益戸育江(高樹沙耶)が相棒を降板し芸能界を引退してから

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女優の高樹沙耶は益戸育江という名前で現在は活動をしています。相棒を突然降板し、そのまま芸能界引退をしてしまった。東京が震災の影響で放射能に汚染されたのではないかと沖縄に移住した高樹沙耶。その後の生活は。

益戸育江

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自身のブログ炎上事件について

2007年10月から放送されていた「ハピふる!」で司会を務めていたエコに強い関心を寄せる女優の高樹沙耶。
2008年9月26日の最後の挨拶では高樹沙耶という芸名を返上することを告白した。

「農園プロジェクトだったり、スタッフみんなでお米を作ったりと、やりたい企画ができました。番組が終わると決まったら視聴者からたくさん残念ですというメールが来て、1年間やったことは間違いじゃなかったと思います」
役作りのためではない、日に焼けた肌、ハリのある声。
「10年くらい前、芸能界をいったんお休みしてフリーダイビングをしたり、世界仲のエコビレッジを回ったりする生活をしてました。それでいきなり東京の芸能界に戻ってきて、最初はやっぱり戸惑いました。都会はきついなって」
千葉県南房総市の海の見える高台に建つログハウス。
高樹が3年をかけて作った住まいである。
しかし、この1年多忙で週末しかそこで過ごせなかった

それでも彼女が番組を続けてきた理由とは
「環境のことは、私ひとりが自給自足をしてよくなることではなく、今、地球上のみなさんが意識を変えて取り組まないといけない問題だと思ってました。ハピふる!はそういった思考を持った番組でしたし、多くの人にエコを伝えることが出来ると思って」
しかし、その二重生活が、偽りの田舎暮らしと報じられてしまったこともある。
2008年の6月には、自身が経営していくギャラリーの建設にボランティアを募ったことで、ブログが大炎上したこともあった。
「文章の書き方がよくなかったり、足りなかったこともあって誤解を生んでしまったと思います。エコの家を自らの手で造ることを提供したかったんです。自分が経営する店を、他人に造らせるのかというメッセージが4000件もきて本当にショックでした。」
25年間付き合ってきた芸名を捨てたのは、エコ活動を本気でするためだという。

2008年7月、週刊誌が高樹と年下男性とのデート現場を報じた。
ガッチリした体系でスポーツマン風の彼。
数年前、海外に向かう船上で知り合い、一時は結婚も意識もしたという。
「彼はメキシコに行ってしまって、現在はコンタクトを取ってないんです。恋人というか、もちろん仲はよいですけど、ふたりの間には将来があるとかいわれると、ないかな」
1998年には、歌手の中西圭三と結婚をし、2年後にはスレ違いで離婚に至ってしまった。
「私みたいに突然フリーダイビングをしたり、農業を始めちゃう人間と一緒になった人は、不幸になると思うんですよ。前回の結婚の時は、カレとカレのご家族に本当に申し訳なかったと思っています」

そんな彼女も、40歳をすぎたころ、どうしても子供が欲しいと思う時期があったという。
「2~3年前までは、誰とでもいいから子供をつくちゃお~って、焦りを感じていたんです。逆に私は一生子供がもてないんだって、かなしくなって泣いた夜もありました。でも今は、千葉の家には一緒にエコをしたいという若者たちがいつも来ていて、全然寂しくないです。そのことが逆によくないかも知れませんね(笑)」

高樹さんにしてみれば、ブログの炎上はかなり精神的にショックだったみたいです。でもあのブログを見て、応援してあげたいと思った人は少ないと思います。

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事実婚男性と新婚生活

2012年、益戸は石垣島で水道の通っていない場所で生活をしているそうです。さらに大麻研究家と新婚生活をしているようです。究極といってもいいほどのエコ生活をしています。

「石垣島で、女優の高樹沙耶さんに会いました。今は本名の益戸育江って名前で活動していますね。ノーメークでシャツにジーンズという格好ですいません。これでも私、女優でしたのよって笑っていましたが、真っ黒に日焼けしていて、もう女優という雰囲気ではありませんでしたね」(石垣島を訪れた男性)

彼女は今、石垣島で生活しているという。
彼女と会った男性によれば、益戸は小屋と呼ぶのにふさわしいような質素な建物で生活をしていた。
写真が掲載されていますが、本当にこんなとこに住めるの?っていうような小屋です・・・隣には軽トラが置いてあります。(沖縄ではこのような小屋は多くみかけますが、とても住めるようなとこではない)
下記は参考イメージです。(下記よりもぼろいです)

「50代くらいの優しそうな男性と一緒でした。ここが私たちの家なんですよって、言っていましたから、一緒に住んでいるんでしょうね。夫婦のようにみえましたよ。家の中には電化製品などは一切なかったです」

益戸のブログには、「水道は引いていなくて、山の水で生活、電気は沖縄電力から買ってますが2012年5月は1233円と書かれている」
彼女は、性格がまっすぐな人で、何かにはまるとそれしか見えなくなり、突き進んでしまう性格のようです。

益戸が、沖縄で暮らすきっかけになったのは、2011年3月11日の東日本大震災がきっかけだった。
彼女は2011年5月に石垣島に2000㎡の土地を購入し、南房総の家が売れた資金で、さらに2000㎡の土地を買い足し、建設中なのが、リトリートセンターだという。

彼女のいう、リトリートセンターとは、「電気やガス、水道を引かずに、自然と触れ合い、キャンプ場より少しおしゃれなバンガローに滞在して、ヨガや素泊まり、断食などを体験してもらう」施設だという。

週刊誌が益戸を訪ねてみた。
空港から車で40分、島の高台へと向かう車1台がやっと通れる山間の未知を進む。
ようやくたどり着いたヤシの木に囲まれた古びた平屋の一軒家が彼女の家だった。
広さは50㎡ほどだ。
お世辞にも綺麗とは言い難い、家の隣には千葉からもってきたのだろう、軽トラックが止められていた。
家の玄関先では、東南アジア系の男性3人が建築作業をしていた。

すると益戸が出てきた。
はい、こんにちわ!
彼女の顔は、シミを化粧で隠すこともなく素顔だった。
「わざわざ来ていただいたんですけど・・・今はちょっと」
取材を断られた。
「今は、まだリトリートセンターを作っている途中で、できあがるのが来年3月くらいです。できればそういうタイミングの方が・・・」

同居男性との生活について日を改めて取材をしたいというと、益戸の口調が一気に冷ややかなものになった。
「私、一応、事務所に所属しているので、事務所に言ってもらえますか?勝手なことはできないので・・・」すると、家の中から男性がでてきた。

腕組みしながら、彼女のかたわらに立った。
彼は細顔で髪は短く、眼鏡をかけている。
知的に物腰が柔らかそうな男性だ。
年齢は益戸よりやや年上に見える。

冒頭の男性がこの男性についてこう話す。
「石垣島の空港に到着した男性のM氏を、益戸さんが迎えに来る姿がよく見かけられています。石垣では、ふたりは一緒に住んでいることもあり事実婚状態のようです」さらに、益戸とM氏は、周囲を気にすることもなくラブラブのそうです。

この男性の正体をM氏の知人が明かす。
「実は、益戸と暮らすM氏は大麻草検証委員会の代表を務めています。彼は大麻草研究家で、大麻取締法改正を目指す活動家でもあるんです」
益戸も、2012年7月14日のブログで大麻草研究委員会幹事表明と題して大麻の時論を展開していた。
彼女自身も大麻を取り締まる法律を変えようという考えを持っているようだ。
「私個人の感覚からしまして、お酒、たばこ、チョコレートよりも安心で安全で多幸感を得られる、そしてアンチエージングには最高の植物だと信じております(略)」
芸能界は引退をしましたが、また復帰する可能性もあるのでしょうか?
事務所には所属をしているようです。
飽きるまでこの生活が続きそう??

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One Response to “益戸育江(高樹沙耶)が相棒を降板し芸能界を引退してから”

  1. 通行人 より:

     昔の「相棒」が好きだったで放送の制限が出て来ると残念です。益戸さんは相手の男の趣味にのめり込む人らしいですね。中西さんとうまく続いて女優をやっていれば良かったのに。

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