ASKAの薬物中毒から逮捕に至った現在まで!父や妻に愛人は
ミュージシャンのASKAは大学在学中の1978年に高校時代からの友人のCHAGEとコンビ「CHAGE and ASKA」を組む。1979年に「ひとり咲き」でデビュー。1980年に「万里の河」がヒット。1991年には「SAY YES」でが初のシングルチャート1位。1992年に「LOVE SONG」、1993年には「YAH YAH YAH」がヒット。1987年に元アナウンサー八島洋子さんと結婚。長男はバンドの元ギタリスト・SO。長女はシンガー・ソングライターの宮崎薫。
チャゲアスの6年ぶりの活動再開
2009年にお互いソロ活動することを決意。当時は解散する予定でしたが、ファンの強い要望により、無期限活動停止に。お互いがソロ活動になった理由は、ギャラの問題、性格の不一致などと噂されていましたが2013年1月、数年ぶりに活動を再開した。
「2012年末、徳光さんがスポーツジムで男性に声をかけられ、誰?とよく見ると、サングラスを外したCHAGEさん。徳光さんが司会を務めた音楽番組で何度も共演していましたからね。その際、来年復活します。よろしくお願いしますと挨拶されたそうです」(音楽関係者)
2013年1月下旬に6年ぶりの活動再開が報じられたCHAGE and ASKA。
復活報道当日、都内でライブを行っていたASKAは観客に呼びかけた。
「30周年の時に何もやってないし、35周年にふたりでケーキを食べるというわけにもいかないしなぁ」
ASKAはジョーク混じりにCHAGEとの復活のやり取りを報告していた。
この日、楽屋には、CHAGEからの差し入れのいちごがあったそうだ。
ふたりが一緒にステージに立つのは2007年12月以来で約6年ぶりだった。
「2009年1月、デビュー30周年を機に、お互いソロの道を進むことを決断し、解散とも報じられました。ところがファンの解散反対の声が多く、事務所にも電話が殺到。そのため無期限活動停止ということになったのです」
だが、当時、再婚して2008年11月に長男が誕生したばかりのCHAGEは寝耳に見ずだったという。
「この無期限活動停止は、ソロ活動を充実させたいというASKAさんの意向でしたが、CHAGEさんには事前に詳しく知らされず、テレビの報道でしったとか。一部では作詞作曲を手がけるASKAさんとCHAGEさんとでは3倍もの収入格差があり、ふたりの不仲が解散の原因とも報じられました」
それから4年、なぜ復活を?
「デビュー35周年ということもありますが、ASKAさんの長女が昨年10月にメジャーデビューしたことも、大きなきっかけになったようです」(別の音楽関係者)
2012年春、ASKAの長女・宮崎薫はデビュー前にもかかわれあず大手自動車メーカーのCMソングに起用された。
「ASKAさんは同じ道の先輩としてチャゲアスのステージが娘の刺激になればという思いがあるようです。CHAGEさんも50歳で授かった息子が5歳になりますし、音楽に興味を持ち始めた息子に、自分の真骨頂を見せたいと思ったようです」(音楽関係者)
お互い、我が子に自分達の音楽を見せたいことで復活を決意したようです。
ASKAと宮崎薫はお互いに父と娘であることは公表してないとのこと。
超大物シンガー深刻な薬物中毒はチャゲアスのASKAだった
CHAGE & ASKAことチャゲアスが2012年6年ぶりにコンビでの活動を発表。しかし、2013年6月にASKAの体調不良(一過性脳虚血症の疑い)で、2013年8月に復帰が予定されていましたが延期になりました。ファンの間では心配をしてる人が多かったのですが、実は覚醒剤中毒が原因だったという。
大物人気デュオ「CHAGE and ASKA」のASKA(飛鳥涼)が、覚せい剤を吸引しているところを盗撮され、暴〇団員に脅されていたことが週刊文春の取材で分かった。
ASKAと親しい芸能関係者によると、ASKAは中1から4年間を北海道で過ごしているが、そのとき同級生だった暴〇団員を通じてドラッグを購入していた。
だが、ドラッグの売買をめぐりトラブルが発生。
暴〇団員は、ASKAがガラスのパイプを使って覚せい剤を吸引するシーンを盗撮し、それを使ってASKAを脅したという。
週刊誌がASKAを自宅前で直撃。
記者:薬物中毒なんですか?
「ぜ~っんぜん。もう、ぜ~んぜん。ハッハッ」
記者:暴〇団員からクスリのことでゆすられていると聞いていますが。
「(少し間があり)そうそう、それはねお金を貸してくれって言われたの。それで、俺は嫌だって言ったらね。嫌だって。そうそうそうそう、それで揉めただけでぇ」
2013年8月に予定していた「CHAGE and ASKA」としての6年ぶりのライブは、6月に所属事務所がASKAに一過性脳虚血症の疑いがあるため延期すると発表したが、その時点でも暴〇団員による脅迫は続いていたという。
飛鳥涼の父がASKA報道に激怒!息子は薬なんてしない
東京スポーツが報じた大物歌手の薬物中毒。匿名で報じられましたが、すぐにチャゲス・ASKAの飛鳥涼だと特定されました。所属事務所は、覚醒剤の使用は否定をしていました。この報道に、元自衛官の父は当時激怒し、ASKAはそんな息子じゃない!と言っていたという。
「あんなバカな記事を読むわけじゃないですか!」
憤然として本紙記者に語ったのは、ASKAの父・宮崎克己さん。
2013年8月1日に、週刊文春に、シャブ&ASKAの衝撃 飛鳥涼は覚せい剤吸引ビデオで脅されていたというタイトルだった。
さらに、ASKAは末期レベルの麻薬中毒者という内容だった。
所属事務所側は、すぐに事実に反しており、厳重に抗議しますと真っ向否定。
週刊文春側は、記事には十分自信を持っていますと、一歩も譲らぬ展開になっていた。
この報道についてASKAの家族はどう思っていたのか?
父・克己さんが週刊誌に対応してくれたという。
まぁ、あがりなさいと記者を家に招き入れてくれた。
克己さんは、元自衛官で剣道7段で、地元では有名な剣士。
週刊文春の記事について、「全く信用していませんから」と、読んでいないと毅然と語った。
ASKAから連絡があったのは、週刊文春で記事が発売される1週間前のことだったという。
「息子の嫁から、あんな記事のことなんてお父さんは心配しなくていいからと、電話がかかってきたんです。息子の体調については、レコーディングで毎日忙しい日々を過ごしているけど元気だからと言っていました」
ASKAは少年時代、北海道、福岡で剣道漬けの日々を過ごした。
剣道を指揮したのは父だ。
中学、高校の大会では、ほとんど試合に負けなかったそうだ。
高校時代に3段をとって一区切りつけたというが、今でも木刀を握ることは多いそうだ。
当時も、初めて親子で一緒に剣道大会に出場したばかりだという。
2013年6月3日、日本武道館で開催された、全日本高齢者武道大会の団体戦で、福岡チームと出場し、3位になったそうだ。
そんな息子が薬漬けであるはずがないと、父はASKAを信じていた。
しかし、武道大会から1週間後の2013年6月11日に、ASKAは一過性脳虚血症の疑いがあるとして休養することが所属事務所から発表された。
そのため、6年ぶりにチャゲアスとして復活するライブも延期になった。
「息子は体調に不安があったようで、武道大会の前に、また検査を受けないといけないから、ちょっと大会に出られないかもしれないと、言ったんです。結果的に出場はできましたが・・・。スポーツ心臓といいますかね、激しいスポーツをやり続けているから、逆に心臓の動きが弱いのかも知れませんね、息子はライブをしたかったようですが、無理をしないように止められたのでしょう」
「そういえば、この家には長渕剛が来たことがあるんですよ」
ASKAと同じ九州出身で一つ違いの長渕。
2人はプライベートでも交流を持つ仲だった。
長渕は95年に自宅で大麻を押収され逮捕されている。
「彼が逮捕された時、息子はなんで、薬みたいなバカなことをやるかなぁと言っていたほどですから。だから息子は薬に手を出すような奴じゃないんですよ。でもね、週刊誌にそうかかれると90%の人はそう思うでしょう・・・」
息子の無実を信じていた父。ASKAは父を裏切るような事をするはずがないと。
所属事務所社長もビデオを見ていた
2013年8月、ASKAの覚せい剤ビデオが流出してたと報じらましたが、まだ表には出てきていなかった。そしてASKAは、暴〇団幹部と親密な付き合いがあったという。さらに、問題のビデオは、ASKAは当然ですが、事務所の社長も見ていたとのこと・・・。
「あんとき、なんかおかしいと思ったんだよ」
自宅の一室で自分が覚せい剤をあぶる映像を見たASKAは、暴〇団の山本(仮名)に電話して、開口一番こう切り出したのだった。
その映像はASKAは薬物を提供する山本によって盗撮されたものだった。
この行為は、脅迫を意味することは言うまでもない。
山本がASKAの問いかけに黙っていると、ASKAは観念したようにこう言った。
「いいよ。好きにして。それが出たら、オレやめられるから」
このやめられるとは何を意味しているのだろうか?
週刊誌がASKAの覚せい剤の件を報じたことにより、ASKAの自宅前には30人以上の報道陣が詰めかけていた。
しかし、もぬけの殻だった。
社会部記者が語る。
「文春の記事について、ASKAの所属事務所に取材しても、社長がつかまらない。担当者がいないのでわかりません。と、ずっと逃げてばかり。あれだけ具体的に内容が書かれているんだから、本来ならASKAが記者会見を開くべきですよ。それどころか、姿を隠してコメントすらだしませんからね。薬物を使用していたと思われてもしょうがありません」
2013年8月1日にASKAの事務所はようやく声明を出す。
「報道の内容は事実に反しており、大変遺憾です。弊社としてはこれらの報道に対し、厳重に抗議いたします」と発表。
しかし、具体的にどこが事実に反しているのかの指摘が一切なかった。
ビデオには、ASKAが山本を脅すシーンもあったという。
「ASKAは山本が所属する組の最高幹部とも親密で、お前がそのつもりなら、あらゆる手を使って潰してやると言い、実際その幹部や暴〇団関係者に相談しているんです。山本宛に、山本ちゃん、そういうつもりでオレと付き合ってたのか?バカといった挑発的なメールも送っています」
そのメールを週刊誌記者も確認済みであったという。
「実は、世間的にはあまり知られておりませんが、ASKAは今回、盗撮ビデオを撮ったやくざ以外にも、暴〇団関係者と親密な付き合いがあるのです」(ASKAを知る知人)
その証拠に、ASKAが1996年に書き下ろしたエッセーでは、「僕にはやくざの友達がいる。やくざなてはなく、正真正銘のやくざである」と綴っている。
そのやくざとは、小学校時代の同級生で、指をつめ、薬物中毒に陥ったこともあるが、友情でつながっているそうだ。
山本は金をせびるためにビデオを撮影したのではないと言う。
「ビデオを撮ったのは、金のためと思われてもかまわない。だが、もともとあるのは、こいつを許せないという恨みだ」
山本の友人が話す。
「同級生ながらASKAは、自分はスターで、山本は所詮はチンピラという感覚があるみたいで、何につけても、お前なんかよりもずっと偉い親分と仲が良いという態度だった。山本はこのことに以前からいらだっているそうです」
結局、金額面で折り合いがつかずに、このビデオが闇社会に流出。
そして、ASKAの所属事務所社長も2013年4月にこの映像を見ていた。
「社長は以前からのASKAさんの異変に気づいていたようですが、実際にその映像を見て、その目でASKAと確認し、相当ショックを受けているようです。社長という肩書きですが、ASKAオーナーみたいなものなので強いことは言えないようです」(事務所関係者)
後は、他のテレビ局などにもこのビデオが持ち込まれたそうですが、金額交渉で破綻したと報じられていました。
ASKAが覚せい剤使用疑惑について薬はしたけど覚せい剤ではない
2013年9月にASKAが週刊誌のインタビューに答えています。ASKAの言い訳にしか聞こえませんでしたが。
2013年9月30日にASKA(本名・宮崎重明)の自宅でインタビューをした。
「いやー参りましたよ。 あのね、文春さんは騙されている。事実は違うんですよ」
自宅一階に隣接するスタジオで話始めた。
2ヶ月前に見た時は、夢遊病者のようだったが、今はしっかりと正面を見据えていた?
前回は、ASKAサイドにこの覚せい剤問題について、取材を何度も申し込み、事務所の社長の携帯に何度も連絡を入れたが、期日までには回答は得られなかったという。
「文春の記事が出たあと、文春については、厳重に抗議しますと発表。事実でないなら名誉毀損の訴訟を起こすべき案件だが、それ以降、完全に沈黙していた。そして、2013年9月27日にはHPで、ファンに向け声明文を発表した。薬物使用の疑惑を完全否定したのです!」(スポーツ紙記者)
ASKAがHPで発表した声明
ASKAはHPで「記事にあるような、違法なことは一切やっていませんし、あのような言動、行動に関しましても、一切ありません」「今回の記事にあるような依存性の症状などがないことは、前回のコンサートに参加して下さった皆さんには、はっきりと証明できていると思っています。それだけに今回の記事が事実無根であることは、皆さんが一番理解してくれていると僕は信じています」
ASKAと記者のやり取り。ASKAは何でも聞いて下さいといい始める。
記者:暴〇団・山本との出会いから話を聞きたい。
「山本は2012年1月、ある北海道の漁業関係者に紹介されたんです、札幌でお酒を飲んで、仲間うちでワーワーやっている中に山本がいた。彼は、東京で音楽事務所をやっているんですと言っていた。同じ年で高校時代はアイスホッケーの特侍生。僕も剣道で特侍生なのもあって話が弾みました。その後、東京で個人的にやり取りするようになってメールをしていました。その内、うちの新人の女の子をプロデュースしてくれないか? ライブの依頼、作曲の依頼などをされました。だからやくざなんて最初はわかりませんでした。外見もそうだし、口調も優しかった。やくざとの付き合いは昔はありましたよ。小学校の時、剣道で日本一のチームに勝ったことがあるんですが、その時の1人がグレて、組に入りました。僕はそんなの関係なくて、子供の頃に一緒に戦った仲間だということで仲良くしていました。でも数年前にその男は死にました」
記者:山本がASKAさんに覚せい剤を手配していたと証言しているが、それは事実?
「覚せい剤なんてやったこと一度もありませんよ!実は、僕が使っていたのはアンナカです。安息香酸ナトリウムカフェインといって、2000年頃から病院で処方されて呑んでいました。詩を書くときに本当に助かっている。今日は絶対に寝ちゃいけない時ってあるでしょ。眠かったり、だるかったり。アンナカを呑むと、2~3時間目が覚めるんですよ。僕はその頃、六本木の病院で処方してもらっていましたが、1ヶ月に一度いくのが面倒だった。さらに使える量が少しなのですぐに無くなるんですよ。それで昨年夏過ぎに山本に相談したところ、アンナカなら手に入るよって言われたんです。それから山本にアンナカを貰うようになってからは、2ヶ月分を一ヶ月で使うことができたので助かっていたんです」
アンナカは、簡単に言うと、眠気などを覚ませるようです。
さらに馬の興奮剤としても使われていたそうです。
またアンナカは、覚せい剤中毒者の話では、シャブの混ぜ物という認識だそうです。
使用すると性的にも興奮状態になるそうです。
山本との付き合いはずるずると続き、問題のビデオが撮影されることになる。
「2013年1月頃のことです。山本が僕の自宅にガラスパイプを持ってきたことがある。これでアンナカを吸ったら少量で済むから体には害はないよと。僕もうかつでしたけど、せっかく持ってきてくれたので断るのもあれだったので、アンナカの粉末をそれに入れて炙ってみました。そのシーンが隠し撮りされていたんです」
「そして、この動画が撮影されたDVDが2013年1月下旬から2月にかけて僕の所に送られてきたんです。山本から5000万円貸してくれと言われて、貸せないと言ったことがあった。そしたら、覚せい剤って言うぞって。あれ、アンナカじゃんって僕は言った。でも山本は覚せい剤と言えば、みんなも覚せい剤だと思うって。それでも断ったら、じゃあ3000万貸してくれって」
当紙は、そのビデオに山本と思われる男が、「シャブはもうやめたほうがいいっしょ」とASKAに忠告しているシーンが収められていることを確認している。
記者:結局、山本とはどう決着をつけたの?
「何度もビデオをばらまくぞ!これが出たら困るだろうって言われて。山本は跡になって、実は組のお金を5000万使い込んでしまったと言うんです。山本と最後にあったのは、2013年5月。おまえシカトする気かって、メールがあまりにも来るので、一度だけ食事をしようって。都内の飲食店で2人で食事をした」
記者:盗撮ビデオを恐喝されているのであれば、なぜ山本を刑事告訴しないのだろうか?
「当初は告訴分も自分で書きましたが、お金のことで訴えるのもかっこ悪いし、忘れたい気持ちが大きいですよね。お金を出せとは一言も言われてないし、お金を貸してくれと言われただけなので、恐喝だとは思っていない。山本は悪い奴には思えないんですよ。一度、オレにお金を貸さなかったらお前が困るというメールを貰いましたが、これが唯一の脅しですよね。それには返事をしなかったけど。後日、山本から組の人に発見されて北海道に護送されたというメールも来たので、彼が今どうなっているのかも知りません」
ASKAの友人が完全匿名で週刊誌に話しをしてくれたという。
「実は最近、ASKAは極秘裏に山本と手打ちをしたというのです。ASKAが言うように山本とは共犯関係だから、本来ならば盗撮映像が世間に出ることはなかった。山本サイドが映像をマスコミに売り歩き情報をリークし、ASKAのシャブ使用発覚で大騒ぎですよ。事が事なので双方が逮捕されるとお互い損をすることになる。しかしお互いが組んでしまえば、容易に言い逃れはできる。山本と話し合いがうまくまとまったASKAは、安心してドラッグはやっていないと声明を出したのではないでしょうか」
薬は常習しているので、これが覚せい剤だったとすると、やめることはできないのではないでしょうか?
薬問題で音楽活動休止に追い込まれたチャゲアス
チャゲアスは2009年に活動を無期限休止し、2人はソロ活動を行ってきた。2014年が結成35周年目の節目になることもあり、2013年8月のスペシャルライブを皮切りにチャゲアスとして再始動し、予定が組まれていた。
「しかしASKAの体調不良でライブは延期に。そして飛び出したのがASKAのシャブ報道だった。この影響で現時点でチャゲアスとしての活動は全く未定になりました」(音楽関係者)
ASKAのとばっちりを受けた格好のCHAGEだが、ソロでは音楽を再開している。
ラジオでは、「今後の活動については、そのうち発表するので気長に待って欲しい」とコメントしている。
そして2013年12月号のファンクラブ会報誌では、「CHAGEは皆様の暖かい応援もいただき、少しずつ音楽活動を再開しております。来年はCHAGEとしての活動からスタートさせていく予定です」とソロ活動することが発表されていた。
このままチャゲアスは無期限休止になるのだろうか?
「薬物騒動の前からASKAに不満を抱えていて、今後は自分の音楽をやっていくようです。また他のアーティストのアルバムの参加やコンサートのゲスト出演、若手のプロデュースなど幅広く活動していく方向と聞いています」
一方のASKAはどうなったのだろうか?
同じ会報誌でファンにメッセージを寄せていた。
「二度も週刊誌の記事で世間を騒がすことになってしまい、本当に申し訳ありません」「本当に穴があれば入りたい気持ちです」と謝罪を綴る一方でこんなことも語っていた。
「不思議なことに、今度のことがあってから創作意欲がどんどん高まってくるのを感じていたのですが、一種のショック療法とでもいうのでしょうか、眠っていた地からが苦しい体験をすることでスイッチがオンになったようです。今は多くの時間をスタジオで過ごしています。自分でもびっくりするペースで楽曲ができていってます。こんな沸き立つような喜びを長いこと忘れていた気がします」
しかし、ASKAには心配することもある。
音楽関係者が話す。
「報道後は基本的に自宅にいます。スタジオにもよくいっています。ただ暴〇団関係者との関係はまだ切れていないようで、いまだに連絡を取っています。警察もマークしているようで心配です」
チャゲアスが復活するカギはASKAにかかっていた。
ASKAの妻・八島洋子さんが警察に密告した理由
2014年5月、ASKAが覚醒剤所持で逮捕された。妻・八島洋子さんが警察に捜査を協力していたのではという報道がありましたが、どうやら本当だったようです。
八島洋子さんはASKAの異変にも気付いており、さらに不倫をしていることも知っていたそうです。ASKAは2000年頃から覚醒剤に手を染め、性格が変わっていったそうです。もうASKAを止めることもできなかったのでしょうね。家庭の平和を取り戻すため、ASKAに元通りに戻って欲しいため自ら警察に密告をしたそうです。
「取調室で担当官がASKAさんのファンでしたと漏らすと、ASAK容疑者は満面の笑みでありがとうございますと答えたそうです。取調室では笑い声が漏れるほどです。彼は事の重大さを理解していないようです」(捜査関係者)
逮捕から6日後の2014年5月23日、覚醒剤の使用を認めたASAK。
彼は週末になると東京港区にある栩内香澄美が住んでいる社宅へ通い、覚醒剤を使用しては性行為に及んでいたという。
逮捕の決め手は妻・洋子さんの証言だった。
洋子さんは夫の異常な行動に苦悩した末、警察に逮捕してもらうことを決意したのだ。
「一報が流れた時、この逮捕に内通者がいるといわれていました。家宅捜査の際、事前に自宅内部の見取り図などの情報が入っていたそうです。内通者が誰だったかは警察は公表することはありません。ASKAの自宅の間取りなどを知っているのは家族。妻が捜査に協力したと考えるのが普通です」(捜査関係者)
「夫人は夫が覚醒剤を使用していることだけでなく、栩内容疑者との関係にも感づいていたようです。しかも不倫相手は自分より二回り近くも年下のキャリアウーマン。それがわかった時、彼女の心中は穏やかではなかったでしょう。それでも夫人は約1年間も我慢してきたんです」(音楽関係者)
1987年6月にASAKと洋子さんは結婚をする。
さらに同年12月に長男が誕生(でき婚)。
洋子さんは女子アナをしていたが、仕事を辞め、家庭に入る。
2年後の1989年には長女が誕生している。
妻の応援を受けてASKAは1991年に「SAY YES」をリリースし、282万枚を売り上げ大ブレイクする。
1994年には現在住んでいる目黒区内に当時の価格で10億円の豪邸を建てる。
幸せな家庭に変化が起きたのは、2000年頃だった。
チャゲアスのソウル公演が大失敗し、莫大な損害を負ったことで、所属事務所が解散してしまった。
この頃から、ASKAは覚醒剤に手を染め、不審な行動が目立つようになる。
「彼はもともと浮き沈みの激しい性格です。暗くなると凄く落ち込みます。だから病院で精神安定剤をもらっていたこともあったようです。モノに当たることもあったようで、奥さんは怯える日々を過ごしていたといいます」(芸能関係者)
結局、2000年以降はヒット曲を出すことができなかった。
それでもこれまでのセールで計算すると、ASKAは作詞・作曲をしていたので、印税で年間数千万円の収入があったそうです。
これが覚醒剤を購入し続けれる資金になっていたそうです。
ASKAは覚醒剤の闇に落ちていき、家族とまともに接することもできなくなっていった。
「家庭を守るためにASKAの復活を支えてきた洋子さんですが、ASKA自身が家庭を壊しかねない存在になっていました。もう限界だったのでしょう。もう逮捕されない限り元に戻れないという断腸の思いで密告に踏み切ったようです」(音楽関係者)
一家を巻き込んだ今回の騒動。
ASKA宅周辺を取材中に、ロックバンド「THE NEET」でボーカルでASKAの長男・SOが歩いて来た。
警戒しつつ勝手口から自宅へと入っていく。
10分後に出てくるとゲーム機を抱えていた。
お父さんが逮捕されましたが、今の気持ちをお聞かせ下さいと週刊誌が質問をしたが、彼は振り返ることなく歩き去ろうとする。
ひと言だけ聞かせて下さい。
お父さんのことを今でも愛していますか?と尋ねると、彼は立ち止まり、こちらを振り向くと、「愛しています!」と大きな声で言い切った。彼の瞳はかすかに潤っていた。
ASKAが所属事務所を解雇!CHAGEから突きつけられた絶縁宣言
ASKAが2013年8月に所属事務所を解雇されていた。さらに、事務所が持っていたスタジオも売却がされていたという。ロックダムアーティスツの事務所も身売り予定でしたが、こちらはASKAの覚醒剤疑惑の影響で売却の契約合意に至らなかったと2014年6月に報じられました。
ASKAが覚醒剤疑惑が報じられた時に、ASKAも所属事務所社長も否定をしていましたが、所属事務所は覚醒剤疑惑が出てからすぐにASKAを役員として解雇していたようです。
「ASKAは覚醒剤の使用と所持を認めているのですが、同時に逮捕されたASKAの愛人の栩内香澄美(とちないかすみ)は覚醒剤は使用していませんと否認をしているため、覚醒剤の入手ルートの解明に時間がかかっています」(社会部記者)
そんななかで、CHAGEとASKAが所属する事務所「ロックダムアーティスツ」の身売りが報じられた。
ロックダムは1990年に設立し、CHAGEとASKAが実質的オーナーを務めていた。
そのロックダムが今年に入ってから、大手事務所に7000万円で身売りを持ちかけたものの最終的には合意に至らなかったそうだ。
ASKAの逮捕を受け、レコード会社などはCHAGE and ASKAの音楽や映像作品の出荷停止と回収を決定。
しかし、ロックダムは沈黙をしていた。
だが、すでにロックダムは今後のCHAGE and ASKAの活動に見切りをつけ、事務所を整理する動きは昨年8月に週刊文春が薬物疑惑を報じた直後から密かに進められていたのだ。
最初の覚醒剤疑惑から1ヶ月後の2013年8月29日にASKAはロックダムの取締役をひそかに追われていた。
芸能関係者が話す。
「当初はASKAは疑惑を完全否定していましたが、ずっと近くで彼の様子を見ていたCHAGEや事務所関係者はこれを信じていなかったのでしょう。報道が流れた時点で逮捕というケースをすでに想定していたのかも知れません。そのためASKAを切る動きに出たのでしょう」
(ASKAの所属事務所の社長は、ASKAがしゃぶを吸っているビデオを直接みたと報じられていましたらね)
その一方でもう1人のオーナーのCHAGEは留任している。
これは今後、デュオとしてのCHAGE and ASKAの復活はないという証。
今後はCHAGEが1人で活動していくことになるそうです。
ロックダムはASKAを切っただけではない。
「2013年末に都内に所有していた地上4階地下2階の自社ビルを5億円で売却しています。このビルにはスタジオも完備されていました」(音楽関係者)
なぜ、ビルを売却したのだろうか?
「8月に役員を辞任したASKAへの慰労金に宛てられたと考えられます。手切れ金でしょうね。慰労金は1億円を超すと見られています。さらに2013年8月に行われる予定だったCHAGE and ASKAの復活ライブもキャンセルになりましたから、その違約金にも充てられたのでしょう」(芸能関係者)
逮捕される前に、事務所関係者などはASKAが逮捕されることを想定していたようです。
愛人・栩内香澄美被告の裁判でASKAは20年前から覚醒剤使用
ASKAは覚醒剤使用を認めました。2014年7月に仮釈放されて覚醒剤治療の専門病院で入院をしてた。そして、ASKAの愛人の栩内香澄美被告は逮捕されてからも覚醒剤は使用していないと否認を続けていた。そんな栩内香澄美被告の初公判が2014年7月22日に始まった。
ASKAは栩内香澄美被告と北海道に旅行に行き、北海道にある洋子さんの名義の高層マンションでも覚醒剤を使っていたようです。ASKAは栩内香澄美被告と10年も愛人関係であったことが新たにわかりました。
栩内香澄美被告の初公判が2014年7月22日に行われた。
一般傍聴席21に対して、940人もの人が抽選に並んだ。
被告は弁護士から渡された紙を読む。
「私は覚醒剤を使用したことはありません。鑑定のミスによるものか、第三者が何らかの方法で私の体内に入れたもので、私に使用の故意はありません。無罪を主張します」
そして、栩内被告と弁護士はASKA被告との愛人関係の実態を生々しくすることで無罪を勝ち取る作戦に出たのだ。
「栩内被告は逮捕直後の尿検査と毛髪検査で覚醒剤の陽性反応がでています。しかし、弁護側は尿については、ASKA被告の体液が栩内被告の尿に混入した可能性があると。毛髪についてはASKA被告は汗っかきなので、その汗が髪の毛についたと主張をしました」
検察側はASKAと栩内被告が2004年頃から交際をし、愛人関係が10年になることを明かした。
ASKAは10年も洋子夫人を裏切り続けたのだ。
音楽関係者の話では、ASKAは栩内被告の部屋を訪ねる際は、偽装工作をしていたという。
「深夜のことが多かったそうですが、洋子夫人には創作活動のため1人になりたいからと言って出かけていたそうです。自宅近くにある自宅のマンションに立ち寄ってから、栩内被告のマンションに向かうのです。事を済ますと、朝方に自宅マンションに戻ってくるパターンだったそうです」
弁護側は2014年5月4日から6日の2日間、2人が北海道(札幌)に旅行したことを明かした。
洋子さんにとって、ASAKAと栩内被告が北海道に旅行にいったことがかなりのショックだったそうです。
公判では話されなかったが、この不倫旅行で宿泊したのは、札幌市の中心にある高級マンションで、実はそれは洋子さんの名義だったのだ。
ASKAは夫婦2人で時々ここで過ごそうよと話し、洋子さんが購入の決意を固めたそうですが、すでにASKA被告には20歳近く年下の愛人との交際をスタートさせていたんです。
水入らずのひとときを過ごすために購入したマンションが不倫の現場に使われていたことが洋子さんは相当ショックだったようです。
さらに、公判から3日後の2014年7月25日には、ASKAにもう1人の愛人がおり、その女性と覚醒剤を使用したことも報じられた。
捜査関係者が話す。
「その女性はASKAさんに勧められて、覚醒剤を使用したと供述しているそうです」
ASKAの保釈後に、更生と復帰のため看病をしている洋子さんだが、辛い裁判になってしまっているのは言うまでもなかった。
そして2014年8月に東京地方裁判所でASKAの初公判。同年9月にASKAに懲役3年執行猶予4年の有罪判決が言い渡されました。現在は東京都の病院に入院し治療にあたっているようです。