鈴木杏樹は腸閉塞で入院し手術担当の医者と結婚も夫が死去

女優の鈴木杏樹は、17歳の時にスカウトされ、歌手を目指しロンドンに音楽留学。1990年2月に「KAKKO」という名前でシングルをリリース。UKチャートで最高101位を記録するも、セカンドシングルがランクインせず1991年に帰国。

1993年にドラマ「あすなろ白書」に出演するなど、清純派の女優として人気を集め「お嫁さんにしたい女優NO・1」にも選ばれています。1995年から音楽番組「ミュージックフェア」の司会に。一時期、CM14本に出演し「CM女王」と呼ばれていました。

鈴木杏樹

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鈴木杏樹の旦那が内臓疾患で急死

2013年2月1日、レギュラー出演していた日本テレビ系ZIP!の生放送中に鈴木杏樹の夫で医師である山形基夫さんが滞在先のアメリカで亡くなった。5年ほど前から病気を患っていたそうです。しかし、若すぎる突然に急死に杏樹はショックを・・・。

「そんなに悪かったとは存じませんでした。東京に行くこともあまりなかったので・・・何もわからなくて・・・」
大阪に住む杏樹の母は、突然の悲報に動揺しながら、少なに語るのみだった。

杏樹の夫で、駿河台日本大学病院勤務の外科医、山形基夫さんが2013年2月1日に滞在先のアメリカで亡くなった。
死因は内臓疾患と伝えられている。
「5年ほど前から肝臓の重い病気にかかっていたそうです。肝臓の移植手術をするために、2012年末からボストン近郊の病院に入院していたんです」(山形さんの知人)
しかし、手術直前に容体が急変し帰らぬ人となった。

杏樹が夫の死を知ったのは、朝の情報番組ZIP!の生放送終了直後だった。
「スタッフから夫の死を告げられると、杏樹さんは信じられないといった様子で、何度も聞き直したそうです。その後、ただ呆然としていました」(日テレ関係者)

心配そうに見守るスタッフに杏樹は、「大丈夫です」と消えるような声でつぶやき、続けてこう言った。
「アメリカに行かなきゃ・・・」
翌日、杏樹は渡来した。

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1998年杏樹は、ミュージックフェア収録中に腸閉塞を患い、彼の務める病院に入院。
山形さんが手術を担当した。
山形さんはテレビで紹介されたこともある名医だった。
患者からの評判もよかった。
杏樹は、そんな山形さんの人柄に惹かれたのだろう。
退院の時にパソコンのメルアドを交換し、すぐに交際が始まった。
そしてわずか4ヶ月後の1998年6月に入籍する。

結婚後、山形さんは自分より杏樹さんの健康を人一倍気遣った。
「出会いが病気ですから、山形さんは杏樹さんを心配して、その日の彼女の体調に合わせて、脂の抜いた賞かのいいものを入れたオリジナル弁当を毎日作っていました」(山形さんの知人)

誰もがうらやむほどのおしどり夫婦が切望したのが子供だった。
杏樹は、子供への思いは強く、結婚当初雑誌にこう語っている。
「子供がいたらどんなにか楽しいだろうと思います。でも、こればかりは自然に任せようと思っています」
しかし、なかなか子供はできず、5年たってもその状態は変わらなかった。

その頃、彼女は周囲にこんな相談をしていた。
「お義母さんは本当に優しくて、私たち夫婦を可愛がってくれる。だからこそ、孫がみたいの、子供はまだなの?って聞いてくるんだよね・・・」
杏樹にとってこれがプレッシャーになっていく。

「杏樹さんは一時期、仕事をセーブして、不妊治療に取り組んだそうです。山形さんは、知り合いの産婦人科の医師に相談をするなど、赤ちゃんの夢を叶えようと懸命に頑張りました」(杏樹の友人)
しかし、それでも子供は授かることはなかった。
叶わないままとなった夢を残し、逝った夫・・・。
ひとり残された杏樹の悲しみは計り知れなかった。

その後、2014年10月からテレ朝系ドラマ「相棒 season13」に出演。2015年6月に公開された初主演映画「ライアの祈り」に主演。その他レギュラー番組は、フジ系「ミュージックフェア」の司会、日本テレビ系「ZIP!」メインパーソナリティー、BS日テレ「トラベリックスⅢ」、ニッポン放送ラジオ「鈴木杏樹のいってらっしゃい」など。2015年には初舞台に挑戦するなど多方面で活躍しています。

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