夫だと」
この話が週刊誌に漏れるということは、A子さんは篠原に会いたがっているようですね。