山本太郎は元妻・割鞘朱璃と結婚もスピード離婚!政治家転身
元タレントで政治家の山本太郎は1990年に日テレ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ダンス甲子園」出場をきっかけに芸能界入り。俳優としてNHK大河「新選組!」、映画「バトル・ロワイアル」などに出演。2013年7月の参院選に東京選挙区から無所属で出馬し初当選。現在、生活の党と山本太郎となかまたち共同代表。
山本太郎が政治家に転身か
原発(放射能)の危険性を訴えて、反原発運動に参加し、出演予定だったドラマも原発利権の力で降板させらました。
それでも反原発の意志は強く、所属していた芸能事務所まで辞めて反原発を強く訴えている数少ない芸能人。
そんな山本に政治界から政治家へのオファーが多数来ていたと2011年6月に報じられました。
これだけの大事故を起こし、いまだに事故は終息していないのにもかかわらず、脱原発の動きを示していた菅直人元首相。
しかし、利権を壊されたくない官僚は政治家とマスコミは必死に管おろし。
こんな無責任の政治家達のオファーを山本は承諾するのでしょうか?
山本太郎に自民党や民主党や市民団代などからスカウトが殺到していたという。
「芸能界では反原発はタブー。東電は2011年現在も大スポンサーですから。しかも東電は、テレビはもとより、映画、舞台などの文化事業に多額の出資をしてきた。報道現場は仕方ないとして、エンターテイメント系の人間が反旗を翻すのは考えれないことです」(関係者)
山本の行動を巡っては、芸能界でも賛否両論。
「あのような形で事務所を飛び出した人間はもう使えない。引退は当然だ」(ドラマ関係者)という声もある。
一方では、「いまだからこそ、影響力のある人間が声を上げなければ」(某芸能プロ幹部)
山本は現在は、被災した子供たちの支援プロジェクトに賛同し、無報酬で活動に参加している。
市民運動にも積極的に参加するする山本が、次期の衆院選に出馬すれば当選は間違いないとまで言われている。
政治家への転身をする決断をする時がくるのか注目されていた。
東電を批判する大物芸能人がいないことがすべてを物語っているように思えます。
菅直人元首相が山本太郎を政府に入れる予定だった?
福島原発の事故が起きて、放射能が日本全国に飛来。芸能人としてはいち早く、脱原発と東京電力を非難した山本太郎。結果、テレビメディアの大口スポンサーを非難したことで、所属事務所には関係機関からの苦情が殺到し、事務所に迷惑がかかるので所属事務所を辞めました。
脱原発に、熱心なのは当時首相の菅直人も同じで、活断層の上にある浜岡原発を止めました。止めた時は批判が殺到しましたが、最近、この浜岡原発に震度5の地震が来てすごい予知だと話題にもありました。しかし、政治資金の問題なので、菅首相の支持率は低下、さらには味方であるはずの、民主党内でもNOを突きつけられる始末・・・。
そんな中で、脱原発で支持率を回復しようと狙っているのか?山本太郎を政府に入れる動きがあったようです。山本太郎は脱原発をした時には、政治家にはならないといっていましたが、どうなるでしょうか。
菅首相は、国民への支持率低下に加え、身内の与党議員にまで退陣を迫られていた。
脱原発宣言は、政権浮上を狙った菅首相の窮余の一策だという。
そしてこんな計画まであるようだ。
「菅首相が思いついたのが、脱原発路線を念頭に置いた、菅首相直属の諮問機関を設置するというものです。この会議には菅首相は、自らの息のかかった各界の著名人を集める意向のようです」(官邸関係者)
そして、この構想の中で、メンバーの目玉にしようとしていたのが、俳優・山本太郎だという。
山本太郎は、いち早く脱原発をかかげ、子供達を放射能から守りたいという主張が、母親から絶大な支持を集めている。
この人気に目をつけたのが菅首相だ。
「山本については、政府の政策に対する批判はあったかも知れないが、脱原発というテーマには、彼は欠かせない切り札だと思う。私たちの目線の先は一緒でしょう。こういって伸子夫人は彼を協力に後押ししています」(官邸関係者)
政権維持のためなりふりかまっていられない様子。
「伸子夫人は首相が帰ってくる前から、毎晩のように公邸で飲み始めて、酔っぱらって思いつきのアドバイスをしているんです。菅首相がそれを聞いて、次の日、周囲に何の相談もなく人事をぶち上げるものですから、周りはたまりませんよ」(別の官邸関係者)
どうやら、菅首相の支持率回復のために、山本太郎を利用したかったようです。
エネルギー関係の企業に就職
原発事故が起きてからメディアの東電擁護報道はひどいものがありました。東電を批判すると、東電はテレビの大手スポンサーなので芸能界から干されるので沈黙をしていた芸能人が多い中で、いち早く東電を批判し多くの支持を集めた山本太郎。
そして、迷惑がかかるからと自ら所属事務所を辞め、俳優として仕事が激減し、収入も1/10になり、最愛の彼女まで失ったことを明かしていました。いまでも反原発運動をがんばっていますが、ようやく山本太郎に手を差し伸べる企業が現れ、それで就職することになったそうです。スポンサー的な役割をしてくれるのかと思いきや、サラリーマンとして食べながら活動していくようです。
山本は2011年の東日本大震災発生後、自身のツイッターで「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と発言。
福島原発の放射能汚染による危険を訴えた。
そして、全国でデモに参加してきた。
この行動が原因でドラマを降板になったこともあるが、当時の所属事務所は否定している。
山本の行動に対して、賛同する声も多い。
しかし2012年、芸能界では山本の行動は危険分子とみなされており、震災前と比較して仕事は激減した。
そのため収入も1/10に減ったことを告白していた。
収入が減れば、全国のデモに参加することもできなくなるので、資金稼ぎのために本の出版もした。
しかし、これは食いつなぎ程度にしかならない。
切迫した情況に追い込まれている山本が、苦肉の策として民間企業に就職することが決まった!
関係者の証言によると、就職先となった会社は山本のキャラをいかせるという。
「どうやらクリーンエネルギーを手掛けている会社のようです。山本は本当にお金に困っているようで、知人の口利きで会社に入ることが決まったそうです」
原発から自然エネルギーへの転換を目指す山本にとっても利害が一致する。
「配属先は法人営業だと聞いています。月曜から金曜までフルで働いて、土日や有給を使ってデモにいくことになるでしょう」(同上)
ここまで本格的にサラリーマンをすることによって、俳優の本業はどうするのだろうか?
「まさか就職することになるなんて・・・と自分の運命に驚いているみたいですよ。でもやる気満々みたいで、一生懸命働くって目を輝かせています」(事情通)
19歳アイドルサーファー割鞘ジュリと結婚
山本太郎が一般女性と入籍しました。お相手はサーファー・割鞘(わりさや)ジュリさん。交際わずか1ヶ月でのスピード婚の裏には、彼女がまだ男性経験がないことが決め手に?
「山本さんのお相手は一般人と報じられていますが、プロサーファーの割鞘ジュリさんです。15歳でプロサーファーになり、2009年には日本史上初となる三冠を達成。その後も世界大会で優勝するなど凄い実力の持ち主です」(サーフィン関係者)
2012年5月29日、ツイッターで結婚をしたことを発表した山本太郎。
妻との年齢差は約19歳。
2年前に知り合い2012年4月に再会し、交際1ヶ月でのスピード婚だった。
2012年5月15日付けの割鞘のブログでは、「結婚する可能性がある人以外とはお付き合いする気持ちはまったくなかった。いままで誰とも付き合ったことがない」と男性経験ゼロだったことを明かすなど、古風な考えを持つ割鞘。
2012年6月、大阪で山本の母とふたりで同居しているようだ。
心配される嫁姑問題もないそうだ。
それは彼女の両親による教育のおかげだという。
「彼女の母は、先方のおうちに入ったら、先方のお母様のやり方を全部習いなさいと言って彼女を送り出したそうです」(芸能関係者)
彼女の祖父母は、かつて岡山県内で敷地1千坪の旅館を経営。
家族の移動にロールスロイスを使うほどのセレブだった。
プロサーファーとして大会に優勝しても8万程度しかでないそうです。
セレブのお嬢様と結婚した山本は、お金の心配をせずに反原発運動ができるようになった!
妻・割鞘朱璃が父に虐待されていたことを告白
プロサーファーでもある割鞘朱璃が父から虐待を受けていたそうです。そして割鞘朱璃のブログを勝手に更新をし、海外に移住することなどを書いていたと告白しています。
交際から1ヶ月で結婚した山本太郎と割鞘朱璃。
両家の関係は、入籍1週間で悪化してしまったという。
「もう修復不可能なほど関係は悪化してますよ。朱璃さんと父はほぼ絶縁状態じゃないでしょうか。きっかけは朱璃さんのお父さんが、娘をコントロールできなくなったから。これまでサーフィンを共にやってきて、自分が育てあげたって自負があるのに、嫁に出てから、すっかり山本家の人間になって、自分がないがしろにされたと思っているんですよね」(芸能関係者)
入籍後、朱璃さんが姑の下、花嫁修業をスタートさせ、父の電話にすぐに出られなかったことが続き、怒りに火をつけたという。
「2012年6月に入って、朱璃さんのブログが大変なことになっているんです。それまで彼女のブログはお父さんの管理の下で更新されていました。でもその件をきっかけに、お父さんがパスワードを変更して、朱璃さんになりすましてブログを更新しはじめたんです。しかも山本さんや彼のお母さん、そして朱璃さんの人間性を疑うような記述を織り交ぜているんですよ」(同上)
事実を確認するために、愛知県に滞在中の山本と朱璃さんを直撃した。
現在は岡山に実家があるものの、茨城県で幼少期を過ごした朱璃さん。
3歳の時に両親が離婚し、母の下で育てられた。
小学校4年の時、母が引っ越し先の千葉で再婚。
この再婚相手が現在対立関係にある父なのだ。
この父と一緒に生活をはじってからすぐに暴力も始まったという。
「テーブルマナー、箸の持ち方などで、一度でできないと、同じことをするな!と言って、髪を引っ張られたり。成績が落ちると食事中に熱い味噌汁がお椀ごと飛んできたり・・・」
夜中に布団をはがされベッドから落とされ、髪を引きずられながら、2階から1階に引きずり下ろされたこともあったという。
その時は怪我をして8針も縫っている。
その傷はいまでもあるという。
母も止めにはいるけど、父の制御で引っ込んでしまっていたそうです。
その後も父からの暴力は止まらず、朱璃さんは児童相談所に保護されたりを繰り返しながら、小学校を卒業。
中学時代には約2年間、児童擁護施設で過ごしていた。
「中学3年になる前、母の強い願いもあったし、父も今後絶対に暴力を振るわないと約束してくれたので、自宅に戻りました。その時にわかったんですが、父は私が家にいない時期について、朱璃は海外に留学していると近所の人に言ってたようです。それからも私は父の顔色をうかがい、怯えながら生きる毎日でした」
そんな親子関係に異変が起きたのは、サーフィンがきっかけだった。
趣味がサーフィンという父の機嫌をとるためにはじめたが、みるみると上達していった。
「サーフィンをしている時だけひとりになれるし、何も考えなくてすむから、のめりこめたんです。当時、サーフィンしてる女性なんてあまりいませんから、だから海でも注目されるようになったんですね。そうすると一緒にいる父も他のサーファーから、あの子のお父さん?と声をかけられるようになって、嬉しかったと思います」(朱璃さん)
ブログはサーフィンを始めた直後に父の助言に従って開設したそうです。
割鞘朱璃が山本太郎と結婚したのは虐待から逃れるため?
朱璃さんが山本と出会ったのは、サーフィン関係のイベントに参加したことがきっかけだった。
「もちろんその頃は、彼女は高校生だったので、電話で連絡を取ったり、1年に1度ご飯を食べに行ったりしながら友人関係を続けていました」(山本)
交際をスタートさせたのが、2012年4月18日。
山本が出演していた舞台・椿姫を朱璃さんが見に行き、終演後、焼肉を食べにいって意気投合した。
虐待について聞いたのは2回目のデートだった。
「彼女の写真が欲しいと思ったんです。待ち受けにしようかと。彼女に小さい頃の写真ないのか聞いたら、異様に嫌がった。自分は原発のことやっていて、子供=国の未来ということで、だから携帯の待ち受けを子供の画面にしたいという思いもあったんです。何か彼女の答えがすっくりしないので、それで今回のことを話してくれたんです」(山本)
そしていま夫婦は、2012年6月3日以降、父が朱璃さんになりすましてブログを更新した被害にあっている。
父は、なぜこれほどにまでふたりを苦しめるのだろうか?
岡山の実家を訪ね朱璃さんの父から話しを聞いた。
「なりすまされたって(笑)。それはだって、あれ、ぼくがやってきたブログですから。これまでも一切娘は書いてないです!全部ぼくがやっている。太郎への娘のラブレターもぼくが書きましたから。パスワードを変えたのは娘に対して怒ってるから。その後、更新したブログのうち、困らせてやろうって書いたのはそんなにないです。ただ、正直に彼らがこれまでやってきたことを書いたら、勝手に向こうが困ってるだけです」
なんと、ブログは父が全部書いてたようです。(笑)
娘への怒りはなぜうまれたのですか?
「向こうのお母さんがいままで太郎の付き合ってきた人のことを全部いうんだっていうの。女優のAや、女子アナの話をしたっていうてた。そんな失礼な話あるかって思って、ぼくは怒った。それを太郎に言ったら、彼がおかあさんに言ったみたいで、おかあさんからすごいメールを送ってきたんですよ。じゅりさんのお父様、あなたたちと信頼は築けず、それはあなたが壊したんです、みたいなことを。それでぼくは付き合うのをやめようと思った」
2012年6月、朱璃さんは歯の治療のためサーフィンをしていない。
このことも父と行き違いがあったようだ。
「スポンサーとかいろいろ支えてきてくれた人達に、結婚したからサーフィンをやめるって朱璃が電話一本で言ったそうなんです。男に狂って、これまでのことをないがしろにするなんてぼくは許せない。そしたらまた、むこうのお母さんが出てきて、サーフィンを続けて何になるの?っていう。それでまた怒りました」
現在でも、山本の母に対する怒りは収まっていないようだ。
現在、ブログは朱璃さん側が新しいパスワードを取得し取り戻したそうです。
山本太郎の母、朱璃さんの父、どちらも頑固そうなので、仲直りは厳しいかも?
山本太郎が太陽光発電会社をクビに
所属事務所を解雇される形で辞めてから、全国各地で脱原発運動を行う。しかし、あまりにも忙しすぎ、全国へ移動しないといけないので資金難でした。そして、知人のコネで派遣社員として太陽光発電会社に就職をしましたが、2012年7月31日でクビになることが決まった。
山本太郎が、2012年4月に入社した太陽光発電会社(神奈川県横浜市)を2012年7月31日で退社することになった。
何があったのだろうか?
関係者によれば事実的なクビのようだ。
民間企業への入社直後、山本は2012年4月に行われた入社式に出席。
脱原発運動をしてから収入がタレント時代の1/10になったことも明かしていた。
そのため、定期収入が必要だったことが就職した理由だった。
ソーラー社は「山本さんと話し合ったうえ、お互い納得のうえで7月いっぱいで退社することになりました」と円満退社を強調。
しかし、事情を知る関係者は「事実上のクビで解雇ですよ」と話す。
山本の仕事は太陽光パネルの営業。
会社社長も市民活動には理解を示して、自由な時間に仕事ができる環境が用意されていたが・・・。
もともと3ヶ月契約だったとはいえ、契約更新の意思はあったという。
「入社した段階からその契約更新のつもりだったはず。しかし山本の身に次々とスキャンダルが降りかかったり、営業成績も好調とは言えず契約更新にはなりませんでした。成果の出せない営業マンを会社に置くメリットはありませんからね。一般的な営業マンの世界でもクビは当然じゃないですか?」(事情を知る関係者)
売る商品も決して小さな商品じゃなかったため、飛び込みでの営業はいくら山本でも成果を出すことは難しかったようだ。
山本太郎が参議院選挙に当選!選挙妨害によるストレスで円毛脱毛症に
福島原発の事故により放射能が東北や関東地方にまで飛び散りました。そのことが原因で、一時期は圧力がかけられるので芸能界も辞め、日本を出て海外で暮らすといっていたのですが・・・。いつの間にか議員になることに方向転換。そして見事に選挙で当選し6年間の議員をすることになりました。
そんな中で、選挙活動中はかなり苦労をしたようで、円形脱毛症になったことが2013年7月に報じられました。その円形脱毛症も最初は10円くらいの大きさだったのですが、どんどん大きくなり・・・。選挙による活動妨害が原因で円形脱毛症になっていたそうです。
1000人を超えるボランティアとネットに支えられた選挙活動で「脱原発」を強く訴えてきた山本。
5議席のうち、5番目に食い込むかどうかで注目されたが、66万票も集め4位で当選をした。
「ネット選挙が追い風になったと思う。大手メディアが報じない情報を伝えられた。ネットと草の根活動で1議席獲得できることを証明できた」(山本)
基本的に前回の衆院選と変わらない。
脱原発、言論の自由の確保、反TPPだ。
今回は、民意がこのことを支持した。
しかし、既存メディアへの不信感はすさまじい。
例えば、開票速報が流れる選挙事務所の報道記者を山本陣営の支援者らが10台のスマホやカメラで常にライブ配信。
まるで記者を監視してるかのようだった。
また、当選後の山本のインタビューをテレビ局が途中で打ち切ると、「被爆を言ったら30票!(中継を短くする意味)」と連呼。
山本が被爆と発言したことでテレビ局がインタビューを打ち切ったと思った支援者らが、やゆする形で連呼したようだ。
山本は、選挙活動中は、今の政界、財界、マスコミ界が一体となった、既得権益者が仮想敵だかと言って対決姿勢もあらわになった。
このことが原因なのか不明だが、選挙妨害を受けたそうだ。
「ポスターを1日10件以上破られたり、燃やされたりした。これは犯罪行為なので、警察からも被害届けを出しますかと聞かれた。しかし、1日10件を毎日やれるたびに被害届けを出すと、選挙活動をする時間がなくなる。だから被害届けを出さずに、ボランティアが貼り替え作業をしてたんです」
さらに山本には殺害予告まででている。
それでも街頭演説ではボディーガードを手配することはなかった。
「実は前回の衆議院選の時は、空手の有段者などで周囲を固めていました。しかし、それでは有権者と距離ができてしまう。そのため今回は友達が見守る程度。だからやられるリスクもあった。そういうストレスで円形脱毛症になった」
山本太郎は国会議員になっても脱原発の草の根作戦をしていくそうです。
妻・割鞘朱璃と離婚秒読み
見事でに参院選で当選をした山本太郎。本来なら妻である割鞘朱璃は、選挙を手伝うのが普通なのですが、山本太郎の選挙会場には、朱璃の姿はありませんでした。どうやら、朱璃が父に虐待をされていたと山本太郎がばらしたことで、亀裂が生じていたようです。
「僕に力を貸してくれた人達、一緒にもっといい日本にしていこうということで力を貸してくれた人達を僕自身が裏切って、命を狙われることが一番怖い」と、当選直後のインタビューで口にした。
「しがらみのない国会議員でなければならない」
完全無所属にこだわり、公認や推薦の打診を断って選挙に出馬。
そんな山本が頼ったのが震災後のボランティアや反原発活動で築いてきた絆だった。
1000人ものボランティアの支えもあり、念願の当選を果たした山本だが、気になるのが、2012年5月に結婚をした妻・朱璃の姿がなかったことだ。
選挙戦といえば、夫人同伴で臨む候補者も多いのだが・・・。
週刊誌は、朱璃さんに何度も電話をしたが、ずっと話し中だった。
朱璃さんの行方や近況を聞くため、実家を訪ねた。
しかし、朱璃さんの父は、山本の名前を出すと怒りあらわにした。
結婚直後に、週刊誌をはじめ、多くのマスコミに、義父が朱璃さんに対して虐待をしていた過去を告白したことに対する怒りがまだ消えていなかったのだ。
「うちでは山本太郎という名前は禁句。あれ以来、もう山本や朱璃とは連絡も取っていないし、全く知らない」
当選後も、妻に関する発言は一切ないまま。
山本太郎と朱璃の関係はどうなっているのだろうか?
あれだけ、ふたりで一緒にメディアに登場をして、インタビューなども受けていたのに、妻の話題が一切でなくなりましたよね。
妊娠とかも考えられそうですが・・・。
朱璃さんは、義父との関係が完全に断たれたようです。
山本太郎が元妻からもう疲れたと言われた
まさかのスピード離婚をしていた山本太郎と朱璃。わずか3ヶ月で離婚をしていたことがばれて認めました。離婚後も、朱璃は、山本の母が住む大阪で一緒に同居生活をしています。これは、朱璃が父からのDVを守るためと言っていましたが。
奇跡の当選から2週間あまり、山本太郎参議院に早くもスキャンダルが。
2012年5月に入籍をした朱璃さんとわずか3ヶ月で離婚をしていたのだ。
そして、なぜ離婚をしていたことを隠していたのか?
山本と山本の母が語ってくれた。
「すべての始まりは、朱璃から、しんどいという言葉でした。入籍から1ヶ月ぐらい後のことでしょうか?当時のぼくは反原発運動で全国を飛び回り、月に3回ぐらいしか会えない日々だったんです。朱璃はぼくの母と大阪の家で同居をしていました。彼女が夢見ていた新婚生活ではなかったので、精神的に追い詰められていったんです」
新婚なのに、いきなり母とふたりきりの生活では、しんどいのも理解できる。
「それで、ぼくがもう少し間に入ってフォローしてあげていたら・・・。とにかく夫婦で、しんどいをどう解消するのか話し合いました。ぼくは、どんな家庭にだってピンチはあるんやから、頑張っていこうやと言ったのですが、無理して続ける方が地獄ということになり、チームを解散することにしました」
(チームとは夫婦仲解消=離婚の意味)
そう語る、山本の頭には500円玉ハゲのほかにも、もうひとつ円形脱毛症ができていた。
「大きい500円玉の方が昨年末にできた衆院選ハゲ。小さい方が最近できて拡大しつつある参院選ハゲです。いろいろなストレスを抱えていまして・・・」
記者:しかし、なぜ離婚を隠していたんですか?
「離婚したことが報じられたら、彼女の新しい人生にも悪影響がでると思ったからです。隠していたわけではないのですが、朱璃は住民票を母の家から移さず、山本の姓を名乗りたいと言っているので、その通りにしています」
弁護士を立てた協議離婚で、山本が支払った慰謝料は200万円。
それとは別に100万を出したのは、山本の母・乃布子(のぶこ)さんだ。
早くに夫を亡くし、山本が1歳の時から女手ひとつでペルシャ絨毯を売って生計を立てた。
山本の母に取材をした。
「朱璃さんは名家のお嬢さんと聞いていましたが、嫁いできた時は、所持金が1万円で洋服も2-3枚しか持っていませんでした。私は離婚が決まってからも、朱璃が新しく住むマンションを選んだり、どんな職業に就くのがいいのか相談に乗ってきました」
記者:同居生活はどうたったですか?
「離婚したとはいえ、一度嫁として迎えた女性を悪くいうつもありはありません。でも、山本家と向こうの家とでは、まったく相容れない空気なようなものがありました」
記者:朱璃さんはいま、大阪の北新地のキャバクラで働いているようです。
「贅沢な暮らしが好きなタイプだったので、これから儲かるのはまつげエクステやでって教えてあげて、美容師学校に入るお世話もしたんですが・・・」
一部では、離婚の原因は、山本太郎のマザコンとも報じられましたが、それについては、友達や同志みたいな感じだと否定をしています。
そして、元妻となった、朱璃さんにも離婚の理由について聞いてみた。
「結婚生活の中でお互いの違いを感じ、話し合いの中で決めたことです。彼と一緒になってから生きる世界の違いを感じ、まだ若くて人生経験の少ない私にとって、最愛の人の帰宅が少ないのは、非常に寂しいものでありました。その内スレ違いが生じ、私は私の新しい道を生きていきたいと思いました。離婚後もお母様にいろいろ協力してもらい、今でもお母様をあこがれの人として尊敬をしています」
まさに、模範解答だった・・・。
太郎への未練は全く無いようだった。
朱璃が思っていた新婚生活と違った。我慢できなかったのは若いこともありますが、新婚早々、母とふたりきりの同居生活はきついですよね。これまで、厳しい父の元、彼氏を作ることも許されないほどサーフィン一筋の人生だったので、自由に手にした喜びの方が大きかったのかも知れません。離婚後も山本の母とはしばらく同居してたようですが、今は一緒に住んでないそうです。また山本と再婚もあるのかと思いましたが、これはなさそうですね。しかし、キャバクラ嬢になってるのにはびっくりしました・・・。
まさかの隠し子発覚!割鞘朱璃との離婚は山本の浮気が原因か?
山本太郎にまさかの隠し子!お相手は、脱原発や市民運動で以前から知り合いだった39歳の一般女性だそうです。入籍はしておらず、今後もしない方向のようです。参院選投開票当日の2013年7月21日に男児が誕生したそうです。
山本は、割鞘朱璃とわずか92日で離婚をしています。その時に支払った慰謝料が200万でした。離婚の理由として、山本の母と同居するジュリが、山本が家にほとんど帰ってこないため、寂しいから離婚をしたと言っていましたが、どうやら事情が違うのでしょうか?
離婚してからすぐに一般女性と交際し妊娠をさせてしまったのでしょうかね?
それとも、割鞘朱璃と交際中の時から、二股交際をしていたのでしょうか?
それにしても、離婚してから、すぐに女性を妊娠させていたのには軽率な行動だと叩かれていました。
2013年7月の参院選当選後、スポーツ紙のスクープにより18歳年下妻とのスピード離婚劇が判明した俳優の山本太郎参院議員に、今度は“隠し子”情報が浮上。
2013年9月2日、真偽を確認すべく当人に質問をぶつけると、ベビーの姿を公開しつつ実子と認めた。
山本氏は2012年夏の離婚後、脱原発や市民運動で以前から知り合いだった
稲森いずみ似のスレンダー美女の一般女性Aさんと交際を始めたが、なんと参院選投開票当日の2013年7月21日、そのAさんとの間に男児が誕生していたというのだ。
Aさんとは「制度に疑問を持っていて、形にこだわりたくなかった」ことから
結婚はしていないが、子供の認知はしている。
2013年9月、Aさんは子供は東京での生活を懸念し西日本に暮らしている。
東京に住む山本氏とは離れているが時間を見つけては会いに行っている。
事実婚だが将来の結婚についても考えていないという。
子供の誕生をこれまで隠してきたことについては、マスコミや対抗勢力から守るためだったと説明。
スピード離婚に続く衝撃告白となったことについては
「結果的にこのよう形でお伝えしなければならなくなったことは申し訳ありません。
ただただ元妻とこの新しい命、そして彼女を守りたかった」と謝罪した。