坂口良子の闘病生活と娘・坂口杏里の為に尾崎建夫と結婚した理由

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女優の坂口良子は1972年にフジテレビ「アイちゃんが行く」で女優デビュー。1980年の日本テレビ系「池中玄太80キロ」で西田敏行と共演し人気に。1986年に不動産会社社長と結婚し、1男1女をもうるも、1994年に離婚。2012年8月にプロゴルファーの尾崎健夫と再婚。2013年3月に57歳で亡くなっています。娘はタレントの坂口杏里。

坂口良子

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坂口良子の闘病生活と娘のために結婚

女優・坂口良子が若くしガンが原因のために亡くなりました。夫・尾崎建夫氏とは、2012年8月に入籍したが、7ヶ月しか一緒にいられなかった。しかし、尾崎氏は、病気のことを知っていて入籍を決めたそうです。最後は一緒にお墓に入りたいということで。坂口良子は、亡くなる直前まで満身創痍になりながらも娘のために仕事をしていたそうです。

2013年3月27日、坂口良子さんが57歳の若さで亡くなった。
横行結腸ガンと肺炎で闘病中だった。
「最後は尾崎さん、長男、杏里ちゃんに看取られ旅立ちました」(坂口家の知人)

週刊誌が2013年3月12日に坂口さんの入院を報じた時、杏里に病状を聞くと、大丈夫ですよと言っていたが、かなり重篤だったようだ。
「以前、別の病気で腸の手術をしたのですが、さらに調べるとガンと発見されたんです。それから抗がん剤治療を続けていました。2012年の年末には合併症も引き起こし悪化。2013年の2月からは都内の病院に入院していました」(病院関係者)

尾崎建夫 坂口良子

坂口の芸能人生を振り返ると、15歳でデビューした坂口は、清純派女優として大人気となった。
アイちゃんが行く!前略おふくろ様など人気作品にも恵まれた。
西田敏行などと出会ってから演技に目覚めていく。

「若い男性からの支持が厚かった。ミス・セブンティーンに選ばれたのが芸能界入りのきっかけでしたから。お嫁さんにしたい女優と呼ばれたこともありました」(映画ライター)
しかし、現実のお嫁さんは幸福とは言えなかった・・・。

1959年に19歳年上の実業家と結婚するが、1994年に離婚。
夫がバブル崩壊で行き詰まって事業に失敗し、坂口は連帯保証人として借金を背負わされてしまうのだ。
さらに自分が稼いで貯めていたお金もすべて消えた・・・。
当時、インタビューでこう語っている。
「肩にのしかかった総額は、思い出したくもありませんが40億円以上です。彼が投資したビル2つ、自宅、マンション。その全額のローンを払えていなかったんです」

返済のために無我夢中で働く彼女の支えになったのがジェットこと尾崎だった。
坂口が前夫との間にもうけた息子と娘の3人で暮らす家で、尾崎も1年の2/3は同居していた。
それでもなかなか入籍に踏み切れなかったのは理由があった。
「知り合った時は子供が小さかったし、私が借金裁判を抱えていたから彼に迷惑をかけたくなかったりで。杏里が正直、彼を好きになれなかったんです。あんまりね・・・」
杏里も長男も、尾崎のことをオジサンとしか呼ばなかったそうだ。

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一方で尾崎の方も結婚に踏み切れない理由があった。
「40代後半になって試合に勝てなくなり、自信を失ってしまったのでしょう。50代に入ってシニアツアーで実力を発揮するようになり、2009年にはシニアの賞金王にもなり、やっと結婚への意欲も高まったんですよ」(ツアー関係者)

杏里が仕事を始め、坂口の借金もクリアになり結婚への障害は無くなったように見えたのだが、悲運が襲いかかる。
それが結腸ガンだった。
「ガンが発覚し、結婚どころではないと周りからの声がありましたが、ふたりの気持ちは逆に強まりました。一緒の墓に入りたいという思いがあり、病気を承知のうえ籍を入れることにしたんです」(知人)
そうまでして坂口が尾崎と結婚を決断した背景には、万が一の場合、尾崎に杏里の後ろ盾になってほしいという願いもあったようだ。

籍を入れても坂口の闘病生活は続く・・・。
2012年11月に長男を除く3人で、さんまのスーパーからくりTVに出演。
テレビで夫と娘が共演するのは坂口の強い願いだった。
病魔と闘いながらの仕事だった。

さらに、坂口は杏里と化粧品のCMで共演をする。
「坂口さんは杏里さんとふたりで共演しているこの広告をとても気に入っていました。娘と一緒に出演していることをすごく喜んでいました。来期への契約更新の話があったことも、嬉しかったようです。亡くなる5日前には、わざわざ病院を抜け出し、ホテルまで行ったのは、大切な仕事を守りたかったからなんです。次の契約の5月までなんとしても生きたいって気持ちの表れでしたね」(坂口の友人)

やつれた身体にムチを売って最後の仕事を成し遂げたのだ。そこまでしても娘のことを第一に考えてあげていたそうです。

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