男運のない梅宮アンナ!立浪和義と不倫し彼氏や結婚に娘はどうなった?

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男性の見る目のなさは芸能界一といってもいいほど男に騙されている感のあるファッションモデルの梅宮アンナ。元タレントの羽賀研二と1994年に交際が発覚。1999年に破局してしまいました。

その後、2001年6月、元飲食店勤務の男性と「でき婚」し、翌年1月には長女が誕生。しかしながら翌年の2003年2月に離婚。2008年9月、当時プロ野球選手の立浪和義と真剣不倫交際をしていた。

梅宮アンナ

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3年間の不倫愛を立浪和義に裏切られ生涯で一番ショック

2008年9月、梅宮アンナが妻子あるPL学園出身のプロ野球選手・立浪和義と真剣不倫交際をしていたことを本人が告白。
「今報告出来ることは、社長業を始めたことかな。同年7月に会社を作ったばかりなんですけどね。」
オリジナルのTシャツを作っている会社なんです。今は口紅を作ろうと思ってるんです。
同年、娘の百々果(ももか)と2人で、梅宮家もちゃんと出てね、2人だけで暮らしていた。最近やっとジムに行く気になってきたんですよ。
実はそれまでは面倒くさいになちゃって、落ち込んでいた時間もやっぱりあったし・・・・。
「人としてダメかな?とか、この半年の間にはね、この人を本当に信用していいのかな?とか。人間不信になるところもすごくあったりしたんです。まるで水の中を歩いていたみたいだった・・・」
そういうとアンナは遠くへ視線を移した。その横顔は寂しげに見えた。

2008年8月22日に百々果ちゃんはインターナショナルスクールの1年生になっていた。
それを機に2人で家を出た。
「もう、百々果のことは、私から切り離せないから。子供がいなくて離婚してたら、私たぶんもっと早く再婚してたと思うんですよね」
再婚への思いを聞くとそんな答えが返ってきた。
「でも楽だもん。今の生活のほうが。再婚は面倒くさい。彼がいないことがこんな楽なのかって、生まれて初めて知っちゃたもん」
離婚して5年たつ。週刊誌が思い切って突っ込んだ。
それからずっと、恋人いなかったの?5年間。
一瞬、アンナはためらった。心に秘めていることがあったようだ。ここで話せばどうなるのかアンナはよく知っていた。
それでも思いを断ち切るように、吐き出すように語った。
「いたよ。いたんだけど、たぶんそれで本当に(男性)がイヤになちゃったと思う。真剣に結婚しようと言って始まった関係だったけれども、やっぱり無責任だったね、相手の男性が。」

立浪和義

「私達3年間付き合っていたの。長いよね。なんでそんなに話題にならないのかなぁって思ったくらい(笑)。破局の時期?言えないな。」
笑ってそういったが、目が笑ってなかった。
その傷が心の奥底でウミをだしているようだった。
「生涯で一番ショックでした。もの凄く傷ついて、外にもでれないくらいで、あぁ私はこのまま死ぬんだなぁと思ったぐらいだし。」
世の中の人は、羽賀研二が一番痛手だろうと言うかもしれないけど、今度のことに比べたら、ある意味、研ちゃんの方が優しかった。
あんなに愛してるとか言ってた人が、人を平気で崖から突き落とすようなことができるなんて、もう驚いちゃって。
研ちゃんの時は、あそこまで傷つけられなかったもん。
トラウマです。恋するのが怖いもん
実はこの話をするかどうかアンナは最後まで揺れていた。
不倫だったからだ。

「世の中でなぜ不倫がダメと言うのかを、身をもって知ったんです。だから頑張って、忘れる努力もしたし、前向きに頑張ってきたし・・・」
この1年間のアンンの、時にハイテンションとも思える意味が、この言葉で初めて知った。
その不倫相手の男性とは、ベテランのプロ野球選手・立浪和義で妻子がいる。
愛娘のいるアンナは当然慎重だった。
しかし立浪和義が積極的だった。グイグイと近づいてきた。
アンナ:私には子供がいるから
立浪:いいよ、いいよ。
アンナ:でも貴方は、シングルじゃないんだし・・・。
立浪:いや、もう別れるから
そんな会話も2人だけだったら信用しなかった。
男は実家まで挨拶に来た。
付き合わせて下さい。結婚しますから。

やがて2人は写真週刊誌に撮られた。
結果的に別れたけど、あれでよかったと思う。
あのまま、あれ以上のお付き合いをしていたら廃人になっていたと思うから。
最後に疑問に残ったのは、名前があるとか、記録を残すとか、監督候補になる人が偉いのか?ということ。
正々堂々としなかったのね彼は。
どちらかというと優等生タイプで、ついさっき一緒にしていたことも僕は知りませんと平気で言えるズルイ人。
凄く裏切られた感じがしたの。
人の悪口をいったことのない梅宮(父)も、最後に男に痛烈な皮肉を浴びせたそうだ。
「キミはいいよね。何もなかったかのように、家族の元へ戻ればいいんだから」
梅宮パパも泣いた、そしてアンナに言った。
「これでいいんだ、本当にパパはあの男と再婚しないでよかったと思っている」
アンナはそこで涙をふくと、姿勢を正す。
辛い過去と決別し、未来を見つめるために。
「私もずっと泣いてました。命がけの3年間だった。だから、中途半端な形で五回されるのはイヤです。だから今まで誰にもはなさずに守ってきたんです。それでなぜ今回、はなしをしてしまったのかなとは思ったけど。
たぶん自分の中で本当に終結なんだと思ったから、言えたのかもしれないですね。」

立浪和義選手って真面目なイメージがあったんですが、不倫してたとはかなりショック。梅宮アンナはやっぱり羽賀研二のことをまだ思ってるのかも知れませんね。
親を巻き込んであれだけ金を騙し取られ苦労させられたのに、その相手に対して優しいという言葉・・・。
不倫の被害者は私だという被害妄想・・・。
今後も変な男性にひっかかりそうな予感がしてしまった。

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立浪家側が梅宮アンナに慰謝料請求!?

2008年9月、自身の不倫は正当化し被害者だと主張する梅宮アンナ・・・。
その話を聞いて激怒した立浪和義選手の義母・・・、泥沼化する動きが

アンナの立浪選手との不倫告白が一部波紋を呼んでいた。
2人の不倫愛は、2005年2月に週刊誌が長野県への温泉旅行を報じたことによって発覚。
その年の秋には、立浪選手が遠征で東京を訪れた際、宿泊先のホテルにアンナと一緒に泊まった写真を撮られた。
「立浪選手には、妻子もいるのですが、当時からふたりとも、その関係を隠すという感じではなかったですね」(スポーツ紙記者)

彼女と親しい友人によれば、離婚から2年近くたっていた当時、アンナは立浪選手との再婚を真剣に考えていたという。
一方の立浪も結婚という言葉を口にし、梅宮辰夫にもその思いを告げていたという。
「アンナちゃんと交際させてほしい。妻とは離婚します。という挨拶までしていたはずですよ。そこまでしてくれたから、アンナちゃんは彼の言葉を信じようと思ったんですから」(アンナの知人)
が、立浪は結局離婚をすることはなかった。

アンナちゃんは、立浪さんとの連絡のために、彼から買ってもらったピンク色の携帯電話を持っていたんです。
別れを告げられてからは一刻も早く彼のことを忘れたかったのでしょう。
すぐさま渋谷の携帯電話ショップにいってそれを解約し、その携帯電話を真っ二つにおって渋谷のセンター街に捨ててしまったそうです。
さらにアンナは、ふだん使っていた自分の携帯電話も番号を変え、立浪とは一切連絡がとれないようにしてしまったという。
「別れた直後は本当に苦しんでいました。心配した梅宮夫婦は片時も目を離せない状態だったと思います」(芸能関係者)

立浪和義

交際が発覚した当時は、立浪選手は夫婦別居状態でした。
「立浪さんは2006年末のシーズンオフに離婚の決着をつけるためにロンドンまで奥さんに会いに行ったんです。そのとき辰夫さんにいい土産話を持って帰ってくると言い残していったそうです」(梅宮家の知人)
だが立浪はお土産を持って帰ってくることは出来なかった。

立浪選手の妻A子さんに話をスポーツ紙記者が訪ねると
「すいません。何もお話しすることはありません。もう終わったことですから・・・」
と、これまで同様、何も語らぬ気丈な態度だった。
しかし、それとまったく対照的だったのが、A子さんの母、つまり立浪の義母だ。
こちらはアンナへの怒りを激しい口調でこうぶちまけた。
「あの子(あんな)が(立浪に)惚れて、どうのこうのいうのは向こうの勝手!」
娘の夫である立浪と不倫をしておいて、いまさらウダウダと何をいうのかと、ふざけるな!と怒りをあらわにする。

この義母によれば、アンナと写真誌に撮られた時、立浪からはこんな説明を受けたという。
「梅宮さんの所とは親父さんを含めて親しくしているから、たまたまアンナさんとはご飯食べてでてきたところを撮られただけ」
義母が本当にそれだけのことか問い詰めると
「お母さん、それだけです。本当に心配ないです」
こういって、一笑に付したという。
「まぁ、そういって男が一生のうち、2・3回浮気するのは当たり前。立浪のことを世間があれこれいうのはしかたないですよ。だけどなんでアンナさんが裏切られたって話をするの?気持ちを疑ってますよ。うちの娘は何も言わないでしょ!」
別れをわざわざ公表したアンナへの怒りは収まりきらず・・・

呼び捨てにしてこう一喝した。
「もう、アンナなんかね、眼中にないわ。目に入れてない。何かあるんだったら来て頂戴、といいたい。これ以上、娘の家庭を乱すようだったら、これは私の方から裁判でも何でも起こせるんですから。その時は慰謝料をアンナからももらうし、親からももらう。それぐらいの覚悟で告白しなさいって!」
そして最後に、娘夫婦の今後についてはこんな話をした。
「立浪の父親は昔、母娘と彼をおいて家を出て行った。だからうちの娘と孫を捨てるわけないのよ。今は代打が多いけど、でも野球生活の晩年の仕事を一生懸命やっているんです。だからこんなことで評判を落とすようなことはしてほしくないんです」

梅宮アンナ

立浪の妻が激怒!梅宮アンナに手切れ金を支払っていた

2008年9月、「・・・でも、今回のことでイメージを崩してるのは、主人なので、被害者は主人の方だと思うんですが」
プロ野球・中日ドラゴンズの立浪和義選手と梅宮アンナの不倫をめぐる騒動について、立浪夫人のA子さんは、言葉を選びながら、穏やかでない胸中を語った

事の発端は「3年間の不倫愛が裏切られて私は死を考えた」と題された女性誌の記事。
相手の名前は伏せていたものの、立浪選手であることは明らかだった。
ちなみに立浪選手が別れを決意した理由について、「念願だった2000本安打も達成し、将来の幹部候補となったことから、不倫はいけない、子供の夢を壊すようなことはできないと考え直したようです」(地元紙記者)
と言う声もある。
そんな元カレに対し、アンナはある意味研ちゃんの方が優しかったと今は前科者になった羽賀研二まで引き合いに出して、不実をなじっているのだが・・・。
翌週、別の週刊誌がA子さんの母親の反論を搭載。
責任を全て男になすりつけるかのようなアンナの姿勢を、母が批判した。
真相はどうなのか?
アンナの告白によると、立浪選手は梅宮辰夫夫妻の前で、付き合わせて下さい。離婚しますからと挨拶したという。

立浪和義

そのためか、アンナの態度も堂々としたもの。
2004年の日本シリーズでは、中日のジャンパーを着て球場にお応援に駆けつけ、ファンの前で笑顔を振りまき、名古屋駅の構内を歩く姿も目撃されていた。
彼女の中では、再婚は既定路線だったのだろう。
にもかかわらず、そうならなかったのは先に挙げた、幹部候補うんぬんという理由以外にお金の問題が絡んでいるという。
「もともと、梅宮辰夫さんの紹介で、2人は出会ったそうで、赤坂プリンスホテルの1室を年間で借り、密会してました。立浪選手は別れたあとで、あんなにカネのかかる女は初めてとこぼし、どれくらい使ったのか聞いたら、1億円くらいだって」(親しい知人)

しかも、破局に際しては、こんな真実まで。
「アンナは昔から何かあると必ずお父さんなんです。今回も別れた後、どうしても納得がいかないと辰夫さんに頼んで、立浪さんを呼ぶ出して、けじめをつけてほしいと要求。1000万円のお金をもらったそうですよ」(テレビ局関係者)

しかし、アンナいわく、破局の時期は2007年。
ケジメをつけて終わっていた話を今さら蒸し返すとは、どういうつもりなのか。
実は彼女、2008年7月に自分のファッションブランド(イノセント)を立ち上げ、実業家としての可能性を模索し始めていた。
さらに6歳になった長女・百々果ちゃんも、子供服の発表会でモデルとしてデビューさせたばかり。
それゆえ、新生アンナのアピールが目的ではという見方もある。

2008年9月25日にはテレビ番組に出演し、不倫を告白した記事と同様の再現VTRが流された。
また辰夫や娘出てきて、今度いい人と結婚するの?と愛らしい言葉を口にする演出まで。
さらに「羽賀と当時、お互いのことを雑誌やテレビでしゃべらないと取り決めまでしていたんですが、今回、羽賀があんな状況なのをいいことに、勝手にしゃべちゃって・・・」(ワイドショー関係者)

一度は愛した、かつての恋人すらも切り売りする真意は、「アンナは若いころから、飾らない言葉でプライベートの素の自分をさらけ出して人気を得ました。ファッションもライフスタイルも恋愛観もすべて。それがカッコいいと信じているんです
またあれだけいい生活をしてきた子ですから、生活レベルは中々下げれない。
そこへ来て、娘さんの学費などもかさみますし、正直お金が欲しかったのは。周囲にたきつけられたというのもあるでしょう」(芸能プロ関係者)

まず都内の自宅マンションから出てくるアンナパパに手切れ金についての話をぶつけてみた。
「は?1000万?それはお金ですか?」
とマスコミ対応もお手のモノとばかりに、とぼけられてしまった。
一方名古屋の立浪選手はというと、やはり、
「知らないです・・・。もう家にこんといて下さい」
そんなかたくなに口を閉ざす夫に代わって、妻A子さんが週刊誌に話してくれたという。
意外だったのは、母親の反論が載った女性誌の中で、A子さんがもう終わったことですからと語ったとされる部分について聞いたところ
「いえ、私、取材を受けてないのですが・・・。なので、まったく知らないです」
まったく納得できていない様子。

夫である立浪とアンナの関係については、
「前々から知り合いだったというのは知っていたので、食事に行っていることも知ってました。主人もありえないことだからって、いっていますので」
A子さんは、5歳年上の姉さん女房。
スター選手とファンという立場で出会い、90年にできちゃった結婚。
(ファンの間では有名ですが、最初から立浪選手にはらませるために追っかけをしてたそうです。それだけ立浪選手のことが好きだったA子さん)
アンナの告白記事は、娘さんのデビュー宣伝目的という声もありますが?
「そうですよね、利用されているだけ。そう取れてしまいますよね。アンナさんについて?面識もありませんし、意識の中にもありません」
冷静に夫をかばおうとしながらも、込み上げてくる怒りを隠しきれない様子が、しっかりと伝わってきた。

梅宮アンナ 悲恋の半生
1994年 テレビ番組共演で、羽賀研二と交際開始
1999年 羽賀研二と破局するが、連帯保証人として3000万円の負債
2001年 飲食店を経営する男と出来ちゃった婚
2003年 わずか1年でスピード離婚。親権はアンナに。
2004年 元夫が違法カジノ経営で逮捕
2005年 立浪選手と不倫発覚
2007年 不倫3年の末、破局。泥沼不倫騒動へ

梅宮アンナ

梅宮アンナ、新恋人と早くも路上バトル・・・破局寸前

2010年2月、中日ドラゴンズの立浪選手と不倫をし恋愛には懲りていたはずの梅宮アンナですが、もう新しい彼を作っていたようです。
しかも、路上で喧嘩をするほどの仲良し?だった。
梅宮アンナといえば、お金使いがかなり荒く、彼氏には数百万円を月に使わせるようですが、今回のお相手の男性は大丈夫なのか?

年商10億円を超える神戸の老舗和菓子店の御曹司で、アメリカンフットボール元日本代表の中島佑選手が、梅宮アンナの新恋人!
「身長186㎝のマッチョなイケメンです。いまも現役バリバリの体育会系ですけど、物腰は柔らかいジェントルマン。顔はホリが深くて男っぽく、まさにアンナちゃん好みです」(アンナの知人) 

アンナは羽賀研二と1999年に破局後、2001年に青年実業家の男性と結婚し長女を出産するも2003年に破局。
2005年にはプロ野球の立浪選手と不倫交際が発覚するが2008年9月にピリオドを打った。
それから本命の彼はしばらくいませんでした。でも2009年の夏にダイエットしてスリムになってから、意識も前向きになっていったみたい。そんなとき知人の紹介で知り合ったのが中島くん。同年12月頃からお付き合いを始めたようです」(知人) 

2010年1月中旬の週末午後3時過ぎ、東京恵比寿のカフェレストランで食事をとるふたりの姿があった。
「実際の席に向かって座ってました。ふたりとも春っぽい格好で目立っていたし、身を乗り出して話をしていて、幸せオーラを振りまいていました」(居合わせた客)

しかし、その二日後には事態は一転・・・。
自宅マンションのエントランスで、目をつり上げ、腕を組んで仁王立ちするアンナ。
その前で男性が黙ってうつむいている。
「彼(中島選手)は、最近よくアンナちゃんの家に来ているんです。でもその日は驚きました。10分たっても20分たっても、ずっと外で言い合いをしているんですよ。アンナちゃんが凄く怒っている様子でした。彼は謝るように何度もうなずいていましたね」(近所住民)

新恋人はすでに父にも紹介済みだとか・・・。
それにしても、もう37歳なんだし、いい加減落ち着いた恋は出来ないのだろうか。アンナの再婚はまだ遠いようだった。

梅宮アンナ

中島佑とスピード破局!

2010年2月、喧嘩をしたことが報じられていましたが、やっぱり破局したようです。
9歳年下には梅宮アンナの荷は重すぎた??破局の原因は一体何だったのでしょうか?

「2009年末に出来たばかりの恋人と1ヶ月余りでもう別れちゃったんですよ。なんでも、彼は頼りなさすぎだって・・・」(アンナの知人)
9歳年下でアメリカンフットボール選手・中島佑氏との交際が明らかになっていた梅宮アンナ。
2010年1月28日、仕事先のオーストラリアから帰国したときは、成田空港に集まった報道陣に対して堂々、「娘がいちばん喜んでいます。ゆっくり付き合って、いいカタチになれば」 

交際1ヶ月にして、カレとの再婚を匂わせる発言までいってのけた。
さらに、アンナのパパも、
「新たな一歩に、うまくいってほしいと周囲に話していましたよ」(テレビ局関係者)
と、梅宮家は幸せムードだったのだが・・・。
それが一転、まさかのスピード破局とは、一体何があったのか?
「出会った当初は、大きな身体に体育会計のノリで、頼りがいのある男性に見えたそう。でも、交際が深まるに連れて、やっぱり9歳年下という部分が見えたみたい。破局前にいざというときに全然ダメと愚痴ってました」(アンナの知人) 

アンナが交際してきた男性は、いずれも年上で、修羅場をくぐってきただけに、中島氏には役不足だったようだ。
「そもそももとをたどれば、彼の御家が破局の原因のひとつかも知れないですね」(ふたりを知る関係者)

中島氏の実家は、兵庫県神戸市に総本店を構える、老舗和菓子屋店からのれん分けした亀の井亀井堂。
彼はゆくゆくはそこの4代目として伝統を引き継ぐとみられている。
「彼の家、特に母親が芸能人なんてと、大事な跡取りの嫁候補として認めたくなかったみたいなんですよ。お店でも、お客からお坊ちゃんがと、噂されるのにいい顔は出来なかったようで」(ふたりを知る関係者)
結局、家とアンナさんと板挟みになった中島君が参ってしまって・・・。これ以上はと彼女に打ち明けたとか。彼女も彼に不満を持っていただけに、じゃぁいいわとあっさり終止符を打ったそうです。

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