桑田佳祐は食道ガンから復活!原由子の支えに息子のデビュー

ミュージシャンの桑田佳祐は、青山学院大在学中の1975年にサザンオールスターズを結成。1978年6月に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。1982年にバンドメンバーの原由子と結婚。1987年に「悲しい気持ち」でソロ活動もスタート。以降サザンとソロ活動を両立させ「真夏の果実」「TSUNAMI」「白い恋人達」などのヒット曲をリリースしています。

桑田佳祐

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サザン活動中止の真相は姉の末期癌治療のためだった

2008年5月に発表した「2009年以降の活動は無期限休止」前の最後のライブ。
しかし誰よりそのライブを楽しみにし、そして誰よりも桑田佳祐自身がありがとうをいいたかったはずの女性のすがたは、会場になかった

その女性とは。桑田の最愛の姉岩本えり子さん。
えり子さんはライブ初日16日(8月)の3日前に日本を発っていた。
桑田にとってえり子さんは、姉であり、母であり、音楽の師匠であった。

桑田の両親は、映画館や飲食店など、自宅のある茅ヶ崎市を中心に商売をしていた。
音楽好きな両親は、ラテンや石原裕次郎のヒット曲などを姉弟に聞かせたいた。
とはいえ、多忙な両親が家にいることは少なかった。
そのため、姉のえり子さんが桑田に子守歌代わりに歌謡曲を歌って聞かせた。
桑田自身インタビューで姉についてこう語っている。
姉と2人で布団に入って、天井の木目が色んなものに見えたりする中で、さびしいから手を握って「上を向いて歩こう」を歌っているうちに寝ちゃったりとかね。

妻である原由子のために作った「いとしのエリー」がえり子さんを歌った曲だという伝説が残ったのも、桑田のえり子さんへの強い思いがったからこそ。
そのえり子さんは、結婚後に渡米。
その後も桑田の英語歌詞を補作するなど、弟の師であり続けた。
幼いころから付き合いのあった知人はこう話す。
「桑田君より、お姉さんの方が音楽の才能は凄いぐらいですよ。最近でも桑田君の方から姉に電話をして、英語でなんといったらいいとか相談もよくあったようです。」

実は、えり子さんは1995年に乳がんを患っていた。(この時も末期癌と宣告を受けている)
知人が当時を振りかえって「私ガンなのよ。でも子供は幼稚園だし、まだ死ぬのは早いの。」と言ってました。
病院に通い治療を続けよくなったんですけどね・・・・。

一度は健康を取り戻し、薬がいらないまで元気になったえり子さん。
だが病魔は完全に去ったわけではなかった。
2008年2月にふたたび体調の変化を訴えたという。
熱が出ることが多くなって、それに目が黄色みがかって、病院にいったら肝臓が悪いっていわれたらしく・・・・。
それで桑田君が東京の権威といわれる医師を紹介したんです。
その後、えり子さんはご主人と一緒に通院していました。

えり子さんはこの5月、週刊誌の取材にこう明かしている。末期がんで、余命数ヶ月といわれております。
それと前後して突然発表されたサザンの活動中止。
その頃桑田さんは、モチベーションが上がらないを話をしていました。お姉さんの病気を心配してライブをできるテンションになれないのではないか?とも言われてました。(音楽関係者)

30万人ライブの3日前にえり子さんは、ハワイへ向かった。
目的は、ハワイの中国人医師の所です。西洋医学だけではなく東洋医学も駆使するカリスマと呼ばれる先生です。
アメリカ本土だけではなくて、アジアからもこの先生を頼って訪れる人も多いそうです。
その先生の段取りを桑田君がつけ、現地で診てもらっているみたいですね。
もう少ししたらえり子さんのご主人が帰国して桑田君に報告するみたいです。

サザンの休止宣言は、充電する期間がほしいと言ってました。(モチベーションを上げるため)
実は休止宣言の裏には、最愛の姉の健康状態が心配で、ライブが出来ないためでした。

2008年10月19日に姉・岩本えり子さんは末期癌と闘い亡くなっています。

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姉・えり子さんの意志を長男が受け継ぐ

丹沢山地をのぞむ自然に恵まれたその地の、細くくねった山道を登ると古くから知られる名刹がある。
桑田佳祐がこの日、ここを訪れたのは最愛の姉・岩本えり子さん(享年56)の四十九日法要のためだった。

2008年10月19日、がんとの闘いの末、56才の若さでなくなったえり子さん。
あれから1ヶ月半。2008年12月6日に行われた法要には桑田・原由子夫妻をはじめ親族40人が集まった。
「桑田さんは納骨のとき、目を赤くはらしていたように見えました。
原さんと子供たちと静かに墓石を囲んで見守っていました」(桑田の知人)

法要後神奈川県茅ヶ崎市の自宅に戻ったえり子さんの夫を訪ねた。
出迎えてくれたのはえり子さんの長男(17才)。
自宅リビングの仏壇には生前のえり子さんのスナップ写真、戒名が記された位牌が置かれていた。
その仏前の前で、長男は先生に習いながらギターの練習に励んでいた。
驚くほど桑田の若いころに似ている。

その隣で穏やかな笑顔を浮かべていた夫は、静かにこう話し始めた。
「49日もたったから、もう落ち着いた感じです。犬がいるとそっちのほうが大変でね。えり子が友達の紹介で捨て犬をもらってきたんですよ、9月くらいに。もらってきたころ、えり子は結構病気で大変だったから、子供が世話をするという条件でね」

えり子さんの思い出の品について聞くと、こんな答えが返ってきた。
「なんか形式ばって形見分けっていうのはちょっと。友達が来て、好きなものもって行けっていうのはいいんですけどね。残ったものはアメリカにもっていいって寄付するつもりです」
桑田自身もあえて欲しなかったため、形見分けはまだしていないという。

桑田は法要4日前の12月2日、エイズ撲滅キャンペーンのためのチャリティーライブ『Act Against Aids』を開催した。
サザンオールスターズの無期限活動休止後初のソロ活動で、『昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦』と題し、3時間超で61曲を歌い切った。
その中にあった、坂本九さんの『上を向いて歩こう』。
これは幼いころの桑田が姉と2人、布団の中で手をつなぎながら、天井を見て歌ったという思い出の曲。
歌いながら桑田の胸に思い浮かんだのは、やはり懐かしいあの日の姉の姿だったのだろうか。

桑田佳祐

桑田佳祐が頸部食道ガンで緊急手術

サザンオールスターズが休養し、やっと2010年8月には新曲も発売。同年10月からは全国ツアーも控えていた桑田佳祐。しかし、突然の食道ガン発表で歌手生命ですら危うい状態に。桑田といえば、姉をガンで無くしているだけにファンからも大変心配されました。

2010年7月4日行われた妻・原由子のソロライブコンサートにサプライズで登場した桑田佳祐。
ふたりでデュエットしたのは吉永小百合、橋幸夫のヒット曲・いつでも夢をだった。
結婚生活29年目を迎えた原は目に涙をにじませていた。
ここ数年の桑田は大きな変化が立て続けに起きていた。
2008年5月にサザンの無期限の活動休止を発表。
さらにソロ活動を本格化させようとした矢先の同年10月、姉・えり子さんを亡くしている。 

えり子さんは、1995年に乳がんの告知を受け、一度は回復したものの、2008年2月に新たにすい臓がんがみつかり、余命数ヶ月と告知されていた。
「桑田さんは、えり子さんが、ガンの末期とわかって、みずから病院を探しまわったり、ハワイの東洋医学の先生を見つけてきて彼女に紹介するなど、一緒になってガンと闘ったんです」(えり子さんの知人)
あれから2年、今度は桑田にガンがおそってくるなんて・・・。 

2010年7月下旬、桑田と親しい音楽関係者がこう明かした。
「桑田さんは人間ドッグなどで、定期的に体をチェックしています。それが今回、食道に異変が見つかり、精密検査を受けました。その結果がガンであることが診断されたのです。初期の食道ガンで、治療可能であることが伝えられました」
初期とはいえ、ガンの告知に桑田も動揺を隠せなかったという。
「がんでお姉さんを亡くしていますから、その恐ろしさをよく知っています。かつてはヘビースモーカーだった彼が、10年以上前から禁煙するなど、健康にはかなり気を使っていただけに、ショックだったようです」 

手術をすることで桑田を大きく悩ませたのが声への影響だ。
なぜなら食道ガンは、時に声帯に影響を及ぼす場合があるからだ。
桑田といえばハスキーボイスが最大の魅力としてあげる人も多いだけに心配だ。
「桑田さんにとって声は大切なものです。手術を受け入れたのは不安に思いながらも1日も早く元気になりたい、ツアーが待っているという彼の前向きな気持ちからでしょう」(音楽関係者)

そんな桑田が治療を委ねているのは、最先端のガン治療で知られる都内の病院。
ある雑誌ではいい病院、いい医者ランキングでも上位にランクしている。
「桑田さんは担当医に、手術することで声がどうなってしまうのとか、事細かに相談したそうです。自分が納得するまで何回も質問を重ねて不安を取り除いたみたいですね。そして、大丈夫だと納得して手術を決断したそうです」

「術後は、即退院ということはなく、放射線を当てたり、科学療法をしたりというのが一般的です。個人差はありますが、最低でも1ヶ月は入院しての治療が必要です」(ガンに詳しい教授)
桑田の所属事務所では近いうちに、桑田からファンにラジオからメッセージを送る予定のようだ。
姉をガンでなくしているだけに、術後の転移などが心配された。

桑田佳祐

食道ガン手術とリハビリ生活

一時期は歌手生命も終わりではないかと心配された食道ガンですが、早期発見だっため無事に手術も成功し、声帯も傷つけることなく無事だったようです。

2010年8月22日、食道癌で入院中だった桑田佳祐が無事に退院。
妻・原由子に付き添われて自宅に戻った。
入院してからわずか1ヶ月でのスピード退院だった。
「がんの患部は、すべて除去されました。傷口の大きい開胸手術ではなくて、複腔鏡を使った手術だったため、傷も最小限に。最終的な検査でも転移は見受けられませんでした。医師と密に相談しなから入院生活を送ってきたため、術後の経過も良好のようです」(音楽関係者) 

2010年8月現在、自宅静養中の桑田。
家での様子については、
「さすがにレコーディングなどの復帰は難しいため、とりあえずは曲作りなどをして復帰に備えているようです。でも、とにかく動き回るのが大好きな彼のことですから、うずうずしているみたいですよ」(プロダクション関係者)

食道癌の場合、術後に特に注意することは食事だという。
「食道癌手術後、本来の機能とは違う個所を繋げたことにより、ものがつまったり、むせたりするという障害がおきやすいんです。窒息や誤嚥性肺炎を起こす危険性もある。食事はいままでの1/3程度からならさなければならないため、腸の機能が低下しています。その結果、栄養失調になったり、下痢や脱水に陥ったりもします」 

術後の大変な状態を支えているのは妻だった。
「彼女は入院にあたって、ちゃんと治療に集中できるか心配だから、私がしっかりしないといけないと話していたように、病院でも献身的に看病をしていました。術後も医師からのアドバイスをしっかりと聞きいれ、食事に関するパンフレットやプリントをもってかえったそうです」(プロダクション関係者)

そんな中でも、食事にはかなりきをつかっているようで、スワロウ食を食べているようだ。
スワロウ食とは、嚥下食と呼ばれる飲み込みやすい食事を進化させたもので、栄養価値が高く段階的に固形にしていけるよう考えられた食事のことだ。
この食事も1ヶ月ほどすればなれてくるし、術後と変わらない食事になるという。
今後も妻のサポートが重要になってくるという。
「秋に向けて、寒さ対策はとくに要注意です。寒さから風邪や肺炎になると、合併症が起こりやすいため」
妻と二人三脚で復活に向けてリハビリ生活をしている桑田でした。 

原由子

桑田佳祐が驚異的な回復をしたボイストレーニングとは

2010年11月30日、桑田佳祐が大晦日で復帰するとの報道が駆け巡った。
桑田は2010年8月に食道がん手術を受けて休業中だった。
以来、リハビリの日々をおくっていただけに、突然の報道復帰はびっくりした。
その後、所属事務所もNHKも紅白での復帰は否定しているは、妻の原さんは来る日に向けて夫と二人三脚の日々を続けているという。

「食道ガンの手術の後から、スワロウ食いといわれる流動食を作ってあげていた原さんですが、今も、ほとんど一日中付きっきりで桑田さんのリハビリを支えています。以前の桑田さんはひとりでジムに通っていましたが、原さんも一緒に行くようになりました。プールで泳いだり、筋トレで汗を流すなどして、体力回復をはかっているそうです。また、入院で落ちてしまった肺活量を回復させるために病院で教えて貰った呼吸トレーニングを一緒に実践しているそうですよ。もともと仲の良い夫婦ですが、今回でさらに絆が深まったのでは」(プロダクション関係者) 

2010年12月、レギュラーを務めるラジオ・桑田佳祐のやさしい夜遊びで毎週メッセージを送っている。
また新アルバムのレコーディングも10月から再開している。
「楽曲作りにも、原さんのサポートが欠かせません。これまでも、桑田さんが何げなく歌を鼻歌を原さんが音符にしてきました。最近の桑田さんの鼻歌を原さんが書きためているみたいですよ」(レコード会社関係者)
驚異的な回復で、レコーディングも開始している桑田が紅白に出場するのは既定路線?

桑田佳祐

桑田佳祐が紅白復帰を決めた舞台裏

NHK紅白に早くから復帰するという報道がされていましたがNHK側はそれを否定。しかし蓋をあけてみれば紅白復帰!紅白への出場は直前まで考えていたようです。紅白復帰を決意させたものとは何だったのでしょうか?

2010年大晦日の夜、都内のある蕎麦店は、年越しの瞬間を待つ客で賑わっていた。
その中に温かいお茶で乾杯する20人弱のグループがいた。
その輪の中心にいたのは、NHK紅白歌合戦への出演を終えたばかりの桑田佳祐と妻の原由子だった。
「桑田さんはここの常連です。あの夜は1年ぶりの来店で、お酒を飲まなかったのは初めて。スタッフもタバコは外に出て吸っていたようです」(常連客) 

食道癌を告白して、紅白出場は180日ぶりの復帰だった。
独特の歌声は以前のままで完全復活となった。
それでも心中は複雑だったようだ。
翌1日のラジオでは「まだ完治じゃないんだよ。再発する可能生もあるからまだ気をつけないといけない」といい、「せっかく紅白に誘っていただいたので、どうしようかなという部分もあったけど・・・」と、出場にギリギリまで迷ったことを明かしていた。 

さらに同ラジオではガン告白したことを振り返り、「5ヶ月前に半分絶望してこの番組を去ったんですけど」と、復帰を諦めかけていたことも告白している。
実際に手術は大変なものだったようだ。
それを支えたのは妻だった。
「手術後は病院に泊まり込みでずっと桑田さんに付き添っていました。また、桑田さんが病院食以外に少し力がでるものが食べたいというので、行きつけの料理店のおかみさんにひじきなどをつくってもらい、マネージャーに毎日のように届けてもらっていましたよ」(病院関係者)

無事に2010年8月末に退院し、桑田は海の近くにある別荘で療養生活に入った。
この療養中に神頼みもしたようだ。
「奥さんと一緒にお参りに来られました。お元気そうでしたが、時折、しんどそうな表情もされていました。この寺には薬師如来様がいます。病気を治す仏様ですので、熱心に手を合わせておられました」(寺の関係者)

桑田は好きな海の近くで療養し、段々と元気を取り戻していった。
復帰への手応えを掴んだのはサーフィンだったようだ。
「桑田さんは波乗りが大好きだからね。だいぶ寒くなってからですが、療養中に2回もサーフィンしているのを見ました」(地元のサーファー)
そして、直前の2010年12月24日に出場へのオファーを受諾した。

桑田佳祐

桑田佳祐が10億円の豪邸を建設

夫婦二人三脚で食道ガンの手術を無事に成功させ、歌手としても完全復活をした桑田佳祐。今度はその妻の御礼に10億円の豪邸を建設中だと報じられていました。

「2010年の大晦日の紅白で見事復帰を果たした桑田さんは、今や体調も回復し、復興チャリティーなどもして頑張っています」(音楽関係者)
2010年7月に食道ガンが判明した桑田佳祐。
姉もガンで亡くしただけあって心配されていた。

そんな、彼が現在、復興支援とともに進めているのが新居の建設だ。
「桑田さんが都内の住宅地に土地を購入したのは2009年2月のことでした。その時から、じっくり建設計画を練っていたようです。土地の面積は約780㎡でテニスコート3面ほどの広さで価格は6億円になります。建設中の家も合わせると、約10億円はすると思います。地下1階地上3階で地下には車が10台は入りそうなスペースです」(不動産関係者)
工事がはじまったのは2010年12月のようだ。 

この新居にはエコが導入されているという。
「屋上の東側には太陽光発電のパネルが設置され自家発電ができ、建物内に太陽光が入る吹き抜けも造る予定。さらに、屋上庭園も配置されるそうです。音楽スタジオも造るそうです」(建設関係者)
新しい豪邸は超エコ住宅になりそうだ。
桑田は歌詞にもエコを意識した曲が収録されている。
「2月に発売したMUSICMAN。1曲目の現代諸君!の歌詞では、やれ環境破壊だ、絶句!(略)この地球の未来には今さらLove&Peaceは無いと環境問題に触れています」(音楽関係者) 

今回の住宅はエコを意識しているが、妻・原由子への感謝の思いも込められているという。
「2010年8月から闘病生活で入院した桑田を支え続けたのは妻でした。桑田さんが入院してから復帰を果たすまでの間、原さんはいつもそばに居続けて、夫のリハビリ生活も支えてきました。だからこそ、桑田さんも妻のおかげで闘病生活に専念することができたと感謝してるようです」
来年2月には結婚30周年を迎えるふたり。
記念すべき日に向かって新居が急ピッチで建設されているそうです。

桑田佳祐

桑田佳祐がサザン復活を5年早めていた

2008年の無期限活動休性宣言をしました。2010年7月、桑田佳祐の食道がんが発覚しました。手術は無事成功し紅白で復活をして話題にもなりました。サザン休止宣言から5年、ようやく8月に復活することになったそうです。

「自信を持って皆様に聴いていただける作品ができたら帰ってきます。それまで、サザンの屋号を預かっててちょうだい」
2008年8月24日の日産スタジアムで桑田はファンにそう言い残し、サザンは無期限活動休止に入った。

あれから5年・・・結成35周年を迎え、ついに復帰する。
2013年8月7日に54枚目のシングル・ピースとハイライトをリリース。
日産スタジアムで開幕する全国ツアーを発表した。

2010年7月に桑田は食道がんが発覚する。
手術は食道と胃をつなげるという大変なもので、6時間にも及んだ。
そんな桑田を支えたのは妻・原由子だった。
妻の献身的な看護もあり、手術から1ヶ月で退院する。
それから、4ヶ月後に、桑田は紅白にも出場し電撃復帰をしたのだ。
独特の歌声は手術前と変わらないもので完全復活と思われた。

しかし、直後に出演したラジオ番組で、桑田はこんなことを話している。
「まだ完治じゃないんだよ。再発する可能性もあるから、まだ気をつけなきゃ」
さらに一度は死を覚悟したことも語る。

それからの桑田は病状の経過を見ながら、徐々にステージに復帰。
2012年には5年ぶりのソロ活動ツアーを成功させた。
「いま体調も超えも、本人が人生で一番いいというほど絶好調なんですよ」(音楽関係者)
そんな桑田は、サザン復活へと気持ちが傾いていく。

「桑田さん、本当は区切りの40終焉でのサザン復活を考えていたんです。でも一度死の淵を経験したことで、5年後にこんな調子でいられるかわからない。また再発するかも知れない。元気なうちにファンにサザンの歌を届けたいという思いがあるようです」(別の音楽関係者)
復活の裏には、自身の健康問題への不安があり、絶好調である今を選んだようです。

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長男・祐宜が歌手デビュー!父のがんがきっかけ

桑田佳祐は、2010年7月に食道がんが発覚し、食道と胃をつなげる6時間の手術を受けた。手術の後遺症として声帯も心配されましたが、無事でした。さすがにがんとあって、死を覚悟したことも明かしました。死を覚悟したことから、サザンで活動できる時間のタイムリミットを感じ、歌えるときに歌おうと突然の復帰を宣言しました。

そんな、父を見て何か感じたものがあったのでしょう。これまで大学卒業後、ずっとニートをしていた息子・祐宜(ゆうき)も歌手としてデビューすることになったそうです。

2008年8月24日、大雨の日産スタジアムで桑田佳祐は、「自信を持って皆様に聴いていただける作品ができたら帰ってきます。それまでサザンの屋号を預かっていてちょうだい」と言い残して、サザンは無期限活動休止に入った。

それから5年、沈黙を破って突然復活宣言したのは、サザン記念日の2013年6月25日だった。
「ある意味人生のタイムリミットみたいなものを感じました。いろんなことが・・・。5年間あっという間に過ぎて・・・」
復帰の理由についてこう語っている。

妻・原由子の献身的な看護もあり、手術後1ヶ月で退院をして周囲を安心させた。
しかし、それでも桑田は再発の恐怖を感じている。
「まだ完治じゃないんだよ。再発する可能性もあるから、まだ気をつけなきゃいけない」
病気を経験してから、桑田は強く死を意識するようになった。

そんな中で桑田は、再びサザンへの思いを強くしていった。
サザン復活とともに、桑田にとって気がかりだったのが、大学卒業後も定職に就かずにいた長男・祐宜である。

祐宜が高校時代の2004年、竹内まりやと山下達郎夫婦の長女が、同校の音楽祭で祐宜と同じステージに立ったことがある。
一緒のバンドでデビューするかと思われていたが、無かった。

祐宜は、父への憧れを抱きつつ、その後もバンド活動を続けていた祐宜。
大学を卒業するころには、音楽関係の間では、メジャーデビューするのではという声が上がっていたが、実際にデビューすることは無かった。

祐宜はその後、就職することもなく、ライブハウスなどでバイトとしてギターを弾きながら、親のすねをかじる生活を続けてきた。
祐宜の親しい桑田家の知人がこう話す。
「いくつかのレコード会社から、デビューの誘いはあったそうです、でも祐宜は、親父の名前をだされるのも、比べられるのも嫌だと断ったそうです。そして、将来的にも、CDデビューはしない。一生ニートとして過ごしますなんていうのが口癖でした(笑)」
祐宜は、本当はデビューしたかったのかも知れないが、桑田佳祐という偉大な父の存在が、一歩踏み出せない原因となっていたようだ。

しかし、祐宜は2012年11月、RED ALOUDというロックバンドでCDデビューしたのだ。
「祐宜くんは、このバンドで、ギターとボーカルを担当し、作詞作曲も手がけています。今年6月にはセカンドアルバムもリリースして、今はバンドの名前を売るために、全国のライブハウスを回っています」(別の音楽関係者)

祐宜が突然デビューしたのは、父である桑田の病気だった。
「祐宜は桑田さんの病気のことを外で口にすることはほとんどありませんでした。病気になってからは、雰囲気ががらりと変わりましたよ。もう親には心配をかけれないといった感じで・・・。真剣に音楽に向き合うようになっていきましたね」(桑田家の知人)

この姿を知ってか、桑田は長男が歌手としてデビューすることに反対をしていたのだが、OKを出したそうです。
さらに、桑田のレコード会社と所属事務所が祐宜をサポート。
まだ始まったばかりですが、祐宜は父・桑田佳祐のようにビックになれることができるか注目ですね!

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