羽生善治は畠田理恵と別居で離婚危機も妻と子供が戻り連勝

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将棋棋士の羽生善治は1985年に将棋界3人目の中学生プロに。1989年に第2期竜王戦で島朗を破り初タイトルを獲得。1996年2月に史上初の7冠全制覇を達成。1996年に結婚した理恵夫人との間に子供(娘)が2人。

羽生善治

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羽生善治名人と畠田理恵が別居生活

都内の自宅から10数キロ離れた横浜市内のマンションに母子3人は住んでいるようだ。だが、夫の羽生名人がひとり帰宅していた。2010年11月、羽生名人は永世7冠に挑戦中だった。残るは永世竜王のみだが、竜王戦では2連敗を喫していた。そのせいか、人気のない自宅はどこか寂しげに感じられた。

実は別居は2010年の夏ぐらいから関係者の間でも噂されていた。
「2010年3月、横浜市内で理恵さんの運転する車が事故を起こし記事になりました。夏頃になると理恵さんが頻繁に目撃されるようになったんです」(将棋関係者)
週刊誌が、2010年10月下旬の別居生活の前にも、夫婦の異変を目撃していた。
世田谷区の自宅を羽生名人が外出したのを見計らってから畠田が帰宅。
午後になると、自宅からほど近い私立女子校へ車で向かい、娘たちをお迎え。
車に乗せると、そのまま横浜へと戻っていった。 

横浜のマンション近くにはスケートセンターがある。
そこに娘たちが通っているのだという。
「娘さんたちはフィギアスケートを習っていましたが、長女は中学になると辞めました。二女は、現在5級の腕前で元五輪選手という超一流コーチの指導を受けています」(スケート関係者)
子供たちが通う学校は都内の自宅近くだが、毎日横浜のマンションへと戻っていく。
そして翌日には娘たちの送り迎えをしているのだ。
「このマンションは賃貸ばかりで、ほぼ満室です。2LDKで駐車場を含め月20万前後です。畠田さんは、2010年3月頃に引っ越してきたようです」(不動産業者)

畠田理恵

羽生名人との別居から当時8ヶ月・・・週刊誌が真相を聞くべき畠田を直撃。
「夫と別居?そんなことしてません・・・。事情を説明しますから」
そういうと畠田はゆっくりとその胸中を語り始めた。
「下の娘がスケートに通っているんです。朝も夜も練習がありますから、その間に十分に睡眠がとれるように、スケートリンクのすぐ近くの部屋を借りてるんです。夜の練習は9時までありますし、クールダウンさせて落ち着くと10時になってしまいます。朝の練習はリンクに5時集合ですから4時に起きてます。そんなスケジュールなので寝る時間がなくなってしまうんです」

畠田には娘のことしか見えていないようだ。
最後は微笑みを浮かべながら、私たちが不仲とか、そんなことは全然ないですと否定をしていた。
しかし、羽生名人がいない時を見計らって家に帰っていたのは偶然なのだろうか?
生活のスレ違い?子供の教育のスレ違いで別居していたのか。

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羽生善治の活躍は別居していた妻・畠田理恵が戻ったから

将棋の世界で敵がいないほど強かった羽生善治。一時は不調と思われる時期もありましたが、プライベートでのことが影響してたのでしょうか?そしていま、また全盛期の頃のように、絶対的な強さで連勝を重ねていけるのか。

「羽生さんは、2011年9月に通算タイトル獲得数で故・大山康晴さんと並びましたが、直前の王位戦でまさかの敗退。ところが、2011年11月から2012年2月のNHK杯まで14連勝を記録しました。年間獲得書金も14年連続1位で絶好調です」(棋士関係者)
名人などの称号を6つも持ち、将棋界の天才羽生二冠。
2012年3月7日の竜王戦では敗退し連勝はストップしたが、好調は続いていた。 

週刊誌が2010年11月に妻・鼻田理恵との別居を報じた。
夫を世田谷区の自宅に残して、ふたりの娘と横浜市内のマンションにいる理由について、鼻田は「二女がフィギュアスケートを練習するため、リンクの近くに部屋を借りた」としていた。
「娘たちの学校は都内にあり、鼻田さんは毎日横浜から車で送り迎えしていました。途中、世田谷区の自宅に寄ることもありましたが、それも2~3時間程度で、羽生さんは娘たちと会う時間がほとんどなかったんです。この頃から彼に白髪が目立つようになりました」(将棋仲間) 

そんな羽生が、ここへきて突然の絶好調で何があったのか?
2012年3月下旬、週刊誌が世田谷区の自宅を訪ねると、羽生が出て来た。
ゴールデンレトリバーが主人を来るのをまっていた。
そして、ミニチュアダックスを抱えた鼻田の母親とトイプードルを抱えた二女も玄関からでてきたのだ。
どうやら家族は自宅に戻ってきたようだ。
近所の主婦の話によると、鼻田を自宅近くでみかけるようになったのは最近のことだという。
「長女は中学生になったのを機にスケートを辞め、学業を優先するこおに。そして二女も中学生になります。2012年3月22日からのスケート選手権にも出場していませんでしたから、学業に専念するのではないでしょうか」(スケート関係者)
羽生の好調の秘密は家族が戻ってきたことにあったようです。

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