黒柳徹子は何故結婚しなかったのか!昔はお見合いに結納も

マルチタレントの黒柳徹子は東京音楽大学声楽科を卒業し、NHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。日本で初めてのテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」は2016年2月で41年目をむかえた。1981年に出版された著作「窓ぎわのトットちゃん」760万部というベストセラーで日本記録を達成。1984年にユニセフ親善大使としてアフリカやアジアなどを訪問しています。

黒柳徹子

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低視聴率でも打ち切られない徹子の部屋の秘密

フジテレビ・笑っていいとも、TBSはなまるマーケットは長寿番組でしたが、視聴率の低迷で採算がとれないと判断され打ち切りになりました。

しかし、低視聴率という見方をすれば、徹子の部屋も5%ほどしか取れていなくて、いつ打ち切りをされてもおかしくない状態だそうです。しかし、徹子の部屋が打ち切りにされないのは、理由があるそうです。

「いいとも」「はなまる」が打ち切られた要因の一つが低視聴率だ。
「局の顔と言われるような長寿番組とはいえ、制作費が抑えられている現状では、見合った視聴率が取れていなければ打ち切りを考えなければいけない時代になった。しかも聖域とまで言われた「いいとも」が終わることにより、各局ともメスを入れやすくなりました」(テレビ局関係者)

徹子の部屋は、1976年にスタートし、2016年2月で41年目を迎えた。
一時は打ち切りも噂されたことがあったのだが、いまでも続いている。
「徹子の部屋も、それほど視聴率がいいというわけではありません。ゲストによって数字は変わりますが、5%前後が多いんじゃないかな?」(同上)

視聴率だけを見れば、徹子の部屋も打ち切られてもおかしくないという。
しかし、テレ朝は、決して終わらせられない番組にまで存在価値を高めているというのだ。
別のテレビ局幹部は、「あの番組は数字じゃないんですよ。他の番組には絶対に出演しないような大物俳優や大物アーティストでも、黒柳さんならといって出演してくれる。テレ朝は、徹子の部屋での出演を足がかりにパイプを作って、他の番組に出演させるんです」

いまのテレ朝のキャスティングにとってなくてはならない番組だそうだ。
徹子の部屋には、石原裕次郎や美空ひばりといった今は亡き大物芸能人から、高倉健、吉永小百合といった日本を代表する名優が出演している。

黒柳徹子のおかげで、テレ朝は大物芸人の出演を取り付けることができるので、いくら視聴率が悪くても打ち切られることがないようです。
低視聴率でも、このようなことで採算が取れているようです。

そして、2014年4月から正午スタートに繰り上がり、平均視聴率も5%前後をキープしているようです。

黒柳徹子

実はお見合い3回、結納もすませていた過去があった

これまで一度も結婚をしたことがない黒柳徹子。子供を産み母親になりたかったという話は聞いたことがありますが、どうして82年間も独身だったのでしょうか?

人は人生に3度モテ期などがあるといわれていますが、黒柳徹子も3度結婚をするチャンスがあったそうです。結婚より仕事ではなく、仕事より結婚というタイプの女性だったという。しかし、3度あった婚期を逃してしまったのはなぜなんでしょうか?

「過去に3回お見合いをしました。もうちょっとで結婚するまでいきました・・・」と2014年4月3日に放送された徹子の部屋で、ゲストのマツコデラックスに自身の秘話を告白した黒柳徹子。

「でもある日突然、やっぱりやめたほうがいいなと思って、ママ、私ちょっと結婚をやめようと思うんだけどと話したら、ウチの母も変わってて、そうねぇ、そうしたほうがいいかもしれないわなって」
3回のお見合いに加え、2~3人にもプロポーズを受けたそうだ。

黒柳徹子はこれまで母親になりたいという気持ちはあったのだが叶うことはなかった。
そこには徹子の部屋では語れなかった傷心の過去があるようだ。
「黒柳さんは、これまでの人生で2回だけ、結婚を真剣に考えたそうです。そのうちの1回が徹子の部屋でも明かされていた。お見合いの時、彼女は戦後、オペラ歌手になりたくて、現・東京音大に進学したんですが、主役を張るには先輩の数が多すぎた。夢を断たれ、このまま結婚するんだろうな・・・と思っていたそうです」(徹子と親交の深い芸能関係者)

そんな折、黒柳徹子が東京銀座で目にした人形劇で、観客の子供達の喜ぶ姿が焼き付いた。
「その時、ちゃんと我が子に絵本を読める母親になりたいと思ったそうです。それでお母さんに、人形劇をやるにはどこで教えてくれるのかなと聞いたら、新聞に出てるんではないの?と。新聞を見るとNHK放送劇団の俳優募集の公告が出ていて、6000人の難関を突破し、テレビ女優第一号になりました」(テレビ局関係者)

しかし、選ばれたのはよかったのだけど、個性が強すぎるため決まっていた役を降板させられたそうです。
「せっかく入れたのに1年以上も仕事を干され、その時に2~3回目のお見合いをしたそうです。この時は父親を喜ばせたい気持ちが良かったんですね。そして親戚がお金持ちのボンボンを見つけてきて、見合い話は順調に進み結納までいったそうです。ところがそんな時に、NHKのラジオドラマ「ヤン坊ニン坊」の主役の1人に選ばれたんです。この時21歳でした」(芸能関係者)

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ここで結婚するのを悩んだそうです。
そして、徹子の部屋ではこの時のことを次のように話している。
ラジオドラマの音楽担当の作曲家、服部正氏に相談したという。
「結婚しようかと思うんですというと、先生は、それはいいね。でもね、ひとつだけ気に入らないことがあったら、やめたほうがいいよとおっしゃった。そう言われて考えたら、その人が歩いている時の感じが好きじゃなかったから、やめたほうがいいかなと思って・・・」

さらに、その後の恋愛の話も続けた。
「その後、別の人と恋愛をして結婚目前というところまでいきました。私はお仕事をとろうと考えたことがないんです。仕事よりは結婚しようと思っていましたから。奥さんになったら、いい奥さんになるだろうと思っていました」
しかし、ラジオドラマ主演でブレイクし、25歳にして紅白歌合戦で紅組の司会をする活躍。
これでますます結婚から遠ざかったそうです。

番組で2~3人からプロポーズを受けたと話していたが相手は誰なのか?
まず、一人目は親戚から紹介されたボンボンの息子と結納までいき破談。
「1人はNHK職員。もう1人は国際的なビジネスマンだったそうです。その後、黒柳さんは文学座研究所に入ります。女優としての基礎を学ぶためだったのでしょう。でも座員としては残れなかった。きみが入ると空気が乱されると思ったと言われたそうです。人生で2回目の結婚決意はこの時だったそうです」(芸能関係者)

それでも結婚について諦めることはしなかった。
30代の半ばになって思いを寄せていたひと回り以上も年上の男性がいた。
「そんな彼に逆プロポーズをしたところ、結婚はそんなにいいもんじゃないよと返答されたそうです。さらに、考えてご覧、きみが家でおみおつを作って待っていると思うと、仕事していても早く帰らないといけないと思って僕は落ち着かない。きみが僕の税金をどうするかとかよりは、もうちょっと仕事をして、僕がどういう人間かわかったほうがいいんじゃないのと。結局、この恋も結婚まではいくことはなかったそうです」(芸能関係者)

黒柳徹子は結婚ができなかったことについては、あまり後悔はないそうです。
それよりも後悔しているのは子供を産めなかったことにより、母親になれなかったそうです。
そのような思いから、世界の子供を助けてあげたいと、1984年にユニセフ親善大使に就任したそうです。

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