加護ちゃんは華原朋美の元彼氏と同棲しDVの被害に遭った過去

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加護亜依といえば2009年1月に俳優の水元秀二郎との不倫が報じられ裁判にまで発展したが。2011年6月、今度は年上のおじさんともいえる年齢差の男性と交際していたという。同棲相手は華原朋美の元彼氏でDVトラブルを起こした人と当時同棲していた。

加護亜依

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加護亜依が華原朋美の元彼氏と同棲

深夜、東京都内のレストランから1組のカップルがやってきた。女性は加護ちゃんだ。大きなマスクとブランドもののミニワンピースにニットのカーディガンと、雰囲気がやけに大人っぽくなっていた。Tシャツにジャケット姿の男性は40代前半。がっちりとしていて髪の毛にはメッシュをいれている。 

運転手が待つ高級車に乗り込んだふたりは、タワーマンションへ。エントランスで車を降りた加護は、男性に寄り添うようにマンションに入っていった。
「彼は、ふたりが出てきたレストランのオーナーA氏です。他にも8店の飲食店の経営を手がける実業家です。加護ちゃんはモーニング娘の頃からあの店に出入りしてましたから。交際は1年ぐらいのようです」(飲食店関係者)
2011年6月、加護は復帰後に所属していた事務所から移籍することになり休養中だった。

「ふたりの交際は2010年7月ごろです。2011年2月には一人暮らしをしていた家を引っ越し、彼と一緒に住んでいるはずです。このA氏、実は華原朋美の元彼なんです」(加護の知人)
華原は、2010年9月の写真週刊誌でA氏との交際について衝撃的な告白をしている。
「Aさんとは2004年から付き合い始めました。でも直後から暴力をふるわれるようになったんです。何度も殴られ、右耳はほとんど聞こえなくなりました。でも2月には別れました」 

この5ヶ月後、加護とA氏の交際がスタートした。ふたりを目撃した数日後、週刊誌がはA氏を直撃。

記者:加護さんと同棲しているんですか?
A氏:同棲という事実はないです。以前から、彼女の今後の進路について相談を受けてきたという関係です。

記者:華原さんはDVを受けたと告白してますが?
記者:報道であったような暴力はありません。加護さんへの暴力もありませんよ。

喫煙、不倫、休業・・・。
加護ちゃんが芸能界に戻ってこれる日はあるのだろうか?
心配されるのは流産かもしれませんね。

加護亜依

加護ちゃんもDVの被害にあっていた

2011年9月、加護ちゃんと同棲していた彼氏でもあった安藤容疑者が借金返済のため恫喝し逮捕。そして、責任を感じた加護ちゃんは手首を切って入院。その背景には、恐怖があったという。華原朋美も安藤容疑者にDV被害を受けていたことを暴露していましたが、加護ちゃんもDVを受けていたようです!

「加護ちゃんが入院していたのは1泊5万円もする12階の特別個室でした。普通は誰か見舞いくらいにくるものですが、彼女の場合は所属事務所の人も母親もみませんでしたね。付き添っていたのは彼女の運転手くらいで、彼女は寂しそうでした」(加護の知人) 

多量の精神安定剤と手首を切り都内の病院に救急搬送されていた。入院先の病室では彼女は苦悩を抱え続けていた。
所属事務所の社長なども面会に来たが、入れなかったのは安藤容疑者の部下でもある運転手がフロアで待機し面会制限をしていたためだったようだ。
「加護は日に何度も家に帰ろうとして、そのたびに病院関係者に止められていました。取り乱すあまり、彼女は、もう帰る!ここにいたら殺される!と絶叫していました。最後には、私はね、死ぬ覚悟なんてとっくにできているんだから!と言い出す始末で周囲も困惑していました」(病院関係者) 

実は加護の未遂事件はこれだけではなかった。
未成年で喫煙が発覚し謹慎中だった2007年3月、2度目の喫煙を報じられ所属事務所を解雇された。
その頃もリストカットをしていたことを明かしている。
インタビューでこう語っている。
「本当に死のうなんて思ってなかったと思う。きっと誰かに助けてほしかったのかな」
今回も誰かに気づいてほしかったサインだったのかも? 

退院して自宅マンションに戻ったとしても加護の孤独は消えない。
「加護さんは、誰か信頼できる人がいてくれないと不安定になってしまうタイプ。ましてや精神的にまだまだ不安定な今、身内のように大切な人がそばにいてあげる必要があります。彼女の弁護士も24時間一緒にいてくれる人を探しています」(芸能関係者)
しかし、加護にとって大事な人は近くにいない。逮捕された安藤容疑者のことだ。

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加護は、2008年4月のインタビューで2007年のリストカット騒動についてこのように語っている。
「私を必要としてくれる人物、場所が全部なくなってしまった。もういいやって思ってしまった時期があって。ドン底でした。もがくほど落ちていく。支えてくれたのは家族でした」 

2000年に奈良から一緒に上京し加護を支えてくれていたのは祖母だった。二男一女をもうけた母も、夫が作った莫大な借金で苦悩しながら加護を励ましていた。
「加護さんは20歳にも満たないのに、芸能界で働きながら家族の借金を一手に引き受けていました」(芸能関係者)
しかし、その母も地元・奈良で別の家族危機に直面していたという。
「6歳になる一番したの弟が入院していて、お母さんは看病しっきりなんです。近所に住むおばあちゃんは、残った2人の孫の世話で東京にはいけません」(加護の知人) 

加護の事務所関係者は安藤と加護についてこう語る
「安藤と交際を始めてから、加護は変わった。ブランド物に興味を持ち、パジャマや靴や時計はシャネルづくめ。全部、彼に影響されたんでしょう。現在は安藤の知り合いという人物が、加護の様子をブログに載せたりもしてますが・・・」
その人物とは元競輪選手・中野浩一夫人・NAOMI歌手。
タレント活動もし、シャネルやエルメスなどのブランド品をリサイクルショップなどで販売もしている。 

そこで加護についてNAOMIの所属事務所に連絡したが、この件についてはお話いたしませんというコメントだった。
「携帯電話も替えて、今までの友人たちとの交流を断ってしまい、彼女の周りには安藤とその関係者だけになってしまった。加護のことを全力で守ってくれる人は誰もいない状態だ」
デビューして11年で天国と地獄を見てしまった加護ちゃんだった。

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